129 ほどけていく思い
ウルド国側のお話です。
「そういえば。アウルス子爵領ではソバがあるんですよね?」
「ああ。麦が育ちにくいのでな、独特の風味があるが、ソバも美味い」
「一握りくらいでいいので種を貰えないでしょうか? 姪へのお土産にしたいのです」
「土産?」
「一緒にソバの種を植える約束を姪としたのです」
「―――貴族である貴殿が農作業を?」
ソバは観賞用ではない。植えるのなら畑に植えるということだ。
「ええ。祖父の方針で私は子爵を継ぐ数年前から、子爵邸ではなく街で庶民と同じ暮らしをしているのです。そうすることで領民がなにを必要としているか肌で感じろと。―――子爵を継いだ時にそれが活かされるからと」
「それは、素晴らしい教えですね」
「ええ。祖父はもともと教育者だったので、『何事も実体験してこそ身につく』と教え込まれました。そういった経緯で、もう4年近く領民と同じ暮らしをしてきました。メイドも従者も置かず、身の回りのこと、食事作りから洗濯、掃除まで。姪の離乳食を作って食べさせたりと、すべて自分たちでこなしてきました」
彼の言葉に驚いた。てっきり世話係を置いているものと思っていた。
没落して平民におちた貴族ならともかく、自らその生活をするとは考えられなかったからだ。
着替えですら従者にしてもらっていた貴族が、突然そんな生活をはたして出来たのだろうか。
「本当は自分たちだけで出来るとは全く思っていませんでした。食事も買ってきたものだけで済ませたりと、私たちだけなら何とか誤魔化しつつ生活して行ったでしょう。けれど、赤ん坊にはそれは通用しません。―――お風呂に入れて着替えをさせて……。掃除をしなければ埃で咳をするので掃除も覚えました。―――そのうち離乳食を作ることになって、その離乳食はどうやって作るのか、食材は安全なのか、そしてそれはどうやって育っているのか、と。―――農作業をするようになったのは、それがきっかけでした。あの子には私自身が納得した安心で安全なものを食べさせてあげたかったので」
バーティア子爵が両手を見ながら微笑んだ。
その手に赤ちゃんを抱いているような感じだった。
私とて、自分の子供はとても愛おしい。
彼のように自らの手で育てたのでなくても可愛いのだ。
彼は自ら手をかけて育てた分、可愛さも愛しさもひとしおなのだろう。
それにしても、生まれつき貴族である彼が平民と同じ暮らしをしているとは思わなかった。
彼からは平民を下に見るような高慢さは感じられない。それがとても気持ちいい。
いつの間にか私は彼を相手にいろいろな事を話していた。
かつて私は、王都で送った二年間の学生生活で、王都や周辺をまわり、ウルド国の実情を知ったということ。
ウルド国では学院に入学し教育を受けられるのは貴族のみだ。
平民はせいぜい名前を書けるくらい。
大貴族の領地のように平民の通える学校が領地にあればいいが、そうでなければ読み書きが出来ないまま一生を終える平民が大多数だった。
文字が読めないことを利用されて、ろくでもない契約書に署名をさせられ酷い目にあっている。
でも、地方の一領主の後継ぎという立ち位置では、王都やその周辺のことに何も手を出すことは出来なかった。
だからこそ、せめて領地だけは、と。
王都の学院を卒業した後、アウルス子爵領の改善に力を入れたのだ。
大事なのは、教育。
まずそれが無くてはいけない。
読み書きが出来ない者でも、基本的に自分の名前だけは書けるように教えられる。
だが、それを利用されて、ろくでもない契約書に署名をさせられ一生を棒に振ることもあるのだ。
書類が読めさえすれば、そんな詐欺にひっかけられることも減らすことも出来る。
だからこそ私は、王都の学院を卒業して領主代行に就いた時、領地改革のまず一歩として、アウルス子爵領の領民に読み書きと計算を教えることにしたのだった。
そして、自ら進んで領民に読み書きを教えたことで、領民を導くために自分が次に何をすべきか自然と感じ取ったのだ。
問題点をみつけて改善する。
それはただ安穏と報告を受けるだけではみつけることが出来なかっただろう。
まずは自分が実際にやってみる。
それこそが大事なのだと、身に沁みた。
だから、灌漑施設を構築する作業にも積極的に参加した。
ソバを植え、畑の雑草を取ったり、畝を整えたり。農作業も積極的に。
領民と共に汗を流した。
今では妻や子供たちも一緒に楽しんで農作業をするようになった。
領主となってから十数年経ち、アウルス子爵領にいろいろな職業が増えた。
教師、薬師、治療師をはじめ、自分の店を起業する者など。
領民たちを援助して教育を受けさせた結果、自分の名を書くことも出来なかった子供たちが成長してアウルス子爵領に戻ってきて、さらに今は自らの後に続く者を育ててくれている。
やはり教育はすべての土台なのだと実感した。
私の経験を話すと、バーティア子爵が『同感です』と頷いた。
彼とは話がとても合いそうだ。
「―――祖父は魔法学院で長く教鞭をとっていました。だからこそ平民にも教育が大事だと思っていたのですね。祖父の長年の政策の結果、うちの領民は全員読み書きが出来ます」
先ほど会ったクリスフィア公爵やアースクリス国の国王陛下も、バーティア子爵の祖父の生徒だったそうだ。そんな方が領主として導いてきたバーティア子爵領はどんなにか素晴らしいだろう。
バーティア子爵はそんな祖父が誇りなのだろう。私が心の底から称賛すると、嬉しそうに微笑んだ。
バーティア子爵を見ていると、彼を育てた祖父がどのような人物なのか想像がつく。
厳しくも、人を慮る優しい方なのだろう。
「すみません。話が逸れました。―――そういう経緯もあって、耕作地で農民と一緒に農作業もしているのです」
「ええ。分かりました。ソバの種をお分けしますよ。育て方と食べ方もお教えします」
「ありがとうございます。ではキクの花が咲いたら、私がキクの花の料理の仕方をお教えします」
バーティア子爵がにこりと笑った。
「キクの花が咲くのはいつになるか分かりませんが……」
「根付きは確認しました。あと咲く条件としては―――おそらくはアウルス子爵の決意次第ということでしょう」
やはり、彼は私の出自を知っていたのだ。先ほどの会談で私が告げられた内容のことも。
「―――かつてこれほどまでに民に恨まれた王族はいません。―――私は、この身に流れる王家の血がおぞましく感じるのです」
父のことは大好きだった。
けれど、同じ父の血を分けた弟たちがしてきた現実をさんざん見せつけられて、彼らと同じ血が入っているのかと思うと自分で自分が嫌になるのだ。
「私は―――血と人格は別物だと思っています」
バーティア子爵は一度目を伏せると顔を上げて静かに話し出した。
「私事ですが、私は父を尊敬していません。実の父ではありますが成長していない子供のようだと思っています。―――父ならば子の見本になるような立派な人であって欲しいと何度思ったか知れませんが」
―――それは、私も弟たちに対して思ったことだった。
王族ならば民の手本になるような、民の為になるような政治をして欲しいと何度思ったか。
「私の父は性懲りもなくあちこちで借金を重ね、その借金の肩代わりを姉の結婚相手にさせるような恥知らずです。おまけに子を亡くして実家で療養するべき姉を、金を引き出すための道具として婚家のクリステーア公爵家に留めようとしたクズです」
吐き捨てるように彼は言った。大きな声は出していないが、彼の父親に対する怒りがこちらまで伝わってくる。
「私が父の血を引いていることは事実で、それは絶対に変えることなどできません。だからこそ―――私は父のような人間には絶対になりません。そう決めています」
あなたもそうではありませんか? と彼の視線が言っている。
「あなたの弟たちはあなたと血のつながりはあっても、あなたは彼らとは違う人間です。彼らのような人間になるおつもりですか?」
―――あんな、卑怯なことをする人間に。
受け継がれた血。
それは絶対に変えようの無いものだ。
ウルド王国の歴史を紐解くと、同じ王家の血を引いていても、すべてが賢王ではなく、凡庸な王や愚王が入り混じっている。―――それは、それぞれが生まれ持った人格の結果だ。
バーティア子爵の言葉は不思議と心に響いた。
私はずっと、弟たちと同じウルド王家の血が流れていることを嫌悪してきた―――その血の呪縛がとろりと解けていくような感覚がした。
私の出生の秘密を知る妻も、『あなたは彼らとは違う』のだと言っていた。
―――やっと彼女の言った言葉を受け入れられたような気がする。
それは形は違えど、ろくでもない血縁者を乗り越えたバーティア子爵がいたからこそ、私もやっと受け入れることができるようになったのだろう。
彼は血は血として受け入れ、その上で父親は自分とは違うのだと。そんな人間にならないのだと、散々葛藤した上で自分の中で乗り越えたのだろう。
「私の父と、―――アウルス子爵の弟君たちとは重みがまったく違いますね。申し訳ございません」
「いや。君の言いたいことは分かっている。―――私は、弟たちのようなことは、絶対にしない。するわけがない」
「―――お父君はどのような方だったかお聞きしてもいいですか?」
「私の父は―――民の安寧を深く願っていた方だった。お腹がすいて泣いている民を無くしたい。読み書きができなくて底辺の仕事しかさせてもらえない平民を減らしたい。お金が無くて治療師に診てもらえずに命を落とす民を無くしたい。―――その為に力を蓄えているのだとおっしゃっていた」
志半ばで暗殺されてしまった父。
父は王宮にほぼ閉じ込められて過ごしていたが、王都の現状を、ウルド国の現状を知っていたのだ。
「それは―――これまでに、あなたがアウルス子爵領でしてきたことですね」
「―――そう……私は父の言葉を胸にアウルス領の改善を図ってきたから」
私はアウルス子爵領を父が言っていたようにしたかった。
父の言っていた願いは、いつしか私のものとなっていたからだ。
結果が見えてきた時―――伯父や義父に称賛されたが―――本当は、誰よりも、父に『よくやった』と褒めて欲しかった。
もう、その父に会うことも声を聞くこともかなわないけれど。
かつて私は、王都で送った二年間の学生生活で、王都や周辺をまわり、ウルド国の実情を知った。
父が改善しなければならないとずっと言っていたのが分かるほどの惨状だった。
でも、地方の一領主の後継ぎという立ち位置では、王都やその周辺のことに何も手を出すことは出来なかった。
だからこそ、せめて領地だけは、と。アウルス子爵領の改善に力を入れたのだ。
あれから20年以上が経ち、王都やその周辺の現状はさらに悪くなっている。
「お父君は、ウルド国を今のアウルス領のようにしたかったのですね」
私は目を瞑り、ゆっくりと頷いた。
そう、父はウルド国を皆が笑って過ごせるようにしたかったのだ。
もう父には出来ないこと―――ならば。
「私に、出来るだろうか―――」
小さく、そう呟いた時だった。
私と、バーティア子爵の間にあった、キクの花の蕾がふわり、と優しい光を放った。
お読みいただきありがとうございます。




