2. わたしは誰
部屋の外は長い廊下になっていた。アンティークっぽい、木の壁に赤い絨毯がずらーっと続いていた。
(すごーい!なんかお金持ちのお屋敷って感じ)
よく分からない状況だけど、小さい頃から、空想の世界が大好きだったので、ここは現実という感じもしないし、少し楽しくなってきた。
ずっと恋愛に飢えていた私は、恋愛を題材にした、ゲームや小説、アニメ、片っ端から手を付けた。なかでも一番お気に入りだったのが、ティーン向けの恋愛小説、貧乏令嬢テレシアの素敵な恋人、という作品で、何度も擦りきれるほど読み返したものだ。
物語の冒頭、テレシアも親戚の家に遊びに行く。そこが凄いお金持ちで、こういう、豪華な雰囲気に心が踊り、屋敷の中を探検するのだ。
(なんだか、テレシアになった気分)
テレシアは、貧乏な子爵家の令嬢で、素敵な恋をして成り上がっていくのだが、自分と同じくらいの年代で、異性に慣れていなくて、不器用なところとか、共感できる部分が多かった。
¨赤い絨毯の上を歩くと、テレシアはお金持ちの令嬢になった気がした。きっと私も結婚して、こんなお家で暮らすのよ¨
すでに暗記してしまった冒頭部分を口に出して、良い気分で進んでいく。
すると前から、所謂、執事みたいなビシッとした黒い格好の男性が歩いてきた。
(わぁー!執事かな。金持ちの家の定番だよね。カッコいい!)
「奥様」
歳はいくつくらいだろう、自分からしたら。学校で若いと言われる教師と、同じくらいに見える。30代くらいかななんて思っていたら、執事の人は、ゴホンと咳をした。そして、また奥様と言った。
「あっ、あぁ、私ね。どうされたの?」
奥様と呼ばれるのが、違和感しかないのだが、年上の女性っぽく話してみた。
「……………」
ところが、人の事を呼んだくせに、執事の人は、こちらを見ながら、何も言わない。
(なに?怒っているの?何がまずかったかな……そうだ!)
「忘れてごめんなさい。おはようございます」
(挨拶だよ、大事大事!)
全力笑顔で、朝からとっても爽やかな挨拶が出来たと思った。
すると、執事の人は、衝撃を受けたような顔で、後ろに後退し壁にぶつかった。
「もっ…申し訳ございません。しっ失礼します」
またもや、失礼された。
この家の人間はそれが得意らしい。
人のいなくなった廊下で、しばらく考えた。
よそのお家で、勝手にドアを開けるなというのが、母から厳しく言われたマナーだ。
たくさん部屋が並んでいて、もはやどこから出てきたか分からなくなってしまったが、勝手に開けて歩くのはどうも気が引ける。
(ゲームの中なら、どんどん部屋に入って、タンスとかまで探してアイテムゲットするのになぁ)
「よし、外に行ってみるか!」
先ほど、部屋から見た景色以外にも、建物の外観や、近所の風景など、参考になるものがあるかもしれない。
階段を使って下に向かった。一階には玄関ホールらしき場所があった。
メリルとさっきの執事さん以外にも、同じ格好の男女が集まり、朝礼のような事をやっていた。
降りていくと、みんなこちらを一斉に見て、奥様と口々に言った。
(……みんな、揃いも揃って…、もうオクサマという名前だと思おう)
「今日も街へお出掛けですか?さすがに旦那様に確認されませんと……」
「ギュスター様からは、お会いになれないとお手紙が届いておりますゆえ…」
(街?ちょっと見てみたい。ギュスターはよく分からないけど。でも街はなにか、反対されている雰囲気だな)
「心配しないで、ちょっとその辺散歩するだけです。すぐ帰りまーす」
散歩なら止められないだろうと思ったが、馬車がどうとか言って、みんなバタバタと出かける支度を始めたので、これは困った。
「本当にちょっとその辺よ!一人で大丈夫」
なにか、困ったことになりそうなので、さっさと外へ出ようかと、扉に向かった。
オクサマー!とまた一斉に声が聞こえて、うんざりしていたら、目の前の扉がガタンと開いて、誰かが入ってきた。
こちらも勢いがついていたので、入ってきた人の胸に飛び込むかたちになってしまった。
「グレイス!君は…また!……もう、あそこへはいけないぞ。また癇癪を起こしているのか!?」
見上げると、先ほどの王子様の顔が見えた。近くで見ると、睫毛が長くて、緑の瞳に吸い込まれそうになる。
(……ん?え?気がついたけど、私!男の人に抱きついてる!?さっ!触ったことも覚えがないくらいなのに!!)
一気に顔が熱くなり、心臓がバクバク鳴って飛び出そうになった。
慌てて離れようとすると、今度は腕を捕まれてしまった。
「はっ…離してください。やだ、やだぁ」
大きくて硬い体や、捕まれた手の力強さ、何もかも初めてで、ショックだし、恥ずかしいし、涙が出てきた。
すると、こちらを見た王子様が、ぱっと手を離した。反動でバランスを崩し、倒れそうになったところを、また王子様が、抱きとめて支えてくれた。
背中の衝撃を覚悟したので、痛みが来なかった事に安堵した。
「あの、…ありがとうございます」
一応、助けてもらったので、ちょっと怖かったけれど、お礼を言った。
助けたということは、傷つけるつもりはないらしい。
ところが、王子様は、また、ビックリした顔をして、突然手の力が抜けてしまった。
せっかく支えてくれていたのに、またもや、落下して、今度は床にぶつかった。
「ぐわっ…痛!」
「すまない!私としたことが!」
痛かったけれど、床から近いところから離されたので、そこまでの痛みはなかった。
「大丈夫です。ちょっと痛かったけど、大したことないです」
大袈裟にして欲しくないので、落ち着いてもらいたかったけど、王子様はますます青い顔になり、医師を呼んでくれ!急ぎだ!なんて言って大慌てになってしまった。
そして、なんと、私を抱えたまま持ち上げて…。
(嘘!これってお姫様抱っこじゃないの!?)
「降ろしてください…大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないだろう、君はやはり、どこかおかしい。医師に診てもらわなければ。私もこんな事をする日が来るとは思わなかった」
「旦那様」
先ほどの執事の人が、慌てながら声をかけてきた。
「ランドル、とりあえず、私の部屋へ運ぶ。用意してくれ」
よく分からないまま、私の憧れていた、王子様からお姫様抱っこの夢が叶ってしまい、素直に喜ぶことも出来ず、これから何が起こるのか途方に暮れた。
□□□
「外傷もないし、特に問題なさそうですね」
王子様、もとい旦那様のお部屋に運ばれた私は、丁寧にベッドに運ばれて寝かされた。
暫くして来た医師に、頭を診てもらったり、あれこれ質問された。
詳しいことを聞かれたら困ると思ったけど、名前はグレイスと名乗り、その他は、これは何本ですかとか、指の数を聞かれたりする程度だったので助かった。
診察が終わると、旦那様は医師に詰め寄った。
「それはない!妻は今朝からおかしいんだ!いつもと違うんだ!」
「そう言われましても、今朝というのは、床に落とす前ですか?」
医師の質問に一瞬戸惑った旦那様だが、そうだと認めた。
「困りましたね。何か問題があるのですか?」
「いや…、ない。問題がないことが、問題なのだ!」
「は?」
「だから、いつも、朝は癇癪を起こして、使用人を怒鳴り付けるし、気に入らないと、物を投げつけて暴れたり、使用人は虫けらのように扱い、私とは月に一度話すかどうかと…」
「大変問題のある方だと思いますがね、それがなくなったと…?」
「そうだ。それに…何だか…、私の目もおかしくなってしまったのかもしれない」
部屋の中がしばらく沈黙に包まれた。
医師はため息をついて、では何か問題が起きたら教えてくださいと言って、帰り支度を始めた。
「それでは、私はこれで。モンティーヌ伯爵夫人、体調が変わったらすぐに連絡を」
その名前を聞いて、どこか引っ掛かるものがあった。
(え…、その名前聞き覚えが……)
私が考えている間に、医師は帰り、旦那様や使用人の人達もバタバタと出ていってしまった。
大人しく寝ているように言われて、ぽつんと残されてしまった。
見渡すと大きな部屋だ。グレイスの部屋も大きかったが、その倍はある。青と黒を貴重とした、シンプルで落ち着いた内装だ。所々、金色が入ったデザインは、高級感が漂っていた。まさに、お金持ちの旦那様の部屋。
(というか、夫婦の部屋じゃないんだ…)
ここで、情報を整理してみよう。
どうやら、グレイスはあまりよろしくない性格で、旦那様や使用人から嫌われているらしい。
旦那様とはお部屋も別で、会話は月に一度程度。完全に冷えきった関係性が疑われた。
そして、先ほどの、モンティーヌ伯爵という名前。ほぼ間違いなく、旦那様がモンティーヌ伯爵、そしてグレイスが伯爵夫人。
グレイス・モンティーヌ……。
この名前、どこかで……。
そうだ!
御姉様だ!!
私のハマっていた、恋愛小説、貧乏令嬢テレシアの素敵な恋人に出てくる、テレシアの御姉様の名前が、確か、グレイス・モンティーヌだ!
気がついたは良いけれど、そんなまさかという思いが強くなる。
でも、そうしたら、私、恋はどこへ行ってしまったのだろう…。
タイミング良く、お水を持ってきてくれた、メリルに、最近テレシアの様子はどうかしら?なんて、何気なく聞いてみた。
これで、アンタ何言ってんの?状態だったら、また考えないといけない。
「…テレシア様ですか?もう一年ほど、こちらを訪ねては来ておられませんし、だいたい、グレイス様がもう来ないように、強く言われましたよね」
(……これは、間違いないかもしれない)
「ファンデルの方からは、何か連絡はあるかしら?」
今度は、グレイスとテレシアの実家の名前を出してみた。ファンデル子爵家、これで間違いなければもう決定だ。
「どういう事ですか?ファンデル家のご当主は、旦那様と喧嘩して以来、一切連絡はありませんが……」
(あ……これは、もう決定だわ。ここは、私の憧れたテレシアの世界、そして、私はテレシアではなく、御姉様のグレイスだ)
貧乏令嬢から、気持ちの良いくらいに成り上がり、国の第三王子と結婚するテレシア。
対して、姉のグレイスは、ひどい傲慢な性格で周囲の人に嫌われ、浮気しまくりでついには、夫に愛想をつかされ離縁。その後、別の男と揉めて刺されて死ぬという壮絶な最後を迎える、ティーン向け小説でかなり異質な存在だった。
恋として生きていた私は、やっぱり交通事故で死んでしまって、テレシアのお話の世界に生まれ変わった。
確かに、ずっと憧れていた、お姫様や王子様の世界だ。でもでもでも。
(そんな…嘘でしょ…グレイス、よりにもよってグレイスなんて!初恋もまだなのに…、それを通り越して、いきなり人妻なんて!)
まるで宇宙に投げ出されたように、右も左も知らないものばかり。
ただ、手にあるのは不安だけで、どうにかして先に進める道を、自分で探し出せるのか、この時はまだ何も分からなかった。
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