私的、幻獣考
幻獣とはなんぞや。
幻獣という言葉がある。
この言葉を知っているに違いない。寧ろ知らないという人のほうが稀であろう。
幻獣という言葉を使うと、如何にもファンタジー、幻想的な話を思わせるし、空想上の動物や怪物たちが跋扈する展開が見えるのは、言葉の持ち得る力、といったところか。
然しながら、この幻獣という言葉は、実に不思議で不可解な言葉である。
なぜなら、この言葉によってある程度の作風や形こそは推定できるものの、これという区分が存在しないーー判りやすく言えば、この言葉はこうだ、という規定や判然とした定まりがない。
神獣、霊獣、幻獣、瑞獣、妖怪、魔獣ーー世間にはこんな言葉も転がっているが、この言葉の説明を的確にこなす事ができる人材が果たして何人いることであろう。
ミーム汚染甚だしい野獣と妖怪あたりは、まあまあ説明できないこともないが、神獣、霊獣、幻獣、この違いは何か、とマトモに考えたものはこれまでに存在したか。
神獣や幻獣に類するキャラクターやその成立を述べた論文や書籍はある事にはあるが、この言葉の棲み分けまで考えたものは、そうないような気がする。湯本豪一氏が一応している事はしているものの、妖怪視点での考察であって幻獣はどこから来たからという根源までには触れていない。
思えば、この獣のつく名前というのは、甚だ無責任な所がないというわけでもないーーと、少しキツい言葉を綴ってみたものの、別に規定がなければないで、それはそれで問題はないのである。
なにも私は区分を定めて幻獣はかくあるべきだ! と論じようという気はサラサラない。ただ、幻獣はどこから来たのか、そして幻獣はどう発展してきたのかという経緯のみを考察したいだけだ。
よって、この随筆は一応裏こそとってはいるものの、学術的なものではない。これを下手に吹聴して恥をかかれても、私の責任ではない事を、恰も責任転嫁の如く、アテンションとして示しておく。
さて、幻獣とはなんぞや。その意味を調べる為に、先ず目を通すべきは辞典であろう。それもなるべく古語辞典や古い辞典のほうがいい。
取り敢えず『広辞苑』と『角川古語辞典』を引いてみる。然し、幻獣はなかなか出てこない。
二〇〇八年発行の第六版になって初めて出てくる。
げんじゅう【幻獣】竜・鵺・一角獣などの空想上の生物
他のワードは大体二、三版辺りから出始めているにも関わらず、幻獣の扱いだけは、二十一世紀にならないと採録されないわけである。
また、比較的早い段階で幻獣という言葉そのものを考えた人もいる。それが先述した湯本豪一氏である。
但し、この人の考え方は妖怪や民俗学に則ったものであり、今となっては少々取り残されている感も無くはない。が、それでも二〇〇五年の段階でこういう事を考えたのは先見の明、というべきであろう。
全文を引用するのは至極ダルいので興味ある人は『日本幻獣図説』を買うなり読むなりして湯本氏の仕事ぶりに感心してほしいが、一応重要そうな所だけは抜粋する。
湯本氏は『日本幻獣図説』を作るに当たり、「何か不可思議な存在という言葉で何もかも一括りにしてしまうのは違和感がある。厳密な定義はここでは措くとしても、幽霊と妖怪は同じではないことは共通認識といってさしつかえなかろう」という疑問を覚えたという。
その一方で「幻獣」という言葉を使うのも不安だったそうで、ここから湯本氏の幻獣考察が始まる。妖怪が市民権を得ている事、見世物としての怪物などに触れた上で、「幻獣を生き物と認識している」という説を明言する。
更に氏は河童や鬼などをはじめとする幻獣のミイラと称されるものを例に挙げ、「不思議な存在」と「生き物」との関係を説いた上で、
「幻獣が人智を超えた存在であることを物語っている」と指摘し、「幻獣はしばしば異形の生き物だったりする。これは異界からの来訪者だったからに他ならない。祖父たちはあるときは幻獣を恐れ、またあるとかは敬いながら、この存在を伝承してきた。それは生き物という姿を持ちながら異界からやってきたものたちへの接し方だったのだろう」
と、結論付ける。
これが正しいか誤りかは読者諸君にお任せするが、この中で興味深いのは二〇〇五年現在では「それなりには普及しているかもしれないが、まだまだ一般的には知られていない言葉とでもいえるのだろう。」と指摘している点である。これは少し誇張であるものの、誤りではない。
また立川武蔵『聖なる幻獣』の中でも「(シンボリックな力として幻獣が)生きている」と定義している所を見ると、神より俗で妖怪よりも聖なるものが、幻獣、というべきであろうか。
これと同じ意見が水木しげるで『水木しげるの世界幻獣事典』の中に「幻獣と原人びとの心と現実のはざまに棲む生き物たちなのかも知れない」と、書いている。
この経緯を見る限り、幻獣という言葉が広く認知されたのはつい十数年前、平成に入ってからの事、と言っても過言ではないような気がする。
では、幻獣という言葉は何処から来たのかーーその答えに近づくべきには三人の人物を取り上げる必要がある。
曰く、ボルヘス、澁澤龍彦、柳瀬尚紀ーーこの三人である。
幻獣の誕生に一役買ったのは、アルゼンチンの作家、ボルヘスである。
あの不可解で些か非現実的かな世界を短篇という手法で描くボルヘスが幻獣と関係があったとは少々意外な所であるーー皮肉な事を言えば、ボルヘスよりもC・S・ルイスだのデ・ラ・メアなんかのほうが余程幻獣を生み出しそうな気配がありそうだーーが、このボルヘスが居なかったら幻獣という言葉は生まれなかったのかも知れない。
但し、この知れないという言葉は、我々日本語の使用者の観点であってボルヘス自身が全てを創ったというわけではない。
ボルヘスからしてみればバタフライ現象のようなものに思えるのではないだろうか。もっとも、こればかりは冥府のボルヘスのみぞ知る所である。
バタフライ現象とはなんぞやーー曰く、ボルヘスが生んだ一篇の短編小説が、遠い日本という国に渡来して、幻獣文化が生み、文化に大きな影響を与えるという、壮大で実に婉曲的な話である。風が吹けば桶屋が儲かる理論とでも言うべきや。
ボルヘスが幻獣辞典の原型を発表したのは一九五七年の事である。友人のマルガリータ・ゲレロと共著という形を取っているが、実際は多くの人々から情報を寄せ集め、編集したものであった。分かりやすく言えば、柳田國男の書物である。
この本はメキシコで出版され、タイトルを『Mannal de zoologia fantástica』といった。Mannalはマニュアル、後者の二単語は大体の意訳で分かるであろう、動物と幻想である。柳瀬尚紀は『幻想動物学案内』と翻訳している。ここは澁澤龍彦と同じである。
ただ、ボルヘス自身はこの初版の出来に満足しなかったと見え、数年後に新たに三四篇の物語を加えて、故郷のブエノスアイレスで出版した。原文では『El libro de los seres imaginarios』ーー想像の存在の書(柳瀬尚紀邦訳より)と改名した。なぜ改名したかまでは判らない。
それでもまだボルヘスたちは納得せず、折角集めた話を一から推敲し、今度は英訳にした。
これが、一九六九年に発表された『EL LIBRO DE LOS SERES IMAGINARIOS』である。この本はアメリカの出版社「E. P. Dutton」から発表されている。
これが現在知られている『幻獣辞典』の原型である。だから、今ある河出の文庫本を見ると、一九五七、一九六七、一九六九年のそれぞれの序文が紹介される、という実に変則的な構成になっている。
この作品はーー英訳された事もあってーーヒットを飛ばし、ボルヘスを世界に知らせるキッカケとなったのだが、当然であるがボルヘスの頭の中では幻獣という概念こそあれど、日本語の「幻獣」という言葉は、流石に生み出す事は出来なかった。
そんなボルヘスが日本に持ち込まれた。
日本で一番早く、積極的にボルヘスの『幻獣辞典』を紹介した存在に、澁澤龍彦がいる。後述する柳瀬尚紀や篠田一士などもその作品の存在を知っていただろうし、啓蒙に向けてアレコレと手を尽くしているが、その当時カリスマ的な人気のあった澁澤龍彦にはどうしても一歩譲らねばならない(但し彼らが劣っているというわけでは、決してない)。
澁澤龍彦は実に優れた読書家でもあり、この人のお陰で紹介された文化や作家は結構ある。無論、その作風や紹介の仕方には賛否こそあるが、アングラ文化の旗手として、多感な青少年に大きな影響を与えたのは、紛れもない事実である。
そんな彼がボルヘスのこの作品を紹介したのは、一九六九年十二月、『ユリイカ』に掲載した『幻想動物学』である。先述の通り、ボルヘスがこの作品を完成させたのは一九六九年なので、少し誤差こそあれ、ほぼ同時期に紹介した、という事になる。また遺稿集を見ると、どうも澁澤龍彦はこの作品を翻訳したかったのではないかーーという気配がある。実際どうだったかは、知らないが、『幻想動物学』というエッセイを読む限り、澁澤龍彦は初版からその存在を知っていたようだ。
但し、澁澤龍彦は早くからボルヘスに注目し、右の『幻想動物学』というエッセイを書いて、その想像上の生物たちの面白さを描きながらも、遂に「幻獣」というワードを持ちうることはなかった。
それは彼流のキザが邪魔をしたのか、或いは幻獣と訳すのが嫌だったのかは判らないが、澁澤はこの本を紹介する時には『幻想動物学』、『幻想動物学提要』という邦訳をつけていた。「提要」などと名付ける澁澤龍彦のセンスよ。
『幻想博物誌』などは、どう見ても幻獣博物誌であり、そう名乗っても全くおかしくはない(全集の解説にもそう指摘されている)にも関わらず、彼はなぜか幻想にこだわり続けた。それは龍や一角獣のエッセイもそうで、頑なに神獣、怪獣と記している。
その理由を、澁澤龍彦自身は明確に語ってこそいないものの、『幻想文学について』というエッセイの中で、興味深いことを述べている。
わが国で一般に用いられている「幻想」という言葉は、きわめて曖昧なものだ。
エゼキエルの「幻想」はヴィジョンである。フロイトの『幻想の未来』はイリュージョンである。ネルヴァルの『幻想詩篇』やボードレールの『人それぞれ幻想を負う』はシメールである。シャルル・ノディエの『幻想物語』やボルヘスの『幻想動物学提要』はファンタスティックである。それぞれ微妙なニュアンスの差が認められるのにもかかわらず、「幻想」という一つの言葉でこれを概括するのは、明らかに不都合のようにも思われる。
しかし、幻想文学とか幻想芸術とかいった場合の「幻想」が、もっぱらファンタスティックに当ることは、わざわざ断るまでもあるまい。
そういう事を踏まえると澁澤龍彦は曖昧な表記を嫌ったがゆえに幻獣と言わなかったのか。結局、幻獣の存在を日本に紹介しながら遂に「幻獣」の名を使わず(というものの最晩年の小説などでは使っていない事もない)に終わってしまった。
また、澁澤龍彦がこの『幻獣辞典』を紹介する前から、この『幻獣』というワードが使用されている事も触れておくべきであろう。
その先例とは井筒真穂の『人みな幻獣を負う』、それに、土方巽の舞踊グループ『幻獣会』である。
井筒真穂の『人みな幻獣を負う』は、『新潮』(一九六一年十月号)に掲載された小説である。因みに幻獣は「シメール」と読む。即ち、キマイラの事である。
内容をざっと目を通しただけなので詳しい事を語る資格こそないが、
東洋学者でアラビア古代文学史を専攻する「私」はさる財団の援助でカイロに滞在している。その地で私はサリームという商人と仲良くなり、四百ポンドでアガーニーの写本の入手を試みるようになる。
しかし、交渉は決裂し、サリームはいなくなってしまう。しびれを切らした私はサリームが交渉しているという店に行く。陰気な店の中には老店主が居り、何気ない話をするがそこへサリームが戻ってきて、有耶無耶と返事を残してまた去ってしまう。結局サリームは本を持ってこなかった。
夏の終わり、私と研究仲間のオスマンは、サリームの家を訪ねる。サリームは逃げ惑っているようであるが、そこへサリームが帰ってくる。オスマンとサリームはケンカを始め、オスマンは本の行方と返金を問い詰めるがそれでもサリームは逃げ口上を述べるばかりであった。
十月になってもまだサリームは来なかった。オスマンは裁判にかけてやると意気込んでいる。その頃、日本人仲間の杉田という男と出会い詐欺にあった話をする。
その後、杉田に誘われて夫婦でファイユームにまで旅をする。その地でサリームそっくりの漁師を見つける。が、その男は罵倒と悪態を数限りなく思いつくゴロツキで、かつてのサリームの面影はなかった。そうこうしているうちに喧嘩が始まり、サリームは警官に逮捕される。
新年早々、オスマンが写本の話を持ってくる。ファード・エル・フセインという老博士が持っているそうで、そこへ行こうと誘われる。それとすれ違うように、召使いがサリームの話を始める。曰く、彼は凶状持ちの殺人犯である、と。
話はうまくまとまり、犠牲祭の夜にフセインの所へ行こうという事になる。が、その夜、サリームの家の灯りがついていることに気がついたオスマンは、サリームの部屋に忍び込み、何者かに拳銃で撃たれ、死ぬ。
オスマンの訃報を読みながら、私はフセイン氏と面会する。フセイン氏はサリームとは仲良くもなんともない片意地な老人であったが、約束通りに写本をくれた。
フセイン氏が帰ったのとすれ違うように、号外が届く。そこには、罪人サリームが逃走の末に射殺された、と書いてあった。サリームは死の直前まで命乞いをし、助けてくれればイラクの要人を始末してみせる、と提案してみせたが問答無用で殺された。明日は犠牲祭、祈りを進める声が高く響き始めるだろう。
というものである。その文体や感覚は、日本語と外国語がリミックスされた、よく言えば異国情緒のある、悪く言うと些か衒学的な感じで、作風からすれば澁澤龍彦初期作品や橘外男、久生十蘭なんかに近い。こういうと井筒氏に悪いが、名作というほどではない。
この物語の構造を見ると、作者は特にこうあるべきという、意図もなく、ただ単純に語感の問題で何となく名付けたのではないか、と思う反面、この作者が博学の徒、井筒俊彦の妻であったという事を考えると「幻獣」と名付けたのは偶然でもないような、と思ったりもする。
余談になるが、井筒真穂こと井筒豊子は井筒俊彦の伴侶で彼の助手的な存在としての方が知られているものの、元来は小説家の出身で、四十代くらいまで作家をやっていた。アラビア模様を元にアレコレを綴った小説『アラベスク』などは代表作であろう。かつては『Z』という同人誌にも所属していたそうで、この界隈には吉村昭や瀬戸内寂聴(晴美)などが居た事も付け加えておく。
井筒真穂本人がご健在であったならば、なぜこの外題を付けたのか、一瞬でその疑問が氷解するであろうが、残念ながら昨年の夏、井筒俊彦の元に旅立ってしまわれたので、今となっては藪の中といった所である。
そして、土方巽の『幻獣社』であるが、これは文学ではなくて舞踊グループである。一九七〇年十月、新宿アート・ビレッジにて、芦川羊子、小林嵯峨ほか、女の門下生を中心に結成された。
この活動によって土方巽は、舞踊家としての不動の地位を得たといっても、過言ではなかろう。
なぜ、この会に幻獣という今まで無かった言葉をつけたのか、これも土方巽が夭折したので藪の中に近いものの、土方巽と澁澤龍彦の交流というものを考えると、もしかしたら澁澤龍彦の入れ知恵という可能性も否定できない。
この土方巽という人は、三島由紀夫、澁澤龍彦を筆頭に、種村季弘、瀧口修造など、所謂アングラ的な面々に愛された舞踊家であり、「暗黒舞踊」という概念を生み出した一人であることを考えると、「幻獣」という言葉を使っても、まあおかしくはない。
然し、どこからこの言葉を持ってきたのかは、判らない。
ここまで来て、一旦振り返ってみるが、今までの「幻獣」は些か不安定で、偶然の産物のようなきらいさえあった。さらに言えば少々違う意味で使われていたような気配もある。
その「幻獣」を今の意味として捉えたのは、柳瀬尚紀であろう。『幻獣辞典』と翻訳したのは、誰であろう柳瀬尚紀である。
そもそも日本にラテンアメリカ文学が到来したのは一九六〇年代のこと(それ以前もある事はあったが)。ブームが巻き起こったのは、一九七二年に鼓直がマルケス『百年の孤独』を翻訳した事がキッカケとなり、これまでの篠田一士や土岐恒二の仕事が一気に評価されたのが要因だったと思う。
特に『百年の孤独』の影響は大きく、寺山修司を筆頭に当時の文学者たちがラテンアメリカ文学の底力を感心した。そのブームの凄まじさは今では考えられぬほど、凄いものだったはずである。
これまた余談になるがーー私の話はとにかく余談が多いのである、木を削ると出る鉋屑の如くーーこれは当人から聞いた話なので、証言として残しておく。
日本にラテンアメリカ文学ブームを持ち込んだ鼓直の弟は東京で大変な人気のあった漫才師の新山ノリローである。鼓直の経歴を見ると、岡山出身という事になっているが、これは養子先の実家で、本当は朝鮮馬占の出身だという。父親は朝鮮で役人をやっており、後に財閥の重役となった。直はその次男、ノリローこと石川徳夫はその三男である。兄と弟で本名が違うじゃないか、と言われそうであるが、その理由は至極簡単で長男以外、親戚の養子になったからである。もっとも養子といっても、家柄や仕事を引き継ぐーーそんな仰々しいものではなく子供のいない親戚の名字を継いだだけである。
ちなみに二人の旧姓は「山崎」といった。
鼓直のWikipediaなどには、大阪の商社に勤務、とあるがノリロー氏によると岡山にいたとのこと。またこの辺りは詳しく書く。
早くから苦労した事から、芸能界に飛び込んだ弟の身をいつも案じていたそうで、こっそりと仕送りもしてくれた、とのことである。
その兄のせいか知らないがノリロー氏は語学を茶化した漫才を得意とした。おてもやんの歌詞を核戦争に見立てる話など、傑作である。これもまた他の所で追記する。
今もご両人ご健在であるが、鼓直氏は関西へ引っ越された為、長らくあっていないとのことである。別に仲違いはしていないそうであるが、年を取ればそうなる事だろう。
完全に話が脱線したので、そろそろ軌道修正に移る。
さて、柳瀬尚紀は一九六九年に発表された英訳本を底本にして翻訳をした。そして、これに『幻獣辞典』と名付けてみせたのである。
これによって、幻獣という言葉がーー少なくとも我々が認知する、非現実的で畏怖させるような生き物や伝説上の存在を示すものがーー生まれたのである。ただ、何故に柳瀬尚紀がこの言葉を生み出したのか、生み出せたのか、となるともうこれは当人の問題であろう。
どうも本人は、そこまでの願いを込めてつけていなかったらしく、今残された本のあとがきを読んでも、ボルヘスの文学性やボルヘスと対面した記録は記されているが(対面した時、ハイクとハイカイの違いは何か、と訊ねられたそうな)、幻獣と名付けたその理由までは記されていない。
嫌な言い方であるが、幻獣という言葉がここまで権威を持って一番驚いたのは、柳瀬尚紀本人ではないだろうか。もしかしたら、であるが、柳瀬尚紀本人は「幻想動物では少しまどろっこしいし、動物とは言いたがたいものもいる。そういえば、神獣や魔獣という言葉があるのなら、幻獣もありだろう」くらいの認識で名付けたのではないからと思うくらいの素っ気なさである。
ただ、この翻訳をせしめたのは柳瀬尚紀の実力であるし、それによって定着したという事は、翻訳者冥利に尽きる事ではないだろうか。
そんなこんなで、ボルヘスが紹介され、『幻獣辞典』が邦訳され、幻獣という言葉が、生み出された。
そして、この三人+αが作り上げた「幻獣」を流行するキッカケを作ったのは、川又千秋、夢枕獏などの幻想小説家、水木しげるなどの漫画家、それにゲームであろう。
なんやかんや言われながらも、サブ・カルチャーブームの波に乗ったこの三つの概念は、これまでの媒体よりもいち早く世間に浸透した、と言えるのかもしれない。
まず、幻獣を多用する小説家の誕生は、幻獣浸透化において最も役立ったと言えよう。しかも時はバブルとSFブームの折である、そう考えると「幻獣」という言葉は非常に運が良かった。
その魁と言える存在が、先述した川又千秋と夢枕獏である。 二人はほぼ同時期(一九八一年)に『幻獣の密使』(川又)、『幻獣変化』(夢枕)を発表している。少々SFとの分別のついていない作品ではあるものの、幻獣と明記した点では画期的な作品だったと言えよう。
残念ながら(?)川又千秋が「幻獣」と冠したのは、これ一作で以降は「魔獣」「夜獣」「亜人」など、多数の名称を使い分けるようになったが、夢枕獏の方はこれで味を占めたのか、『幻獣変化』『幻獣少年キマイラ』『涅槃の王ーー幻獣変化』などと名前を変えて、幻獣を使いまくっているーーもっとも魔獣や獣王という名称もあるがーーもし、夢枕獏が歌舞伎役者になつたならば、屋号は『幻獣屋』とでもなるだろう。
当時売り出しの二人がこういう新傾向の作品を書いたのが、従来のボルヘス、澁澤龍彦、柳瀬尚紀人気などと重なり合って、忽ちに幻獣というジャンルを築いた。
以来、志茂田景樹、朝松健、安田均、山本弘、菊地秀行、西村寿行、秋月達郎以下略、皆さんの頭の中に思い描くような作家たちが、バンバン出るようになったのは言うまでもない。また、『ハリーポッター』や『ナルニア国物語』の邦訳化、映画化もこれに拍車をかけたような気がする。
ボルヘスの『幻獣辞典』の邦訳が刊行されて、わずか十年ちょっとでSF界を中心にムーヴメントが起きたというのは、特筆すべき点であろう。
本が売れれば、当然多くの読者の間に興味が湧くようになる、そうなると出てくるのが、図鑑や辞典の類である。これで感化された元・青少年はさぞ多い事であろう。中には、そういう図鑑との出逢いで生きていく道を誤った人もいるはずである。こういう過程で幻獣が浸透して行ったのも無理はない。
続いて漫画。こちらはなお強大である。日本で最初に幻獣を漫画にしてみせたのは水木しげる御大で、『水木しげる幻獣事典』なる書物を出したのが、一九八五年なのだから相当早い。やはり大御所の目の付け所はシャープである。
さらに、一九九二年からは猫十字社が『幻獣の国物語』を発表し始め、これはロングセラーとなった。以来、幻獣の名を冠した漫画は増え、『幻獣の星座』、『幻獣の森の遭難者』、『幻獣坐』、『幻獣調査員』、『わたしと先生の幻獣診療録』などが散見できる他、幻獣と冠されなくとも幻獣が出てくる作品は、ごまんとある。それが何かであるかは読者におまかせする。
これは推測であるが、ラノベのようなイラスト付きの小説が普及した事や、ゲームやアニメというイラスト媒体を元にした創作流行、漫画やイラスト技術の進歩による複雑な描き分けは、不可思議で幻想的な世界及び幻獣たちの創造に拍車をかけたのではないだろうか。
最後にゲーム。私はゲームをあまりやらないで来た人間なのであまりにも疎いが、それでも『ファイナルファンタジー』、『ドラゴンクエスト』、『魔導物語』、『ぷよぷよ』、『女神転生』、『幻獣物語』などに、幻獣が登場することくらいは知っている。
『幻想世界幻獣事典』ではファイナルファンタジーやドラゴンクエストを例に挙げ、「日本において世界の幻獣たちを広く知らしめたのはゲームによる所が大きい」と記載されているが、確かに恰好良くて、種類が豊富で、どのような形にも作れるとなれば幻獣が使われるのは当然の帰結だったのかも知れない。
その理屈でいけば、『ポケットモンスター』や『モンスターファーム』なども、幻獣的な扱いになるのかも知れない(身近な幻獣的存在として)。
と、まあ結局結論も出ないまま、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、糸目の切れた奴凧、どこへ行くのかわからぬまま収束のつかぬ有様になってしまったものの、何はともあれこのような形で幻獣は成り立ったのではないだろうか。
一口に言えば、『幻獣という言葉は新しい』ーーこれだけである。
なお、先述の通り、これは私の勝手気ままな推論であるので、こうではないか、ああではないかという反論や意見をお待ちしております。
できる事なら、連載風にして短くしたい。