173 ローズマリー 1
ローズマリーおばあ様視点です。
私はローズマリー・デイン・バーティア。
デイン辺境伯家の長女にして、現在はバーティア子爵家当主ローディンの母だ。
海沿いのデイン辺境伯領で生まれ育った私は、父や兄と一緒に海に漕ぎ出でて、船を操船したり、軍の演習に参加するのが日常だった。
だから、剣や弓もそこそこ使えると自負している。
剣に魔力を乗せれば女性である私でも、そこら辺のごろつきくらいは切り伏せることができる。
幼い頃からそんな日常を送ってきたので、感覚は普通の貴族令嬢とは違う。
デイン辺境伯家は軍を持っているので、戦争ともなれば当主や主だった者は屋敷を空ける。
その間の当主代行として女性である私も領地の運営を教え込まれた。
そして、私が16歳の誕生日を迎えた頃、母がはやり病で亡くなった。
社交界デビュー直前のことで、ショックと悲しみのあまり、王宮でのデビュタントの時のことはほとんど覚えていない。
ただ、婚約者であるダリウス・バーティアにエスコートしてもらったことだけは覚えている。
ダリウスも私と同時期に母親と母方の祖父母を次々に亡くしていて、二人して会場の庭の東屋で一緒に泣いた。
ダリウスはバーティア子爵家の嫡男で、母親はマリウス侯爵家の令嬢だ。
銀色の髪や紫色の瞳は父であるディーク・バーティア子爵と同じで、顔の造作はどちらかといえば彼の母方の祖父である前マリウス侯爵に似ていた。
私より2歳年上のダリウス。
彼と婚約が決まったのは私が14歳の時だった。
高位貴族の娘として生まれた以上は政略結婚は当たり前のことと思っていた。
でも、ダリウスを選んだのは私。
婚約者となったダリウスは、ダリウスが生まれる前からバーティア子爵家に入り浸ってきた、母方の祖父母であるマリウス侯爵夫妻の愛情を一身に受けた。
マリウス侯爵夫妻は一人娘を溺愛していて、その娘が生んだ孫息子のダリウスをどろどろに甘やかした。
マリウス侯爵領は色鮮やかな結晶石が採れる、アースクリス国でも指折りの裕福な領地だ。
採掘から加工、販売までの確固たるルートが確立している。
さらにマリウス侯爵領の経営のすべてを若き次期侯爵が一手に引き受けているために、ダリウスの祖父母であるマリウス侯爵夫妻が悠々自適に遊びまわっていたのは有名な話だ。
一人娘の生んだ孫息子が可愛くて、なんでもしてやった結果、お姫様気質で自分では何もできないダリウスが出来上がってしまったというわけだ。
ダリウス自身に向上心があればまた違ったかもしれないが、生来のものか、楽な方向へ簡単に流されるという性質だった。
でも、その方が私にとって『操りやすい』のだ。
私にはいわゆる深窓の令嬢にはなり切れないという自覚があった。
デイン辺境伯領で自由に駆けまわり、領地運営までしてきていたのだ。
今更屋敷の奥に引っ込んで何もせずにのんびりと一生を過ごすなんて退屈すぎる。
奥方が内政を取り仕切ることはあるが、出しゃばれば婚家で嫌われかねない。
夫に従い、舅や姑の顔色を窺い、古くからいる執事たちの言うことを唯々諾々と聞き入れるなんて無理だ。
―――そんな私のことを十分に知っている父から、バーティア子爵家のダリウスとの婚約を示唆されたのだ。
どうしようもなく怠惰なダリウスとの婚約は、普通の令嬢であれば『まっぴらごめん』と叩き返すのだろうが、私にとってはこれ以上の条件はなかった。
『ダリウスをたらしこんで(言い方が悪い)、うまく手綱を取り、次代に受け継ぐまで領地経営の補佐をして欲しいが、どうか』とディーク・バーティア子爵に問われた時は、二つ返事で了承した。
退屈なことが嫌いな私にとっては願ってもないことだった。
自分で自分を分析すると、性格はともかく、私の造作は美しいのだ。
これまで領地を駆け回っていたので、姿かたちも美しく申し分ない。
辺境伯家の令嬢として礼儀作法も完璧に叩き込まれた。
私の父であるローランド・デイン伯爵とダリウスの父のディーク・バーティア子爵は親友同士で、家族ぐるみの付き合いだ。
幼い頃からダリウスの性質も掴んでいる。
ダリウスが年下の私に懐いていたことも、成長してからは一生懸命私の気を引こうとしていることも分かっていた。
社交界で人脈を作り情報収集をし、ダリウスを詐欺から守り、うまく仕事の話に乗せる。
まったく仕事の才能がないダリウスの矜持を立てて、手のひらで転がすなんて楽しいわ。
お姫様気質で全く働く気のないダリウスと、退屈が大嫌いで働くことが好きな私。
割れ鍋に綴じ蓋とはこういうことだわ。
全く働く気のないダリウスは、婚約時代に次々と美味い話に乗っかっては失敗し、多額の借金を重ねた。
その時に私が傍にいれば借金はなかっただろうに、と悔しい思いをしたが、後の祭りだ。
だが、ダリウスには一片たりとも学習能力がないのか、結婚直前にもまたもや詐欺に引っ掛けられそうになった。
ディーク・バーティア子爵と共に犯人を突きとめ、現場に乗り込んで相手を叩きのめし、撃退した。
婚約者に庇われるなど男性としては屈辱だろうが、なにせダリウスは『お姫様気質』、守って貰いたい性分なのだ。私の背に庇われながら、嬉しそうに目を輝かせて私を見ていた。
―――その時、ダリウスが完全に私に堕ちたのを確信した。
―――男性としては本当に情けないが。ふう。
そして、母の喪が明けてすぐ、17歳でバーティア子爵家に輿入れした。
翌年に長女のローズが。
その2年後に長男のローディンが生まれた。
子どもの誕生はこれ以上はない喜びだった。
可愛い我が子の子育てと、夫を手の上で転がし、社交界で情報収集をし、義父と共に領地経営にいそしむ。
忙しくも充実した日々を過ごした。
―――そして時が過ぎ、ローズがクリステーア公爵家へと嫁いだ。
愛する人との結婚式はこれまでで一番幸せそうで、私も幸せな気持ちになった。
―――けれど、神様は残酷なことをする。
結婚後、ふた月足らずでローズの夫が行方知れずになった。
敵国となったアンベール国で人質となったのだ。
ローズのことが心配で、何度もクリステーア公爵家へとローズに会いに出向いたが会うことは叶わなかった。
そして、死産の知らせを受け―――ローズが、亡くなった子どもが可哀そうで仕方がなかった。
―――どんなに傷ついているだろうか。
愛する夫が行方不明で、―――仮とはいえ後継者候補となったリヒャルト夫妻がいるクリステーア公爵家の中でどんな扱いを受けているのか心配でならない。
―――それなのに。その身の内で育んだ我が子までも亡くすなんて……
今すぐに、駆け付けて慰めてあげたい。
何度もクリステーア公爵家に会いに行きたい旨を伝えていると、ローズを静養の為にバーティア子爵家で預かってもらいたいとクリステーア公爵から連絡があった。
ようやくローズに会えるかと思ったら、ダリウスが勝手な思惑でそれを拒否した。
あの時、ダリウスが本当に憎らしかった。
ダリウスにとって大事なのは妻である私だけだ。
ローズやローディンにいらない知識を植え付けさせないように、子どもたちからダリウスを遠ざけていたせいか。
子どもに対しての愛情は希薄だとは思っていたが―――これはないではないか。
あまりに頭にきて実際に手を出したが、ダリウスは何故私に平手打ちされたか分かっていないようだった。―――はあ。
その父親の所業を見たローディンがついに父親であるダリウスを見限り、義父と共にバーティアの街に商会をつくりローズを受け入れたのだった。
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