148 ジェンド国のじょおうさま 1
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「―――私は、王女であった母から『命に貴賤なし』と教わってきました。幼い頃の私は、ジェンド国の人たちはみな、私や母と同じ考え方をしていると思ってきましたが―――そう思っていたのは、わずかな人だけでした」
イブシラ様がゆっくりと話し出した。
イブシラ様のお母様は、現ジェンド国王の姉。
『命に貴賤なし』とは、すばらしい考えの持ち主だ。
女性でありながら優れた方であったイブシラ様のお母様は、若い頃一部の重鎮や穏健派であった父王から女王としての即位を望まれていたそうだ。
イブシラ様のお母様―――イブリン王女は後継争いを好まず、父である国王に進言して弟に王位を継がせたそうだ。
「叔父であるジェンド国王は浅慮で、流されやすい方です。アンベール国やウルド国に迎合して戦争を引き起こすなど、―――母なら絶対にするはずがなかったのです!」
イブシラ様が悔しそうに強く言葉を発した。
ジェンド国王のアースクリス国への宣戦布告を強硬に反対したイブリン様は、ある日突然倒れたという。
降嫁し、マーレン公爵夫人となった後も父王の時代からの重鎮に信頼を置かれていたイブリン様。その彼女を煙たがっていた弟であるジェンド国王から、イブリン様は気づかぬうちに少量ずつ毒を盛られ続けていたらしい。
体調の変化に気が付いた時にはすでに毒により内臓を侵され、今はベッドから離れられない状態だということだ。
治癒魔法は外傷に効果が顕著に見られるが、内側に浸潤した毒には効果がほとんどないといわれている。賢者クラスの魔術師ならば身体の内部まで癒せると言われているが、定かではないし、そのような魔術師がそうそういないので確かめるすべもない。
だから病気や毒は薬草を用い、自己治癒力によって治していくしかないと言われている。
「毒に侵されても、イブシラ様のお母上はベッドの上から反乱軍に指示を出していらっしゃった。その胆力には頭が下がる思いです」
アーネストおじい様がそう言うと、クリスティア公爵が同感だと頷いた。
本当だ。体調が悪ければ気力も衰えるだろう。それでも毒に侵された身体に鞭打ってイブリン様が民の為に一生懸命に考え、動いているということが窺える。
「いぶりんしゃま、しゅごい!」
思わず声を上げたら、イブシラ様と、イブシラ様の後ろに立って控えている侍女さんが私を見て小さく微笑んだ。
私を見て少し和んだのか、イブシラ様は胸に手をあてて、心を落ち着かせたようだ。
再びゆっくりと話し出した。
「―――20数年前のことです。母は姉弟間の継承争いを憂慮し、『王位を望まない』と宣言し弟に王位を継がせた後、学術国であるグリューエル国に留学という形でジェンド国を出ました。そのまま母は一生外国にいるつもりだったのですが、国王となった弟に『王家の姫として政略結婚しろ』とジェンド国に戻され、マーレン公爵家に降嫁し私が生まれました。―――母にとって幸いだったのは、結婚直前に王家の腰巾着だった嫡男が廃嫡されて、まだ頭角を現していなかった次男と結婚した、ということです」
勝手な弟だ。王家の腰巾着な者に姉を降嫁させたら、姉が不幸になるということが分かり切っていただろうに。いや、確実にそれを狙っていたのだろうと思う。
「廃嫡、ですか。マーレン公爵家のご長男は、政敵に暗殺されたと聞いておりましたが」
アーネストおじい様がそう言うと、イブシラ様が苦笑して否定した。
「それは事実と全く違うのです。たくさんの女性と関係を持っていたせいで、そういう女性から病気を感染された末に頭がおかしくなっただなんて恥ずかしくて公表できませんでしょう? それにいつ殺されてもおかしくないことをしてきた人でしたから、暗殺されたことにしたのです。―――でも、そのおかげで結ばれぬと諦めていた父と母が結婚できたのは本当に良かったです」
隣に座っていたローディン叔父様が私の耳をとっさに塞いだけど、しっかりきこえたよ。
マーレン公爵家の長男は女性関係が派手だったってことだよね。そして節操がない彼は、そういう商売をしていた女性から感染されたってことだよね。
病気を発症した長男はやがて症状が悪化して亡くなったそうだ。
イブシラ様のお父様のシリウス様はマーレン公爵家の次男だが、両親から年の離れた跡継ぎの長男と差別されて育ったらしい。日和見で権力におもねる家のことが大嫌いで、手っ取り早く留学と称してグリューエル国に行き、実に十数年もの長い間グリューエル国にいたのだそうだ。
イブリン王女様も、シリウス様も同じジェンド国出身で、どちらも有能でありながら兄弟のせいで外国に出た身。
グリューエル国で出会った二人は自然と惹かれあったが、ジェンド国における微妙な立場の二人の婚姻は無理だろうと、諦めていたという。
けれど、イブリン王女のマーレン公爵家への降嫁が決まり、その相手である長男は結婚の直前に複数の女性との逢瀬の末に公にできぬ病気を発症、病気に脳を冒され、廃嫡を余儀なくされた。
王室とのせっかくの繋がりを諦めたくないマーレン公爵夫妻は慌てて、これまで放置していた次男をジェンド国に呼び戻して、跡継ぎに据えた。
そして思いがけず政略結婚という形でイブリン様とシリウス様は結婚した。
諦めていたふたりにとって、この政略結婚は、まさに青天の霹靂だったそうだ。
長男の代わりにマーレン公爵家の跡取りとなったシリウス様は、イブシラ様のお母様と結婚した後、王家の腰巾着だった長男とは全く逆な意味で頭角を現したそうだ。
「現在ジェンド国の反乱軍を率いていらっしゃる、シリウス・マーレン公爵ですね」
そう、イブリン様の弟のジェンド国王に従順で王の汚れ仕事をしてきたマーレン公爵家は。
―――今や現ジェンド国王を倒す旗頭になっていた。
「はい。両親は戦争の数年前から怪しい動きを察知していたらしく、戦争が始まる前に私をグリューエル国に留学させました。そしてグリューエル国で行方不明になったことにしたのです。おそらく戦争に反対するであろうマーレン公爵家を抑えるために私が王家に利用されるのを恐れたのでしょう。ジェンド国の国王は次々と有力貴族の姫を側室に迎え入れ、人質にしていましたから」
「娘を人質にして貴族を言いなりにする、か。確かに効率的ではあるが反吐が出るやり方だな」
クリスティア公爵はどことなく、口が悪いクリスフィア公爵と口調が似ている。
「おそらくジェンド国王は私を同い年の王太子にあてがおうとしたのでしょう。あんな野蛮な人、絶対に嫌です!」
美しい顔を歪めたイブシラ様にアーネストおじい様が問うた。
「―――野蛮とはどのようなことでしょう?」
「私が幼い頃―――私のお友達を骨折するまで滅多打ちにしたのは、王太子です。まだ7歳であんな酷いことが出来るなんて。―――あの性根は成長した今でも変わっていませんわ」
骨折するまで? 7歳の子供が??
「―――私がまだ7歳だった頃のことです。彼女はアースクリス国人を母に持つ混血児というだけで、王太子に暴力を振るわれたのです。―――彼女は何も悪いことをしていないのに」
「にゃにもわりゅいことしてにゃいのに!?」
あまりのことに声が大きくなった。
何も悪いことをしていない人に手をあげるなんて最低だ!!
すると、三国ではそれが当たり前なのだとイブシラ様は悲しそうに告げた。
クリスティア公爵やアーネストおじい様、リンクさんとローディン叔父様も、苦い顔をしている。
なんてことだ。
昨日マリアおば様にアースクリス人の混血が迫害されるとは聞いていたけれど。
実際にそれを見たというイブシラ様の言葉は、ずっしりと重みがある。
―――イブシラ様が幼い頃、ジェンド国で貧民街からはやり病が発生し、国中に蔓延した。
圧倒的に医師の少ないジェンド国だけでは撲滅は困難と判断したジェンド王家は、学術国であるグリューエル国へ要請し、疫病治療に長けた医師団を派遣してもらうことにした。
グリューエル国の医師団が入国してから一年ほど経った頃、ジェンド国の疫病を完全に抑えるために、何年かかるか分からない長い期間をジェンド国で過ごさなくてはならないグリューエル国の医師たちの為に、海に面した港町でグリューエル国に残してきた家族と会って過ごす機会を設けたという。
うん、それはグリューエル国の医師にとって大きな励みになることだろう。いい試みだ。
医師と家族との面会は、グリューエル国での留学経験があるマーレン公爵夫妻が尽力したそうだ。
だが、医師たちがジェンド国の辺境伯の城で家族との再会を喜んでいた時に、その事件は起こった。
グリューエル国から来た医師の家族の中に、アースクリス人の母を持つ幼女がいたのだ。
その幼女の父はグリューエル国医師団の長で、イブシラ様のご両親の留学時代の友人。
辺境伯城での歓迎会の数日前に入国していた医師の娘は、イブシラ様ととても仲良くなり、友達になったそうだ。
彼女の母親は早くに亡くなり、医師である父親は自分の両親と共に、妻が遺したひとり娘を大事に育てて来たそうだ。
グリューエル国ももちろん、ジェンド国を含む三国でのアースクリス人との混血児に対する扱いを知っている。
だからきちんと前もってグリューエル国から知らせ、ジェンド国側に混血児に危害を加えぬように注意を促し約束させていた。
だが、歓迎会の最中、イブシラ様の従兄弟であるジェンド国の王太子が医師団の家族の歓迎の為に辺境伯城に訪れ、混血である彼女を見つけたとたん、一方的に彼女を責め立て、暴力を振るったのだそうだ。
ただ彼女は大好きな父に一年ぶりに会いに来ただけだったのに。
騒ぎに気付いたイブシラ様やマーレン公爵夫妻が駆けつけて王太子を止めた時には、医師の娘は手や足を骨折する大けがを負っていたとのことだ。王太子は娘を庇った父親である医師にも暴行を加えていたそうだ。
ジェンド国の王太子による、グリューエル国の医師の娘への謂れなき一方的な暴行。
そして、その王太子の凶行をジェンド国の辺境伯は止めずにただ見ていたのだという。
その現場を見たグリューエル国の大使が、激怒したのは当然のことだ。
そしてそれは、国際問題へと発展した。
だが、王太子にはまったく反省の色がなかった。それどころか自分はジェンド国の王太子として当たり前のことをしたと宣ったという。
イブシラ様はその時の王太子の所業を思い出して怒りに震え、服をぎゅうっと握っていた。
「ひどしゅぎる」
そんな人が王太子だなんて。次のジェンド国王だなんて。
そんな息子を今でもそのまま王太子にしている国王も碌な人じゃない。
―――実際に実の姉に毒を盛るくらいなんだから、国王もろくでなしだ。
「本当に酷いことをしているのに、あの王太子は分からないのよ。今だって、何故自分たちが民たちに反旗を翻されているか分かっていないのよ。どうしたらあんな人間が出来るのか不思議なくらいだわ」
「あの親にしてこの子ありといいますでしょう? 姫様」
侍女がイブシラ様に軽口を言うと、イブシラ様がくすりと笑った。
侍女はイブシラ様を精神的にも献身的に支えているようだ。
―――激怒したグリューエル国の大使は、医療支援を打ち切り、ジェンド国から即時撤退した。
そしてジェンド国に今後一切のあらゆる支援を打ち切ると通告したのだそうだ。
ジェンド国の王太子のその所業にクリスティア公爵やクリステーア公爵のアーネストおじい様も驚いていた。リンクさんとローディン叔父様も驚愕を隠せないでいた。
「グリューエル国との国交が一時断絶していたのはそういうことだったのですね」
大まかな事情は知っていたが、それが王太子の所業であった事実までは伝わって来なかったらしい。
「はい。両親が苦心してなんとか国交を回復することが出来ましたが、今でもグリューエル国はジェンド国王家を嫌っています。―――あの時の彼女は、グリューエル国王家ゆかりの方に嫁ぎましたので、当たり前のことですわね」
イブシラ様が悲し気に言った。
大けがをした医師の娘は大使に手厚く保護され、その縁もあって、今から数年前に大使のご子息と結婚したそうだ。
大使はグリューエル国のグレイン公爵であり、グリューエル国王の弟でもあったため、正確にグリューエル国に事実が伝えられた。
この件でジェンド国はグリューエル王家にすっかりと嫌われてしまったとのことだ。まあ、当然のことだろう。
「―――それでも、私をジェンド国の追手から匿ってくれたのは、彼女が嫁いだグレイン公爵家の方々でした。そして、アースクリス国へのつなぎを取ってくれたのも」
戦争が始まる前にグリューエル国へと留学したイブシラ様は、ずっとグレイン公爵家で護られていたそうだ。
ジェンド国王からの追手が長年イブシラ様を見つけられなかったのは、グリューエル王家が匿ってくれていたからなのだ。
お読みいただきありがとうございます。




