242 ハズカシイデス
「生地を薄くするのは難しいですね」
カレン神官長のお付きの女性神官のドリーさんと男性神官のライナスさんがすいとんの生地を伸ばす作業を手伝ってくれている。
二人とも神殿に入ったばかりの頃に調理経験があるらしく、とっても手際がいい。苦戦はしているものの、ちゃんと生地を伸ばせている。
「ちょっと厚くなっても、それはそれで美味しいですわよ」
そう話すローズ母様は、生地を手際よく伸ばして次々とお鍋に投入して行く。ローズ母様はお料理上手なのだ。
昔、私の離乳食作りで右往左往していたとは思えないくらい。
今ではマイエプロンを持参でデイン家やバーティア家の厨房に入り、新しい料理を覚えるのを楽しんでいる。
ローズ母様はアンベール国で生存が確認された夫のアーシュさんとのやりとりで、帰ってきたら手料理を振舞うことを約束したとのこと。
アーシュさんが無事でいることを感じられるようになったローズ母様は目に見えて明るくなった。
アーシュさんはアンベール国にいてまだ安全だとは言えないけれど、たったひとり何年も不明だった時とは違う。今アーシュさんの傍にはクリスウィン公爵やセルトさん、アースクリス国軍など心強い味方がいる。
それだけでも安心だ。
それと同時にローズ母様は自らの身の安全もより気をつけるようになった。
アーシュさんの生存は今はすでにアースクリス国の民すべてが知る事実。もちろんそれは罪を暴かれて逃走中のリヒャルトもすでに知っていることだろう。
先日、私の護衛機関による定期報告をクリスフィア公爵から聞いた際には、『ひとりでは行動しない』と私もローズ母様もクリスフィア公爵にしっかり頷き約束した。
以前クリステーア公爵のアーネストおじい様が懸念していたとおりに暗殺者の数が増えていた。
……どれだけしつこいんだ。彼は。って思ったくらいだったよ。
そして暗殺者を拷も……いや聞き出したという暗殺が成功した時の報酬額に驚いた。小さい子供と、か弱い女性を殺すだけで一生遊んで暮らせる額をちらつかせられたら飛びつくというものか……
でもその暗殺対象者が私とローズ母様ってことに腹が立つ。がう。
リヒャルトは今年の初め、犯罪者として追われる身となったが、どうやら闇マーケットに関わっている魔術師と行動を共にしているらしいとのことだ。
そう、リーフ・シュタット少年の自由を奪い取った闇の魔導具を売りさばいている他国の闇マーケット。そこと繋がっている、と。
その一味であるルベーラを確保できたことで、思いがけずリヒャルトのさらなる罪の証拠を掴めそうだと、ディークひいおじい様が話していた。
エスト警備隊長も『まったくあいつはどこまで堕ちるつもりなのか。あんな国と通じるとは』とため息をついていた。本当にね。
リヒャルトの出自についてもすでに公表されて、リヒャルトはクリステーア公爵家の系譜からも削除され、貴族としての身分を完全に失くした。
それでも私とローズ母様の命を狙い続けているのは、己がクリステーア公爵になるためなのだろうか?
以前その疑問に対してクリステーア公爵のアーネストおじい様が言った言葉は。
『あれの欲望にはキリがない。玉座を奪うことを決めた時点で『本当の出自』など関係がないのだ。玉座を奪ってから自分が前クリステーア公爵の子であると言いきればいいのだからな』と話していた。
それにリヒャルトは蛇のようにしつこいらしい。一度標的にしたら死ぬまで諦めないらしい。まったく迷惑なことこの上ない。
なので、ここ二月ほどローズ母様と私は外出を控えて商会のお家にこもりがちだったのである。お出掛けと言えばバーティア子爵家本邸くらいで。
今回の王都へのお出掛けは久しぶりにバーティア領から出ての遠出だったのだ。まさか帰りの道中でこんな事件に遭うとは思わなかったけど。
でもリーフ・シュタット少年を解放できたことはよかったと思う。
彼の為にも、セレン子爵や闇マーケットに関わる者たちもきちんと裁かれればいいな。
あ、話が横道に逸れてしまったので戻そう。
そんなこんなで、お家に籠ることになったローズ母様はアーシュさんに食べさせたいお料理のレシピをひとつひとつノートに書き起こしている。
それはそれは楽しそうにローズ母様が作っているのだが。
――そのレシピは私にとって何とも恥ずかしいものだ。
だって、そのレシピの隣のページにはその時のことが事細かに書かれていたからだ。
ラスクが出来た時のレシピには、私が椅子と共に倒れて泣いたこと。
エビ塩のレシピのページには、エビ殻を取り上げられて地団駄を踏んで怒ったこと。そして『もったいないおばけ』のエピソードも。
作っているローズ母様と、それを見ているローディン叔父様とリンクさんがものすごく楽しそうだけど。……トッテモハズカシイデス。
今作っているすいとんは去年ローズ母様のレシピに新しく加えられたものだった。
商会の家には料理人さんがいないので、必然的にローズ母様やローディン叔父様達が作ることになる。
なので品数は少なくても、一品でボリュームがたっぷりのものをよく作っていた。
肉じゃがとかオムライスとか。リンクさんもローディン叔父様も男性はとにかくたくさん食べるからね。なのでスープを具沢山にしたりして品数が少なくてもお腹が満たされるようにと日々工夫していた。
そしてすいとんはその具沢山シリーズの一つとして作ったのだった。
お肉も入るしいろんな野菜やキノコがたっぷり入ってスープ自体が美味しい上に栄養のバランスもいい。いろんな具材の旨味を吸い込んだすいとんも美味しいし、噛み応えもあって満足感もある。
ローズ母様は昨年初めてすいとんを作った際、生地を伸ばす作業ですぐにコツを掴み、完璧なすいとんを作ってくれたのだった。素晴らしい。
そのローズ母様に手ほどきを受けながら、神官さん達は二つの大鍋に分かれてすいとんを伸ばして鍋に投入して行った。
最初当然のように鍋を二つ用意するローディン叔父様とリンクさんに目が点になっていた神官さん達。
「絶対おかわりするから鍋は二つ必要ですよ」
「あんかけはおかわりなしだからな。すいとんは多めに作るようにしよう」
そう。お肉や卵など具材の在庫の関係もあり、あんかけはおかわりを無しとした。
それを聞いた底なし胃袋を持つカレン神官長がものすごーく悲しい表情をしたが仕方ない。
その代わりにすいとんを多めに作ることにしたのだ。それで勘弁してほしい。
総勢で約50人分。おかわりを想定したら一つの鍋じゃ絶対に不足するので、最初から大鍋二つを用意した。
ひたすら生地を伸ばして鍋に投入して行く。地道な作業である。
すべての生地を投入して軽く煮込み、ネギをたっぷり入れたら昔懐かしいすいとんの完成だ。
「この生地のつるんとした食感、とってもいいですわね」
試食とは思えない程の大きなボウルいっぱいのすいとんを頬張るカレン神官長。
「そうですね。薄いところはつるっと、ちょっと厚いところはもちっとしていて美味しいです」
ドリーさんは初めてのすいとん、それも自分で作ったので感慨深げだ。
「これ一皿でもなかなかのボリュームだ。鶏肉や野菜もたっぷりですいとんにそのうまみが染み込んでいて美味い。これはいいな」
ライナスさんは鶏肉や野菜を噛みしめ、ゆっくりとすいとんを味わっていた。
「はい! いろいろな具材から旨味を吸ったすいとんが美味しいです!」
新人神官さん達にも好評のようだ。
試食後、出来上がったすいとんの鍋に保存魔法をかけておく。
すいとんはずっと汁に入れておくと汁を吸ってふやけて食感が悪くなってしまうので、カレン神官長にお願いして保存魔法をかけてもらった。
よし、これで出来立ての美味しい状態のまま、明日の朝まで保つことが出来る。
「明日の朝が楽しみですね」
と言ったのはライナスさんだ。相当お気に召したらしい。
お読みいただきありがとうございます。




