206 酒のうらみって・・・
「アースクリス国に小豆があるなんて知らなかったわ」
そう言ったのはサヤ様だ。
小豆は今年バーティア子爵領で初めて作付けした。去年までツリービーンズ男爵領だけで栽培されていて、ツリービーンズ領内だけで消費されていたのでアースクリス国の中でも知っている人が少なかった。
なので、久遠大陸からやってきたサヤ様達は小豆があることを知らなかったらしい。
「お煮しめに入っている、わらびって食べられたのね。美味しいわ」
「灰デ毒ガヌケルナンテ、オドロキデス」
「詳しい毒抜き方法を聞いて、久遠国にも教えよう」
どうやら、こちらの世界の久遠大陸ではわらびを毒草だと位置付けているらしい。
いくら久遠大陸が前世の日本とものすごく似ていても、違うのだということがわかった。
わらびは、この世界ではどこも食べられていなかったらしい。そのことに驚いた。
そういえば、バター餅やラスクも無かったのだ。
久遠国がいくら前世の日本に似ていても違う物は多々あるということを改めて認識した。
サヤ様は、ご飯とお刺身を幸せそうに頬張りながら。
「嬉しいわ~。今年はバーティア子爵領のお米でお酒を造りましょう~」
と言った。
「おしゃけ?」
「ええ。神様へのお供物は、『その土地のもの』が基本なの。お水とお塩とお米、そしてお酒。けれど、お米とお酒はさすがにこちらに無かったので、久遠国から送ってもらっていたの。お塩だけはデイン辺境伯領から購入してもらっていたわ。そして送ってもらったお米でお酒を造っていたの。さらにここ数年は味噌も作るようになったから、主食に回す分がさらに少なくなってしまって。だから数日に一度だけご飯を炊くようにしていたのよ」
ああ。だから、主食であるお米を毎日食べられるようになると聞いて、みんなが歓喜していたのか。
ん? お酒や味噌を作る?
ということは?
「こうじ、ありゅ?」
あれがないとお酒はもちろん、味噌も醤油も作れないのだ。
「ええ、もちろん。麹が無いとお酒も味噌も作れないしね」
「! 味噌が作れるんですか!!」
「え? じゃあ、醤油も!?」
サヤ様の言葉にローディン叔父様とリンクさんが食いついた。二人の勢いに今度はサヤ様がのけぞった。
「え、ええ。自分たちが食べる分くらいですが、作っていますわ」
「ここに作れる人がいたとは! 味噌と醤油は今アースクリス国の中でも需要が高まっているんです」
「戦争が終わるまで久遠国から職人を呼べないと思っていたんです。作り方を教えてください! お願いします!」
「まあ! アースクリス国でお味噌とお醤油を作りたいのですね。それは私達にとっても良い事ですわ。では、お味噌の元となる麹もこちらの米を使って作った方がいいでしょうね」
サヤ様はローディン叔父様やリンクさんが驚く程すんなりと了承してくれた。
「ありがとうございます。輸送コストが商品価格に上乗せになっている分、久遠国からの輸入品の味噌や醤油はどうしても高くなってしまっていて、美味しいと分かっていても平民は手に取りづらくて」
貴族は値段に関係なく購入しているけれど、平民たちにとっては高価な調味料らしい。
「こちらで作ることが出来れば、価格もかなり抑えることが出来ます」
「そうですわね。私たちにとっても有り難いことですわ。三国と戦争になってから久遠国からの船が何度か危ない目に遭って、物資が滞ったこともあったのです」
「え? 久遠国の船が?」
「―――ああ、そういえば。他の国からの交易船が寄港できず戻ったり、遠回りして大幅に遅れて入港したこともあった。久遠国の船に関しても同様の報告があった」
ローランドおじい様がサヤ様の言葉を受けて思い出したように言った。
デイン辺境伯領は海側の玄関口。そして他の大陸の船が寄港する場所だ。当時三国による妨害行為の報告をいくつも受けていたという。
久遠国と外交のある国はこの大陸ではアースクリス国だけだ。
開戦後しばらくの間、遠い東の大陸からやって来た久遠国からの船に対して、アンベール国やジェンド国、そしてウルド国の船から警告や妨害があり、結果久遠国からの物資が一時滞ったことがあったそうだ。
「そんなことがあったんですね……」
他国からアースクリス国への物資を断つ。そんなこともしていたのか、三国は。
しかし、その行為は他の国から怒りを買い、三国への批判となり自らに跳ね返った。
学術国グリューエル国をはじめ、三国が交易をしていたいくつかの国から交易を止められるという制裁措置を受けたそうだ。
結局は自分の首を絞める結果となった。
今敵国であるアンベール国には交易船を妨害する余力がないので、久遠国からの船は無事にアースクリス国に入港出来ているそうだが、その時のことを教訓にサヤ様達は万が一の備えにと、本格的に味噌と醤油をこちらで作るようになったとのことだ。
「大使館の料理人がこちらで収穫した麦やいろんな豆を使って味噌や醤油を仕込んでいたおかげで久遠国の船が入港出来なかった間も何とか味噌と醤油を切らすことなく過ごせました」
「大変だったんですね」
「料理人もすごいですね。いろんな豆で味噌を作るとは」
「ええ、それぞれ特徴のある味噌が出来ていたわ。大豆じゃなくても味噌が出来るんだって感心したものよ」
料理人さんは戦争が起きる少し前に久遠国から来た人で、前任の料理人から久遠国の船の入港の遅れや様々な理由で、味噌や醤油が稀に不足気味になると聞いたので味噌や醤油の仕込み方を覚えて来たそうだ。
そして味噌を仕込んだ際、大豆一種類だけでは物足りず、他の豆でも仕込んでみたくなったらしい。
ああ。料理人の気持ちがなんとなくわかる。
私も前世で大豆の他に、黒大豆、白ささげ豆、青豆と、いろんな豆で味噌を仕込んだものだ。
その豆は全部農家だった両親が栽培したもので、色んな豆を前にしたとき『これで作ったらどんなのが出来るんだろう?』という好奇心が湧き、色んな種類の豆で仕込んだものだ。
結果、どの豆でも美味しい味噌が出来た。
中でも黒大豆で作った味噌がこっくりとした味わいで好きだったなあ。
黒大豆で作った味噌は出来上がりの色がちょっと濃いけど味に深みがあって一番のお気に入りだった。味噌作りの為にあえて黒大豆を育てたものだ。
―――そしてその後久遠国の大使館では、味噌を作っていた料理人さんをはじめ数名で、大使館の敷地内で味噌と醤油を仕込んでいるのだそうだ。
「味噌も醤油もお酒も、冬に仕込むのですわ。ちょうどこれからの時期になります」
そういえば、お酒を造る蔵人は冬忙しいと聞いていた。
私は醤油は作ったことはなかったけど、糀味噌は毎年1月から2月の寒い時期に仕込んでいた。
お米を使ったものたちは冬仕込みが多いんだね。
「お酒はそろそろ仕込みに入る予定でしたの。今年のお酒には、ぜひバーティア子爵領産のお米を使わせてください」
「バーティア子爵領で出来た米でいいんですか? デイン領とか、他でも米は収穫出来ましたが」
「ええ、もちろん。この国で初めて実を結んだ土地の米を使いたいのです。―――本来神様への供物は、その土地で実った物です。ですが、米も、米を原料とする酒も今までなかったので、久遠大陸から送ってもらっていたのです。せめて、こちらでお酒を造って、この地で作られた酒として捧げたいと思い、久遠国から送ってもらった米を使い、小さな醸造所で造っていました。お酒もアースクリス国のお米を使って造れたらこれ以上のお供物はありません。是非お願いします」
その言葉にローディン叔父様が快く了承すると、白髪交じりの壮年の神職さん達がウキウキしているのが見えた。
『今年の酒は格別だぞ』(注:『』は久遠語)
『ああ、仕込むのが楽しみだな』
と久遠国の言葉で話している。
どうやら神社の神職さん達は、蔵人もしているらしい。
『爺、米が手に入って酒がたんと出来ても、飲みすぎないように。爺のような酒に目が無い者が、敵の罠にはまってしまうのよ』
『嬢様、今回のことは特殊でございましょう! はっ! では、酒の仕込みは敵をやり過ごしてからに致しましょう。もしも大事な酒になにかされたら悲しくて敵を締め上げてあの世に送ってしまいます!』
爺と呼ばれていた神職さんがなぜサヤ様を『嬢様』と呼んでいたかというと、サヤ様が小さい時からの付き合いらしく、年を重ねた今も嬢様呼びが抜けないのだそうだ。
『爺』
『食べ物の恨みは大きいのですよ! 酒の恨みは食べ物よりもっと上です!』
『それは爺だけだと思うのだけど……』
サヤ様と壮年の神職さんの会話を、私たちに通訳しつつ笑いながら見ていた秋津様がローディン叔父様に言った。
「バーティア子爵殿、私からもお願いする。是非米をお神酒用に融通していただきたい。代わりに味噌や醤油の製造方法をお教えしよう」
すぐに秋津様とローディン叔父様、そしてリンクさんが話を詰め始めた。
ふふ。これで味噌も醤油もお酒もアースクリス国で作れるようになるよね。
その後、華やかな稚児衣装を着付けてもらい、サヤ様や神職さん達総出で『健やかに成長するように』と祈祷してくれた。
―――うん。そろそろ成長したい。もう5歳なのにまだ3歳児未満の身体だからね。
祈祷が終わった頃、急に眠気が来た。
「ふにゅう……。かあしゃま、ねむゅい……」
「そうね、お昼寝の時間ですもの。―――ゆっくりお眠りなさい」
「あい……」
眠気には勝てず、すっと眠りの世界へと落ちて行った。
―――だから。
「久遠国とアースクリス国を本当の意味で『結んだ子』―――もしかしたら、先代公爵様との約束を果たせる時が来たかもしれないわね」
―――とサヤ様が呟いたことも知る由がなかった。
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