思い出の池
さつきが、さらにうちゅうをすすんでいくと、すすんでいけばいくほど、うしろにうしろに流れていくのが分かりました。
うしろにうしろに流されていくと、頭の後ろには池があり、さつきはうしろからポチャンと沈んでいきました。
透明な水の中から水面を見上げると、たくさんの星々がゆらゆらと浮かんでいるのが分かりますが、
どんどんどんどん、さつきは下に下に沈んでいくのが分かりました。
「まるで眠りに落ちていくときみたい。」
だけど、落ちれば落ちるほど、さつきは目がさえて、起きていた時に分からなかったことや、すべてのことがたくさん見通せるようになっていったのです。
大きな大きな「想い出の国」にさつきは浮かんでいました。
ピンク色の雲に、これまでさつきが「忘れてしまったこと」のすべてが漂って、ごっちゃになっていました。
それらのすべては、同時に存在していました。
あのとき、忘れてしまったすべての思い出が、時の琥珀のなかにとじこめられて触れるたびに再生されていくのです。
ある冬の日、学校で、転向していくお友達のために二人で作ったゆきだるまを男子たちに壊されて泣いて雪をぶつけたこと。
と同時に、その男の子たちの側の「あのとき、あんなひどいことしたなあ」という心の痛みも響き合いながら流れ込んでくるのです。
鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだ扉や、階段の下。中庭。
365日
365日
365日・・・
一日一日のすべての瞬間、すべての些細な出来事のすべてが、どこからでも取り出すことができます。
一瞬のうちに、すべての想い出に同時に触れることができます。
理科の時に作った、電池とモーターで動く車に、風を受けて進む車。
ああそういえば、日時計をつくったけれど、さつきは、何回も何回も記録せずにはいられなくて・・・怒られたな…なんで怒られたんだろう。
さつきは、算数の計算がとても速かったな。誰よりも早かったけれど、ひっ算の仕方が自分のやり方と違っていて、それが全く分からなくて、終わらなくて泣いて、泣いて、やり方がやっとわかった時は泣き止んでほっとしたな。
授業中、隣の男の子にちょっかいばかりかけられていたな。
いじめっこがいたなあ・・・。
さつきもよくブスとかバカとか言われて泣いたっけ。
学校帰りに、家でみんなで遊んで、ゲームをしたり、ピアノを弾いたりしていたなあ。
林に秘密基地をつくって冒険していたなあ。
友達は、毎年毎年変わっていったなあ。
兄ちゃんとの食事は楽しかったなあ。
あのときのテレビで映っていた番組って・・・そうだ、あのクイズ番組・・・終わりが気になっていたのに、ママに途中で切られちゃってないた・・・ああ、続き気になってるよ今も。
さつきの中からは、とめどもなく、そんな昔のわすれていた思い出がよみがえってきたのでした。
それは、砂場の砂のようにほってもほってもたくさん出てくるのです。
だけど、部屋にすべてを残しておくことはできないように、今必要のなくなってしまった思い出のすべては、それが昔どれくらい世界のすべてのように大事だったことでも、保管していた部屋から出されて鍵をかけられてしまうのです。
だけど、それは鍵をかけられ、奥の誰も見ない書庫に入ってしまったというだけであって、けっして亡くなったわけではないのです。
さつきの池の奥には、10階建ての大きな大きな図書館いっぱいに置いた本でも収まりきらないほどの「思い出」が並んでいました。
さつきは、池の中にある螺旋の階段、迷路のように入り組んでいる本棚をくまなく歩き回り、その落ち着いた雰囲気をゆっくり味わいました。
「あの頃のさつきはそういえば、物を書く人になりたいっておもっていたんだ」
と、ぱらぱらと、思い出に触れながら思い出しました。
クラスメイトに自分の書いた物語を読んで、続きを楽しみにしてもらうのが好きで・・・
あと、図書館や家にあった小説を読んで、自分もこんなものを書けるようになりたいって、よく真似ていたんだっけ・・・。
そうおもいながらさつきは、思い出の池の図書館のさらに地下の地下にまで沈んでいきました。
部屋には古いアンティークの家具。
鏡台に、机。
様々な木製の調度品が並んでいます。
柱にある振り子時計が音を刻んでいます。
「はじめてきたのに懐かしい」
とさつきは思いました。
さつきは、その部屋一面中にある本棚にある茶色くなって古びた本という本を眺めていましたが、
それはさつきの知らない、さつきの知っていることでした。すべて。
一冊の本に手をかけると、ぱらぱらと古くなった本のかけらが地面に落ち、ほこりが舞い散ります。
ページを開くと、読んだことのない知らない文字でぎっしりとさつきのことに関する物語が書かれていました。
だけど、さつきの器のかなにその物語の経験はありません。
さつきは、その文字が分かりませんでしたが、口に出してその音を発音してみました。
ぺ、ぱら、ぼる、て、すばーる、め、うん、どーる、こむ、そん、ぬ、でりーた、おて、ら、めすばーっる、どぅ、おっそ、める・・・
なぜかすらすらと口をついたように読むことができ、
さつきが口を開くたび、様々な色の光が、さつきの口からでて、空間を揺らしていきます。
その部屋のなかに花が咲きます。
草木が生い茂り、見る見るうちに、そこは林になり、森になっていきます。
書斎だった場所には森が生い茂り、
森のなかに書斎があるのか、書斎が森になったのか分からないほどです。
ですが、さつきは、この場所が好きでした。
さつきは、別の本を手に取って、また別の言葉、別の文字で書かれた文字を口に出して詠みました。
す、めっとろ、すのろん、めた、ぺり、すヴぁる、とん、づれげー、たん、める、すでら、でれーたん、ぬめ、ぺり・・・
そうしたところ、空があらわれて、木々の間から太陽と雲が姿をのぞかせました。
ですが、それでも書斎の棚の奥にはさらにさらに遠く見渡せないほどまでに通路が続いていて、たくさんの本棚があります。
ですが、さつきは、この本にある一文字やたった一つの言葉でさえも、この池にあるすべての文字と本とつながりがあって、この文字の一つからすべての情報にアクセスできることがわかりました。
さつきは、本の一ページから、たった一つの文字だけを取り出して、それを部屋にあったひもでくくり、ネックレスにして首にかけてお守りにしました。
そして、部屋を出て開けた大草原へと歩いていくことにしました。
空には、どこかで見覚えのある鳥があるような気がします。
出ていこうとすると、あの部屋からとことこと足音が聞こえます。
それは、ねこでした。
その黒いねこは見覚えのあるねこでした。
「かぎたろう!」
そうです、このしっぽが鍵の形をしたねこは、あの懐かしいかぎたろうでした。
かぎたろうは、随分と年老いたねこになっており、同時にいくぶんかの成熟をかんじました。
何十年物の高級ワインのように。
かぎたろうは、シルクハットにスーツを着て、さつきの横に来ます。
「まったく、不思議な世界にまよいこんでしまったものですな。」
とかぎたろうは、草原の向こうの断崖絶壁を見つめながら言います。
「ここは、どこ、なんて、さつきはもう聞かないよ。
だって、さつきはこの場所のすべてが・・・」
と口を開いた瞬間、わっと大きな風が吹きました。
さつきは、思わずスカートを抑えました。
一人と一匹は、そのまま凧のように、ふきあげられ、大きな大地を見渡しました。
さつきがいたあの部屋は大平原の一角にたたずむ塔のように見えます。
「かぎたろう、そうね、あなたで舵を取るわ」
「にゃにゃにゃにゃ・・・」
さつきは、かぎたろうのあの何とも言い難い美しいフォルムをしたねこの腹をつかみ、かぎのようなしっぽを左右に動かしてバランスを取り、空中での動きをコントロールします。
「ワシのしっぽはそんなことが可能なのか・・・」




