Doll.4 オモイ
「おっきろーおっきろー、もう朝なんだぞー!」
ちりんちりんと首元の鈴を鳴らしてネコは寝台の周りを跳んでいた。時折、壁にかかっている時計をみて時刻を確認しては、叫んでいる。
「……だーかーらー、眠いんだって! ちょっとは静かにしてくれないの? いつも僕がご飯を作って洗濯して掃除して居候させてやってるのに、あんまりだな。猫さん」
「いやいや、あまり寝ていたって疲れは取れるどころか摂れちゃうんだよ。あっ意味わかる?」
少年――サンディはうんざりという顔でネコをみた。だが、こんなヤツにかまったって仕方ない。疲れがたまるばかりだ、と口を引き結んで文句の漏れ出るのを堪えた。
「というか、今日はいつもとどこかちがうね、猫さん」
少年はふと彼の服装に目をとめていった。なにかがちがうのだ……なんだろう?
「そりゃあな! 今日のボクはサッチしたから――」
「何を察知したの?」
急にしおれたようになって、ネコは傍にあった椅子に座った。
サンディはそれがことさら珍しいように思い、さらにきこうとした。
が、そのとき彼らのいる部屋の外でガタン、と大きな物音がしたので家のまっとうな主人である、サンディが戸口に向かった。
「……どちらさまですか?」
「…………」
「開けちゃダメだぞ、いいか、開けるんじゃないぞ?! そしたらこのオンナを隠してやるぞ」
「ねえ、猫さん。あなたがなにをいっているのか理解できないんですけど――あと、メリルには近づいちゃだめだよ? おびえられちゃうもの」
「……ボクには生命の危機が迫ってきているんだ! そんなの、かまっていられるかっ」
本当に珍しい。ネコが顔を真っ青にして叫んでいる。少年は、内心で驚きながらもそういうそぶりはみせないでこういった。
「いいね、開けるよ」
「?!」
「――ああ、サイアク。こんなところでこんなガキに面倒みてもらってんのかよ。いつまで経ってもおこちゃまだな、おまえは」
と、サンディが戸を開ける間もなく鍵が開いて、怒った様子の小男が中へずんずん入ってきた。ネコは明らかに狼狽して、小さく悲鳴を漏らした。
そうして逃げようとするネコの前に立って、いった。
「おまえ、どうして逃げたりなんかしたんだ?」
少年は俊敏な動きをするネコの首根っこを易々と捕らえてしまった小男をちょっとした感嘆の目で観察してみる。とにかく小さい、ともすれば子どもにみえる。ローブを羽織っていることで辛うじてネコと同じく魔術を扱う者なのだとわかった。あいつに対する口ぶりからしてきっと年上。
男は、その茶色い頭を掻きながら憮然としたふうでいった。
「ネリ。家出の理由を教えろよ。オレ、なんかやっちまったのか? そういうの鈍いからいってくれないとわかんないんだぜ」
「……いうことなんかないもん! 帰ってよ、なあ、リチャルド」
ネコは泣きそうな目ながらリチャルドを睨む。なかなか眼光が鋭い。これには男も若干、ひるんだようだった。まあ、やってることからしてどっちも成人男性にはみえないけれど。
サンディはどうも自分が所在なさげになってしまっている気がしていた。それで、緊迫した空気をぶち壊したくなった。
メリルだって、こういうのはすかないはずだし。
「……あの! 僕の家でピリピリするくらいなら外でやってもらえるかな? 気分が悪い」
「――こいつはなんなの、ネリ。オレのこともなんにも説明してなかったってか」
「チガウ。説明してないんじゃなくて、説明しなかったんだよー!」
……結果として、彼らの言い争いは悪化し長引いた。
「あらためていうよ。ボクはネリ。オルリアン王国の一魔術師で、あーコッチへは嫌気がさしたんできたの」
「オレは、こいつの後輩で、こいつの世話役……のはずだったんだがな」
一段落したところで二人はいっぺんに少年に話しだした。ネコが家出した理由と彼が何故怒っていたのかはこれから分かるのか。
「こんな奥まで逃げてくるなんて、何か理由はあるんだろ」
「――……ボクはおまえに怒ってるんだ! だって、」
ネコは自分の境遇についてゆっくりと語る。代々の魔術師の血筋であること、金持ちの息子だということ、そして、自らのオモイを。
「――ボクは確かにそういう家系のコだけど、使う魔法は人並みだ。それなのに、周りはボクを何かと理由を引っさげて称えるんだ……由緒正しい魔術師の家庭に生まれてるから」
間違っている、とネリは考えた。自分のことは全くみちゃくれないのだ。真剣に取りあってくれるヒトはいないのか。
「そんなところでこいつに出会ったんだ。ある村が洪水にマイっていたのをきいて駆けつけたら、このバカがさらっと解決するとこだった。ボクはねたましくってうらやましくって、でも自分の才との差は段ちがいすぎたから、尊敬すらしてた」
その小男は眉をきつくひそめて、ネコの語りの続きを促す。少年はそんな二人をじいっと見つめていた。話の行く末を静かに見守ろうと自分も、いつのまにやら彼らの座っていた椅子の傍のほうに腰掛けて。
「チャド(リチャルドのこと)と一緒に仕事をするのが多くなって、うらめしいのはさっぱりなくなって、代わりに尊敬が強くなったんだ。それなのに、こいつはそんなボクのことなんかちいっとも分かってなかったのさ! こいつもみんなとおんなじだよっ」
「――オレが何かいったんだな? そうだろ」
だんだんヒステリックの症状が目にみえてきて、サンディは、はらはらと二人を交互にみた。
「『おまえはすげえよな、良いトコの魔術師だったんじゃねーか。通りで奴らがおまえのこと褒めてるわけだ』、なあんていったよな、チャド。ボクはそれがひどくいやな言葉に思えた。そういうわけなんだよ。対等に、純粋に分かり合えたらよかったのに……」
「なーる……」
「そんなことでかよっ もっとマシな理由をつけろよ!」
少年はうなずき、男は叫んだ。ネコは萎れたようになって椅子から立ち上がり、水の入ったグラスを持ってきて飲み干した。感慨深げな目だ……そんな表情をみるのも新鮮なことだとサンディは瞬きする。
「ところで、猫さんは、猫なの? 人なの?」
ふと湧いた疑問を口にし、サンディが首をネコに向けると、一瞬の間ができた。
「おい?!」
ネコも男も一斉に同じ反応を返す。
少年はそれを面白く思って、そうすると仲の良い兄弟のようだ、という目で微笑った。
「いっとくけどな、猫型は野宿でもまだマシなほうだったからそれでいたんだ。人に戻ると寒いし、たくさん食料が必要になるしー」
「おおっ そうなんだ」
「なにボクの話で感心してるんだよ! おまえだって野宿してごらんよー。このツラサがちょっとはわかるでしょ!」
リチャルドというその男は、彼らの会話を遮ったりはせず黙ってきいていた。彼はネリの様子をみてもう少しほとぼりが冷めたら戻ってくるだろうと考えた。
「――いつでも帰ってこいよ。こっちは今が忙しいんだ」
「ボクはどうせ役立たずだもん!」
不機嫌に口を歪めてネコはそっぽを向いた。
と、リチャードの付近から警告音が流れてくる。ローブの隠しから機器めいたものを取り出して男はちっと舌打ちをする。
「オレのほうは仕事が大詰めだ。こいつばかり構っていてもいられないらしい」
「なにかあったんですか?」
サンディが小男の青い瞳を見据えて尋ねた。厄介そうだな、と思いながら。オルリアンの人間はどうも馴染めそうにない。騒々しすぎる。
「ある貴族の館がもぬけの殻で、夫人だけが倒れ伏しているらしい。凶器が腹に刺さっていて部屋の中は真っ赤らしい。奴らの話だと夫人の旦那が疑わしいということだが、オレはなんだか違うと思うな。子どもがいたらしいんだ。そいつがちと怪しい。潔白そうで捜査対象に入れていなかった奴ほど真犯人というのはよくある話だな!」
物騒な話なのにまるで楽しい噂話をしているようだ。この感覚が少年には理解できない。
「じゃあな、ネリ。ほんと、いつでも帰ってこいよ」
といって、男が去っていったのは夕暮れ間際だった。ずいぶん長居されちゃったな、とサンディがネコを盗みみると、ネコはまだすねた様子で誰もいない扉の辺りをみている。
「僕とメリルが心配で残ったんでしょう? 猫さんは優しいねー」
「べっつにそんなつもりないもん。ボクは、もう知らない! 寝るっ」
ネコはするりと少年の前を走り抜いて猫の姿で寝床にもぐりこんだ。
少年はそれをみてちょっと微笑んだ。