キャバクラに行ったら会社の先輩が働いていたが僕には気付かれなかったので指名してみた
「始めまして、サクラです。よろしくね」
席につくとおしぼりを渡してくれる。
しばらく固まってしまっていた僕のことを不思議そうに見つめる彼女。
「? どうぞ」
おしぼりを受け取る僕。どうやら向こうはこちらには微塵も気づいていないようだが、こっちは一目で気付いた。
この子、同じ会社の成瀬さんだ。髪型とかちょっと違うけど僕にはわかる。
「今日はお仕事帰りですか?」
「あ、はい。仕事帰りに大学の時の友達と飲んでてそのまま連れてこられました」
「あ、友達だったんだ。ところでなんで席別にしたの?」
お前彼女もいないんだからこういうところで練習したといたほうがいいんだよ!
とさも人のためみたいに力説していたくせに友人は自分はとっと指名して別席にされてしまった。
「えーと、二人の時間を邪魔されたくないからとか言ってました」
「なにそれ、面白い」
けらけらと本当に面白そうに笑う彼女。
「お兄さんあんまりこういうところこなさそうだもんね」
「はい、初めてきました……」
「初めてなの!? それはそれですごいなー」
意外そうに驚く彼女。
「ね、お兄さん名前なんていうの?」
「工藤です」
「下の名前は?」
「学です」
「めっちゃマナブっぽい! ご両親センスあるなあ。」
「それよく言われます」
なにしろ小中高とあだ名はガリ勉君だ。もしくはメガネ君。
教師にも言われたくらいだ。
「ねえねえ、なんて呼んだらいい。マナブ君? マナブさん?」
「呼び捨てでいいですよ」
「ありがとね、じゃあ学君にしとく!」
人懐っこい笑顔を浮かべながらそう話す彼女。
務めて平静を装ってはいたが、僕の心臓がさっきから動機がしっぱなしだ。口から飛び出そう。
というのも、僕は職場の成瀬さんに密かに恋心を持っていた。
でもこっちが気付かれないのも当然で会話すらしたことはないし、基本的に顔を合わせることもない。
僕は経理課で成瀬さんは総務課。僕のことなんて認識されてなくて当然。
偶然に感謝したい。こんな機会でもないと僕が成瀬さんと話をするなんて一生訪れなかっただろうから。
「学君は落ち着いてるねー。本当に初めて? もうちょっと緊張しててもいいのにー」
「緊張はしてますよ。普段こんな綺麗な人と話す機会ないですから」
日常どころかこれまでの人生でも口にしたことない歯の浮くようなセリフが恥ずかしげもなく言えてしまう。これがキャバクラの雰囲気というやつか。
「お世辞でも嬉しい。 学君意外と女慣れしてるな!?」
それあともこんな感じでぎこちないながらも会話を続けた。
普段女性とまともに話す機会がほとんどないこともあって、至福のひと時のように感じた。
楽しい時間は長くは続かないもので、お店のボーイさんがやって来て女性が変わることを告げられた。
僕は迷うことなくそれに答えた。
「指名します」
そういった時の彼女の顔はとても驚いていたように見えた。
よくシステムが分かっていなかったが一応場内指名ということになるらしく、時間内は彼女がついてくれるようだった。
「ありがとうね。まさか指名してくれるとは思わなかった」
「そうですかね。僕は楽しかったのでせっかくいるならサクラさんと一緒がいいと思ったもので」
嬉しい、そう言って彼女は僕の手を取った。
……童貞にボディタッチは反則です。心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい一瞬で心拍数が上昇してしまった。
◇
その後友人も帰るということをボーイさんに教えてもらった僕はお店を後にした。
帰りがけにサクラさんからは名刺をもらった。名刺にはメールアドレスが書いてあって手書きで「連絡してね」と書かれてあった。
……ちなみに延長しました。
家に帰ったらもらったメールアドレスに「今日は楽しかったです。ありがとうございます」とだけメールを送った。
すぐに返事が返ってきて「またよかったら遊びに来てね」と返信があった。
◇
あとで友人に聞いたところによるとキャバクラというのは指名したり、ちょっと高いシャンパンとかを注文してあげたりするとお店の女の子の給料が増えて喜んでもらえるということを教えてもらった。
それからというもの僕はすっかりキャバクラというものにハマってしまった。
当然目的はサクラさん――成瀬さんともっと話したいということではあったが。
二回目にお店に行ったとき彼女はとても驚いていて、ちょっと高いお酒を頼んだらもっと驚いていた。
帰りがけにはもし来てもらっても自分は休みの日が結構多いのでいなかったら申し訳ないから来る日はメールしてねと言われた。
どうやら二回目に来店して彼女がいたのは運がよかっただけだったようだ。
……よく考えてみればそれは当然で彼女は僕と同じように昼間は普通の会社員として働いているのだから。
とにかく僕は成瀬さんに会いたくて毎週のようにキャバクラに足しげく通った。
そうそう最初に連れて行ってくれた友人だが、どうやらお目当ての女の子には振られてしまったらしく今は違うお店に行っているらしい。当然僕が通い詰めていることは伏せているし向こうもまさかそんなことになっているとは思っていないだろう。
幸いなことに僕は趣味もないしお金の使い道はほとんどなかったからわずかばかりの生活費の他は入ってくる給料はすべて使い切ってしまっていた。
◇
「学君、無理してない?」
ある日、いつものように給料日の後の金曜日にお店にいくとテーブルに着いた彼女との会話をそこそこに飲み物を注文しようとしたら彼女にそう言われた。
「無理というと」
「それはえーと、お金とか? こんなに毎週毎週来るなんてもしかして君ってとんでもないお金もち?」
「ごくごく普通のサラリーマンですよ」
どうやら心配されても仕方のないような羽振りの良さを見せつけてしまっていたようだ。
「そうなの? でも私こうして学君がちょくちょく来てくれるだけで嬉しいから無理だけはしないでね」
僕がお金を使えばそれだけ彼女の収入も増えるだろうに。
話してみて気付いたけど彼女のこういう優しいところが僕はとても好きだ。
「間違ってたらごめんなんだけど……」
ふとした時に彼女は僕の膝に手を置いて耳元でささやいてきた。
「もしかして学君って私のこと……好き?」
「……はい」
雰囲気に流されてしまったのか僕は正直に胸のうちを打ち明けてしまった。
「かわいいねえ。今のはお姉さんもドキドキしちゃったよ」
かわいいのはあなたの方ですよ。僕はちなみに四六時中ドキドキしています。
こればっかりはいつまで経っても慣れません。
「あのさあ……今日私上がるのちょっと早いんだ。もしよかったらその後ご飯でも食べない」
これが噂に聞くアフターってやつですか。本当にあるもんだ。
僕は光の速さでこれを承諾した。すると彼女もうれしそうな表情を見せた。
さらに彼女は僕の耳に手を当てて本当に聞こえるか聞こえないかくらいの声で
「……そのあとはえっちでもする?」
心筋梗塞にでもなるかと思いました。間違いなく心臓は止まっていました。
AEDはあるのかな。
彼女が仕事が終わるまで時間をつぶしていた。その間もちろん僕はずっと前かがみであった。
暫くすると彼女から電話がかかってきた。どうやらこの辺りに遅くまでやっているイタリアンがあるらしくそこに行こうという話になった。
◇
「待たせちゃってごめんね」
お店の前で待ち合わせすると彼女は僕の腕に自分の腕を絡ませてくる。
いこいこ、と言って僕の腕を引っ張っていく彼女。
席に着くと簡単な前菜と軽食とワインを頼んだ。
「学君、私嬉しいよ」
そういう彼女。いつかは言わないといけないと思っていた。
嬉しい気持ちもあるが、僕は彼女をだましているような罪悪感から話を切り出してしまった。
「……もうこんなことやめませんか、成瀬さん」
そう僕が伝えるとひどく狼狽えた様子を見せる彼女。
「え……なんで知ってるの」
「だって僕たち同じ会社ですよ。成瀬さんは僕のこと気付いてなかったみたいですけど」
「悪いけど夜の仕事辞めるつもりはないよ。私にも事情があるしね」
「いえ、そちらではないんです」
意味が分からないようだが、警戒した表情を見せる彼女。
「仕事の方です」
「いやいや夜職一本でやっていけるほど人気ないよ私」
「そうじゃないんです……こういったら分かりますか」
察してくれない彼女に対して僕は淡々と告げた。
「僕は経理課ですよ」
そう伝えると、彼女はようやく気付いたようで表情を青ざめさせた。
「成瀬さん、あなた横領してますよね」
事実はこうだ。
総務課から上がってくる備品に関する請求書の不可解な点に気づいた僕は、取引業者に裏を取った。
いまだに個人口座でのやりとりをするような個人商店のような取引先も多く、あえて調べなければ気付かなかっただろう。
でも僕は知ってしまった。振込先の会社は存在すらしていないことに。
そしてその全てに「成瀬」の印が押されていた。
そのことに気づいてからだ。成瀬さん、という女性の存在を認識したのは。
会社での彼女はお店とは全く違っていて化粧も服装も地味なものではあった。
仕事振りも真面目だという評判ではあったが社内ではとりたてて目立つ存在ではなかったはずだ。
実は彼女と店で会うようになる何か月か前に総務課と経理課でやりとりをする機会があった。ほんの一瞬だったし、会話も一言二言だったので彼女が覚えていないのも仕方ない。
でも僕はその彼女に一目ぼれしてしまった。それは事実だ。
横領なんてするくらいだ。なんらかの事情でお金が必要だったのは間違いないだろう。
僕は彼女ともっと話がしたいという気持ちもあったが、少しでも彼女が悪事に手を染めるのをやめてもらえるかもという淡い期待もあってキャバクラに金をつぎ込んでいたのかもしれない。
「私のことどうする? 告発でもする」
落ち着いて開き直ったかのようにそう話す彼女。
「そんなつもりはありません。どうせ僕しか気づいてませんし」
「優しいんだね」
悲しそうにそういう彼女。
僕はもう何も言えなくなってしまった。
とても食事をとるような雰囲気でなくなってしまったため、彼女は伝票を手に取ると、付き合ってもらったのにごめんね、と言って店を後にしてしまった。
彼女の後姿を眺めながら僕は動くことができなかった。
◇
翌週会社に行き、総務課に成瀬さんを訪ねると彼女は病欠ということだった。
数日たっても彼女が出社することはなく、ただ退職するとだけ上司に連絡があったということだった。
メールも送ってみたが、エラーで返ってきてしまった。
いつも行ったキャバクラにも顔を出してみたが、サクラさんはやめましたよ、とだけ店のボーイさんに教えてもらった。
どう転んでもこうなることは分かり切っていた。
最後に見た彼女の切ない表情が今も脳裏に焼き付いて離れない。
最後までご覧いただきありがとうございました。
思い付きで書いてしまいました……ご感想など頂けましたらありがたいです。
普段はお馬鹿なラブコメを連載しております。
こちらもご関心いただける方いらっしゃいましたら読んでいただけましたら幸いです。
下部にリンクを貼っておきます。
こちらはもちろんハッピーエンド(予定)です。