21 女神様の祝福 2
アーシェラの叔父、ローディン視点です。
先ほどの奇跡のような光景がおさまったすぐ後に。
「お待たせしました〜! お酢持ってきましたよ〜!」
と、礼拝堂の中にカインが入ってきた。
「酢だけのはずなのに、なんで箱なんだ?」
リンクがカインの持つ箱が意外に大きいのに気づいた。
「皆様が調理をされるということでしたので、調味料もいくつか持ってまいりました」
と、セルトがカインの後に続いて礼拝堂の中に入ってきた。
「もうお昼に近い時間です。遅くなって申し訳ありませんでした。そろそろアーシェラ様もお腹が空いたのでは?」
セルトがアーシェに聞くと、その言葉で空腹を感じたらしい。
「おにゃかしゅいた」
小さな両手でお腹をさすった。
―――かわいい。
すぐに行ってお昼ご飯を用意してあげたいところだが、私たちにはまだしなければならないことがある。
「アーシェ。私たちはまだ話があるから先に炊事場に行っててくれるか?」
「あい!」
「セルト、カイン、頼んだぞ」
「はい! では先に行きますね〜!」
カインが調味料の箱の上にキクの花が入ったカゴを乗せて歩き出した。
セルトはアーシェを抱いて歩く。
セルトはアーシェの護衛を兼ねているので、私やリンクがいないときは、不測の事態にすぐに対応をする為、手に物を持たないようにしている。
アーシェを抱いて歩くときは自らが盾になるつもりでいる。
セルトならば私やリンクがいない時でもアーシェを守ってくれると信頼している。
アーシェを炊事場に一足先に行かせた後、礼拝堂の中には私とリンク、元神官長のレント司祭だけとなった。
レント司祭が神官長の顔になって話し出した。
「ローディン・バーティア殿、リンク・デイン殿。―――これは大変なことです」
「「――――――」」
その言葉が何を指しているのか分かっている。
私もリンクも何と返していいか分からずにいる。
レント司祭が再び胸の紋章から水晶を取り出して見せる。
先ほどとは違い光は放っていないが、手に持つことすら躊躇わずにいられないほどの力を感じる。
「この水晶が答えたのは、数年前に一度だけです」
レント司祭が神官になったのはもう40年以上も前だ。
平民として7歳の時に魔力鑑定を受けた彼は、神官の素質があるということで魔法学院を卒業と同時に神官となった。
平民出身とはいえ、母親が高位貴族出身のためだったのかは不明だが、魔力は当時追随する者がいなかったという。
勤勉であり、読んだ書物をすべて記憶するという能力を持ち、現在のアースクリス国王の幼少期の教師を務めたという。
神に仕え、20年と少し前に神官長となり神官長である証の水晶を授けられた。
水晶は胸の紋章の中におさまり、長き間に己の一部となり、数えきれないほどの民の魔力鑑定もやってきていた。
このまま神官長としての20年の節目を迎えられるかと思っていたが、突然にその時はやってきた。
数年前の、アンベール、ウルド、ジェンドの三国からの理不尽な宣戦布告を受けた際、この国は大きな決断を迫られた。
民を護るために戦うことは逃れられないことではあったが、停戦まで持ち込むか、他の三国を属国にするかで方向性は変わってくる。
戦争は民の生活を変え、命さえ失う。
停戦の後、再び戦争を仕掛けられる可能性は限りなく高い。
だからといって、戦争が長引けば失われる命は多くなる。
負けるという意識はアースクリス国王にはなかった。
浅慮でも傲慢でもない。
彼がこの国を含めてこの大陸を俯瞰的に捉えていた故である。
―――逃れられぬ戦いならば、勝利する。
数え切れぬほどの犠牲者が出るであろう。
しかし。それを乗り越える覚悟を持たなければならない。
そして、悩みに悩んだアースクリス国王が少数の信頼のおける重臣と神官長を呼びよせ、宣言したのだ。
『これは国を大きくするための戦いではない。この大陸をひとつの国とし、いずれは戦いを無くす為の、そのための戦いとする』
その言葉をアースクリス国王が発した瞬間、神官長の胸におさまった水晶が金とプラチナの光を放った。
すべての上級貴族が戦争に反対せず『是』と応えたのは、創世の女神様たちの肯定があったからだ。
「―――これまでに数多の願いや思いを目の前にしてきましたが、水晶を通して、創世の女神様方の肯定を得られたのは、陛下が宣言された『戦争の意義』が初めてでした」
そして、今回が2度目なのです。とレント司祭が続ける。
「非常に重要で、途轍もなく重い決断に対してお答えくださった」
そう言うと、レント司祭は女神の水晶を胸の紋章におさめた。
そして改めて私とリンクを真っすぐに見た。
「アーシェラさまのお言葉にお答えを返されたのは何故なのかはわかりません。ですが、これは紛れもなく事実であり、創世の女神様方のご意向でございます。私はそれに従う義務がございます」
「このことは神殿を通して、陛下へご報告させていただきます。むろん、アーシェラ様のことも」
その言葉にリンクも私も身構えた。
「それは―――仕方がないことだが、アーシェラはどうなる?」
アーシェがどこかに連れていかれるかもしれない、と思うと知らず声が震えた。
王家が相手では逆らいきれないのが貴族なのだ。
リンクの顔もこわばっている。
「―――それは陛下がお考えになることです。ですが、おそらくアーシェラ様を悲しませることはなさらないかと思われます」
「「え?」」
「アーシェラ様は女神様からのご加護を受けておられます。どのような祝福を贈られているかは分かりませんが、アーシェラ様の心を曇らせるようなことはないと思います」
「もしも、アーシェラ様を無理やり家族から引き離すことになったら、アーシェラ様は悲しみましょう。あれほどの加護を与えられているのであれば、望まぬことを強いられたアーシェラ様を護るために『何か』が起こるかも知れません。ですので、おそらくはアーシェラ様は身の安全を図られたうえで自由を許されるのではないかと推察します」
その言葉を聞いて、安堵のため息が出た。
元神官長の言葉は真実に近い。
アーシェラはまだ3歳だが、自分で考えて正しい道を選べる子だ。
加護があるからと慢心することはないとはっきり言える。
そもそもそんな人間に加護は与えられないだろう。
加護の強さに驚いたが、そのせいで脅かされるどころか保護されるのならばそれに越したことはない。
「―――ふむ。私のアーシェラは、名実ともに天使ということか」
ふと笑みがうかんだ。
創世の女神達の加護を持つ、私の天使。
「どんな祝福か気になるな!」
リンクも安堵を隠せないようだ。
「アーシェはアーシェだ。私のかわいい姪っ子だ」
「当たり前だ。加護があろうとなかろうと、祝福を持っていようとなかろうと、アーシェは大事なかわいい俺たちの子だ」
ふと、聞きづらそうにレント司祭が聞いてきた。
「アーシェラ様のお血筋は」
その問いには、『分からない』としか答えられなかった。
レント司祭はアーシェラが拾い子であることを知っている。
貴族の戸籍は貴族院と神殿におさめられている。
姉の戸籍はいまだ婚家に入っている。
夫の生死が不明なためだ。
離婚が認められていない為、旧姓に戻るのは夫の死亡が確実になった時だ。
夫の死の確定は、姉にとっては身を引き裂かれるようなことであるから、未だ不明なのは姉にとっては一縷の望みなのだと思う。
夫が生きて戻ってくれば、姉はいずれ婚家に戻ることになる。
姉は絶対にアーシェラを離さないだろうが、婚家は上位貴族であるし、拾い子であるアーシェラを受け入れてくれるかどうかは定かではない。
さらに姉とお腹の子供を害そうとした義叔父夫妻がいるのだ。
今でもアーシェラを姉が産んだ子と疑い、付け狙っている。
義叔父の手の者とおぼしき者たちを、何度追い払ったか数え切れないほどだ。
そんなところにアーシェラを送り出すわけにはいかない。
以前、アーシェラを私の養子にしたいと祖父に申し出た時には、『反対はしないがきちんと結婚してからにしろ』とのことだった。
だからアーシェラはまだ貴族籍を持っていない。
『血筋』と聞いて忘れようとしていた怒りが腹の底から湧き上がってきた。
「アーシェラの血筋は、神殿と王家の力で調べたらいい。どちらにしろ、アーシェを捨てるようなところに返すつもりはないし、渡すつもりもない」
アーシェラが貴族の血筋であるのは一目瞭然だ。
魔力を血でつなぐ貴族は、金髪と銀髪であることが多いのだ。
平民が茶系や色の濃い色をしているため、その判別は容易い。
混血でいろいろな髪色が平民や貴族の中にも出ているが、魔力のあふれた者の髪色はどこか違うのだ。
だが貴族は、金髪と銀髪ばかりでアーシェラの親を探すのが困難なのだ。
平民に比べて数が少ないとはいえ、結構な数だ。
―――この国は一夫一妻制だ。
離婚も認められていない故に、貴族同士で不倫を楽しんでいる者も多い。
その結果望まぬ子を宿し、アーシェラのように捨てる。
アーシェラを自分の手で育てて、子供の可愛さと愛しさを知った今、己の子を捨てる親の理不尽さが許せない。
もし、その自分勝手な実の親が、加護を持つと知って、アーシェラを引き取ったとしたら?
自分の都合のいい様に、アーシェラを利用するだけ利用するだろうことが目に見えている。
―――ふざけるな。
「アーシェラはうちの子だ。それは絶対に譲らない」
「あたりまえだ」
怫然として言うと、リンクも怒りを含んだ声で同意した。
「いずれにしても、いつかはアーシェラ様は危険に巻き込まれると思います。お気を付けくださいませ」
あの愛らしさと能力の高さ、そして祝福があると知れれば、遠くないうちにその身を狙われることになる。
王家と神殿が護ってくれていたとしても、間隙をついて狙ってくるものは必ずいるのだ。
「「肝に銘じておきます」」
絶対にそんなことはさせない。
ふと、視線の先に先ほど運んで行く時に落としていったらしいキクの花が一輪。
キクの花を拾って。
「さあ、アーシェがお腹空かせているだろうから、行くか」
「ああ。今頃、『おにゃかしゅいた』って腹さすってるぜ」
「たしかに」
―――リンクとふたりでその姿を想像して笑った。
お読みいただきありがとうございます。