選ぶ者・選ばれる者ⅩⅢ
それから数ヶ月、苦しい生活でも彼女という希望があることで血反吐を吐く訓練に耐え抜くことができていた。
少しずつ増えていく笑顔と会話。彼女との何気無い会話だけが、守護の心を徐々に満たしていく。
「No.4、No.7…………ついてこい」
ガスマスクの男は部屋のドアを強く開き、二人を呼ぶ。
二人同時に呼ばれる事は初めてのことで、子供達は驚いていた。
ただ、二人は手を取り合い、指示通りにガスマスクについていく。
廊下を歩く度に響く足音はいつも以上に反響を繰り返す。守護の手を握りしめる???の手は小刻みに震える。不安や恐怖が伝わって来る彼女の手を守護は握り返すと、震えは弱まり横で歩いている???は守護へと笑みを浮かべていた。
「この部屋に入れ」
鉄製の扉が甲高い音と共に開かれると中には巨漢の男が一人佇んでいる。
無表情に二人を見つめる巨漢へと二人は近づく。
「どうなるんだろうね……」
「何かあったら……守るから」
「信じてる」
再び、二人は手を強く握り返す。
静かな巨漢は大きく息を吸うと一言口にする。
「No.4…………No.7を殺せ」
無音の中に何度も響く男の声は二人に希望ではなかった。
向き合い、見つめ合う二人の目は見開く。
悲観と絶望に染め上げられた???の顔。そして、守護の驚きと絶望に染められた瞳と顔は、男へと勢いよく振り向き、
「むっ、無理です!!」
初めての抵抗と大きく発した声は力強く室内を反響する。幾度となく反響する声を聞いた???の瞳には水滴が溜まる。声を発さず、目の前にいる守護が抵抗したことがただ嬉しかった彼女は微笑む。
しかし、次の瞬間には彼女の表情は歪んでいた。
「ガハッ!!」
壁へと飛ばされた???は地面へと落ちると同時に胃の内容物を吐き出していた。そして、その光景の次には彼女の右腕があらぬ方向へと向いていた。
幾重にも反響する彼女の悲鳴は守護の鼓膜を破るかのように突き刺さる。
目の前で起こされる悲劇。
「お前がやらないなら、甚振って俺が殺すだけだ」
ガスマスクは横たわる???へと近づき、腕を肥大化させ、彼女の頭を持ち上げる。揺さぶられながら、意識が朦朧とする彼女の瞳からは涙が流れ、嗚咽が漏れる。
「やっ、やめてくださいっ!!」
「やめないよ…………これが最後の試験なんだ」
「し……けん?」
「大切な友人でも殺せるようにする訓練。意味はわかるな?」
ガスマスク越しに笑っているのがわかる声に、子供ながら守護は精一杯の力を振り絞る。
男へと殴り掛かる守護だが、男は微動だもせず首を傾げるのみ。
「身体強化がないのが残念だったよ、No.4。ただ、結果としては能力の発現はできたことが幸(幸い)だった。次の段階に生かせてるのだから…………」
男は頭を握り潰すために力を込める。ミシミシと響く骨の音とともに彼女の悲鳴が再び部屋の中を蹂躙する。
「た…………すけて、守護」
守護へと伸ばされるか細い彼女の手。
必死に伸ばされる手は折れた手と同じようにあらぬ方向へと向いてしまう。
目の前で起こる絶望から目を背けようとする。
「ダメだ…………前を見ていろ」
「友達を助けてあげなくて…………いいの?」
いつの間にか後ろに立っていた巨漢の男に体を抑えられる、閉じようとする瞼は強引に女によって開かれる。
視界の隅で嘲笑うように三人の大人が守護と???をいたぶり続けた。
瞬きができない状況、目の前で響く彼女の声は守護の瞳から再び光を削り取っていく。
「お前は組織のために生きる。それがお前の幸せなんだ」
耳元で囁かれる女の声は何度も何度も続けられた。
それは暗示をかけるかのように、そして目の前の光景を目の当たりのさせるかのように、耳元で何度も囁かれる。
床へと落とされる???は立つ事もままならず、仰向けになりながら悶え苦しむ。ただ、彼女の瞳に映る光は消えずに守護へと視線は向けられた。
「大丈夫だから…………私を殺して」
それが彼女の最後の言葉だった。
次の瞬間、守護の記憶は飛ぶ。
目が覚めたと思えば、両手に感じる生暖かな温もり。それへと視線を向ければ赤黒く粘度のある液体が床へと滴る。そして、そこにあったのは彼女の骸だった。
胸を貫かれるように穴があいている彼女の姿を見れば、胸へ込み上げてくる吐き気と悲しみ。それらは同時に地面へと吐き出された。
ただ、彼女の表情だけは守護の脳裏に焼き付けられる。苦しんでいたはずの彼女の表情、そこには守護へと微笑みかけるかのような優しい彼女の顔があった。
彼女の体を優しく抱きかかえる守護の瞳には光はない。ただ、くすんだ黒い瞳と靄が掛かった思考だけが巡り巡っていた。
そんな二人を見下ろすように、
「ちゃんと殺せるじゃないか…………良い子だ」
「これからは外に出て、働いてもらう」
「私たちの悲願の為に…………頑張りなさい」
声をかける三人は地面へと視線を落とし、
「「「怪物どもに地獄の栄光を」」」
と口にした。
それからの十年近く、守護に言い渡される命令は暗殺だった。
組織への資金援助を拒否する人間を暗殺すること。ただ、そこには感情が入る必要性はなくなっていた。
反抗しようとするも、頭は靄が掛かったように思考することができない。
千里眼の力を使い、暗殺対象を見つけ出せば一人になった所を殺す。
対象者の索敵と暗殺をすることに長けた能力で苦労はしない。
多くの暗殺対象者には家族がいた。
死ぬ間際には、「家族がいるんだ」と涙を流しながら生き永らえたいと懇願する者が多い。
暗殺をする度に彼女の笑顔が脳裏を蝕むように痛み出すが、それも時間と共になくなっていく。
この気持ちが何なのかは理解する必要性がなかった。それは命令に必要性がないから。
そうした日々を過ごし、組織へと戻れば幹部の三人が話をしていた。
「最後の一匹を見つけたらしい、場所は日本だ」
「やっと…………家族に会える」
「あぁ、死んだ娘と妻に会える…………長かった」
「夫と…………会いたいわ」
各々が口にする希望。
「最後の一匹を殺せば、家族に会える」
そこに現れた全身を漆黒のトレンチコートで包んだ男は、左目に十字架が書かれた眼帯を付け、静かに会話に参加する。
重苦しい空気を見に纏うように歩く男。彼が歩く度に周囲の空気は数倍にも重く守護を含め、四人を襲う。
「カーティス様っ!! いつの間にこちらにこられたのですか」
カーティスと呼ばれた男は右手を小さくあげれば、三人は静まり返る。
「私がいつ来ようが関係ないだろ。彼は上手く稼働してるのか?」
「No.4は問題なく稼働しております。次の仕事もNo.4に行かせる予定となっています」
「暗殺の失敗歴なしは流石、No.4なだけあります」
「人間相手であれば、簡単なことだ。妖魔が相手となった時、どう反応するのか……」
「「……………………」」
カーティスの一言と浮かべている微笑み。それらを見た三人の背筋には夥しい冷や汗と共に恐怖が心を黒く染め上げる。膝は笑い、腰が砕けるのではないかと錯覚させるカーティスの静かなる威圧は、遠くにいた守護をも同じ状態にさせた。
『最後のヴァンパイアを殺せば、家族を取り戻してやる』
「吉報を…………楽しみにしている」
振り返り、地下施設から出ていく彼の後ろには一匹のケルベロスが追従していた。体から靄が掛かったような霧を放ちながら去っていく後ろ姿を見るだけで、胃の内容物を吐き出すかのような吐き気と悪寒が守護や三人を襲った。
ケルベロスが口にした意味深な言葉に二人は涙を浮かべる。
カーティスとケルベロスが居なくなった地下施設。
そこに佇む二人の大人の嗚咽だけが、施設内に響き渡る。
そんな中、守護の脳裏に焼け付いていた彼女の笑顔に靄がかかる。
思い出そうとする度に痛む頭は割れるのではと思えるほどのものだった。
それから一週間後の冬、守護は日本へと足を踏み入れた。