炊飯器
母が死んだ。
それは突然のことだった。
そんな日が来るとは考えたこともなかった。
通夜、葬式、やることは山ほどあった。
瞬く間に時間が過ぎていった。
全てが終わる頃になってようやく、悲しいという気持ちを感じていなかったことに気付くほどだった。
それからの生活は今までと、さほど違うものでもなかった。
いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ電車に乗り、いつもと同じ場所に向かう。
そして……疲れてヘトヘトになり家に帰る。
母が死ぬ前と何も変わらない日常。
その日はたまたま早く家に帰れた。
といっても何かすることがあったわけではない。
本当にたまたまだ。
時間を持て余していると、ふとしばらく使っていない炊飯器が目に入った。
たまには使ってみようか。
そう思い、久しぶりに米の袋を開けた。
米を研ぎ炊飯器にセット。
慣れない操作に戸惑いつつも予約時間を設定。
これで明日の朝には炊けるはずだ。
微かな達成感を感じつつ眠りについた。
ピー! という電子音で目を覚ました。
一瞬何かと思ったが、すぐに炊飯器の音だと気づいた。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がり、台所へ。
冷蔵庫を開け、おかずになりそうなものを見繕った。
それからお椀としゃもじを持って炊飯器へ。
そして、おもむろに炊飯器の蓋を開けた。
むわっと水蒸気が立ちのぼり、炊きたてのお米の香りが鼻腔をくすぐる。
「お母さん」
母が死んだ。
その後に初めて流した涙だった。
炊飯器を買いました。
おいしいご飯が炊けています。