3. 青春をもう一度
そもそも、グレイスが物語の中で登場することは、ほとんどない。主人公はテレシアだし、話の内容はテレシアの恋愛が中心なので、限られたエピソードにしか出てこない。
物語の中で、主人公テレシアは17歳。グレイスはその8歳上だった。
試しにメリルに、テレシアは何歳だったかしらと、すっとぼけて聞いてみたら、今年17歳になると教えてくれた。
ということは、今は、だいたい物語が始まる少し前になるのだろう。
まぁ、予想は出来ていたけれど、グレイスは25歳の人妻という事になる。
(あぁ……私の青春は、もうとっくに終わっていた)
気がついた時点で、25だ。もう、人間関係もすっかり出来上がっているし、今さらどうすればいいのだろう。
せめて、子供の頃に気づくことが出来たら、人生は変わっていたのだろう。善行を積み、良き人間として人から好かれて、幸せな一生を送れたかもしれない。
しかし、もう、散々悪行をやり尽くした後だ。
もう完全にみんなから見放されているし、大切な人には全く好かれていない。
このままいけば、確実に離縁されて、この生活を失い、想像だけど、助けてあげようとか言って、近づいてくる男に殺されて終わる事になるだろう。
離縁された後、意識して大人しく暮らしたとしても、いままで好き勝手して生きてきたのだ。誰からも相手にされず、寂しい一生を送ることになりそうだ。
それは、私の望むところでは、全然ない!
なぜなら、私は、恋がしたかったのだ。
一緒にお昼食べたり、放課後デートしたり、夏は海に行って、図書館で勉強したり、冬は初詣に行って、来年も一緒にいれますように、なんて祈ったりして……
全部……夢と消えた……
憧れのお姫様の世界に、生まれ変わることが出来たのに、ハード過ぎる女の人生は、私には絶対無理!!
運命の神様はどうしてこう、適材適所に当てはめてくれないのか。
テレシアであれば、精神年齢も近いし、どういうことが起きるのか、予め分かっている。
ハプニングを華麗に解決して、大好きなシオン王子と結婚できたのに…!
そう、シオン王子。私が貧乏令嬢と素敵な恋人にハマった理由は彼だ。現実で恋する相手がいなかったので、シオン王子のことばかり考えていて、妄想していた時期もある。
(はぁ…、シオン王子は、テレシアよりひとつ若いから16歳。心は同級生でも、体は9歳も違う、そして、人妻。向こうから見たら恋愛対象外も外だ。せっかく同じ世界にいるのに、義理の姉になるのか…)
まず、グレイスがしなければいけないことはなにか。
いつも、母に言われていた。
何もかも上手くいかなくて、どうしようもならない事は、誰の人生にも必ず起きる。
そういう時に大事なのは、諦めず腐らず、何でも良い、出来ることから手当たり次第になんでもやること。散々手を尽くして、それでもだめなら、すっぱり諦めて、別に自分が力を注げる事を見つければ良い。
(…そうね、私はどう足掻いてもグレイス。今までの人生は消せない。ならば、周りの人とちゃんと向き合って、もう一度人間関係を作り直してみよう。それでもだめなら、離縁でもなんでもしてもらって、新しい人生で、自分が良いと思うことをすればいい。もう恋に関しては後にしよう)
グレイスが離縁されるのは、主人公が18歳で結婚した後、その後の登場人物達の後日談で触れられていた気がする。
だから、猶予としては約一年くらいということか。
グレイスの人生を考えるには、まずは、実家のファンデル子爵家から始めよう。
ファンデル子爵家は、かつて貴族社会の中でも五本の指に入ると言われた資産家だった。家督をついですぐ、父が始めた事業が当たり、莫大な資産を築いたのだ。
そう、貧乏令嬢テレシアは苦労したが、グレイスが結婚する時は、ファンデル子爵家にとって、華のような時代であったと想像できる。
グレイスとモンティーヌ伯爵は政略結婚だ。
当時、モンティーヌ伯爵は家督を継いだばかり、父親が事業に失敗して、かなりの資産を失い、立て直すためにも、お金を必要としていた。
ファンデル子爵は、事業拡大のために、王族との繋がりを求めていた。そこで、王族と親交があり、古くからある名家で、急ぎお金を求めているモンティーヌ伯爵に狙いを付けた。自分の娘を妻にさせて、伯爵の傾いていた事業への出資をして、代わりに領地の一部をもらい、王族との繋がりを作ることに成功した。
そこまでは、順風満帆だった。
ファンデル子爵家には、息子が一人いる。グレイスの弟で、テレシアの兄だ。
名をマルクといい、子爵は、マルクとともに、事業の拡大に乗り出した。
マルクの良くなかったところは、自分の全く知らない分野の事業に手を出してしまったことだ。次から次へと、様々な事業に出資して利益を得ようとしたが、それは、だんだん経営を蝕んでいき、任せていた子爵が気がついた時は、火の車になっていた。
農業は水不足、畜産は病気が流行り、海運は船が沈没と、次々と不運が重なり、あっという間に、資産のほとんどを失い貧乏子爵家に転がり落ちてしまった。
一方傾いていた事業を継いだモンティーヌ伯爵は、めきめきと頭角を表し、見事に事業を立て直した。新規に手広く事業を始めるよりは、あるものに注力したことが成功して、今も資産は増え続けている。そう、貧乏令嬢テレシアは、お金持ちの家の奥様である、御姉様に、憧れていたのだ。
ここで、考えたのは、ひどい性格で厄介者のグレイスと伯爵は、なぜすぐに離縁しなかったのか。
二人の間に愛があるとは、思えない。
部屋は別々、会話はなし、顔も合わせないし、グレイスは浮気ばかり。
結果的に離縁されるわけだが、その辺り探る必要がありそうだ。
(よし!まずは、旦那様と使用人さんの達と仲良くなる事から始めよう!)
いつまでも寝てばかりはいられない。決意を込めて、ベッドから降りた。
部屋から出ると、先ほど、旦那様にランドルと呼ばれた執事が遠くに見えたので、走って行って呼び掛けた。
ぎょっとした顔をされて、奥様、何されているのですか困りますと言われたが、とにかく全員集めてくれと言った。
訝しい顔をされたが、話があるからと無理やり納得させた。
屋敷の使用人達が、玄関ホールに集まった。こうやって見ると、かなりの人数だ。
執事に、メイドに、料理人に、庭師に、後は何だか分からないが、たくさんいた。
旦那様には悪いが、口実として丁度良いので、
頭を打った事を使わせてもらおう。本人が仕事で不在なので良かった。
「皆さん、集まってくれてありがとう。忙しそうだし、すぐ終わらせます。私は今日床に落ちて、頭を打ったのですが、それで自分のやってきた事がどれだけ愚かな事か気がついたのです」
中学では、三年間学年の代表を務めて、人の前で話す事に抵抗はない。相手が大人なので、大人の人に伝わるように、というのが難しいが。
「今さら、何を言っているんだと、頭にきている方がほとんどだと思います。それくらい私は皆さんにひどい事をしました。簡単に謝ってすむ問題でないことは分かっています。今日より心を入れ換えて、生きていきたいと思っておりますので、私の変わった姿を皆さんには見ていただきたいです。それで、おかしいと思うことや、嫌なことは、ぜひ遠慮なく言ってください。今は最低の女主人だと思いますが、少しでも皆さんと良い関係を持ちたいと思っているので、どうかよろしくお願いします」
とにかく丁寧に、大人ならこうやって話すかなと言うことを、意識して話してみた。
話終えた後、玄関ホールは、しんと静まり返っていた。
使用人達はお互い目配せをしながら、誰がどうするか、どう言えばいいのか、やり取りしているように思えた。
ここで、ランドルが声を上げた。どうも彼がまとめ役らしい。
「奥様…、とても急なお申し出で、みんな困惑しているというのが正直なところです。大変失礼ですが、今までの言動を考えると、今頂いた言葉も信じられるかどうか、信じて良いものなのか、測りかねているところです。とりあえずは、今まで通り、私達の仕事は変わらず、務めさせていただくので、その中で、各々が判断していくという事でよろしいでしょうか」
「はい!あっ…、ええ。それで結構です。後ひとつ!実は記憶ないというか、思い出せなくなってしまった事が多くて、それはその都度、質問したりするので、おかしいと思わずに答えてくれると嬉しいです」
さすがに今度はみんな心配になったのか、医者を呼ぼうみたいな流れになってしまったので、それは全力で遠慮して、痛みがあったりしたら、すぐに教えるからと言って納得してもらった。ランドルからは、旦那様に報告すると、言われてしまった。
これでまずは、信頼を得るための第一歩。
後は出来る限り、誠実に対応していくしかない。
少しずつ話せる者を増やして、情報を収集していく必要もある。
自分の部屋にちゃんと戻れるかが怪しかったが、メリルが奥様お部屋に戻りましょうと誘導してくれたので、これ幸いと付いていった。
部屋に着くと、メリルはお茶を用意してくれ入れてくれた。
(うー…ん、気まずい。多分この人が一番近くにいたから、被害を受けたりしたんだろうな、という事はわかるけど…なんて言えば良いのか)
「失礼します奥様、先ほどのお話は、本当の事でいらっしゃるのでしょうか」
沈黙が耐えられなかったので、向こうから話しかけてきてくれてホッとした。
「そうです。私の本心です。メリルには、一番迷惑をかけていたわね。今まで本当にごめんなさい」
「いえ、私も仕事ですから、仕方がないことです。私の事など、どうでもいいのです。グレイス様には、旦那様をもっと大切にして欲しいと思っておりました」
そこでメリルの顔を見た。少しやつれていて、冷たい印象があるが、こんな風に言えるのは主人思いの優しい人であると思った。
メリルは信頼できるかもしれない。全てを話すことは出来ないが、彼女に協力をお願いしよう!
「私もできればそうしたいと思っています。ただ……」
「ただ?なんでしょうか」
「都合が良い話だと思うんだけど、旦那様との事とかを、あまり思い出せなくて…自分がどんなひどい事をした…とか」
「そんな……それは先ほど言っていたあの?」
「そうです。ただ、あまり大事にしたくなくて。生活でちょっと分からない事があるくらいで、留めたいのです。医師に診てもらってもどうしようも出来ないですから」
「旦那様に言った方が、いいのではないですか」
「それも考えた。けど、自分が散々悪いことをしたのは、ぼんやりとは分かるの。これから、少しでも良好な関係を築きたいのに、変に心配をかけたり、何か話すたびに、医師を呼ばれたら困ると思って……」
「…そうですか」
「なので!メリルは私に協力してくれませんか?私が何をしたのかとか、教えてほしいのです。それで、それを内緒にしてくれませんか?」
「えぇ……!?」
「もし良い関係に出来たなら、私からちゃんと話したいと思っています。もちろん、私の様子が変だったり、旦那様に迷惑をかけるような事をしていたら、すぐに全部話してください。私から口止めされていた事も。どうでしょうか……」
「……分かりました。ただ、何か問題になるようであれば、報告させていただきます」
「ありがとう!よろしくね」
あまりに嬉しくて、笑顔でお礼を言ったら、奇妙なものを見る目で見られてしまったけど、以前の冷たい反応よりは悪くない。
一歩進んで、協力も得られそうだ。
少しは良い方向に進んでいけるか。考えることは山ほどあるので、気持ちを切り替えるために、背伸びをして、気合いを入れ直した。
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