114 たまごのきょうふ
さて、時間的にあと一品くらいなら出来るかな。
次はストーンズ料理長にやってもらおう。
山芋料理をブロン副料理長や他の料理人さん達がやっていたので、『私もやりたい!』と視線で訴えて来ていたのだ。
厨房に戻り、フライパンにお出汁とめんつゆを入れ、くし切りにしたたまねぎと一口大に切った鶏肉を入れて煮立たせる。
そこにたっぷり溶いた卵液を流し入れて、蓋をして少し加熱。いい半熟状態で火を止めてミツバを散らした。
そう、これは親子丼だ。
それをとろろご飯と同じく、深めの皿にご飯をよそって、具をのせ、つゆだくにした。
ああ。半熟具合が最高~!
そう思っていたのに。
「完全に固まっていない卵を食べて大丈夫なのでしょうか?」
「お腹壊すのではないでしょうか?」
「このままではダメです! もう一度加熱しましょう!」
そんな会話が料理人さん達の間で飛び交い、盛り付けを止められてしまった。
え? 何を言っているのかな? 今がベストなんだけど。
もっと加熱したらトロトロの美味しい所が固まってしまうよ。
「卵は完全に火を通さなければお腹を壊してしまいますよ」
ブロン副料理長が私にそう言った。
「おにゃかこわす? って……このたまご、ふるい?」
「いいえ。産みたての卵を毎日仕入れております。この領民の皆さんからの贈り物の卵も今朝産みたてで、ちゃんと浄化魔法もかけております」
「しょれならだいじょぶ。なまでもたべりぇる」
確か冬場は二カ月弱、春と秋はだいたい25日間くらいは食べられるはずだ。
前世では季節で変わる賞味期限を、年間通してパック詰めから二週間を賞味期限の目安にしているという話を聞いたことがある。
それで考えれば、今朝産みたての卵なら絶対に生で食べたとしても大丈夫だ。
それなのに、私が生でも食べれると伝えても、料理人さん達は動かない。
『旦那様たちにあぶない料理は出せない』というオーラがありありと見えている。
むう。その危ないとあなたたちが思っているものは、私が目の前で食べれば納得するのかな。
そんなことを言ったら、これから作るとろとろオムライスだって、仕込んでおいた半熟卵だって食べられないじゃない。
とろとろオムライスのとろとろは半熟なんだからね!
料理人さん達の『絶対引かないぞ』という緊張感の漂ったそこに、のんびりした声がかかった。
「ん~? 卵ってお腹壊すのか? おれは半熟の方が好きだが、一度もお腹を壊したことはないぞ」
リンクさんが当たり前のように告げると、料理人さん達が『え!?』と目を見開いた。
「以前は、しっかり火をとおしたオムレツや目玉焼きばかり食べていたが、バーティアの商会の家では基本過熱を控えて半熟にしている。ずっと食べてきたが、お腹を壊したことがない」
ローズ母様もリンクさんの言葉に、にこやかに笑って同意した。
「ええ。逆になぜ今まで半熟にした卵料理が屋敷で出てこなかったのかしら、と思ったわ。―――大丈夫。お腹は壊しませんわ。私たちが保証します」
リンクさんやローズ母様、ローディン叔父様は、全員貴族。
つまり、料理をしたことのない、全くの初心者だったので調理方法について全く先入観がなく、私が半熟に作った卵料理を何の疑いもなく受け入れて食べていた。
『完全に火を通さない卵は危険』という料理人さん達共通の認識がローズ母様たちにはなかったのだ。
私もそんな認識があったとは知らなかった。
前世で当たり前のように『卵かけごはん』を食べてきたのだ。
殻に付着したサルモネラ菌のせいで十分な加熱をしないと食中毒を起こすと知っているけれど、きれいにされて売られている卵を日常的に食べていたので、全く抵抗感がなかった。
こっちの世界でも、近年は食中毒を防止するために、店に出回る卵に浄化魔法をかけるのが当たり前になってきているので、生で食べても全く問題ないと思う。
とはいえ、食卓にのぼる卵がすべて浄化されているわけではないらしいし、料理人さん達の、長年身についてきた認識と危機管理意識により、料理人さん達が反応するのは当たり前だろう。
ちなみにバーティア領では、流通する卵に浄化魔法をかけることを義務付けている。
商会にはディークひいおじい様が採用した魔力持ちの従業員が数人いるので、各農家さんから毎日決めた数量の卵を仕入れ、浄化したうえで流通させている。
そうすることで領民の安定的な収入と健康を維持しているのだ。
卵を浄化することによって、卵由来の食中毒の患者はここ数年出ていないということだった。
それに、バーティア領では半熟の味付け卵が飛ぶように売れているので、バーティア本邸でとろとろオムライスを作った時、クリスウィン公爵家の料理人さん達みたいな抵抗がなかったのは、バーティアの料理人さん達は、半熟卵が安全だと理解していたからだろう。
うん。何事も経験することが理解への近道だ。
「ふむ。そうだな。商会の家で食べた目玉焼きは黄身がトロリとしていて美味かったな」
もう少し火を通すことを主張している料理人さん達は、ディークひいおじい様の『美味い』という言葉と、生き証人のリンクさんとローズ母様のおかげで、やっと懐柔できた。
「それに、おれは鑑定を持っている。毒の混入はもちろん、食中毒を引き起こす食材も分かる」
リンクさんがそう言うと、クリスウィン公爵やリュードベリー侯爵、王妃様も首肯した。
「「「これは大丈夫」」」
どうやらクリスウィン公爵家の皆さんも鑑定してくれたようだ。
「だから早く盛り付けなさい」
「そうだ。冷めてしまうぞ。温かいものは温かいうちに食べるのが一番だ」
「ほら、ぐずぐずするな」
王妃様やリュードベリー侯爵、クリスウィン公爵が急かすと、やっと盛り付けをしてもらえることになった。
「「わ、わかりました!!」」
―――ああ。やっと盛り付けしてもらえた。
なんだかどっと疲れちゃった。
「とりにくとたまごのおやこどんでしゅ」
領民の皆さんからもらった卵と鶏肉、そして玉ねぎで作ったシンプルだけど、出汁が効いた美味しい親子丼だ。
「ほう。鶏肉が親で、卵が子なのだな。『どん』とは大陸で食べたことのある、『丼』ということだな」
クリスウィン公爵は、私が詳しく言わなくてもちゃんと理解してくれた。『どん』が『丼』ということも。
クリスウィン公爵も久遠大陸に行ったことがあるんだ。
丼というのは、料理人さん達も聞いたことがあると口々に話している。
「旦那様が大陸にお仕事で行かれた時に食されたとおっしゃっていたものですね」
ストーンズ料理長が思い出しながら頷いている。
「うむ。あれは生の魚を捌いた『刺身』なるものをのせた丼で、海鮮丼と言ったな。なかなかにうまかったのを憶えている」
え!? 海鮮丼!!? てことは、お刺身を食べたのか!! うらやましい~!!
こっちの世界ではまだ生のお魚を一度も食べたことがないのだ!
米と醤油に味噌。この食文化がある久遠大陸はやはり食生活に生魚が定着しているようだ。
「おいししょう……」
「旦那さまから、大陸では魚を生で食べると聞いた時は信じられませんでしたが、大丈夫なのでしょうか?」
アースクリス国では、野菜や果物の他の食材は基本しっかりと火を通す料理が主流だ。
だから、卵も固ゆでやしっかり焼いたオムレツで、肉や魚もしっかりと中心まで火を通す。
ストーンズ料理長をはじめ、料理人さん達が抵抗感を感じるのはお国柄仕方がない。
「大陸でも、魚は新鮮でなければ生で食べられないのだそうだが、―――デイン辺境伯爵領なら食べられそうだな。海沿いでもあるしな」
うんうん。海鮮なら、デイン辺境伯だよね! 海に面しているし!!
「こちらでも馴染み深い、イカとエビ、ホタテがうまかったな」
うわ! どれも大好物~!!
「アーシェの目がキラキラしてるわ」
「刺身って、美味しいんだろうな」
ローズ母様もリンクさんもくすくすと笑っている。
私の『知識の引き出し』という特殊な事情は、家族にすんなりと受け入れてもらえた。
前世の知識を持った私を、ローズ母様やリンクさん、ディークひいおじい様は、『気味が悪い』と突き放すこともなく、受け入れてくれた。
そして私がしたいと思うことを、否定せずにやらせてくれる。
本当にありがたい。
「じゃあ、今度一緒にデイン領に行った時に刺身とやらをやってみるか」
「あい!! やくしょくでしゅ!!」
やった!! お刺身!! すごく楽しみだ!!
「さて、じゃあ親子丼とやらだな。卵にミツバの緑が映えて美しいな」
そう言って、クリスウィン公爵がスプーンで一口。次いで他の皆も一斉に頬張った。
『鑑定』で食中毒の恐れがないということで、抵抗感がなくなったらしい。
料理人の中にも鑑定持ちがいれば、生卵の誤解はすぐに解けたはずだけど、鑑定持ちは少ないのだ。仕方ない。
「ほう。優しい味だな。鶏肉が柔らかく、たまねぎの甘さがいいな。何より固まりきっていない卵がとろりとして美味い」
「本当ですね。固まっていない卵を食べるのは初めてですが、この滑らかさは感動です」
「「うわあ~! おつゆが美味しい!!」」
「たまねぎが甘くて美味しいわ! 温かいおつゆがご飯に染みて美味しい」
リュードベリー侯爵、アルとアレン、そして王妃様も。みんながトロっとした卵の滑らかさを美味しいと感じてくれたようだ。
おかわりしたそうだったけど、試食で全部なくなってしまっていた。
「大丈夫ですよ。作らせていただきましたし、調味料の分量も書き留めさせておりました。再現できます」
さすがストーンズ料理長。
どうやら、料理人さん達も食べてみて半熟状態の卵に抵抗感がなくなったらしい。
底に残った汁まで完食していた。
さっきの緊張感は何だったんだろう―――……はあ。
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