波乱万丈Ⅸ
シャーリーは左手を上へと上げようとしたのだが、その左手は無念にも上に上がることは無く、肩と同じ高さで止まってしまった。
『でも、近くに川があったからそのまま川に飛び込んで逃げてきたの。それで空港に行って日本行きの飛行機に乗ってここまで来たの……飛行機の中は凄く安心できたよ。お兄ちゃんが住んでる場所に行けるって思えたから……それと機内食も凄く美味しかったし』
そして鏡に映っていたシャーリーの表情は微笑みに変わっていた。
「そんなことがあったんだね……大変な思いまでさせたのに、こんなことしか出来なくてごめんな…………もう少し何かしてあげたいけど、今の俺じゃあ何も出来ないよ……」
今の話を聞いていただけで悲しくなる亮人だが、そんな亮人の心の中にはもう一つの感情が生まれていてそれはあまり表には出てこなかったが、今の一瞬だけだが表へと出てきていた。
『どうしてそんなに怒った顔してるの……お兄ちゃん?』
亮人が抱いていた感情。それは怒り。
まだ出会って間もないシャーリーだが、そんな彼女の事を大切な家族のように信じていて、大切にしていこうとしていた亮人には、その人間が許せなかった。
傷を負わせるほどの事をシャーリーがしたのか? シャーリーはただ、俺に会いに来ようとしただけだって言うのに、なんでそこまでする必要があるっ! まだ中学生くらいの幼い彼女をなんで執拗に追いかけてさせたんだっ! 許せるわけがないっ、そんな奴が俺の前に来たら絶対にぶん殴ってやる。
シャーリーを思う為に生まれる感情。
これまで亮人がこの感情を抱いてきたのは両親だけ。だが、今日のたった今……亮人はこの嫌な感情を知らない人間に向けていた。大切な家族を傷つけられたことで……。
『お兄ちゃん、そんなに怖い顔しないで……シャーリーはもう大丈夫だから、もうお兄ちゃんが近くにいるから大丈夫だから……』
亮人の体に密着していたシャーリーの体はより強く密着させてきて、それに亮人の感情は宥められた。
『お兄ちゃんは優しいお兄ちゃんのままでいて……お姉ちゃんとシャーリーにずっと優しいお兄ちゃんを見せて……お願いだから……』
「シャーリー……」
亮人の背中に顔を埋めていたシャーリーからは嗚咽が聞こえてきた。
もう、シャーリーたち二人は絶対に傷つけさせるようなことを俺はしない……絶対に。
嗚咽を漏らして泣き出したシャーリーへと体の向きを変えれば優しく頭を撫でてやる。本当だったら抱きしめてあげたいところだが、今は裸に近い状態だ。だから体を密着させるようなことは出来ないが、頭を優しく撫でてあげることぐらいはいつでも出来る。
優しく、我が子を泣き止ませるように頭を撫で続ける亮人にシャーリーは涙で赤くなった目を向け、そしてもう一度、亮人の体へと抱き着いたのだ。
子供が親に縋るように力強く抱き着き、そして安心したように泣き止むのだ。
「もう仕方がないから一緒に湯船に浸かろうか? その方がシャーリーは嬉しいんでしょ?」
亮人はもう彼女に悲しい思いをさせない為にも彼女の願望をなるべく叶えてあげようと思う。嫌なことがあったなら、これからは良い思い出を作って行こう。
そして、亮人の提案にシャーリーは満面の笑みを向けるのと同時に急に恥ずかしそうに体をもじもじさせ始めた。