230 リーフ・シュタット
昨日一瞬視えたモノ。
それは。セレン子爵の右足の甲に、ある力の結晶が、グッサリと突き刺さっていたのだ。
私が驚いたのは当たり前だと思う。
誰だって刃物を身体に突き刺したままいる人はいないのだから。
絶対にどんな方法を使っても抜き去る。
けれど。それを抜き去ることが出来なかった。
――だって、それは。
ただの物質的なものではなかったのだから。
『だからどんな方法を用いてもセレンは抜き去ることが出来なかったのだろう』と昨日ディークひいおじい様は言った。
そしてそれこそがセレン子爵の犯した罪の動かぬ証拠であるのだと。
だからこそセレン子爵は誰にも知られぬように隠した。
あの十本の指にはめられていた指輪のいくつかは、『それ』を隠蔽するための役目も果たしていたはずだ、と。
集中して視ると、足に突き刺さっているものを隠すような力が左手の指にはめられている指輪から発せられている。左手全体に纏わりつくのは、黒い靄をまとった禍々しい波長の力だ。
――そして。
「おとこのこ、いる」
小さく小さくリンクさんだけに届くように呟いた。
それに対してリンクさんの手にちょっとだけ力が入った。『わかった』という合図。
昨日はただセレン子爵の足に突き刺さったモノだけが視えたけれど、今日意識を集中して視ると『それ』をなした少年の姿がセレン子爵の側に立っているのが視えた。
銀髪にグレイの瞳をした魔法学院の制服を着た年若い少年。まだ14歳か15歳くらいだろうか。
「あれは、魔法学院の昔の制服だな」
ぼそりと頭の上で小さくリンクさんが呟いた。
え? リンクさんも視えるの?
顔を上げたら、リンクさんが頷き小さな声で言った。
「アーシェが俺の手に手を乗せた瞬間から俺にも視えるようになった。そのまま手を乗せていてくれ」
「あい」
私のお腹にまわったリンクさんの手に、新たな気持ちで両手を乗せた。
銀色の髪。グレイの瞳。
そして魔法学院の制服。
昨日通信の中で出て来た人物に違いない。
ディークひいおじい様が魔法学院の教師をしていた頃、特殊な能力を持っていた生徒が行方不明となり、後日息絶えた状態で発見された――
――男爵令息、リーフ・シュタット。
その名を思い浮かべると、セレン子爵の傍にいた少年が、ピクリと動いた。え!?
その少年は信じられない、というようにグレイの瞳を見開いて私とリンクさんを見た。
私もリンクさんもそれをみてちょっと身じろぎをした。私たちの反応を見てその少年はカツカツと歩み寄って来た。いや実際は靴音はしないのだけど、しっかりとした足取りだった。
彼は亡くなっているのだけど、全然怖い感じがしない。前世は視る力がなくて見えないものに恐怖を抱いていたけれど、こうやって魂の状態が見えるようになると、生きている人間と何ら変わらないのだということが分かる。その彼はきっちりと魔法学院の制服を着ていて、どこにも破れとかは見当たらなかった。――気になると言えば、首になんらかの跡があることか。
歩み寄って来た彼は、私とリンクさんのもとにやってくると、しゃがんで私と視線を合わせて嬉しそうに笑った。
『僕のことを知っているんだね?』
知っている? 名前は昨日通信で聞いたばかりだ。けれど絵姿を見たわけではないので目の前の彼がリーフ・シュタット本人かは分からないのだが。
『あのね。リーフ・シュタットって名前は僕の魂を指し示す言霊でね。君が僕の名を呼んだよね?』
え? いや呼んだというか、思い浮かんだんだけど。
『力有る存在に名を呼ばれるとひきつけられるんだよ。僕も急に呼ばれて驚いた。――ああ、今まで見たことのない輝きの魂……。すごく綺麗で優しい光だ――気持ちいい。残っていた痛みが消えて行くみたいだ……』
気持ちよさそうに目を瞑って安堵のため息をついている少年。
――じゃあ、今目の前にいる銀髪の少年が、セレン子爵のせいで命を落としたリーフ・シュタット本人だということなのか。
『そう。僕がリーフ・シュタット本人だよ。セレン子爵にいいように使われて、結局こんなことになっちゃった』
軽い口調で言うけれど、その瞳には隠し切れない哀しみが溢れている。
『お兄さんも僕のこと視えてるんだよね? 嬉しいな。闇の魔導具の指輪のせいで僕の楔の存在も隠蔽されてしまって悔しい思いをしていたんだ』
それに対してリンクさんがこくりと頷いた。
リーフ・シュタット少年は魂の状態なので私達と意識で会話が出来るということだった。
リンクさんがこれまでの経緯を問うと、まるで映画のように脳裏にそのことが映し出された。
ある日突然拉致され、普通の日常が奪われ、未来を閉ざされたリーフ・シュタットの記憶。
閉じ込められ、闇の魔術師が作った首輪をはめられ抵抗を封じ込められた。その上でセレン子爵が望むものを作らされた。
――痛み、苦しみ、悲しみ。
――そしてついには、生きて家族のもとに帰ることを諦めた――諦めざるを得なかった……
――それが視えた。
『あの狸は最初から僕を生かして解放するつもりはなかった。だから最期に一矢でも報いたくて、あの狸に絶対に抜けない楔を作って打ち込んでやったんだ。僕の命と引き換えだったから、あの楔はあいつが死ぬまで絶対に抜けない』
人は己の利益の為ならばどこまでも残酷なことが出来る。
そんなセレン子爵の欲の為に犠牲となった少年が、あれを、――証拠を遺したのだ。
自分の人としての尊厳を踏みにじった者へ、これからの未来を奪った者へ、決して抜けることのない『リーフ・シュタットにしか作れない楔』を。
――ボロボロになりながらも己の命と引き換えにしたそれを――彼はセレン子爵の足に打ち込んだ。
――その光景が、視えた。
――だから。
――セレン子爵は右足に力が入れられないのだ。
「ふえ」
リーフ・シュタット少年の、胸が潰れそうなほどの悲しみが流れ込んできて、涙がポロポロと流れて来た。
「――アーシェ」
いたわるような声のリンクさんにしがみついた。
よくもあんなことを。まだ少年の彼に。いや誰であってもあんなことをされていいはずがない。
――赦せるわけがない。
――いや、絶対に赦してはいけないのだ。
怒りに震えていたら、リンクさんがゆっくりと頭を撫でた。顔を上げたら『大丈夫だ』とその目が言っていた。
『僕の気持ちを自分のことのように感じてくれたんだ……。ありがとう』
私とリンクさんとの意識での会話で、昨日楔が視えたこと、その上で魔法省も警備隊もセレン子爵を捕縛すべく動いていることを知り、彼は何とも言えない表情でため息をついた。
『ああ……やっと。――やっと、この長きにわたる苦しみと執着から解放されそうだ』
ロビーラウンジの大きな窓の外の雪景色を見やってリーフ・シュタット少年は――そう呟いた。
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