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2 ローズ・バーティア 女神がくれた宝もの

アーシェラの母、ローズ視点です。

 私はローズ・バーティア。

 子爵家の長女として生まれた。

 16歳の時に5歳歳上の幼なじみと結婚した。

 その後すぐに外交官として隣国へ赴いた夫が謂われのない罪で捕縛された。

 この国は山側を背に一部を除き三方を他国に囲まれている。

 山から流れる豊かな水が平原を潤し、その水が行き着く海の一角も領土となっているため他国からその豊かさを妬まれているのだ。

 他の国も海に面していたり、湖があったり、大きな川があったりしているけれど、この国と比べると劣ると思ってしまうのだろう。

 色んな言いがかりや揚げ足取りをするのが常であり、仕方のないことだと、夫は諦めてもいた。


 捕縛されたのは夫だけではない。

 他の二国もこの国の大使や外交官を人質にとったのだ。

 つまりは結託して、この国を奪い取ろうとしたのだ。

 やがて国は苦渋の決断を下した。


 三国と戦うことを。

 つまり。

 人質は見捨てる―――と。


「そんな……」

 義父の執務室で、それを聞いた瞬間全身の血液が凍りついたようになり、身体ががたがたと震えた。

 挙兵するということは、人質に価値はないと敵国に表明するということ。

 そうなれば、アーシュはどうなる?


 何度も何度も考えて、それでも考えつくのは最悪のことばかり。

 夫に―――アーシュにもう会えない?

 小さな頃からいつも一緒で、一生一緒にいると誓ったのに。

 もう、光沢のある柔らかな金の髪に触れることは出来ない?

 

 アーシュの新緑を溶かし込んだような瞳もみることが出来ないの?

 触れることも……


「私とて悔しくてならんのだ!!」

 義父は拳を震わせ、激情を堪えきれぬ様に呻いた。

 義母は王宮の王妃様付きの女官で、いつもは不在がちではあったけれど、自分の一人息子の行く末がどうなるかが不安で家に帰ってきていた。

「国に仕えている以上、こういうこともあるのだと、心では分かっていたことですけれど……」

 気丈ではあったけれど、普段はきっちりと結い上げていた金色の髪がほつれ、グレイの瞳は潤み震えて唇を噛んでいらした。


 婚家は荒れた。

 跡継ぎたる夫はもう生きている保証はない。


 国に貴族として仕えていく為には、すぐに仮にでも後継者を据えなければならない。


 そして、義父の年の離れた弟が後継者となった。

 夫より10歳歳上の31歳。

 義父と夫は金色の髪に直系が多く受け継ぐ淡い緑色の瞳をしているが、義叔父は金色の髪に、祖母から受け継いだ茶色の瞳をしていた。


 


 夫アーシュが戻って来た時は、心良く引き下がる、という条件付きだったが、義叔父は自分の甥が死んだと嬉々として言いふらしていた。



 浅慮で傲慢な義叔父夫妻がやって来て、私はすぐに家から追い出されそうになった。

 けれど、私が夫の子を懐妊したことが分かると、義父はすぐに産まれた子を後継にすると定め、貴族院の了承を得た。

 元々の後継者の実子。しかも国の為に、捕縛されたのだ。貴族院は義叔父の後継順位を繰り下げ、私のお腹の子を後継と承認した。

 男女問わず、と定めた為、義叔父からの罵倒は命の危険さえ感じる程だった。


 けれど。私の産む子が緑色の瞳を持って生まれれば、義叔父より継承順位は上となる。

 ――そう。王家傍流のこの家の後継者は、受け継ぐ者の瞳の色彩で決まるのだ。

 緑色の瞳など、どこにでもいる。

 では何故、この家ではそれが重要なのか?

 何故かは聞いても夫からは教えては貰えなかった。

 その子が役目を受け継ぐ時に、教えられる、と。

 そして、直系の色彩を受け継ぐ者から、次代の後継者が出るのが常なのだ。


 ―――故に直系の瞳の色彩をもたない義叔父は、常に最終的なスペアであり続けた。




 口汚く『貴様の腹の子さえいなければ、俺がこの家の当主になれたのだ!!』と面と向かって醜悪な表情で罵られた。

 いや、罵倒だけではない。

 実際に階段に細工されていたり、食事に何か混入されていたりしたのが分かったのだ。

 昔から夫に仕えてくれていた執事や古参の侍従や侍女達が、事を未然に防いでくれて事なきを得ていた。

 やがて産み月となった頃、私は度々意識を失うことが多くなった。

 夫の生死の不明、義叔父達にお腹の子共々危害を加えられるかもしれないとの恐怖。精神的な重圧に引きずられるように身体が思うように動かなくなっていた。

「ローズ様。お願いですから少しでもお召し上がりください。お腹の御子様の為にも……」

 夫の乳母が懇願するように、ようやくベッドから身を起こした私にスープのスプーンを持たせた。

 このままでは出産に身がもたない……と、自分でも分かっていた。

 赤ちゃんだけでも無事に産みたい。

 徐々に思うように動かせなくなった身体に鞭をうって、スープをようやっと呑み込む。

 このスープは固形物を受け付けなくなった私とお腹の子の為にスープだけで栄養を摂れるようにしてくれたものだ。

 神様。どうか、この子を無事に産めますように。

 この子が悪意にさらされず、健やかに育ちますように。

 ―――出来れば、この子を抱き締められますように。

 起き上がることも難しくなった身体で出産にのぞめば、恐らく私は生命を失うだろうと思っていた。

 だからせめて、一度でいいから、産まれた我が子を抱き締めてから逝きたい―――と、そう願っていた。


 ―――それなのに。

 壮絶な痛みから解放されて、次に目がさめた時。

 私は生きていた。

 けれど、生命をかけて産んだ子は、息をしていなかったという。

 私のせいだ。

 弱った私のお腹の中でちゃんと育てなかったのだろう。


 どうして、私が生きているの。

 アーシュがいなくなって、彼の子まで喪って、どうして私だけが生きているの……


 皮肉なことに子どもを亡くしたとはいえ、お乳が出た。

 そのままにしておくと炎症がおきるので、夫の乳母に手伝って貰い、痛みに耐えながら搾乳した。

 本当ならば、愛しい我が子に飲ませるはずだったのに……


 数ヶ月後、普通の生活が出来るように快復した頃、義父から執事を通じて実家に戻るようにと言われた。

「お許しください……」

 と、いつもは厳しい執事が、ロマンスグレーの頭を下げ、辛くて仕方がないという顔をしていた。

 子どもを亡くした後、義父や義母とはほとんど顔を合わせていなかった。

 哀しくて。哀しくて。そして申し訳なくて、私は泣いて謝ってばかりいた。

 すでに戦が始まっていた為、もう何ヶ月も義父には会っていない。

 そんな私に否やはなかった。

 夫が隣国で捕縛されてから、すでに一年と数ヶ月が過ぎていた。

 しかし、夫の情報は未だひとつも入ってきていない。

 このまま夫が戻って来なければ、子どものいない私はこの家にはいる意味がない。

 短かったとはいえ、夫との想い出が多いこの家は、今の私には辛いものでしかなかった。


 けれど、実父は私が実家に戻ることを許さなかった。

 そんな父に憤慨した弟が領地の街に商会を構え、生活出来るようにしてくれてから迎えに来てくれた。


「姉さんごめん遅くなって」

 実家に戻るように言われてから、弟が迎えに来てくれるまで数ヶ月経っていた。

 弟はまだ16歳。幼なじみの伯爵家のリンクと共に商会を立ち上げて、私が住む家を用意する為に頑張ってくれていたのだ。

「謝らないでちょうだい。ありがとうローディン。私の為に色々してくれて」

 夫の乳母のマーサと、執事のトマスだけに見送られて私は婚家を出た。

 もうすぐ17歳になる頃に結婚。

 結婚してすぐに17歳となり、これからずっと一緒に誕生祝いをするんだ、と微笑んだアーシュ。

 その一月後にアーシュは仕事で訪れた国で捕縛されてしまった。

 アーシュの安否が分からないまま、私は出産……

 なんて短い蜜月だったろう。

 私は門から全体が見えないほどの大きな屋敷を見上げた。

 この屋敷にいたのは、たった一年半だった。


 子爵領に戻る前に、教会へ立ち寄った。夫の無事を祈り、子どもの冥福を祈った。

 子どもは既に埋葬されていたけれど、墓所へ行くことは許されなかった。


 誰も私にどんな子か教えてはくれなかった。

 出産は私の命を削り、最後は靄がかかったように目も見えず、耳も聴こえなかった。

 ただ、産んだ、という満足感だけを憶えている。

 


 ―――夫の乳母も、辛くなるだけだと性別も特徴も教えてはくれなかった。

 けれど、夫の家を出る時に少しだけ教えてくれた。

 私の夫アーシュと同じ金色の髪でした、と。



 子爵領はすぐ隣のため朝婚家を出て、夕方前に子爵領のはずれの森に入った。


 ―――小さな頃、夫や弟、幼なじみと遊んだ森だ。


 子爵家の小さな別荘があり、その日はそこに泊まって翌日商会兼新しい自宅へ向かう予定だった。

 その別荘ならば、実父の目も届き難く、昔から良くしてくれた古参の管理人夫婦がいざとなれば父から匿ってくれるからだ。


 別荘に着いてすぐ、弟と一緒に懐かしい森に散歩に出た。

 翌朝には出立するため、懐かしい場所を暗くなる前に見ておきたかったのだ。


 別荘のある森の奥には、女神様を祀った、小さいけれど由緒正しき神殿がひっそりとたたずんでいる。


「ここはまったく変わっていないわね」

「女神様のおわす場所だからね。人の手が入らないから」


 森のひらけた場所に森の緑と、常に光を賛える白亜の神殿。

 建国より前から存在する清浄の地。

 神官でさえ、滅多に立ち入ることが叶わない特別な気が満ちた場所。


 故にそこは子爵領の中とはいえ、国の管轄区域となっていて、そこでは一切の争い事を禁忌とし、静寂をもって信仰の意を表す―――としていた。


 建国より前の、創世の女神。

 穢れなき清廉な願いのみ聞き届けると伝えられてきた。

 夫の無事を。

 子どもへの愛と謝罪を。

 ただただ祈っていた時。


「ふえぇぇええんっっ」

 赤ん坊の泣き声が神殿の空気をゆらした。


「え……?」

「これって―――赤ん坊!?」

 後ろで一緒に跪いて祈っていた弟のローディンが立ち上がった。

「ふえぇぇ……」

 神殿の静寂を裂いて響くのは、動物ではなく、人間の赤ちゃんの声。

 この神殿は森の奥の奥。

 誰にでも開かれてた場所だけれど、道を外れた森の奥から赤ん坊の声が聞こえてくるのは、後を絶たない『置き去り』に違いなかった。


 泣き声を頼りに辿っていくと。

「ふえ、ふえぇぇええんっっ、えぇぇ……」

 静寂の中、神殿のはずれのひらけた草の上に、カゴに入れられた赤ちゃんがいた。


「うえぇぇ、ふえぇぇええん……」

 真っ赤になって必死に泣く赤ちゃんは、金色の髪のとても可愛い赤ちゃんだった。

 置き去りにされたばかりなのか元気に泣いている。


「こんなところに赤ちゃんが……」

 一目見た瞬間、何か強烈な引力みたいなものが私の中を駆け巡った。

 カゴの中で小さな手足を動かし、その小さな身体からどうしてこんなに大きな声が出るのか。

 ―――ああ。

 生きているのね。

 ―――生きているから、こんなに心を揺さぶるのね。

 赤ちゃんの声は、私にとって、生命の言霊。

『生きたい』

 その想いが赤ちゃんから放たれていた。


 そして。吸い寄せられるように赤ちゃんを抱き上げると、急にお乳が張ってきたのだ。

「よしよし。お腹が空いているのね」


「ちょっ……姉さん!」


 弟の制止を気に留めず、近くの岩に腰を掛けて真っ赤になって泣く赤ちゃんに乳を含ませた。

 初めての授乳でもたもたしてしまったけれど、赤ちゃんは私の乳を一生懸命吸い、私の胸にその小さな手でしがみついた。


「……よかった。ちゃんとお乳は出ているわ」


 こくこくと飲む赤ちゃんの姿に、やっと我が子に飲ませることが出来た……と思ってしまった。


 この子は亡くした私の赤ちゃんではないのに。

 それでも。

 ―――もう、手放さない。

 決めていた。

 この子は私の子。

 創世の女神は必然を与える。

 だから、この子は女神様がくれた私の子だ。


「ああ……かわいい……なんてかわいいの……」


 温かい命の塊。

 お乳を飲みながら私を見上げるのは、キラキラとした大きな緑色の瞳。

 その色彩は夫アーシュによく似ていた。


「金の髪に淡い緑の瞳……旦那様と同じ色……」


 カゴの中に残されていたおむつをぎこちなく交換してあげると、小さな娘は気持ち良さそうに、私の腕の中でかわいい寝息をたてはじめた。

 赤ちゃんの重みが筋力の無い腕にズシリときたが、それは幸せの重みだ。

 体力をつけなくては、と思った。


「あなたの名はアーシェラ。アーシェラよ」

 将来、娘が生まれたらそう名付けようと、夫と決めていた。

 すると、眠りについていたはずの赤ちゃんがパチリと目を開けた。

 まるで「呼んだ?」というように。


 亡くした子は男の子か女の子か教えては貰えなかった。

 だから。名付けようと用意していた名は宙に浮いたままだった。

 でも女神様の神殿で得た赤ちゃんに名付けた時に、産んだ子は娘だと感じた。

 そして、亡くした子とこの子がぴったりと重なるのを。


「アーシェラ。私の赤ちゃん」

 名を囁やきながらゆらすと、ゆっくりと瞼を閉じて、またすぐに寝息をたてはじめた。


 弟のローディンが苦笑しながら、

「姉さん。僕にも可愛い姪っ子を抱かせてよ」

 と、娘をぎこちなく受け取った時は、思わず笑ってしまった。


 私達姉弟は子育て初心者にして、自分の世話もしたことがない貴族。

 そして同じく子育てなどしたことがない伯爵家のリンクも、この可愛い娘の子育てに日々翻弄されていくのだった。



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[一言] 乳母さん髪の毛の色と瞳の色わざと教えたのかな? 主人公が、主人公の今のお母さんが実母だよね。 多分。。。。o(゜^ ゜)ウーン
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