108 ひんみんのくさ
クリスウィン公爵家に到着した翌日、その日はクリスウィン公爵の孫、つまりリュードベリー侯爵の長男のアルの誕生会が夕方から行われる日だった。
私たちは誕生会への出席を是非にと勧められ、了承した。
わずか数日の滞在の予定だったが、マリアおば様からきちんとしたドレスを持たされていた。
たぶんこれを見越していたのだろう。ありがとう、マリアおば様。
アルとアレンも夕方来るとのことで、私たちは当初の予定通り、クリスウィン公爵領に作る田んぼの視察の為に農地へと足を運んだ。
「農業用水用のため池は、秋に田んぼの話があった際に何か所か整備しておいた」
そう話すのはクリスウィン公爵だ。
事前の打ち合わせで水の確保が重要であることを伝えていたため、溜池を整備しておいたらしい。米に対する情熱を映し出したかのように、素早い対応だ。
今の季節は冬で、雪が降る。
けれど、クリスウィン公爵領は豪雪といった感じではなく、寒さが厳しいのが特徴らしい。
今は1月の下旬。雪はところどころにあるけれど、土が見えている感じだ。
「クリスウィン公爵領は大雪が降ることは滅多にありません。ただ寒さが厳しいのがきついですね」
白い息を吐きながら、そう話すのはリュードベリー侯爵だ。
「そうね。防寒用の帽子がないと耳が痛くなってしまうわ」
そう言って、真っ白な手袋をした手で、ふわふわな白い帽子を被りなおすのは、王妃様。
―――そう、実は田んぼ予定地の視察には、クリスウィン公爵、リュードベリー侯爵、王妃様まで勢ぞろいしているのだ。
なんだこの視察団の人物のラインナップ。すごすぎる。
おかげで後ろに控えているお付きの人たちや、護衛の人たちの人数も半端じゃない。
王妃様が来ているということを聞いた領民が、一目でもいいから王妃様を見たいと、この寒い中たくさんの人が遠くから見ている。
クリスウィン公爵領で農民をまとめている40歳代の農民のビートさんと、農産物の加工の店を営むワイドさんが、王妃様と公爵親子に気を使いながらリンクさんと話を進めている。
「ここを切り開いて、溜池から水を引いて、ですね」
茶髪茶色の目のビートさんと、リンクさんは設計図を確認しながら田んぼ作りの手順を確認していく。
「ああ。そういえば、バーティア領の用水路にクレソンが生えたが、一緒に有毒のドクゼリも生えた。一見見分けがつかないから、鑑定をしてやるといい」
リンクさんがビートさんの後方に立って話を聞いていたワイドさんに声をかけた。
「そうなんですね。ドクゼリはこわいですが、クレソンが採れるのは嬉しいですね。わかりました。きちんと鑑定します」
ワイドさんは、金色に近い茶髪に青い瞳をした、物腰が柔らかい人だ。
平民で青い瞳というのは、魔力持ちであることが多い。
確かに私の周りにいる青い瞳のセルトさんも、元神官長のレント司祭も、生まれは平民だけれど強い魔力を持っている。
実は、お母様が貴族だった為、その血を引いているワイドさんは魔力持ちで、『鑑定』を持っているとのことだ。
ワイドさんのお母様は男爵家の方だったけれど、傾いた家の為に経済的に裕福な家に身売りのように嫁がされそうになったところを、平民だけれど魔法学院の同級生だったお父様と駆け落ちして、クリスウィン公爵様の庇護下に入ったらしい。
クリスウィン公爵とワイドさんの両親は魔法学院の同級生で、リュードベリー侯爵とワイドさんも魔法学院の同級生で友人なのだそうだ。
確かに、緊張の中でも、ワイドさんがリュードベリー侯爵に向ける視線が優しいのはそのせいか。
今日は寒いけど、日差しもあり、防寒着のおかげであったかい。
クリスウィン公爵領での前準備が着々と進んでいることを確認したリンクさん達が田んぼの予定地をゆっくりと歩いていた時。
「―――あ! ―――もう生えて来てる!!」
急に農民のビートさんが大きな声で言うと、田んぼ予定地の奥の緩やかな丘陵地の方へと走って行った。
え!? どうしたの??
「どうした?」
「すみません。クリスウィン公爵様、皆様方。驚かせてしまいまして。―――もう、貧民の草が生え始めたみたいで、驚いてしまったのです」
「え? まさか。時期的に早くないか?」
リュードベリー侯爵の言葉に、目を細めて丘陵地を見ていたワイドさんが答える。
「先日から、季節外れの温かさが続いたので、たぶん春が来たと勘違いしたのでしょう。ここから見てもわずかですが生えているように見えます」
「そうなのね。あれは生命力が強くて一度芽が出たら地中の根でどんどん増えるから……困ったわね」
王妃様も難しい表情で頷いていた。
「ひんみんのくさ?」
それって、何?
「ああ、アーシェラは知らないのだな。春に生える毒草だ。毒といってもわずかに含有されている程度だが長年食べ続ければ内臓をやられる。―――数日前に教会で会ったジェンド国から移住してきたトムさん。彼が食べていた草のことだよ」
ディークひいおじい様が説明してくれた。
「放牧している家畜が間違えて食べてしまって中毒になったりもする。だから、生えはじめたら定期的に土の魔法で地下の根や茎を切断したり、その場所を火の魔法で焼いたりして防除するんだよ」
そうなんだ。
「バーティア領でも同じことをしている。冬の終わりから春にかけての大事な作業だな」
「あれも結構な重労働ですよ」
とワイドさんもため息をついている。
「アーシェラも気を付けてね。貧民の草は毒があるの。―――特徴はね、くるんと頭が丸まった草なのよ」
「―――くるん?」
「そう。先がふたつからみっつに分かれている植物よ。私たちは食べたことがないのだけど、貧しい人たちは食べるものがなくて口にするそうよ」
あれ? 王妃様の言っている特徴って、ある植物のものと酷似している。
毒のある植物。
春に生えるもので、先がみっつに分かれて、くるん―――
くるん、て。まさか。
「わらび?」
―――のこと?
「へえ、よく知ってるね。ああ、そうだよ。どっちかっていうと『貧民の草』って通り名の方が有名だけど」
ワイドさんが頷く。
「とにかく生命力が強くて、徹底的に絶やしたと思っても、また次の年には生えてくる。困ったものだよ」
わらびは根をはわせて増えるはずだ。そして同じ場所に毎年芽を出す。
こっちの植生は前世と似たような感じだ。
―――それなら。こっちのわらびもうまくすれば食べられるはずだ!!
前世で、わらび採りは母が山菜採りが好きで、よく付き合ったものだ。
比較的に見つけやすく道路の脇の法面にもよく生えていた。
田舎だったので車を走らせてわらびの群生地を探し、毎年わらび採りをするのが楽しみだった。
私はローズ母様がくれたローズピンクのポシェットの中に手を入れた。
そして、首にかけてある魔法鞄のチャームに思念を送ると、手に小さな小瓶が現れた。
あった。魔法鞄に入れておいてよかった。
これで毒消しが出来る。
「アーシェラ? その小瓶はなあに?」
王妃様がポシェットから取り出された小瓶に興味津々だ。
うふふ、これはね。
私は小さなガラスの瓶を王妃様に見せながら、はっきり言った。
「―――わらびのどくをけしゅ『こな』でしゅ」
さらり、と白い粉がガラスの瓶のなかで踊った。
「「「ええ??」」」
晴れた寒空の下で、みんなの声が重なった。
お読みいただきありがとうございます。




