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七つの悪と深紅の姫Ⅶ

『さてと…………私も戦うとしますか』


 視線を少し上へと向ける氷華の先、そこには地割れを起こしたオグレスが見下すように佇んでいる。睨みつけるように氷華を見下すオグレスとは対照的に、氷華は目尻を垂らすように笑みを浮かべていた。

 氷華の周囲に浮かぶ小刀や雹は表面を鋭く形作られていく。それらはオレンジ色の光が反射すれば、それは地面に細かく光を乱反射させ、氷華を煌びやかに見せていた。

 白装束の腰に収めていた刀を抜刀し、矛先はオグレスへと向ける氷華は一言、


『あんたじゃ私に勝てないわよ』


 と口にした。

 氷華の右手に握られる刀の刀身から放たれる冷気は空気中の水分を凍結させ、地面へと落ちていけば、結晶は地面を急速に凍らせていく。

 中心に氷華を据え、急速に広がっていく凍土は花の紋様を描く。

 その様はまるで、冬に咲く白い一輪の水仙のように美しいものとなる。

 細かくヒビ割れる氷の音と共に氷華はオグレスへと歩みを進めていく。

 一歩一歩と歩を進める度に増えていく氷の紋様は次の瞬間には破壊される。


「俺…………お前を殺す」


 オグレスは再び地面を剥がせば氷華へと投げつけた。それはさっきとは違い、小さく速いコンクリート片を連続して投げつける。

 目にも止まらぬ速さで投げつけられるコンクリート片は氷華の周りに浮遊していた小刀が斬り刻み、氷華に傷をつけることはなかった。

 目の前で小刀は花のように広がり、コンクリートを切り刻む様子はミキサーにかけられているかのような印象を与える。


「でも…………動きは止まった」


 最後に投げつけられたコンクリート片は一辺3メートルと巨大な物となり、速度は同じままに氷華を襲う。


『同じ手ばっかりっ!! 考えなさいよっ!!』


 数トンはあろうコンクリートを分厚い氷壁を幾重にも重ねて勢いを殺し、手に持つ氷刀で一刀両断する。切れ味鋭い氷刀で切られたコンクリートは豆腐のように滑らかな断面を作りながら、氷華の左右を通過していく。

 開ける視界の先、さっきまでいたオグレスはその場から姿を消していた。

 周囲を見渡すも姿が見えないオグレス。その体は2メートルは越す巨体、隠れるような場所は破壊された工場内にはない。


『…………どこに行ったの』


 氷刀を両手で構え、小刀や雹も空中で忙しなく氷華を守るように渦巻いている。

 割れた地面の向こうでは、燈がヘイグと戦いを繰り広げている。そして、小さな小狐が燈の足元で震えている姿に、頬を綻ばせる。

 異様なまでに静かな空間は数十秒と続き、緊張の糸は張り詰め額からは冷たい汗が一筋流れ出る。

 周囲を再び見渡すも、そこには砕かれた地面にひしゃげた鉄パイプが散乱しているだけ。

 地面に広がる水仙の文様は光を反射し、工場内を更に照らし出す。そして、そこに映し出された黒い影は大きくなりながら、近づいてくる。


「殺す…………」


 頭上から振り下ろされる拳は氷華を覆っていた小刀を粉砕し、顔の真横を通って大地を揺るがす。横切っただけで吹き荒れた風はシャーリーの鎌鼬のように皮膚を裂き、振り下ろされた拳の衝撃と暴風は氷華の体を一瞬にして壁へと吹き飛ばす。


『ガハっ!!』


 壁の鉄パイプへと衝突すれば、肺は暴発するかのように空気を口から吐き出させ、心臓は一瞬鼓動を止める。地面へと四つ這いとなった氷華は顔を上げると、すでにオグレスは目の前で腕を振り下ろすように構えている。

 一瞬にして、距離を詰めてくるオグレスの速度はシャーリーを彷彿させるほどのものだった。

 振り下ろされる拳を間一髪の所で避ける氷華は落ちていた氷刀を再び両手で構える。

 口から流れる血は地面へと滴り、氷刀を握っている両手は殴られた衝撃で握っているのがやっと。


「最初の…………威勢は、どこだ」


『うるさいわね…………油断してただけよ』


「俺を…………舐めるな」


『だから、うるさいって言ってるじゃないっ!! 私は『家族』のために負けるわけにはいかないのよっ!!』


「家族…………」


 地面に減り込む腕を抜こうとするオグレスだが、家族という言葉と共に動きが止まり、氷華へと視線を向けた。

 悲しげに映る表情に肩を落とすように息を吐くオグレスは小さな声を発した。


「俺にも…………いた。大切な…………家族」


 瞳に浮かべる涙は大粒で、ゆっくりと地面へと滴れば、水滴は波状に広がっていく。


「妖魔に殺された…………大切な、娘。妻も…………お前も…………妖魔」


 悲しげな雰囲気を醸し出していた全身の血管は怒張し、徐々に語気には殺気を孕み始める。

 脈打つ血管からは聞こえる音は、氷華に聞こえるほどの鼓動。力強く、速く、そして目を見開いたオグレスは走り出す。

 荒々しく走り出したオグレスの動きは、さっきとは違い遅く鈍いものとなっている。地面を叩き割りながら詰め寄る巨躯は、腕を雑に振り上げ、一直線に振り下ろされた。


 急に動きが悪くなった…………?


 振り下ろされた腕は握りしめた氷刀で受け止め、いなせばオグレスは態勢を崩し、頭から瓦礫の中へと突っ込んでいく。


「殺す…………殺す…………妖魔は殺す」


 血眼のオグレスは瓦礫を吹き飛ばしながら、氷華へと対峙する。氷刀でいなされた腕には浅く切り傷が入り、人間の血とは言えない色の液体を地面へと垂らす。

 痛みを感じていないように、まるで獣のようにオグレスは再び氷華へと飛びかかるる姿は知性を持たない類人猿を想像させる。

 宙に浮かぶオグレスの巨体の動きには知性も俊敏さも感じさせない愚直さが混じり、一直線に氷華へと向かっていく。


『全く…………少しは落ち着いたらどう?』


 氷刀を地面へと突き刺し、両手を目の前へと翳すと水仙の紋様はオグレスの直下へと移動し、白く輝き放つ。

 白く輝く柱はオグレスの頭部以外を覆い凍らせる。動くことができないオグレスは息を荒々しく吐き続けるも、次第に呼吸は遅くなり、血眼は正常へと戻り、周囲を見渡す。


「俺は…………何を」


 凍りつく自分の体へ視線を向け、氷華へと視線を動かしたオグレスの瞳は再び血走り始める。

 徐々に赤面していく顔面から伝播し、凍結させた体からも湯気が出始める。そして、氷は沸騰し、体は自由になろうとした。


『妖魔に相当の恨みがあるみたいねっ!!』


 氷柱を更に強く、大きくさせオグレスは再び動きを止め、気絶する。

 呼吸をしているかもわからない程に微動だにしないオグレスへと、恐る恐る近づく氷華は粉砕された小刀に雹を浮遊させ、細い氷柱を手に取れば、オグレスの顔を優しく突つく。


『死んでないわよね?』


 殺すことへの躊躇いに恐怖、それらが心の奥底で胸を締め付ける。

 亮人と出会う前の氷華なら感じる事もなかった恐怖感が、心臓の鼓動をいつも以上に速くさせた。

 何度か顔を突つくとオグレスの呼吸は大きくなり、瞼が開かれた。


「どう…………なってるんだ?」


 目を覚ましたオグレスは周囲を見渡し、自分が置かれた状況を確認していた。体は氷漬けにされ、身動きが取れず、目の前に氷華が佇んでいた。

 氷華を認識したオグレスは再び、血眼になり始めながら氷華へと話しかける。


「お前は…………ヴァンパイアと一緒にいた…………妖魔だな」


『そうだけど、良かった…………死んでなくて』


「どういう…………意味だ?」


『どういう意味って、言葉そのままの意味よ。わからない?』


 氷華が口にした言葉にオグレスは血眼へとなりつつあったオグレスの瞳は、徐々に血の気が引いていった。同時に、不思議そうに氷華を見つめるオグレスは首を傾げる。


「妖魔は人を…………殺す化け物だと…………思っていた。俺の家族も…………オーガに意味もなく殺された。お前は…………違うのか?」


『なんで人を殺さなきゃならないのよ。私たちは大切な人と一緒にいたいだけよ』


「大切な人と…………一緒にいたい。俺も…………家族と会いたい、カーティス様は…………家族に会わせてくれる…………だから、ヴァンパイア殺す」


『マリーのことは殺させないわよ。亮人も礼火も一緒にいて、私たちは友達なんだから』


「俺…………家族に会いたい。俺の、邪魔…………するな」


『死んだ家族と本当に会えるの? カーティスって奴が嘘ついてるかもしれないじゃない』


「でも…………信じるしか、ない。希望がない…………二人に、会いたいんだ…………アイシャと…………名前が思い…………出せない」


 悲しげに、思い出せない誰かを思い出そうとするオグレスの表情に涙は流れ、幾つも頬を伝う涙は止められず、オグレスは咆哮のように泣き叫ぶ。

 静かな工場を揺るがす程の叫びは鼓膜を破るのではと思わせるほどに大きく、氷華は耳を塞ぐ。所々に転がる鉄パイプは共鳴振動を起こせば、高音を鳴り響かせる。


「全部っ…………全部っ…………妖魔が悪い!! 俺から…………家族を奪った妖魔がっ!!」


 一瞬にして氷を沸騰させたオグレスは両手を伸ばし、氷華を捕まえようとするも浮遊する小刀に指先は細かく切り裂かれ、血を噴き出させる。


「ああぁぁぁあああ」


 腕を抑えながら氷華を睨みつけるオグレスの表情は、氷漬けにしていた時とは比べ物にならない程に恐ろしい物だった。

 鬼と言えるほどの形相に血走る瞳、異常なまでに熱い体からは蒸気が出るほど。しかし、オグレスの瞳から流れる涙は絶え間なく流れ続け、


「妖魔は殺す」


 叫びながら氷華へと腕を振り下ろす。

 その姿はまるで幼児が怒り暴れているように、考えなしに襲いかかってきている。


『家族の名前も言えないのに、それで大丈夫なの?』


 動きが遅くなったオグレスへと俯きながら口にする氷華は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべた。


 家族を殺されて、家族に会えるかも分からないのに、カーティスに踊らされて…………家族の名前も思い出せなくなって…………。


『あんたのこと、私が…………助けてあげるわ』


 ただ目の前にいる氷華を殺すことに執着しているオグレスへと向けられた表情。

 憐れみに満ちた氷華の顔は真っ直ぐにオグレスへと向けられた。

 静かに息を吸い、瞳に浮かぶ涙と共に胸を締め付ける恐怖と罪悪感を心の奥へと押し殺す。

 地面に突き刺さる氷刀へと手を翳し、視線をオグレスへと向け、口にする。


『…………氷の失楽園コキュートス


 分け隔てられた地面を境に氷華が佇む場の全てが凍土と化した。

オレンジ色に灯されていた工場内は一面、真っ白の雪国のように、生きるもの全てを凍てつかせる空間へと変貌する。

 氷の失楽園コキュートスにオグレスの足は地面と結合され、離すことが出来ない。そして、徐々に足元から這い上がるかのように凍り始めるオグレスの体は細胞から凍りつき、動かそうとすれば脆く崩れかける。


「殺すっ!! 妖魔を殺すっ!! 家族に会うっ!!」


 血眼のオグレスの腹部まで凍結は進み、徐々に声を発することはなくなる。凍りつく最後まで血眼で氷華を睨みつけるオグレスの姿はオーガへと変貌していた。


『人として…………殺してあげる』


 地面に突き刺さる氷刀を一度鞘へと戻し、一呼吸する。

 静寂が支配する氷の失楽園コキュートスの中、氷華は目を閉じた。

 嫌という程に耳に響く脈動、動悸のように胸を苦しくさせる鼓動。静けさの中で自分だけが息をし、目の前の氷塊と化したオグレスへと顔をあげる。

 そして、氷刀を鞘から神速とも言える速度で抜刀し、刀身から放たれる煌びやかな輝きはオグレスを一閃し、刀身はゆっくりと鞘へと戻された。

 鞘へと戻されると響く金属音と共に凍結したオグレスは細かく切り刻まれ、地面へと崩れ落ちていく。


『家族と…………会えるといいわね』


 オグレスを一瞥した氷華の目尻には涙が浮かぶも頬を伝うことはない。天上へと視線を向けた氷華は唇を強く噛み締める。


『苦しいわね…………殺すっていうのは』


 涙を流さまいと息を整えながら口にする氷華の目尻は赤く染め上げられ、分け隔てられた地面の先、燈の方へと視線を向けると、氷の失楽園コキュートスを閉じた。


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