6. 街デートはハプニング
翌日は早朝から起きて、街へ行く準備をした。
アルヴィンがくれたドレスは、薄い紫色で、小花の刺繍があり、上は首の辺りまで、レースが詰まっていて、スカートはあまり広がらずにストンと落ちるタイプ、清楚な大人の女性という感じのデザインだった。
髪の毛は、半分だけ垂らして、可愛らしくしてくれた。
いつも、塗りまくっていたというメイクも、なるべく薄くしてもらった。
「人はここまで変わるものかと、びっくりしています」
用意してくれた、メリルが腕を組ながら、しみじみと感想をくれた。
「奥様はもともと色白で、お綺麗な肌でしたが、青白くて不健康な印象がありました。ここのところの規則正しい生活で、肌ツヤはとても良いです。頬に自然な赤みが出来て、メイクをせずとも、とても綺麗です。ドレスも、以前は扇情的なものを好んでお召しになっていましたが、今のドレスの方が、とても良くお似合いです。本当に同じグレイス様なのかと不思議に思っています」
ずいぶんとしっかり、誉めてくれた。恥ずかしくて、顔が熱くなってくるほどだ。
「ありがとう、もう、あまり誉めないで、出掛ける前に汗だくになっちゃう」
支度が終わって、一階に下りていくと、すでにアルヴィンは玄関で待っていてくれた。
「アルヴィン、ごめんなさい、遅くなってしまって……」
声をかけたら、こちらを振り向いてくれたので、微笑むと、アルヴィンは目を見開いて、無言のままだった。
(え?何かおかしかったのかな…)
「え…あの、こちらのドレス、プレゼントして頂いたみたいで、早速着てみたのですが、何か……」
「よく似合っている…。君は本当にグレイスなのか…、いや、違うはずがない…、おかしいのは私だ」
考え込んでしまったアルヴィンを、軽く急がせて馬車まで誘導した。玄関で話し込んでいたら、街へ行く時間が遅くなってしまう。それに、出来れば、二人きりになれる馬車の中で、色々突っ込んだ話もしたかったのだ。
□□□
「あそこに見えるのは、風車ですか!?すごい!」
「すごいもなにも、いつも通る道だろう」
「いや、まぁ、そうだけど。ほら、改めて見てみると、驚くことってあるじゃないですか!」
馬車の車窓から見える景色にはしゃいでいたら、アルヴィンに冷静に突っ込まれ、少し慌てた。
「……、改めて見るとか……」
なんか、変な地雷を踏んでしまったみたいで、空気がおかしくなった。
せっかく忙しいアルヴィンと二人きりになったよだから、まずは、あの話題から、切り出すことにした。
「アルヴィン、父からは、その、最近は連絡がありますか?」
「ファンデル子爵からは、半年前、金の無心を断ってから、連絡はない。君には悪いが、もう十分なお返しはしたつもりだ。恩義はあるから、君の持参金の3倍は渡したし、かなりの土地も譲渡した。それでも、足りないと、何度も来られても、さすがにこちらも限度がある」
(なるほど、新たな事が分かったわ。アルヴィンは父にかなりの援助をしていた。それは恩義を感じているから、と言うことは、グレイスと今まで別れなかったのも、それに関係がありそうね)
「私は…困惑している。君の話し方がおかしいと思っていたが、改めて考えると、君とは月に一度、一言話すどうか。この五年ずっとそうしてきた。だから、こんなにも長く君と話すことで、君がどんな風に話していたか、何を考えていたのか、思い出そうとしたが、さっぱり思い出せないし、分からない」
「月に一回話すのは、結婚の時の条件ですか?」
私は賭けに出てみた。こんなよく分からない関係だ。条件でなくとも、何かしらの約束事がなければ成立しないだろう。
「……条件…というか、あの取り決めの事か?」
「ええ、そうです」
「あれは、君から決めた事だろう。当時の私には選択権はなかった」
(…だから、そのあれを教えてくれー)
「約束した通り、君の交際については文句を言ってこなかっただろう。お互い干渉しないこと。五年間この関係が続いたら、自由に関係を切ってくれて構わないと、私に任せると。そういう話だっただろう……」
アルヴィンの話は想像していた以上だった。お互いに恋愛に口は出さない、くらいかと思っていたが、期限つきで、しかも相手に進退の判断を委ねるとは。
嫌われもので、性格の悪い女。
だが、一方で愛を求めて続けて、それが偽物であっても、大切に持ちつづける人。
アルヴィンとの結婚は、見せかけの契約婚だが、多額の持参金と土地を手に入れることが出来た。しかも、五年間我慢すれば、自由になれるのだ。窮地に陥っていた時であれば、悪い話ではない。
(グレイスって、性格は悪いかも知れないけれど、何だか憎めない。すごく不器用な人に思えてきた……もしかして、わざとアルヴィンに近づかないようにしていたのかな。気持ちが移らないように……)
またもや、複雑な、しかも拗らせた大人の恋愛に、全く頭が追い付かない。
「アルヴィンの気持ちは変わらないの?」
「ああ」
その言葉に愕然とした。アルヴィンはやはり、グレイスとの期限が切れたら、自由になろうとしていたのだ。ということは、今いくら仲良くしようと頑張っても、そのうち別れを切り出されてしまうのだろう。
(それでも、やれるだけの事はやってみないと。それに、アルヴィンに好きな人がいたとしたら、素直に応援してあげないといけないし)
アルヴィンの好きな人、というのを考えた時、胸がチクリと傷んだ。五年もお互いに自由恋愛だ。アルヴィンもまた、誰かと付き合っている可能性は高い。
なにか、苦い固まりが、喉の奥に詰まったような不快感を感じたまま、重苦しい空気から逃れるように、二人は窓の外を、ただ眺めていた。
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街に着くと、アルヴィンは一件商談の予定があるとかで、後で落ち合うことになった。
メリルと、焼き菓子を売っているお店を探して、家の者達の分と、アルヴィンの分を購入した。
「なんだか、元気がないですね、奥様。馬車の中で何があったのですか?」
「…アルヴィンと、私の関係を確認したのです。やはり、思った通り、お互いに干渉しない約束で……、多分もう少ししたら……」
その時、馬車を止めた辺りで、人の怒鳴り声が聞こえた。
慌てて、近くに行ってみると、恰幅のいい初老の男性が、アルヴィンに大声で怒鳴り付けていた。今にも掴みかかりそうな勢いである。
メリルが小さな声で、ファンデル子爵様と言ったのが聞こえた。
(あれが、お父様。確かに小説の通り、貧乏ながらひどく肥えた体で、だらしない目付きだ。うるさくて人を小バカにするのが得意で、グレイスとテレシアの母、妻にも逃げられていた)
「いくら連絡をしても、ずっと無視をしおって!全く人をバカにするのもいい加減にしろ!お前は義理の息子だろ!散々援助してやったのに、恩知らずが!」
往来でこんな事をすれば注目の的である。父がアルヴィンの世間の評価を、下げようしているのは、目に見えて分かった。
アルヴィンはというと、妻の父親という事もあり、大っぴらに言い返すのを躊躇っているのだろう、口を強く結んでいた。
(ならば、私の出番ね!)
「あら!お父様、お久しぶりです。こんなところで大きな声を出して、とても元気そうですね」
「え??あ?、ぐっ…グレイスか!?ずいぶんと、その、変わったな。一瞬誰だか分からなかったぞ」
「ええ。夫は私の事を、とても大切にしてくださいますから、きっと幸せなオーラが出てしまっているのですね」
空気を読まず、笑顔で登場して、険悪な雰囲気をぶち壊した。ヒソヒソと話していた野次馬もパラパラと散っていく。
アルヴィンによけいな迷惑がかからないようにしなければと必死だった。
「ねぇ、あなた。私、もう疲れてしまいました。早く二人きりになりたいです」
アルヴィンに腕を絡ませて、上目遣いでおねだりをすると、アルヴィンも顔を綻ばせた。
「申し訳ありません。グレイスがこう申しておりますので、今日はこれで…」
「……ちょっ、ちょっと待て、お前たちは…、そんな仲に……」
父はまだ、何か言っていたが、肩を抱かれてそのまま強い力で連れられたまま、馬車の中へ逃げ込むことに成功した。
(…いった。上手くいった!大事にならずに逃げられたよ)
実は、このおねだり作戦は、似たような状況で、テレシアが王子との絡みで使うもので、読みながら、私も王子にこんな事言ってみたいー!なんて、妄想するシーンで使われていた。
「全く……。こんなところでファンデル子爵と出くわすなんて運が悪かった。グレイス、君の機転で助かったよ」
実際に見るとやるとじゃ雲泥の差で、心臓はバクバクして飛び出しそうだし、顔から火が出そう、汗が吹き出して体も震えてきた。
「……グレイス?って!何て顔をしているんだ!?真っ赤じゃないか……」
「大丈夫です。何でもないんです」
「大丈夫って……、そんな初心な反応をされると……こっちまで……」
(なんとかごまかさないと、グレイスならこんなこと朝飯前でできるはず……)
「私!慣れてますから!こんな演技くらい簡単に……」
話の途中で、アルヴィンが覆い被さるようにして、抱き締めてきた。
「えーー!あっあの…えええ???」
「すまない、君の反応が、あまりに可愛くて…」
力強い腕と、逞しい体つきを感じる。大人の男性の香水なのか、とても良い匂いがして、頭がクラクラしてきた。
「あの…そろそろ、本当に放してください。私、心臓が壊れてしまいます……」
さっきから、心臓は暴れまくりで、気持ちは落ち着くどころか、パニック寸前。どうにか、目を閉じて、何も見えないようにして、耐えていた。
「分かってはいるのだが、……どうかこのまま。もう少しだけ、こうしていてはだめだろうか…」
「そんな…」
アルヴィンは、逃げないように、しっかりと、かつ優しく抱き締めていた。
しばらくこうしていたら、だんだん心臓の動きも収まってきた。アルヴィンの熱がまるで自分の一部のように感じられて、その心地よさに、体の力も抜けていった。
「まさか、私が…グレイスに…」
クラクラとした頭の中で、アルヴィンの呟きが滴となって落ちて、水面に波紋を広げ消えていった。
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