11 天使の蜂蜜
本日二話目になります。
よろしくお願いします。
それから20日ほど経って。
私とローディン叔父様、リンクさんやローズ母様も加わって、ラスク工房にいた。
今日はラスク工房は定休日なので、サキさんをはじめ、女性たちはお休みだ。
「大成功ですな。すべての巣箱に蜂が入ってくれましたぞ」
ハロルドさんがホクホクしながら、採取した蜂蜜の瓶を並べている。
「ちなみに、こちらが十日で採取したもの。こちらが今朝採取した二十日ものです。朝が早くて寝不足ですよ~~」
そう言うのは、商会のスタンさん。
人当たりがとてもよく、ローディン叔父様ととっても仲がいい。
蜂蜜の担当になったので、スタンさんはこの頃忙しい。
蜂は日中に巣に運んできた蜂蜜を翅で風を起こして水分を飛ばして濃縮させる。
だいたい一晩経つと濃縮される。
そしてまた日中新たな蜜を集めるので、夕方採ると水分が抜けきらないサラサラした蜜になるという。
なので、濃縮された蜂蜜を採るために、蜂が活動を始める前の朝早くに採取を行っているのだ。
こげ茶色の髪が乱れて、グレイの瞳に疲れが見えている。
ここ連日の疲れで、スタンさんは少しくたびれているみたい。
スタンさんは叔父様と同じ今年十九歳の青年で、平民だけど先代子爵様に見出され、高等教育を受けた人だ。
先代子爵様は、息子のせいでぐちゃぐちゃになった領地経営を立て直すために、孫息子をまともに育て、そして周りを固める有能な人材づくりをしていたそうだ。
なので、この商会はまだ日が浅いけれど有能な人材がそろっていると思う。
「幼虫がいる巣板と、蜂蜜だけの巣板に分かれているので、以前より巣を壊す罪悪感が軽くなりましたよ」
「煙を出す道具も出来て効率が上がりましたよね」
巣箱や巣板も改良済みで、絞る際も楽になったとのことだ。
「ただ巣から蜜を採る作業はまだまだなんですよね~~」
前世では遠心分離機にかけて巣板から蜜を採る方法が主流だったが、私に遠心分離機の仕組みを説明できるはずはない。
ここは口を出さずに、皆に試行錯誤してもらおう。
「綺麗な蜜を取るには蜜蝋の蓋を削って逆さまにして、網の上で一晩置くと綺麗な蜂蜜が下の器に垂れ落ちる。これが七割程度ですね。後は圧搾機で絞る。そうすると、蜂蜜に蜜蝋が混入して、濾しても細かい搾りかすが蜂蜜の底にどうしても残るんですよね」
どうせなら全部利用したいです。とスタンさん。
前世と違って網目がものすごく細かい金網は無いし、針金を組むのも現実的ではない。布で濾すのにも限界がある。
それなら。
「はちさんにかえしゅ」
「え?」
「はちみちゅ、はちさんのごはん」
蜂蜜は蜂が生きるための大事なご飯なのだ。
数割の蜂蜜の入った巣板を残しておかなければ、蜂さんもご飯が食べられない。
一生懸命採ってきた蜜を私たちがいただくのだから。
「はちさんにありがとうってかえしゅ」
そしたら蜂さんも喜ぶよね?
そう言った瞬間。
はっ、とみんなの目が丸くなって、次にとっても優しくなった。
母様は『そうね。蜂さんも喜ぶわね』と、にっこりと笑って頭を撫でてくれた。
叔父様がふるふると震えて『私の天使』と呟いている。
「いい子ですな。ちゃんと分かっている」
ハロルドさんの大きな手が伸びてきて、力強く私の頭を撫でた。
「~~っ! すいません。恥ずかしながら考え付きませんでした。ハロルドさんにも二割は蜂のために採取せずに残せと言われていたんでした」
スタンさんが項垂れて、リンクさんが苦笑した。
「まあなあ。俺もアーシェに言われるまで気が付かなかった。俺たちは蜂たちの生きる糧を蜂から奪っているんだな」
「──利益追求ばかり考えていて大事なことを忘れかけていました」
「ふふふ。アーシェラの言うことももっともよね。商売のことは私はよく分からないけれど、どうなのかしら?」
ローズ母様が問うと。
「──そうだね。七割の蜂蜜を食用として商品化。絞った後の蜜蝋は利用価値があるし。圧搾機で絞った蜂蜜の上澄みは医療用や美容用にして、下に沈んだ蜂蜜は感謝を込めて蜂に返す、でいいんじゃないか」
ローディン叔父様がまとめると、スタンさんが激しく頷いた。
「そうします!」
「あとは、そうだな。この養蜂箱は登録申請する。改良版の三種類の養蜂箱と煙を出す容器もな」
「みんなびっくりしますよ~~!」
今度は使用料もらいましょうね! とスタンさんが声を張った。
「ハロルドにも試作品の製作費用を出すつもりだ」
「あれは二番煎じですよ。最初から基本形が出来ていましたし。とてもじゃないが貰えません」
ハロルドさんが辞退したけれど。
「──······いや。受け取って欲しい理由はそれだけではないんだ」
ローディン叔父様が真剣な顔でハロルドさんを見た。
「ローディン様?」
そして、ローディン叔父様はハロルドさんの右足に視線を落とした。
「その足·····うちの親父をかばったんだろう? 親父は言わなかったが、つい先日、親父に付いていった者から聞いた。昨年秋のアンベール側国境での戦闘で岩山を崩されたと聞いた。親父は足に矢を受けたが、無駄に装飾の付いた軍靴のおかげでかすり傷だ。·····だがその時崩れた岩から親父をかばって足をやられた。──そうだろう?」
先日子爵家に行き、祖父である先代子爵様に養蜂箱の件を報告していた際にハロルドさんの話を聞いたそうだ。すぐさまお付きで行った子爵家の者を呼んで詳細を聞いて驚愕した。
奇跡的に骨は折れなかったが、踵骨腱(いわゆるアキレス腱)をやられた。
治癒師はその部隊には不在で、駆け付けた治癒師に切れた腱をつなぎ合わせてもらったが、手当てが遅かった為に痛みが残り暫く歩くことも困難だったという。
半年以上経った今、後遺症が残っていた。それほどのケガだったのだ。
「それなのに、あの親父はそんなことを一言も言わない······本当に馬鹿な親だが。それでも私や姉上の父親だ。──だから」
叔父様と母様は立ち上がって、ハロルドさんに深々と頭を下げた。
「ありがとう。ハロルドのおかげだ」
「ローディン様! ローズ様! そんな!! 頭をお上げください!!」
「申し訳ないが、子爵家としては謝礼金は出せないんだ。親父に知られるわけにはいかないからな。だから、商会の仕事として作成費用という名目で渡したい。金で解決するようなことではないとは思うが、受け取って欲しいんだ」
「──······ありがとうございます。ローディン様、ローズ様」
「お礼を言うのはこちらの方よ。ありがとう、ハロルド。蜂蜜のおじちゃん」
「······懐かしいですな。ローズ嬢さま」
ハロルドさんは瞳を潤ませて、母様と叔父様を見た。
「ローディン様。ローズ様。これからはお二人のお力にならせてください。全力でお手伝いさせていただきます」
「ありがとう」
「こちらこそ宜しく頼む」
リンクさんもスタンさんも微笑んで見ていた。
ディークさんはボロボロと涙を流しながら、うんうんと頷いていた。
「じゃあ、ハロルドさん! さっそく蜂蜜担当として雇用契約を交わしちゃいましょう! 忙しくなりますよ!!」
スタンさんが嬉々としてたくさんの書類を出してきた。
「お、お前、スタン、これ」
「こっちが、蜂蜜工房の見取り図案。採取室、蜂蜜の加工室、あとはおいおいですが蜜蝋も加工したいのでそれに合わせて改装したいんです」
「それにしても広すぎる!!」
普通の民家が三つぐらい入りそうな図面が広がっていた。
「大丈夫です。実はここ養蜂箱を作る工房も兼ねているんです。ラスクの網や木箱を作っていたのは、一昨年廃業した工房なんです」
「ルーンのとこか」
「はい。ハロルドさんと同じで、戦争に行って利き手に障害が残ってしまったので廃業してしまったんです。住み込みの若い見習いを路頭に迷わせてしまう、と商会に相談に来られて、商会で工房を買い取ったんです。今は戦争中で家を建てる人もいないので、工房の職人やルーンさんは商会の仕事をしてもらってるんです」
「てことは、あのラスクの木枠のささくれや木箱は······」
ディークさんが言うと。
「ええ。見習いさんの作品だったようです。そのおかげで養蜂事業がおこせそうなので、感謝ですね」
「とは言っても、ルーンさんからは雷が落ちたようですよ。一から鍛えなおす! って言ってましたから、見習いさんたちは今頃しごかれてますね」
その時の勢いをローディン叔父様やリンクさんも見ていたので、ふたりとも苦笑していた。
「そんなわけで。男手も確保できました。工房も既存のものなので、改装すればすぐに蜂蜜を量産化できます。それまでは、このラスク工房で採蜜作業しましょう!」
「あーちぇもやる!」
「はい。お手伝いお願いしますね。アーシェラ様」
「これから秋にかけて花盛りだから、うまくすれば来月には店頭に並ぶ量が確保できますよ」
ハロルドさんが言うと、スタンさんが。
「瓶とラベル発注しますね! ラベルのデザイン考えておきます」
「種類が分かるものには、その花を入れよう──今の時期はアカシアだな。リンク鑑定頼む」
「ん。わかった。じゃあ色んな花が混じっているのは、主な花や植物をラベルに入れよう」
「コメの蜂蜜は初めてだからな。スタン、力を入れてデザインしてくれ」
「わかりました!! あと、せっかくですので、商品に名前をつけたらどうでしょう」
「バーティア領産の蜂蜜で駄目なんスか?」
ディークさんの言葉にスタンさんがかみついた。
「何言ってるんですか! この国初の養蜂での蜂蜜です! これまでの取り扱いしていた蜂蜜とは違うんです!」
「養蜂箱がいずれ普及するにしても、最初の養蜂の蜂蜜には価値がある······か。そうだな。米の蜂蜜を売り出す前に、名前を売っておくか」
米の蜂蜜が採れれば、この大陸で初だ。
貴重で高価で売買されるだろう。
うん。とローディン叔父様が頷くと。
「そうですよ! いい名前を考えましょう!」
というスタンさんの言葉の直後。
「名前なら決めた」
「! は、早いですね······ローディン様」
「『天使の蜂蜜』だ」
なあ、私の天使? と言ってローディン叔父様が私の頭を優しく撫でた。
はうっ!!
叔父様の愛が止まらない。
うれしいけど、うれしいんだけど、なんか恥ずかしい。
「すごいですね! ぴったりです!!」
「逆に他のは考えられねぇよ」
とリンクさん。
「かわいいラベル用意しますね!!」
「こんなに楽しいのは久しぶりですなぁ」
ハロルドさんが嬉しそうに笑った。
──そして一月後の盛夏の頃。
『天使の蜂蜜』が無事発売されることになったのだった。
お読みいただきありがとうございます。




