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144 ぶちゃいくにゃの?



「まあ。服が汚れてしまうわよ。いいから、立ってちょうだい。私は顔が見えないのが嫌なの」

 マリアおば様がそう言うと、驚いたように何人かが顔を上げた。


「でも、えらい人のかおを見たら、『ぶれいもの』ってムチで叩かないの?」

 まだ6・7歳くらいのアンベール国特有の濃い肌色の男の子が顔を強張らせて言うと、他の子供たちも怯えたように腕をおさえたり頭をかばったりしながらこちらをうかがっている。

 なんてことだ。こんな言葉や条件反射のような行動が出てくるということは、子どもに対してもそんなことをしてきた貴族がいるという証拠だ。許せない!!


「まあ。顔を見ないとお話出来ないでしょう? 誰であってもお話をする時は相手の顔を見る。これが大事なのよ」

 マリアおば様が優しく子供たちに話しかけた。

「今まで住んでいた所ではそうだったかも知れないけれど、ここでは顔を上げて、相手の顔を見て話してちょうだい。私の顔を見たからと言って罰するなんて絶対にしないわよ」

 マリアおば様がしゃがんで男の子の手を取って立ち上がらせ、手や足についた土ぼこりを手で払ってあげていた。

「ほ、ホントに?」

「ええ。ほら、あなたたちもお立ちなさい」

 そう言って、数人の子供の手を取って次々と立たせて先ほどの子供と同様に土ぼこりを払う。

 そんなマリアおば様の行動を見て、難民の女性たちが驚いている。

 それもそのはず。貴族が平民の子供の手や服についた汚れを払うなんて、アースクリス国の貴族であってもなかなかしないことだ。

 しかもマリアおば様は高位貴族であるデイン辺境伯家の奥方。辺境伯は、アースクリス国では侯爵位と同等の権力を持っているのだ。


 生まれながらの貴族は身の回りのことはすべて侍女や従者が行う。

 自分が物を落としたとしても自らが拾うことはなく、付き従う者が拾う。それが普通なのだ。


 けれど、そんな生まれながらの貴族であるマリアおば様は、『教育者』という顔を持っている。

 そして、マリアおば様は私の令嬢教育の先生だ。

 バーティア子爵領の商会の家に通ってきてくれて、マナー教育だけでなく、家庭教師もしてくれている。

 

 マリアおば様に身分制度を順序だてて教えてもらった後に付け加えられた言葉は。

『相手が誰であってもちゃんと話を聞くこと』だった。

『貴族であっても、平民であっても、先入観を持たずに自分の眼で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭できちんと考えなさい』と、そう言った。


 その言葉でマリアおば様が身分に関係なく、平等な考えを持っている人なのだということが分かった。


 私の家族でもあるバーティア子爵家やデイン伯爵家の皆は貴族なのだが、貴族や平民、身分に関係なく関係を構築している。

 クリスウィン公爵家の方達も、クリスウィン公爵はパン屋に気軽に入ってきて平民の話を真剣に聞いていたし、わらびを見つけた時も、リュードベリー侯爵や王妃様も領民の人たちと平気で話していたような気がするから、アースクリス国の貴族ってそういう人が多いのかな?


 でも、サラさんやサラサさん母子を見放した領主や、私腹を肥やすために教会の維持費を横領した貴族に、人に危害を加えたミンシュ伯爵とかろくでもない貴族もいるから、―――たぶん私は周りの人たちに恵まれているのだろう。


 うん。私は本当に幸せだ。


「そもそも貴族の顔をちょっと見たからと言って罰する方がおかしい」

 うん、ホークさん。私もその通りだと思う。

 貴族様の顔が何だっていうんだ。貴族は人間であって、神様じゃない。

 心の目が汚れている人間が神様を見たら、その神々しさに目が潰れるとか聞いたことがあるけど、そんなクズな人間の顔を見たって誰にも罰はあたらないはずだ。


「どうちて、かおみちゃいけにゃいの? ぶちゃいくにゃの?」


 私の言葉にリンクさんとローディン叔父様がぷはっと吹き出した。

「くくっ……そうだな。そういうやつらは『心が不細工』なんだ」

「そうそう。アーシェ、覚えておいで。そんな奴らに碌なやつはいない」


「ふふ。不細工、ね。―――そんなことを言う時の顔は、大抵不細工になっているものよ」

 ローズ母様が誰かを思い出したかのように言う。

「そうよ。アーシェラちゃん。顔を見ただけで『無礼者』だなんて言う人には近づかないこと」

 みんなの言葉に相槌を打ったマリアおば様の言葉に『あい!』と返事を返した。


 難民の人たちは、私たちの会話で、ここでは貴族の顔を見ても罰せられないのだと納得してくれたらしい。

 全員がめいめいに立ち上がり、おずおずと顔を上げた。



「さあ! ちょうど新作の料理が出来た所なの。食べて、作り方を覚えてちょうだい」

 柔らかな笑顔でマリアおば様が勧める。


 追加の天ぷらをローディン叔父様とリンクさんが手早く揚げ、カインさんが塩を振って天ぷらをそれぞれに渡した。

 よもぎはたっぷり摘んであるし、菊の葉はすぐそこからいくらでも採れる。

 彼らは、貴族が調理をして自分たちに振る舞っていることに驚愕している。

 そして、『温かいうちに』と急かされて、恐縮しながらも口に運んだ。

 こんなことは生まれてはじめてだったのだろう。


 そして恐る恐る食べた、よもぎの天ぷらという料理は驚くほど美味しかったみたい。

 目を丸くして、頷き合っていた。


「! ……美味しいです」

 大人たちは小さな声で。子どもたちは素直に、大きな声で。

「おいしーい!」


 よもぎの天ぷらを食べたら、少しだけ緊張が薄れたのか、数人の女性たちが重い口を開けた。


「……これ、よもぎなんですね。こうやって食べるといいんですね」

「生で食べてお腹を壊したことがあったんです」

 うん。加熱しないと苦いし食物繊維が多いから生食での大量摂取は控えた方がいいかも。

「タラの芽もこのように調理するとおいしいのですね」

「キクの花びらが食べられるだけでも驚いたのですが……葉も食べられるのですね」

 女性たちは初めての揚げ物料理と、葉っぱが食べられることに驚いていた。


 ふと、ジェンド国から祖父母と孫二人で逃げて来たというおじいさんと目があった。

 おかわりしたキクの葉の天ぷらを孫に分けてあげているおじいさんとおばあさん。


 相手が子どもならいろいろ話してくれるかな。


「ごはん、ちゃんとたべてりゅ?」

「ああ、ちゃんと日に三回。食べさせてもらってるよ」

 漁船で逃げてきたというおじいさんが話してくれた。周りにいた女性たちもこっくりと頷いた。

「おじいしゃん、おしゃかなとりゅひと?」

「ああ。だが、高齢のせいか、古傷がうずいて左腕が上手く動かなくてな。漁師としてはもう使い物にならなくて、近ごろは農夫として働いていた。漁師だった頃の小舟を洞窟に隠してあったからこうやって逃げてこれたんだよ。ばあさんと必死に漕いでな」

「―――ええ。浸水して、沈没寸前だった舟からデイン領の漁師が助けたのですよ」

 カインさんがおじいさんの言葉にそう付け加えた。


 おじいさん達は息子と嫁を早くに亡くし、残された孫たちを育てていたが、食べて行くことが出来なくなって幼い孫を連れて小さな漁船でジェンド国から決死の覚悟で逃げてきたのだと、少し唇を震わせながら話していた。

「老い先短い私らまで手厚く保護して下さって、ありがとうございます」

 と。話しながらホークさんに頭を下げていた。


 私は、どうしてアースクリス国に逃れてきたのか聞いてみた。

 三国はアースクリス国との国交を断絶している状態なので、普通であれば平民たちはアースクリス国のことを知ることは容易ではない。

 こっちにはインターネットもスマホもないのだ。どうやって情報を得たのか。

 同盟国であるアンベール国やウルド国ではなく、どうしてアースクリス国を目指したのか気になっていたのだ。

 そしたら、おじいさんだけでなく、女性たちもいろいろと話してくれた。

 やはり子供相手なら話しやすいみたい。


 そして、みんながいろいろ話してくれたことを要約すると、こうらしい。


 脱出してこれたのは海岸線近くに居住する人たちやその親戚にあたる人がほとんど。

 港町には、他の大陸の交易商人が立ち寄る。

 その交易商人はアースクリス大陸のすべての国と交易があったため、その交易商人が、ウルド国やアンベール国の状況、そしてアースクリス国の状況を教えてくれた。

 そこで同じ大陸にありながら、アースクリス国が不作にも凶作にもなっていないことを知ったそうだ。


 そのことは秘かに漁村から農村まで伝わり、故郷で餓死するのを待つより、『アースクリス国が難民を受け入れている』という交易商人の情報に縋って脱出して来たとのことだった。



「ここにいらっしゃる皆さんは、希望を聞いて職に就いてもらうつもりです。今は稲作がはじまったので、畑やコメに携わるいわゆる農家、コンブの加工品作りや海産物の加工場の従業員、漁師も選択肢に入りますね」

 カインさんの言葉に、皆が驚きで目を見開き、そして嬉しそうに言った。


「働ける場所を自分たちで選べるなんて嬉しいです」

「ええ。私たちが逃げないように、ずっと監視されて働かされていたから」


「かんし!?」

 驚く私に、女性たちが『そうなの』と頷いた。


 ―――逃げないように、って。

 民たちが住み慣れた土地を捨てて逃げなければならないようなことをする方が悪いんじゃないの!?

 うわああ! そんなことをするやつに腹が立つ!!



 その言葉を聞いて、ホークさんが目を瞑って頷いた。

 こういう皆の気持ちを何度も聞いてきているのだろう。

 そしてゆっくりと目を開け、女性たちを見ると穏やかな声で言った。

「海産物の加工品は新しいものが増えることが決まったから、人手が必要だ。落ち着いたら考えてみてくれ」


「ええ。この天ぷらにちょっと似たものでね。とっても美味しかったのよ」

 マリアおば様が楽しそうに微笑む。

 マリアおば様の先ほどの行動と裏表のない優しい笑顔に、避難してきた人たちは心を動かされたのだろう。多くの人がほっと安心したかのような顔になった。


「大丈夫よ。ちゃんと雇用契約書を用意するわ。不当労働なんてもってのほかよ」


「字が読めない人にはちゃんと祖国の読める人を付けて説明してあげるから心配しないで。教会(ここ)は周辺の子どもたちに読み書きを教えるところでもあるの。読み書きを覚える気があるなら、あなた達も授業を受けていいのよ」

 そうだった。三国では基本的に貴族階級しか教育を受けられないという。

 貴族と平民の格差がありすぎるのだ。


 だから、お金がかかる学校に行けない者たちは底辺の仕事しかさせてもらえない。

 読み書きが出来ないことを利用され、不当な雇用契約で一生を棒に振る人たちも大勢いると聞いている。


 マリアおば様の言葉に、難民の女性たちや老夫婦が目を見開いた。

 そして『まさか教育まで受けさせてもらえるとは思っていなかった』と呟くと、女性たちがこらえきれなかったかのように、ポロポロと涙を流しながら気持ちを口にした。



 本当は、到着したと同時に殺されてしまうかもしれない。

 無体を働かれ、自分も子どもも売り飛ばされてしまうかもしれない。

 奴隷として働かされるかもしれない。

 ―――そう思って来たのだそうだ。

 

 けれど。現実は驚くことばかりだった。


 温かい寝床と三食の食事を与えてもらった。

 故郷で鞭うたれて負った傷を癒してもらっただけでなく、わらびの毒を中和する解毒剤をもらった。

 それには本当に驚いた。

 何年も食べ続けて来たわらびの毒素のせいで、長生きすることは諦めていたのに。

 生きていていいのだと、未来を貰った気がしたのだと。


 こうして良くしてもらえるのには何か裏があるのではないか、と怯える彼女たちのもとに、先に難民として避難してきた同郷の人たちが何度も何度も足を運んできて、言ったのだそうだ。


 『ここは、平民の私たちが『人』として暮らしていける場所なの』と。


 祖国では平民は替えのきく道具のように扱われてきたということだった。


「わらびの毒を中和してもらえて、早逝する運命を変えて頂いただけでなく―――生きていくための職業を選ぶ自由を享受できるなんて、ほんとうに嬉しくて」

「文字を覚えるためにはお金が必要だったので、平民の私たちは自分の名前くらいしか書けません……」


 女性たちの言葉を聞いたマリアおば様が、ゆっくりと頷くと、柔らかく微笑んだ。


「アースクリス国では、読み書きや計算などの基礎教育は無料で誰でも受けられるの。うちの領にいるのだから、あなた達も授業を受けられるわ。いつかあなた達が祖国に帰ることを選択する時が来たとしても絶対に役立つでしょう」


 マリアおば様の言葉で再び涙腺が決壊した女性たちが声を上げて泣き始めた。


「まあ! どうして泣くのかしら!」

 

 私が生まれたアースクリス国では、平民であっても基礎教育を受けることができる。

 そして、働いて日々の糧を得る。それが当たり前のこと。

 こんな当たり前のことが、三国では容易ではなかったのだ。


 教育を受けることも平民ということで出来なかった。

 職業も選ぶ自由など与えられなかった。

 それでもそれが三国では普通だったのだ。



 これまで国から虐げられてきた彼女たちにとって、マリアおば様の言葉の数々が心の深いところに染みわたったのだろう。


 泣きながら嬉しそうに何度も『ありがとうございます』と頭を下げていた。



 難民の支援は一領主としてやり続けるにはとても大変なことだ。

 それでも、そんな大変なことを心を砕いて最善にしてくれているのは、デイン伯爵やローランドおじい様、ホークさんやマリアおば様をはじめとするデイン辺境伯領のみんなだ。


 こんな大変なことを当たり前のようにしてくれる、マリアおば様やデイン伯爵家のみんなのことが、もっともっと好きになった。



お読みいただきありがとうございます。

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[一言] 優しい世界ですね…
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