Doll.7 前日前朝
朝――少年は目をしきりにこすりし、欠伸をする。カーテンを全て開けて窓を半分開放してやり、春の甘やかな大気を部屋中に吹き込む。
「まぶし……」
あんなに毎日恐ろしい起こし方をしてきたもんだから早くに目が覚める。それも一匹の、あの、小さな黒猫のせいで。
食欲は大してなかったが、とりあえずなんらか食べねばならない。近くに自生していた食用の菜っぱをさっと水でさらして食べやすい大きさにちぎり、白磁の皿に盛った。味付けもまたことさら簡単に岩塩のみ。
手早く済ませると今度はメリルのための服を新調しようと思い立って、裁縫箱を取りに自室へ走る。
「…………静かだな」
どれほどあの馬鹿がうるさい存在であったか実感する。賑やかでどんなに愉しく家が明るかったことか……。
一匹の黒猫がある家の裏手から部屋の様子をさっきからじっと観察していた。すらりとした尻尾を揺らしてひげをヒクヒクと。硝子窓に顔を貼り付けて。
「なんだよ……案外フツウじゃないか」
それは人の言葉を口ごもり、黄色い目を安堵でもするように和らげた。
そう、ネコ――ネリは昨晩ああいって家を飛び出したものの、やはり心配で戻ってきたのだった。いつも通りの少年の行動に杞憂だったと思い知る。
……彼が、最も大切に想っている人形の手入れをしているのが、ネリにはよくみえた。
「ホント物好きなヤツだなあ! まあ、戻ってきちゃったボクもよっぽどそうなんだろうけど」
少年はメリルの容姿にぴたりと合う服を作ろうと思っていた。何か参考になりはしないかと親の部屋に足を踏み入れる。ここだけ掃除されず埃っぽい湿っぽい場所となっていた。
美人たちが少年の来訪を眉根をひそめて出迎える。少年もそんな彼女らに向けて歪んだ笑みをしてやった。一体一体みては溜息する。
「――やっぱり僕はどこかおかしいのかな」
メリルにだけ。僕の心臓が鼓動を早めてしまう。優しく接してしまう。大好きな、世界でたった一人の僕のお嬢さん……!
「――どうしてこうなってしまったんだろう?」
少年は左胸に手をやり小首を傾げる。息苦しい。愛の哀しみ。苦悩。
彼女のことなら目を閉じればすぐにその細部まで鮮明に思い描くことが出来る。ほっそりした白い手足だとか、栗色の長髪。宝石みたいに瑠璃の瞳。
ひとつの芸術作品。
多分、蒐集家達の間で一世を風靡する人形だろう。こんなに人に近しい人形は他にいないにちがいない。
――猫さんが降りたんだから早いとこ新しく守番を立てねば。
そう、今はそれだけ考えていればいい。それなのに気が重い。
少年はメリルの服を一針一針縫いつつ、先を思って憂えた。