七つの悪と深紅の姫Ⅲ
『っ!!』
口にされた名前を聞き驚きが隠せないマリーは、一気に能力を解放し、カーティスへと詰め寄る。一瞬の出来事だが、カーティスとマリーは数回の攻防を繰り返す。
自分の影からレイピアを抜き取り、何度も突き立てるも軽々と受け流すカーティス。地面へと広げる影から荊を出現させ、巻きつかせるも一瞬にして塵になる影。そして、幾つものレイピアを地面から突き刺すように飛ばすも、腕でいとも簡単に叩き落とされてしまう。
『この……化け物』
次の瞬間にはマリーの首はカーティスに握られる。
「ほぉ、お前たち化け物に化け物と呼ばれる日が来るとはな…………想定外だ」
さっきと同じような不気味な笑みを浮かべるカーティスはマリーを掴んだまま、ベズドナへと歩みを進めた。
朦朧とする意識の中で歩み寄って来るカーティスへと視線を向けたベズドナ。
そこにいる金髪の少女を見れば、朦朧とした意識は清明に、ボヤけていた視界は鮮明に世界を映し出していた。
『マリー……………………なのか?』
重苦しい重圧のある声音。
その声を聞いただけで、マリーの瞳孔は開き、瞳には涙が浮かび上がる。
『お父様…………助けにきましたわ』
首を掴む腕を全力で離そうとしながら、ベズドナへと向けられた笑みと言葉。
その光景に涙を浮かべるベズドナは弱々しい四肢で立ち上がろうとするも、すぐに崩れ落ちてしまう。
「どうだ…………感動の再会は」
ベズドナを見下すように笑うカーティスは手に込める力を徐々に強くしていく。
『大丈夫ですわよ…………私が絶対にお父様を助けて見せますわ』
そう口にしコウモリへと姿を変えて、距離を取るマリーは地面へと自身の影を拡大させていく。それは工場自体を飲み込むのではないかと思わせる程に広がり続けていく。
広がった影の中心点、そこに佇むマリーは再びレイピアを構え、分身を五体複製しカーティスへと仕掛ける。
カーティスを覆うように荊は壁を作りだし、棘からはアイアンメイデンのようにレイピアを幾つも突き立てていく。
マリーの体を貫通しながら突き立てられるレイピア。だが、カーティスは動じることは一切ない。赤黒い炎を周囲へと吹き出し、レイピア諸共塵へと返してしまう。
『まだありますわよ』
「っち」
床に広げられた影から伸びる手はカーティスの体を影の中へ、一瞬にして引き摺り込む。
漆黒に染められるカーティスの視界。
『この中だったら、私の方が有利ですわ』
際限なく複製されるマリー。
『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『『ここで殺すっ!!』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』』
影の中を瞬間移動するように視力では追いつけない速度でカーティスをレイピアで突き刺し、巨大化させた腕で連続で叩き潰していく。無限とも言える殴打とレイピアを刺されたカーティスの体から流れる夥しい血は人の致死量を超える。
その場で項垂れ、倒れるカーティスの呼吸は完全に止まった。
『やり……ましたわ』
広げられた影を閉じれば、工場の床へと倒れ伏すカーティス。
頭を握りながら体を持ち上げれば、それはただの人の形をした肉塊となっていた。
振り回し、投げ飛ばすも変化はない体は完全な肉塊に成り果てていた。
マリーは大きく深呼吸をし、振り返れば全力でベズドナへと駆け寄る。
全身に受ける風の抵抗と共に目尻に溜まっていた涙は宙へ浮いていく。
『お父様っ!! 会いたかったですわっ!!』
一瞬にしてベズドナの前へと来たマリーだが、ベズドナの表情は険しく放たれた言葉は昔のように重圧感のある声音だった。
『トドメを刺せっ!!』
弱り切っているベズドナが放つ言葉にカーティスがいる方向へと再び視線を向けるマリー。
そこにあるのはカーティスの骸。
だが、その骸はゆっくりと姿を消していく。
地面にある、カーティス自身の影の中へと。その光景はまるでヴァンパイアが持つ影の能力と同一のように見えた。
『遅かったか…………マリー、ここから逃げなさい』
『どういうことですの?』
『質問をしている暇はないっ!! 早く、ここから逃げるんだっ!!』
マリーを遠ざけるように腕を振るベズドナの体には夥しい数の傷跡があった。抉られたような傷跡は不良肉芽のように、歪んだ皮膚として再生している。それは人間のような治癒したように。
「私から逃げられると思っているのか…………ヴァンパイア風情が」
掛けられた言葉に身の毛がよだつち、心臓が握り潰されたような感覚がマリーを襲った。
マリーの肩越しに感じる存在感は憎悪の塊のように、殺意が具現化したような恐怖感を放っている。
身動きが取れない程の恐怖感にマリーとベズドナは息を飲む。
ベズドナは視線をマリーの肩へと向けると、全てを覗き込むような瞳が不気味に動く。
次の瞬間にはマリーの体は宙へ浮き、鉄骨へと投げ飛ばされていた。
骨が折れ、衝撃で倒れてくる鉄骨はマリーの足を潰す。
苦痛に歪むマリーの顔だが、マリーの影は揺らぎ影の中へと体が入っていく。
これで体を治せば、まだ戦える……。
心に余裕を持たせるように回復をしようとするマリーは、目を見開いた。
『なんで、影に入れないの…………』
「さぁ…………わからないなりに考えてみろ。時間があるかはわからないがな」
鉄骨に潰された足と繋がっている皮膚はマリーの体を持ち上げられれば、破れるような音を立てながら体から分離する。
頭を握るようにベズドナの前へとマリーを連れてくるカーティス。その体には一つも傷がない状態だった。
「ベズドナ…………娘が今から殺される気分はどうだ?」
見下されるベズドナの表情に希望はなかった。そこにあるのは絶望という黒で塗りつぶされた表情だけが存在した。
何度も口を開閉するベズドナの目尻に浮かぶ涙。
「娘が殺される気分はどうだって聞いてるんだ…………答えろ」
冷たい視線と言葉がベズドナの耳に突き刺さる。
心臓の脈打つ速度は一気に跳ね上がり、瞳孔も広がる。
『頼む…………娘だけは、見逃してくれないか』
目尻に溜まった涙を流しながら頭を下げるベズドナ。
そこにいる一族の王であった男の無様な姿は悲しいものだった。
地面を濡らすベズドナの涙と弱々しい声。
地面へ頭をつけ、懇願する姿に王の威厳など一切ない。
「なら、私の娘を返してくれ」
憐れむような瞳と悲しげな声音、同時にベズドナの頭を踏むカーティスは続けた。
「私の娘はヴァンパイアに殺された…………悲鳴も上げられず、妻も一緒に…………私の目の前でっ!!」
ベズドナを踏む足は徐々に力が込められていき、憐れんでいた瞳には憎しみが込められる。
握り込まれる拳と唇を噛み締めれば、地面に血が滴っていった。
「お前たち一族に殺されたんだ…………返してみろ」
『……………………すまない』
「だから、お前からも娘を奪う…………」
ゆっくりと歩き出すカーティスは十字架へと向かう。
「オグレス」
「……………………はい」
オグレスと呼ばれた巨漢は一瞬にしてカーティスの元に現れた。その両手には鉄でできた杭と大槌を持って。
「ベファーナ」
「私は…………ここに」
カーティスへと跪き、頭を垂れた女はマリーを何かで吊るすように十字架へと磔る。
意識が朦朧とするマリーは再び十字架へ腕を広げて磔られる。
それはまるでキリストの処刑を彷彿させた。
「磔ろ」
「「仰せのままに…………」」
オグレスはマリーの掌へと杭を突き立て、大槌で力強く打ち付ける。打つたびに鳴り響く金属音は工場内全体に響き渡るほどの衝撃。
朦朧としていたマリーの意識は痛みによって覚醒し、悶え苦しむように体を動かそうとする。しかし、何かによって抑えこまれるように体はビクともしない。
両手に打ち付けられた杭によって吊り下げられたマリーは涙を流しながら、ベズドナへと視線を向ける。
ベズドナと交わる視線と動かされた口。
ベズドナまで届かない声。
涙を流しながら苦痛に歪むマリーの笑顔。
その光景にベズドナの瞳はボヤけ、涙は止まることはない。
「…………最後だ」
ベズドナの視線の先、カーティスはマリーの額を強く握りしめる。
カーティスの右腕から伝播するように赤黒い炎はマリーの頭を燃やす。それは徐々に全身へと周り、マリーを塵へと返した。
次の瞬間にはベズドナの言葉にならない叫びが響き渡った。
「次はお前だ…………ベズドナ。お前を殺せば、私は家族に会える」
『我々の計画が終わるんだ……早く殺せっ!!』
カーティスの後ろに現れた執事は苛立ちを隠さずに言葉にする。血眼になった瞳でベズドナを睨みつける執事の姿は変わり、三つ頭のケルベロスへと変化してする。
「わかっている、やっと家族に会えるのか…………」
息を荒々しくするケルベロスは地面へ強く腕を叩きつけると、マリーがいた十字架の後ろへと禍々しい門が現れる。
同時にカーティスは歩み進め、ベズドナの額へと手を翳す。
腕から溢れ出す赤黒い炎は徐々にベズドナへと向かっていく。
「お待ちください…………カーティス様、侵入者です」
手の甲まで来ていた赤黒い炎は消え、ベファーナへと振り返る。
「誰だ」
「No.4…………それと、七人の妖魔…………のようです」
「構うな…………ここで全てを終わらせる」
「ですが…………その中にヴァンパイアが…………います」
「っ!!」
一瞬、眉間に青筋を浮かばせるカーティスだが、ベズドナへと視線を向けると不気味な笑顔を浮かべ、大きく笑う。
「ベズドナ…………もう一度、娘が死ぬ瞬間を見せてやろう。ヘイグ、オグレスとベファーナを連れて、もう一度ヴァンパイアを捕まえろ」
「畏まりました、カーティス様」
ヘイグと呼ばれたガスマスクの男はオグレスとベファーナを連れ、入口へと消え去る。
『ストックは最後の一つだ…………しくじるな』
「あぁ、わかっている。我々の悲願のために」
ケルベロスはカーティスへ一つの注射器を渡す。
右手で受け取るカーティスは左手に握られた空の注射器を投げ捨てる。
飛び散る注射器の破片に付着していた赤黒い液体。それはまるで意志があるかのように動き回る。
小さな一滴の血の表面、そこに映ったのは不気味な笑顔だった。