163 ぴょこぴょことみえていたようです
アーネストおじい様視点です。
―――翌朝、アーレンが母親のメイリーヌ、そして姉のリーナを連れてクリステーア公爵家の本邸を訪れた。
妻のレイチェルと共に、赤子を保護している部屋へと案内した。
アーレンから簡単に昨日の件を聞いて知っていたはずだが、現実を直視した叔母と従妹は赤子を見て呆然としていた。
叔母のメイリーヌと従妹のリーナは二人とも『なんてこと』と呟いた。
―――赤子はカロリーヌから引き離している。
リヒャルトが公爵家の血を引いていないことをようやく理解したカロリーヌが半狂乱になり、自ら生んだ子に危害を加えようとしたのだ。
ゆえにカロリーヌを別邸の自室に閉じ込め、赤子は本邸に連れて来て保護をすることにしたのだ。
―――両親が犯罪者であっても、何も知らずに生まれて来た子供に罪はない。
今後この子がどのように育っていくかは分からないが、ここで命を奪うつもりはなかった。
―――なんとなく、父が生まれたばかりのリヒャルトに対して思ったことが分かった気がする。
その父の慈悲が、リヒャルトの生まれ持った残酷な性質のせいで、限りなく裏目に出てしまったのだろう。と。
―――父の想いは、今では憶測の域を出ないが。
赤子との対面を終えて部屋に戻ると、疲れたように叔母のメイリーヌがソファに沈み込んだ。
結い上げた金髪に薄緑色の瞳。クリステーア公爵家の直系の色を持った叔母は、分家であるルードルフ侯爵家に嫁いだ。
私やレイチェルがクリステーア公爵家に不在だった時は、ローズをリヒャルト夫妻から守ってくれた方だ。
―――しばらくして心を落ち着かせた叔母が私を見た。
「アーネスト……あなた前から知っていたの? リヒャルトが弟ではないことを」
「そういえば、昨日もどこか冷静だったな。―――こっちは腰が抜けるかと思うほど驚いたのに」
アーレンが思い出しながらそう言った。
「ああ。昨年リヒャルトが逮捕された際に、カレン神官長に指摘をされた。これほどまでの悪行を犯すものがクリステーア公爵家の人間であることが信じられないと。その時に国王陛下の指示で貴族牢に居たリヒャルトと私の間に血縁関係があるかどうかを秘かに視てもらったのだ。―――そこで、私とリヒャルトに血縁はないと断言された」
その言葉に、叔母親子が納得して頷いた。
次に私は、公爵家に伝わる水晶をテーブルの上に用意した。
公爵家直系の血を引く者にしか扱えない魔道具であり魔力を補うことのできる、門外不出のものだ。
「叔母上、手を貸していただけませんでしょうか。私たちふたりの力を合わせて皆に見てもらいたいものがあるのです」
叔母は直系の血を引いており強い力を持っている。だが、感応はできるが意識を飛ばすことはできない。
だが、この魔道具を用いることで足りない魔力を補完し、意識を飛ばすことが出来る。
リヒャルトが物心つかない幼児の頃に偶然触れたことがあったが、まったく反応を返さなかったことを思い出した。
その時は気にも留めなかったが、答えはすぐそこにあったということだろう。
私たち直系の力を増幅させる魔道具。
これを使い、私と叔母、クリステーア公爵家直系ふたり分の強い魔力があれば、意識を飛ばさずとも、媒介を通して今現在のものを見ることが出来る。
「ええ、いいわ」
私の意図を汲んだ叔母は、素直に水晶へと手を伸ばした。
私は、水晶に触れて魔力を流し込み、媒介者に渡していた魔道具を通して、こちらの魔道具の水晶に映像を結んだ。
水晶に結ばれた映像はすぐ頭上に映像として映し出された。
―――映像として結ばれたのは、バーティアの耕作地。
私にとっては見慣れた光景だ。
「あら、媒介の魔道具を持っていたのはセルトだったのね」
叔母のメイリーヌが呟く。
セルトには数か月前に会った際に通信の出来る魔道具を渡していた。
私と直接つながるホットラインとして。
数ヶ月後アーシュがいるアンベール国に行くセルトに、距離に関わらずいつでも通信することが出来るように、特殊な素材を用い、私の魔力を注いで作った魔道具を新たに手渡しておいたのだ。
この魔道具はセルトを中心としてリアルタイムで周囲を見ることが出来るようにしておいた。こうやって叔母たちに見せるために前もって仕込んでいたものだ。
ただ血縁者とのつながりを使う時よりも魔力を相当消費するため、数分しか保てないが仕方ない。
ゆえに公爵家に伝わる力を増幅させる魔道具の力と、直系の血を引く叔母の魔力をも使わせてもらったのだ。
セルトが立っていたのは、バーティア領の耕作地が一面に広がる一角の野原だった。
執事服ではないが、それによく似た服を身に着けている。長年の習慣から似たようなものを身に付けるようになったのだろう。
そのセルトの周辺を俯瞰するように力を行使する。
ここがどこかを皆に見せるためだ。
―――少し高い位置から眼下を見下ろすと。
―――夏の朝の爽やかな光の中に、見渡す限り、鮮やかな緑が一面を彩っていた。
畑に作物が育ち、野の原が緑に覆われ、つややかな木の葉に太陽の光が当たり、きらきらと反射している。
野の原にも、林や小さな小川にも、命の輝きが生き生きとして見える。
―――ああ、心が落ち着く。
「―――ここは、バーティア領の耕作地ですよ」
そう告げると、興味深げに叔母親子は映し出される光景を覗き込んだ。
レイチェルは薄く微笑みを浮かべながら私の隣で映像を見ている。
「まあ。見たことのない作物がみえるわ。水の中で育つなんて不思議」
「ああ、これが稲か。米を作っている田んぼというやつだな」
「セルトがどうしてバーティア領の耕作地にいるのかしら?」
セルトは数年前、リヒャルトによりクリステーア公爵家から解雇された。
リヒャルトやカロリーヌが得意とする、罪のでっち上げで。
セルトが無実なのは私や叔母たちは分かっていた。当主権限でセルトを公爵家に留まらせることは出来るが、リヒャルトは粘着質な上に残酷だ。一度標的にしたのだ。公爵家に留まらせれば、セルトの命を奪う方へとシフトしかねない。
その時私がセルトを守るために出来たことは、デイン伯爵にセルトを託すことだった。
セルトが幼い頃のアーシュの執事兼護衛であったことは、デイン伯爵とディーク・バーティア元子爵は知っている。
セルトが瀕死の重傷を負ったことで、回復はしたが護衛は無理だと、表向きはアーシュの護衛の任を解いたことにした。
そしてその後は、クリステーア公爵家の事業や公爵家の内政などの要職を担当していた。
それは、リヒャルトによる公爵家への過干渉を抑えるための配置だった。
思った通り、リヒャルトにとってセルトは目の上のたん瘤となり、私が戦争に行っている間に罪をでっち上げてセルトを逮捕させた。
だが、その計画には穴がありすぐにセルトは無罪放免となったが、リヒャルトとカロリーヌはセルトをクリステーア公爵家に仕える者として相応しくないと解雇したのだ。
しかも、公爵家の権力を濫用して他の貴族にセルトを雇わぬようにと圧力をかけた。
まったく、どこまでも底意地が悪い夫婦だ。
セルトはアーシュに忠実な部下だ。私はセルトを他の貴族に仕えさせるつもりは毛頭なかった。
アーシュがいずれ当主として立つ傍にはセルトが側近として立つ。それだけ信頼できる人材なのだ。
リヒャルト夫妻の策略で『貴族の屋敷に仕えることが出来ない』ため、バーティア商会に就職させ、商会の家にいるアーシェラの傍につかせることが出来た。
セルトが過去に負った傷は完治しており、後遺症もない。護衛としての役割を十分に果たせるからだ。アーシェラを守る手段はいくつあってもいい。
セルトをアーシェラの側に置くことが出来たおかげで、可愛いアーシェラに会えずとも、定期報告としてセルトから魔道具を通して送られてくるアーシェラの日常を垣間見ることが出来たのは僥倖だ。
私はアーシェラとの繋がりを使って会いに行くことは出来るが、レイチェルはそうはいかないのだ。
アーシェラを数か月の間育てていた隠し部屋で、上映会(?)を開き、王妃様とレイチェルがセルトから送られてきたアーシェラの映像を食い入るように見ていたのだ。
会えずとも私たちはそうやってアーシェラの成長を見てきた。
セルトには、今日こちらから魔道具を発動させることを伝えていた。
魔道具の発動を感知したセルトがゆっくりと田んぼから数歩歩いたところ、少し背の高い大きな葉が茂る場所へと移動した。
その背の高い葉っぱの間から、ひよこのように金色の頭がぴょこぴょこと見えていた。
―――ああ、すぐに見えないと思っていたらこんなところにいたのか。
どうやらしゃがんで、何かを採っているようだ。
やがて、ぴょっこりと立ち上がり、金色の髪に葉っぱをつけたまま、私の可愛いアーシェラがセルトを見てにっこりと微笑んだ。
「「「―――えっ!?」」」
「まあ」
驚きの声は叔母親子。嬉しそうに声を上げたのはレイチェルだ。
「小さな女の子が―――え!? この瞳! まさか!?」
「金色の髪に薄緑の瞳―――」
「―――クリステーアの瞳か……」
アーレンにはアーシェラのことを告げていたはずだが、アーレンも叔母のメイリーヌや従妹のリーナ同様に驚いていた。
名を呼ばれたアーシェラが元気に野原をかけていく。
その後をセルトがゆっくりと追って行く。
その先には、アーシェラを呼んだローディン殿と、クリスフィア公爵が立っていて、アーシェラが自分たちのもとに来るのを待っていた。
「かわいいでしょう? 叔母上。私の大事な孫娘―――アーシェラです」
私が今、繋がりを持てるのは直系のアーシュとアーシェラ、そしてもうひとり、父の妹である私の叔母のみだ。
叔母もクリステーアの直系ではあるが、自ら意識を飛ばせるほどの力はない。
公爵家の継嗣ほどの力は持ってはいないが、それでも他の貴族よりも遥かに強い力を持っていることには変わりはない。
意識を飛ばすことは出来なくても感応は可能なのだ。
自分の中にアーシェラとの繋がりをしっかりと感じた叔母が胸に手を当てて涙をにじませた。
「リヒャルトから守り切る為に隠して育てました」
「あ……ああ―――。よかった。よかったわ」
感応の力でアーシェラを感じた叔母はポロポロと涙を零している。
「死産ではなかったのね。ああ。本当によかったわ」
従妹のリーナも喜びの涙を流している。
ローズの哀しみや慟哭をすぐ側で見てきた二人だ。
「本当に、本当によかった。よかったわ」
アーシェラが生きていたことを心から喜んでくれた。
「リヒャルトは産室にまで自分の手の者を送り込んでいました。生まれたばかりのアーシェラを殺させる算段だったのでしょう。―――ですのでこちらも事前に手を打ったのです。リヒャルトの手の者には王宮の魔術師が偽りの出産に立ち会わせたのですよ」
私の説明に叔母達が頷く。
「ローズがアーシェラを生んですぐ、王宮に転移させて、陛下がご用意くださった隠し部屋で秘かに育てました」
「そう、王宮で……」
「アーシェラの存在を決してリヒャルトに知られるわけにはいきませんでした。離宮でアーシェラを育てる話も出ましたが、人の口に戸は立てられぬと言います。万が一離宮の者たちの誰かからクリステーア公爵家特有の色彩を持つアーシェラの存在が漏れたら、リヒャルトはどのようなことをしてでもアーシェラを殺害しようとします。―――そして、敵はリヒャルトだけに留まりません。貴族の中には己の権力欲のために汚いことを平気でする者達が幾人もいるのです。クリステーアの瞳を持つ子を利用しようとするのは目に見えています。―――なので、アーシェラの命を守ることを第一に考え、王宮内の隠し部屋で育てることにしたのです。メイドも用意せず、アーシェラの世話は私とレイチェルがしました」
「レイチェルと二人だけで?」
「大変だったのではなくて?」
何人もの乳母やメイドがついて世話をするのが当たり前なのだ。自らも子どもを持つ母親として叔母と従妹が心配して言うと、レイチェルが笑って頷いた。
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