178 あんじゅのおきにいり
更新に間が開いてしまいました。
書き溜めていましたので、これから数話、あまり間をおかず更新できるかと思います。
誤字脱字報告ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
季節は秋になった。
リンクさんがジェンド国から帰ってくるまであと少しとなった頃、クリスウィン公爵から本邸での晩餐会のお誘いがあった。
どうしてかと思ったら、クリスウィン公爵のアンベール国への出征が早まったとのこと。
初戦のウルド国からの凱旋と、二戦目のジェンド国への出兵まで、間が約ひと月あったけれど、今回はジェンド国からの凱旋を待たずにアンベール国へ出発するとのことだ。
本格的な冬が来る前に、アンベール国を攻め落とすと決めたようだ。
もう準備は整っており、半月後にはクリスウィン公爵を筆頭にアースクリス国軍がアンベール国へ侵攻する。となると、セルトさんも出征するということだ。
クリスウィン公爵が出征していく前に家族で過ごしたいと王妃様が言い、王妃様の数日間の宿下がりが許可された。
そこで是非にと私とローズ母様、ローディン叔父様が晩餐会に呼ばれた。
そして、晩餐会の料理を出すにあたって、バーティア子爵家とデイン辺境伯家の料理長を連れてきてほしいとのお願いを受けた。
どうやらいくつかのレシピの完全再現が出来なかったらしい。
けれど他の屋敷の料理人を呼び寄せることはなかなかできない。なので、私たちを招待すると共に料理長を呼び寄せ、これを機会にしっかり仕込んで欲しいとのことだった。
バーティア子爵家からは本邸のトマス料理長、デイン辺境伯家からは王都別邸のクラン料理長を連れて行くこととなった。
デイン伯爵は今回領地から離れられないということで、ローランドおじい様がクラン料理長を連れてクリスウィン公爵家に赴いた。
トマス料理長はトマトケチャップを熱心にレクチャーしていた。
トマトケチャップは使う素材や調味料によって微妙に各家で味が違う。
バーティア商会で販売していた味がどうしても出せないと、クリスウィン公爵家のストーンズ料理長が嘆いていたとのことだ。なのでずっとトマス料理長の側に張り付いてストーンズ料理長がメモを取っていた。
そしてクラン料理長は豆腐と油揚げの料理をメインに教えていた。
豆腐は離乳食や過敏症の子の為に販売し、過敏症の子だけでなく家族からも豆腐の優しい味が好評で、口コミで広がって徐々に人気商品になりつつある。
そして油揚げも、デイン商会の出店でおでんの具材として売り出したところ、瞬く間に人気商品になった。
もち米がまだ貴重なので餅巾着はまだ販売していないが、卵巾着や、油揚げをそのまま煮込んだものは『追加料金を支払うから欲しい!』と要望が多いほど人気が高かった。おでんは基本セット販売だったのだけど、要望に合わせて単品販売も始めた。
ちなみに、豆腐や油揚げの工房は、思いがけず王都の端にあるドレンさんの薬屋さんの近くに構えることになった。
おからを貰った数日後、おからドーナツやクッキー、そして豆腐と餅巾着やいなり寿司をドレンさんに持って行ったところ、ものすごく喜んでくれた。
そして豆乳づくりで出たおからを格安で提供してくれることになった。
そして、豆腐を離乳食と過敏症の子の為に仕入れたいとの申し出も受けた。
その話の流れで、豆腐を作る工房を建てる場所を新たに探すつもりだとローディン叔父様が言うと、ドレンさんが薬工房の一つを格安で譲ると申し出たのだ。
カーマイン男爵の薬工房は、三国との戦争の為に大量の薬を作る必要があった為に工房を増やしていた。
けれど今は、ウルド国とジェンド国との戦争が終結し、戦争による需要も少しずつ落ち着いてきたため、稼働する薬工房を減らしているとのことだ。
薬をたくさん作る必要性が減るということは、戦争が終わることを暗示しているようでいいことだと思うけれど、そうなると、戦争需要で雇用した人は早晩過剰人員となる。
すぐに別の仕事、もしくは元の仕事に戻れればよいが、見通しはついていないのが現状だ。
なのでドレンさんは、臨時で雇っていた薬工房の従業員の幾人かを豆腐の工房に雇ってもらえないか、ということだった。
豆腐を作る工房と人員の確保をどうするか考えていたのが、ドレンさんの提案であっさりと解決したのは有難い限りだ。
そして買い取った工房の改装も終わり、先日おからを使ったスイーツをメインとするお店がオープンした。さすがにおからドーナツとクッキーだけではどうかなと思ったので、豆乳プリンもラインナップに入れた。おいおい色んなものを増やす予定だ。
油揚げはおでんを販売するデイン商会へ出荷し、店頭には試験販売程度に。
豆腐は離乳食や過敏症の子の食品として、お店の片隅に置いていた。
豆腐や油揚げは今までアースクリス国で馴染みのなかったものだったから、最初は供給量を少なめにして様子見しようと思っていたのだ。
けれど、デイン商会のテイクアウト店でおでんの卵巾着の油揚げを食べたお客さん。つまり船着き場に訪れる各領地の商人が油揚げを買い付けに来て、オープン直後から一気に油揚げの需要が増えた。
そして、カーマイン男爵の治療院で乳幼児や過敏症の子の食事として、豆腐をドレンさんや薬師さん達が親御さんたちに紹介してくれたので、治療院にきたついでにお店に立ち寄り、豆腐の他におからドーナツやクッキー、プリンを買って行くという流れが出来た。
街の外れという立地条件なので、卸すための工房としての稼働がメインで、人が頻繁に来る店にはならないかも、という予想は意外な方へと外れ、連日お客様が途切れないお店になったのは嬉しい限りだ。
「これが餅巾着か。うむ。中の餅がトロリとして美味いな!」
「卵の入った巾着も美味しいですよ、父上」
「ええ、噛むと油揚げから美味しいお出汁が染み出てきてとっても美味しいわ!」
クリスウィン公爵とリュードベリー侯爵、王妃様が厨房の隣の従業員用の食堂でおでんを堪能している。
「豆腐もとても美味しいですね。このタレとの相性は抜群です」
「うちの一番下の娘が過敏症持ちなので、実はお店に何度も通って買ってました!」
料理人のパントさんがそう言った。実は、この料理人さんは王都のクリスウィン公爵家別邸の人なのだそうだ。
せっかくデイン家のクラン料理長とバーティア家のトマス料理長を呼び寄せたので、クリスウィン公爵家の王都別邸の料理人達にもレシピを仕込んでもらおうと、クリスウィン公爵家の本邸に幾人か呼んでいたのだそうだ。
クリスウィン公爵家の皆さん。―――『食』に対する執着が、すごい。
王都のカーマイン男爵の治療院にパントさんの奥さんが子供を連れて行った際、薬師のドレンさんに勧められて治療院のすぐ近くに出来た豆腐工房に行き、過敏症の子どもが今まで食べることが出来なかったドーナツやクッキーが売られていることに驚いたそうだ。
過敏症の子は牛乳やバターなどの乳製品が入っているものを口にすることは出来ない。
だから必然的に両親であるパントさん夫婦はもちろん、過敏症ではない兄や姉も、妹に気を使ってこれまでドーナツを食べることはなかったのだそうだ。
おからドーナツやおからクッキーを美味しそうに頬張る子供たちを見て、『いい店を見つけたのよ!』と奥さんは嬉しそうにパントさんに報告したそうだ。
親はやはり子供にもドーナツを食べさせたかったんだね。
おからドーナツは過敏症の子が食べられるのはもちろんのこと、誰が食べても普通に美味しいドーナツだ。
家族みんなが同じものを食べられるって、大事だよね。
一度おからドーナツやクッキーなどのスイーツでお客様の心をがっちりつかむと、お客様の目が次に豆腐や油揚げに向くのは自然の流れだ。
豆腐や油揚げは試食販売もしていた。豆腐はタレをかけたシンプルなもの。油揚げはカリッと焼いたものかおでんのように甘辛く煮た含め煮を日替わりで。
どれもこれも過敏症の子が食べられると聞いて、奥さんは嬉々として豆腐と油揚げも購入してきたそうだ。
「ただ、王都のお店は外れなので遠くて。子どもが王都の治療院に行った時しか購入できないんですよね」
料理人のパントさんが残念そうに言うと。
「あ。母が数日前に王都の商店街に乳幼児服のお店をオープンしたんですよ。そこに少しですが同じものを置いてます。王都の別邸からならそこが近いですね。店名は『天使のおきにいり』です」
にこにこ笑いながらローディン叔父様がそう答えた。
「まあ、そうなのね! ローズマリー夫人の乳幼児用の肌着ってとても肌触りがいいのよ。ベビードレスもとてもセンスが良くって。たまに贈り物用に作ってもらったりしているのよ」
おや。王妃様。ローズマリーおばあ様とそんなお付き合いがあったとは。
「オープンしたお店は、庶民が手に取れる価格帯の商品を置いています。貴族向けのものは別途対応するそうです」
「そうなのね、分かったわ」
ローディン叔父様が、お店の場所を簡単に紙に書いてパントさんに教えている。
「ああ、ここなら治療院近くの店よりずっと家に近いです。妻に話したら喜びます!」
―――そう。つい先日ローズマリーおばあ様とマリアおば様が準備をしてきたお店がオープンした。
取り扱うメインの商品は乳幼児の肌着。そして、幼児服。それも女の子専門だ。
私が驚いたのは、その服は、全部私がお気に入りでよく着ていたデザインのものばかりだったのだ。
そして、満を持してオープンしたお店の名前は『天使のおきにいり』―――
ローズマリーおばあ様が付けたのだそうだ。
店名を決める時、さすがに『バーティア商会の王都支店の二号店』では味気ないとローズマリーおばあ様やマリアおば様も悩んでいたそうだ。
みんなが興味を持ってくれるような店名を、と悩んでいた時に、お店を訪れたローディン叔父様が幼児服の品揃えを眺めていて、『そういえば、販売する服は全部アーシェのお気に入りのものばかりだな』とポツリと言ったのを聞いて、ローズマリーおばあ様が『そうね! アーシェラと言えば天使! 店名に天使をつけましょう!』と言って、店名がさっくりと決まったとのことだ。
確かにお気に入りのラインナップだけど。
そ、その店名は……。なんか、恥ずかしい。
お店で扱う乳児服は男女どちらも着れるけど、幼児服は『女の子用』だ。
私はちょっと店の経営を気にしていたけど、これまでも貴族の間で十分需要があり、となりのドレス屋さんのお針子さん達が片手間に作るには手が足りない程注文を受けていたので、独立したという経緯があった。ふむ。女の子用の服専門店でもやっていけそうでよかった。
この前『男の子用の服はどうしてないの?』って疑問に思っていたことを聞いたら、ローズマリーおばあ様が。
『だって、アーシェラに着せる為だけに作ったのですもの。男の子の服に全く創作意欲がわかないのよ』と当たり前のことのように言った。
だから店名も『天使のおきにいり』でピッタリだわ、と。ローズマリーおばあ様は私に頬ずりしながら言った。
ローズマリーおばあ様。
う、嬉しいけど。その愛情表現、ローディン叔父様に激似です……。
お読みいただきありがとうございます。