117 セーリアの神獣
セーリアの神様は男神なのだそうだ。
「壁画に描かれている銀色のフクロウは、セーリアの神様の使いなのです」
「しょうなんだ」
まずは祭壇にお供えをして、手を合わせる。
お供え物は、ドーナツにした。
神殿への供物は、クリスウィン公爵領に身を寄せている難民や保護されている人達にまわされるということなので、王都でツリービーンズ菓子店が行うお供えと同じものを、と思ったので、菓子箱にたっぷり用意してきた。
このドーナツはバーティア子爵邸の料理人さんが作ったものだ。
実は、ツリービーンズ菓子店の隣にバーティア商会の王都支店を作ることになったその日の夕方、さっそくバーティアの王都別邸の料理人さん達であんこ作りやドーナツ作りの訓練(?)をしたのだ。
料理人さん全員が納得できる仕上がりになるまで作り続けたので、その努力の結晶である大量のドーナツが私の魔法鞄に入っている。
ちなみにその翌日デイン伯爵家別邸でも同じことをしたので、その分も私の魔法鞄に収まっていた。
『なんだこれは。はじめて供えられたものだな』
不意に不思議に響く声が祭壇の上からした。その方向へ目を向けると―――見事なタテガミの―――小さな金色の光を帯びたモノが宙に浮いていた。
ええええええっっ!!??
びっくりしすぎて声が出ない。
―――金色のたてがみのある猫がふわふわ浮いている???
金色の体毛に金色のタテガミ。金色の瞳を持った成猫ぐらいの大きさの猫―――猫??
違う―――猫っていうより、獅子に見える。
―――金色の、獅子。
そうだ、これは猫じゃなくて獅子だ。
―――どこかで、『正解』と誰かが教えてくれた気がした。
―――なんで浮いているんだろう。
それになんでちっちゃいんだろう??
子どものライオンならまだタテガミはないだろうし??
こっちの世界では成獣でも小さいのかな?
いやいやいや、金色のオーラを纏っている時点で、野にいる獅子とは違うよね?
獅子の精霊なのかな??
それにしても。
誰にも、金色に光る獅子の姿は誰にも視えていないのか。皆普段通りの表情だ。
ねえ、目の前の祭壇のちょっと上に、金色の小さな獅子様が浮かんでるよ。
ほら、祭壇のまわりを右に左にちょろちょろ動いてるけど―――誰にも視えていないの??
リンクさんもローズ母様も、神様の壁画や聖堂の中をゆっくりと見回している。
クリスウィン公爵やリュードベリー侯爵、ディークひいおじい様も同様だ。
どうやら誰も何も言わないから、ちょろちょろ動き回っている金色の物体が視えていないらしい。
私だけなのかな??
あ。王妃様が目を見開いて祭壇の上方を見て固まってる。そう、今はそこにいるんだよ!
ということは、王妃様にも見えているのだろう。
―――やっぱり。私の見間違いではないよね?
でも、見えているのは私と王妃様二人だけなの??
頭が混乱しているうちに、獅子はふわり、と金色の光の名残を残して消えてしまった。
「……っ」
びっくりしすぎて言葉が出ないまま、金色の獅子が消えたあたりを見つめていると、王妃様が私の側に来て小さな声で『あとでね』と言った。
王妃様は、さっきの金色の獅子について何か知っているみたいだ。
◇◇◇
「セーリアの神様は、ウルド国だけではなく、ジェンド国やアンベール国でも信仰されているのですよ」
セーリア神のことを知らない私にサンダーさんが教えてくれた。
「セーリアという国がこの大陸から遠い遠い場所にあります。ウルド国、ジェンド国、アンベール国はその大陸の周りにあった島国だったのですが、ある時天変地異によって島国が切り離されて沈んだのだそうです。脱出した者の船は―――何故なのかは知りませんが、セーリア国には行かず、このアースクリス大陸へ辿り着いたそうです」
「どうちて?」
不思議だ。すぐ近くのセーリア国の方が移住先にはものすごくいいのではないだろうか。
私の疑問にサンダーさんはわからない、と首を振った。
『お前らの祖先が、神様を怒らせたからだ』
またさっきと同じ声が聞こえた。
視線を声がした方向に目を向けると、セーリア神の壁画の前に金色の獅子が浮かんでいた。
「かみしゃまがおこった?」
心に浮かんだ疑問のまま口にすると、金色の獅子は、金色の瞳を意外そうに見開いた。
『ほう? 我が見えておるのか』
獅子が面白そうにそう言った次の瞬間、私のいる空間の空気の色が変わった。
「―――ふえ?」
どこ? ここ?
ローズ母様や王妃様はどこ?
別の空間に連れてこられたのだと、頭の片隅で理解していたけど、―――ここはどこなんだろう。
さっきまで、神殿の長椅子に座っていたはずなのに、なにもない。
ただただ白い空間だ。
『―――なるほど。魂の彩がオパールのようだな。小さき者よ。そなた、女神の愛し子だな』
気が付くと、どこまでも白い空間に金色の獅子が目の前に現れて、金色の瞳でじっと見ている。
びっくりしたけど、獅子の大きさは成猫くらいだったので、どことなくかわいらしい。
獅子の精霊なのかな?
でも、コミュニケーションを取るには、まずは挨拶しなきゃ。
挨拶は基本。相手を知るにも、人間(?)関係を作るにも大事なことだ。
相手が精霊なのか何なのかは分からないから、まずこちらから名乗ろう。
「はじめまちて。あーちぇらでしゅ」
ぺこり、と頭を下げると。
『うむ。アースクリス国で言葉を交わすのはそなたがはじめてだな』
そうなの?
『我はセーリアの神の使いだ』
小さな獅子がそう名乗る。この声には荘厳さと力が宿っていた。
神の使いというなら、『神獣』ということだろう。
あれ? でも、セーリア神の使いは、銀色のフクロウだったはずだけど。
―――でも、この獅子も神獣だ。
こうやって直接会ってみて、分かった。
生物的な獅子ではありえない。
圧倒的な力が凝縮された―――超越的な存在だ。
―――ふと、瞳の奥が熱くなって―――獅子の後ろに何かが見えた。
獅子よりも、圧倒的な力を持つ、銀色の―――
「ぎんいろのかみしゃま……」
見えたままに、ぼそりと呟くと。金色の獅子がにやりと笑んだ。
『ほう。我が神が見えたか』
「へきがの、きんいろのかみしゃまと、おにゃじかお!」
壁画に描かれた金色の髪の神様は右目が銀色で左目が金色だ。
目の前の獅子に重なるように見えたのは、銀色の髪に右目が金色で左目が銀色のオッドアイ。
壁画の神様と瞳の色が逆で、銀色の髪の神様が―――視えた。
「ぎんいろのかみの、かみしゃま!」
獅子の神獣は満足そうに頷いた。
『そうだ。我が神はセーリアの一柱』
んん? それならどうしてセーリアの神殿に銀色の神様の壁画が無いんだろう?
「へきが。きんいろのかみしゃまだけ?」
『ああ。だがセーリア大陸をお創りになられたのは、まぎれもなく二柱の神様なのだ』
神獣がそう言うならそれが事実に違いない。
それならなおさら、どうして一柱の神様だけ壁画に描かれているんだろう??
◇◇◇
セーリア神は二柱だという。
あ。それなら。
私は魔法鞄からお菓子の箱と聖布、きれいなお皿を呼び出した。
私の魔法鞄にはお菓子だけではなく、お皿などの食器やフライパンなどの調理器具も入っている。
前世で災害を経験したので、有事の備えは絶対に必要なのだ。
なので、防災鞄よろしく魔法鞄にはいろんなものを入れている。
「せーりあのぎんいろのかみしゃま。しんじゅうしゃま。どうじょ」
折り鶴用に聖布を大小持ち歩いていてよかった。
菓子箱から金色の大きな聖布を敷いたお皿に乗せかえて獅子の神獣の前に差し出す。
『ほう。先程のお供えと同じものだな!』
「あい。どーなつでしゅ」
さっきは知らなかったから、金色の神様に捧げた。
けれど、セーリアの神様は二柱。
銀色の神様にもお供えは必要だろう。
『変わった子どもだな。アースクリスの女神の愛し子のくせに、先ほどもセーリアの金色の神様にも祈りを捧げていたな』
その言葉は私にとって不思議だった。
「どうちてでしゅか? いろんなかみしゃまにおいのりしちゃだめにゃの?」
『そういうわけではないが。この国でも創世神のみの信仰であろう」
「ひとしょれじょれでしゅ」
主神はアースクリス国の女神様だけれど、私は、他の神様も精霊もいて当たり前だと思っている。
もともと、八百万の神々がいると言われた世界を前世に持つ私だ。
万物には神様や精霊が宿ると信じられていたし、そう思ってきた。
それに前世でも母方に『視える』人がちらほらいたので信じずにはいられなかった、というのが実情だ。
山の別荘で天狗様がいたという話には驚いたものだが。
まあ、日本という国はいろんな神様を信仰し、どの国の宗教も私が生きていた時代では受け入れていた。
こちらの世界に転生して、他の遠くの国で、考えの違う宗教を引き合いに出して争い事が起きているのを聞いて、なぜ寛容に許しあわないのだろうと不思議だった。
信仰自体に争う必要などないだろう。
信仰心とは強要されるものではないし、改宗しろと強要しても反発を生むだけだ。
どの神様を信仰していても問題ないと思う。
そして、たくさんの神様がいるのだから、いろいろな神様に感謝を捧げたりお祈りするのに何の抵抗があるだろう?
「かみしゃま、いっぱいいりゅ」
「たしかにな」
神獣が言うのだから、その通りだろう。
「いろんなかみしゃまがいりゅ。あーすくりすのめがみしゃま。せーりあのかみしゃま。くおんこくのかみしゃま。たいりくをちゅくったいろんなかみしゃま。それに、みじゅのかみしゃま。かぜのかみしゃま。つちのかみしゃま。ひのかみしゃま。うみのかみしゃま。やまのかみしゃま。かわのかみしゃまに、ひかりのかみしゃま。かたなかじのかみしゃま。のうこうのかみしゃま。もりのかみしゃまに……」
数多ある世界も。太陽も月も星も。人が作れるものではない。
野をかける風が種を運び、種は土に宿る。種は水と太陽で芽吹き育つ。そして、火は不浄を焼き恵みをもたらすのだ。
それらはすべて創世神や従属神、万物に宿る精霊様のおかげなのだ。
だから、別の大陸の神様でも祈りを捧げることに抵抗などない。
どうやらそういう考えは特殊なのか、金色の獅子は驚いているようだ。
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