170 にがりといったら!
誤字脱字報告ありがとうございます。
毎回あっていつも驚いています(;'∀')
これからもよろしくお願いします。
「とうにゅう、どなべであっためてくだしゃい」
「はい」
料理人さん達は素直に私の指示に従う。
何か面白いものが出来ると思っているようだ。
そして、調味料の棚の隅っこにおいてあるものを持ってきてもらった。
前回、ローランドおじい様が久遠大陸からお土産に一瓶だけ買ってきたという、アレだ。
「それは! 私が大陸から買ってきた苦汁だな!」
ローランドおじい様が瓶を見て声を上げた。
そう。いつか使おうと思っていた苦汁だ。
苦汁と言ったら、豆腐。
でもさすがに豆腐をいちから作るのは時間がかかる上に工程も多いので二の足を踏んでいたのだ。
ドレンさんの薬屋さんで思いがけず豆乳とおからが手に入ったので、やってみようと思ったのだ。
ローランドおじい様が買ってきた土鍋で、まずは簡単に温かい豆腐にすることにした。苦汁を前世の記憶通り、豆乳の量の1%分を入れて、やさしくかき混ぜ。
ゆっくりと温め、蓋をして蒸らす。
その間に豆腐に掛けるつゆを作る。
せっかく温かい豆腐を食べるなら、ただの醤油ではつまらない。
めんつゆに砂糖や酒を入れて温め、かつお節たっぷりにネギを刻んで入れておく。
これは湯豆腐にかけるつゆだが、私はこれが大好きだったのだ。
十分程蒸らした土鍋の蓋を取ると、いい感じに固まって豆腐が出来上がっていた。
うん、満足な出来上がりだ。
「あれ? 豆乳が固まってる?」
「本当だ。卵も入れてないのに?」
「さっきの瓶ににがりって書いてあったよ」
「にがり? にがりって、あのにがり? 他のにがりっていう名前のものじゃなくて?」
土鍋の周りを囲むのは料理人さん達。
この屋敷はデイン領出身の人たちが殆どだ。塩を作る際に出来るにがりのことを知っている人が多い。
「これはなんという料理なのだ?」
ローランドおじい様に、にがりの瓶のラベルに描かれた料理のイラストを指差す。白く四角い豆腐の絵だが、同じものだ。
「とうふ!」
料理のイラストの下に『豆腐』という漢字表記と、共通語で『とうふ』と書かれている。
商品名『苦汁』
そして、ラベルに四角い料理のイラストと料理名、そして大豆らしきものが数個描かれているだけで、使い方は一切書かれていない。
これだけでは、豆腐が何で出来ているかなんてわからないし、苦汁の使い方が分かるわけはないだろうと思う。
せめて豆乳の量に対してどのくらいにがりを入れるか説明くらい入れた方がいいと思うけど。
「おしおをつくったときにできた、にがいみじゅがとうにゅうをかたまらしぇて、とうふににゃる」
「ほう。確かに、ラベルには『とうふ』と書かれているな。今まではラベルを見てもどうやって使うか見当がつかなかったが、この白く四角い絵がとうふで……この丸い絵は大豆ということか。で、アーシェラが作ったものから想像するに、大豆から作った豆乳に、苦汁を入れたら『とうふ』が出来るということか?」
「あい! そうでしゅ!!」
『ラベルの意味がようやくわかった』とローランドおじい様が頷いた。
「にがりって、塩を作った時に出るけど、使い道がなくてずっと捨てていた、あれよね?」
ローズマリーおばあ様は、デイン辺境伯家の出身だ。
海水から塩を作る事業もあるので、にがりがなにかすぐわかったらしい。
「まあ、あのにがりがこうやって使えるの?」
ローズマリーおばあ様やマリアおば様の言葉にこくりと頷いた。
ローズマリーおばあ様は、ディークひいおじい様から私が女神様から加護をいただき、知識の引き出しをもらっていることを聞いているとのことだ。だから私がこうやっていろいろと料理をしていても笑って受け入れてくれている。
ちなみに、ダリウス・バーティア前子爵には一切教えていないとのこと。
うん、今までのダリウス・バーティア元子爵の行動パターンを聞いていたからその方がいいと思う。
―――では、ローランドおじい様が土鍋と一緒に買ってきてくれたお鍋用の深めの皿に、ふるふるに固まった豆腐をよそい、かつお節やネギを入れたつゆをかける。
「いただきましゅ!」
陶器のスプーンですくい、ふうふうして一口。
大豆の優しい味と、豆腐の滑らかさ。
そして、かつお節や醤油、旨味たっぷりのつゆが口いっぱいに広がった。
ああ。―――美味しい。やっぱりこの味は日本人だった魂を揺さぶる。
「これ、美味いな……」
ローディン叔父様がしみじみと言った。
「そうね。アーシェが作ったものはいつも美味しいけれど、すごく優しい味で。初めて食べるのになんだか懐かしいような感じがするわ」
「ええ、本当ね。温かくてホッとするわね」
ローズ母様もローズマリーおばあ様も気に入ったようだ。マリアおば様はおかわりが無いと聞いて残念がっていたからその行動で美味しかったのだとわかった。
料理人さん達も含めての試食なのだ。量が少ないのは仕方がない。
「かつお節がはいったこのタレも美味いぞ」
ローランドおじい様はタレまで飲み干していた。
料理人さん達も美味しかったらしく、器に残っていたタレもローランドおじい様同様に全員飲み干していた。
「豆は煮て食材として使ってきましたが、こういった使い方は初めてです。でも、苦汁が商品として出回っているくらいなのですから、大陸では当たり前に食べられているのですね」
「豆乳は過敏症の子が飲むものと思ってたので、食材として考えたことはなかったですね」
クラン料理長とマーク副料理長がにがりの瓶を見ながらふむふむと頷いている。
「やさしい豆の味がして、とっても美味しくて気に入ったわ。どことなく茶碗蒸しに食感が似ているわね。今は夏だけれど、冬になったらとても身体が温まりそう」
ローズマリーおばあ様の言う通り、温かいお豆腐はいつ食べても美味しくて好きだけど、今の季節は夏。
デイン伯爵家は魔法で空調しているのでとても過ごしやすいのだが、本来温かいお豆腐は寒い時期に食するのが最適だ。
ということで。
「つめたいおとうふもありゅ」
土鍋で作った温かい豆腐と同時進行で、冷たいものも仕込んでおいたのだ。
豆乳とにがりを四角い型に入れて蒸し器で蒸した後、水にさらして豆腐に残っている余分なにがりを抜いた、王道の豆腐も並行して仕込んでいた。
出来た豆腐を等分に切って皿に盛り付けたものは、まさにラベルに描かれていた料理のイラストと同じものだった。
冷たい豆腐にはショウガのすりおろしと刻みネギ、かつお節を乗せてめんつゆをかけて。
「あ。材料が同じなのに冷やしたことでしっかりした食感になってる」
そう。温めると柔らかく、冷たいとしっかりとした食感になるのだ。
「うむ。冷たいものもいいな。なるほど、苦汁のラベルに書かれていた料理の絵は冷たい豆腐なのだな」
ローランドおじい様が納得して頷いている。
「夏は冷たい方がいいですね」
「夏バテで食欲が無い時もこれならいける」
料理人さん達にも冷たい豆腐は好評だった。
「このお豆腐って消化もよさそうだし、子どもの離乳食にも重宝しそうよね。アーシェを育てる時にも欲しかったわ」
うん。前世でも豆腐は乳児の離乳食として利用されていた。
たしかに私が赤ちゃんだった時に豆腐があったなら、ローズ母様たちは少しは楽だったと思う。
「豆から出来ていて栄養もある上に、滑らかだし。裏ごししたりすりつぶす必要も無いものね。安心して食べさせられるわ」
「確かにそうだね。離乳食作りはちょっと大変だった。初めの頃は食材を全部なめらかにすりつぶす必要があることに驚いたものだよ。―――でも皆そうやって子育てして来たんだろうね」
懐かしそうにローズ母様とローディン叔父様が微笑む。
「アーシェの離乳食はトマス料理長に作り方を教えてもらったんだよ」
私が食べていた離乳食はバーティア子爵家本邸のトマス料理長直伝だったらしい。
離乳食は、これまで料理をしたことのなかったローズ母様やローディン叔父様にとって、とてもハードルが高かった。トマス料理長にレシピを教えてもらって商会の家で初めて離乳食を作ってくれた時、一皿分のカボチャのピューレを作るのに何時間もかかっていたのを憶えている。
包丁を握るローズ母様やローディン叔父様の手元がものすごく危なっかしくて、ナイフで手を切るんじゃないかとか、鍋で火傷しそうだと、見ているこっちがハラハラドキドキしたのだ。
私のお守りをしていたリンクさんが二人の手つきにハラハラし、『俺に代われ!』と叫んでいた。
リンクさんは辺境伯家に生まれた為、有事の際に狩りをして命をつなぐための訓練を受けている。だからナイフも使える。商会の家に住み始めた当時、キッチンに立つのはリンクさんが多かった。
けれど、ローズ母様とローディン叔父様は、絶対に自分たちで作ると言って、二人で固いカボチャを切って、煮て、裏ごしして。初めてのことばかりだったので、ものすごく時間をかけて作業をしていた。
私もその間ずっと緊張して見ていたので、やっと出来上がった時、緊張が解けてどっと疲れた記憶が。
―――でも一生懸命作ってくれたことが伝わってきて、とっても嬉しかったのを憶えている。
だから今度は私がローズ母様やローディン叔父様、リンクさんに作るのだ。
『大好き』の気持ちを込めて。
―――さて。
せっかく材料があるし、作ってくれる人がたくさんスタンバイしているのだ。
豆腐尽くしといこう。
―――そして、今回はどうしても作っておきたかったものがある。
お読みいただきありがとうございます。




