205 海と川の魚はちがうんです
御祈祷の後畳敷きの広間に移動し、神職さんや巫女さんたちが揃う中で重箱の蓋を開けた。
「「わああ」」
語尾にハートマークがたっくさん付いた声はサヤ様と巫女さんたちだ。
秋津様と神職さん達も広げられた重箱のお料理に釘付けになっている。
「んんん~! この炊き込みご飯! 美味しい~~!!」
「おこわ! ヒサシブリです~」
「まさかここでいなり寿司が出てくるとは思いませんでした!」
「トイウコトハ、豆腐モ作ラレテイル、デスね!!」
久遠国の大使館では月に数回、住民たちで豆腐を仕込むと聞いた。
久遠国から遠く離れたアースクリス国に来たので、故郷の味である豆腐が恋しいのは当たり前のことだ。
けれど、豆腐は一から作るには時間と手間がかかるので、日を決めて住民たちが集まって豆腐や豆腐製品作りをしているとのことだ。
『自分たちが作った物じゃない油揚げを食べるのはこの国に来て初めてだ』(注:『』は久遠語)
「手間がかかるんだよね、油揚げって」
「そのブン、オイシイよね!」
炊き込みご飯やおこわ、いなり寿司は故郷の味そのものだと大好評だった。
「おはぎ……ナツカシイデス」
『ああ、涙が出てきちゃった。おばあちゃんのおはぎと同じ味です』
「このバター餅って初めてです! お餅とバターってこんなに合うんですね!!」
「ホントウに! いくらでも入ります! 美味しい~~!」
巫女さん達はスイーツに心を奪われていた。
「カツオの漬け……ものすごく久しぶり……こっちでもお刺身が食べられるなんて」
サヤ様が噛みしめるようにカツオの漬けで作った手こね寿司に感動していた。
「ルードルフ侯爵領は内陸で、海の魚は手に入らないからね」
秋津様もうんうんと頷きながら堪能している。
秋津様をはじめとする神職さん達は、御祈祷前、祭壇に乗せたデイン辺境伯家からの海産物の供物を目をキラキラさせて見ていた。
もちろん保存魔法のおかげで新鮮そのもの。
『こっちにもこの魚があったのか!!』
「ホタテ貝にイカ……七輪で焼いて食べたい」
「何を言っている! ホタテもイカもまずは刺身だ!!」
そんな会話が飛び交っていた。
祈祷が終わると、さっそくホタテやイカ、エビ、尾頭付きの魚が調理されて、刺身としてテーブルに乗った。
さすがは久遠国出身の皆さん。海産物の扱いが手慣れていてあっという間に数種類の刺身が一つになった海鮮盛りが出来上がった。
彩りよく盛り付けられた海鮮盛りに、ローランドおじい様の目が釘付けになった。
「多種類の刺身の盛り合わせとは、美しいものだな」
「大根やニンジンをこんなに細く切るなんて私には出来ないわ」
ローズ母様が大根のツマを見て感動していた。
「彩に緑色の青じそを使いたかったのですが、今は旬ではないのでリーフレタスを代用しました」
私達のいるテーブルに海鮮盛りを配膳してくれた神職さんが、ひとつひとつ魚の種類を説明してくれた。ホタテにイカ、エビは今まで何度も食べて来たのでローディン叔父様やローズ母様も一目で分かるが、サーモンやマグロは初めてだ。
マグロが部位ごとに盛り付けられ、赤身や脂ののったトロ、中落ち部分など、一匹でいろんな味が楽しめる。
サーモンの鮮やかなオレンジ色も見るからに美味しそう~~
「「「アオジソ?」」」
「爽やかな味と香りがして、刺身の付け合わせには欠かせないものです。強い殺菌力を持っているので食中毒を抑えるといいます。それに胃腸の働きをよくするとか、薬としても使われているんですよ」
そう説明してくれている神職さんは、月斗さんといって、先刻カリル伯爵にキツイ言葉を投げかけた人だ。大使の秋津様の親戚で同じ苗字の為、下の名前で呼んで欲しいということだった。
「こちらでお刺身を食べることはなかったので山葵の栽培もしてこなかったのですが……海の魚も山葵もデイン辺境伯領からいただくことが出来てとても嬉しいです」
月斗さんは知的な雰囲気を持つ人でアースクリス国の言葉も堪能。それもそのはずで大使である秋津様の補佐官をしているとのこと。
さっきカリル伯爵と対峙していた時とは全く違う穏やかな表情で微笑んでいた。
「刺身に欠かせないのなら、うちでも栽培したいものだな」
「そうですね。薬草としても重宝しそうです」
「薬草なら薬師のドレンさんも欲しがるだろうな」
そう話すローランドおじい様やローディン叔父様、リンクさんに月斗さんはすぐに頷いた。
「種をお分けしますね。生命力が強い植物ですのですぐに増えますよ」
やった! シソは前世自宅の敷地内に勝手に生えていたのですごく重宝したものだ。
刺身の盛り合わせが各テーブルに渡ったと同時に、炊き立てのご飯が運ばれてきた。
供物の白米が早速炊かれたのだ。
皆茶碗にご飯を山盛りによそい、それとは別に塩むすびも大皿に用意された。おう、すごい量だ。
重箱のお料理は沢山持ってきたけど、神職さんや巫女さん達全員が広間に揃ったのですでになくなりつつある。
新米の塩むすびを極上のご馳走のように食べ、新鮮な魚を刺身にして、これ以上はないご馳走だと喜んでくれた。
神社の人たちがあまりにも魚に感動しているのを驚きつつ見ていたローランドおじい様が、『新鮮な魚を保存魔法をかけて送りましょうか』と話したら、『よろしくお願いします!!』と、秋津様がローランドおじい様の手をしっかりと握ってぶんぶんと振っていた。
本当に嬉しそうな久遠国の彼らを見て、ルードルフ侯爵たちが驚いていた。
それに気づいた秋津様が。
「久遠大陸は海に囲われているから、海の魚が主流なのですよ。川魚ももちろん食べますが、ほとんどが海の物です」
「―――魚は川も海も同じものかと……」
うん? ルードルフ侯爵、それって、川も海も同じ魚がいると思ってたってこと? え? 本当に??
いや確かに、貴族は畑の作物や魚の種類は知らない人が多いと聞いているけど、まさか海水魚と淡水魚の違いを知らなかったとは思わなかった。
「そうね。私たちは料理人が作った料理を食べるから……何の魚かはたまに聞くけれどそれが海のものか川のものか疑問に思ったことはなかったわ」
「ええ、私もそうですわ」
メイリーヌ様やリーナ様がそう言うと、ローランドおじい様が深く頷いた。
「貴族とはそういうものだ。我がデイン辺境伯領はアースクリス国で唯一海に面している領、そして漁業が盛んであるゆえに自然と魚の知識を得ているが、他の領地の民は内陸故に海の魚を知る者は少ない。そして全く厨房に入らぬ貴族はさらに分からぬだろう」
ローランドおじい様やリンクさんが川魚と海の魚の違いを話していくと、ルードルフ侯爵やメイリーヌ様、リーナ様が川にいる淡水魚と海にいる海水魚の違いをやっと理解したようで、それと同時に三人共申し訳なさそうな表情になって行った。
「内陸のここでは、川魚ばかりだったということか。これは私たちの配慮が足りなかったな」
ルードルフ侯爵たちが『申し訳ない』とサヤ様たちに謝ると、秋津様がとんでもないと手を振った。
「いえ。食文化の違いですから気にしないでください。それに、内陸のルードルフ侯爵領に来る時にそれは受け入れて来ておりました。まあ、海の魚が恋しかったことは否定できませんが。―――ですが、こうやってデイン辺境伯領とつながりが出来ましたし、これからは通訳と料理人をデイン辺境伯領に買い付けに行かせることができるので、もういいんですよ」
なぜこれまで川魚中心だったかというと、まず久遠国とアースクリス国では『言語』が全く違う。
秋津様やサヤ様、側近の数名は時間をかけてこちらの言語を習得してやってきたが、他の神職さん達や職員たちは言語が不安な状態でこちらにやってくる。
大使館に派遣されてきた料理人さん達も、こちらの言語をマスターするまで何年も時間がかかるらしい。
さらに、久遠国の大使館はアースクリス国では馴染みが薄いこともあって、久遠国を下に見て法外な価格で売りつけたりする商人もいるので、大使館や神社の物資や食料をアースクリス国内で取り寄せたり仲介をするのは、ルードルフ侯爵家がしているとのことだ。
食材を手配するルードルフ侯爵家の料理人たちは、普段自分たちが食べている物を手配して大使館に送る。魚に関しては当然のように川魚ばかりとなるのは否めない。
それに、言葉が通じる数少ないルードルフ侯爵家の皆さんは料理を全くしない貴族で、そもそも貴族は基本的に魚の種類を知らない。
確かに。ルードルフ侯爵やメイリーヌ様やリーナ様はそんな感じだった。
川魚と海の魚の違いも分からなかったくらいだ。
それにアースクリス国の殆どの人たちは川魚が主流で海の魚を滅多に食べることがない。
内陸のルードルフ侯爵領に海の魚を輸送してくるためには時間がかかるし、新鮮さを保つためには、コストがかかる保存魔法が欠かせない。それに過去にも何度か悪い商人に当たったこともある。そういった事情が絡み合って、こちらに来た当初から海の魚を諦めていたらしい。
酷い商人もいたものだ。足もとを見て値をつり上げるなんて。
最初からデイン商会とつながりが出来ていたらよかったのに。
デイン辺境伯家のみんなは三国の難民を受け入れて保護をする程懐の深い人たちだ。
絶対に久遠国の人たちに悪いことはしない!
「ろーらんどおじいしゃま、しょんなことちない!」
私が力を込めて言うと、ローランドおじい様が『ああ、もちろんだ』と嬉しそうに私の頭を撫でた。
「そうだね。アーシェラちゃんのおじい様だからね、私達も安心して頼むことが出来るよ」
ん? 秋津様今の言葉、それってどういう意味?
秋津様とローランドおじい様の間で、デイン領から海の魚を購入する話があっという間にまとまって行った。
今後は定期的に大使館の料理人とアースクリス国の言葉が堪能な月斗さんが通訳としてデイン領に買い付けに行くそうだ。
大使館の料理人さんが刺身の盛り合わせや魚の調理法をデイン辺境伯領の料理人に伝授するかわりに、輸送する際にかかるコストを大幅に抑えることが決まった。
食事をしながらのこの短時間にいろいろ決まっていったのはすごい。
それだけ久遠国の人たちは海の魚が恋しかったんだね。
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