Doll.3 一日
いつもと変わらぬ朝。
静かに規則正しく振り子が時を刻む。カーテンはぴっちり閉められ、ろうそくの芯はまだ白く新しいままだ。
光の差さない空間。
かすかにきこえる息づかい。
ぱあーんっという音がその静寂を破った。ついで小さな小さなうめき声のようなものがきこえてくる。みしみし寝台が軋む音がひっきりなしに鳴ったかと思えば鈴の音。
ガタガタ、崩れ落ちる気配。
「……いてて。なに?!」
部屋の照明が何者かによって点けられ周りがよくみえるようになった。家の主人は床に強かに打ちつけた頭に手をやり、寝台の上でふんぞり返って見下ろしてくる人物を睨みつけた。
「いいかげんおきろよ! もうとっくに昼なんだぞ」
「――猫さん、だからってフライパンを打ち鳴らす必要はないと思う。普通に起こすとかできないんですか?」
「それでダメだったからこうしてるんだいっ」
“ネコ”が少年の家の留守番役を買ってでることになって一週間、静かで平和な生活はあっという間になし崩しになってしまった。猫だか人だか知らないがもうちょっとお手柔らかにしてほしい、と正直なところ思う。
「おまえ、鳥目なんだろ。ここ連日電気つけようとさまよってもの割ってる。今日はボクが代わりにつけようと思ったのさー」
少年――サンディは渋柿でも食べたかのように顔を歪めた。見た目も精神もおこちゃまなこいつに十五歳になる自分が理解され、なおかつ配慮されている……屈辱。
「でもってなかなかお目覚めにならない主人の手助けをわざわざしてあげたんだよ? ちょっとはボクに感謝していいでしょ」
「……耳元で金属叩きつけるのはやめて」
「きちんと朝おきるんだったら、なー」
“ネコ”はハイになっているのか、部屋中をぴょんぴょんはねてまわった……みているこっちがうんざりだ。
サンディは大きなあくびをして立ち上がった。服を着替えながらぼやく。
「暗闇の中どこに何があるかなんててんでわかるわけないだろ……猫じゃあるまいし」
「――今のボクは猫じゃなくってネコ! そこんトコまちがっちゃダメ!」
「猫さんさ、いつもその服だけど気に入ってるの? 全身真っ黒だよ」
「無視するなっ!」
少年はネコの着ているローブをみつめて指差した。ちんちくりんな格好。魔法使いといえば黒コーデ、なんてノリでそうしたのか? そうでないことを祈りたい。
「~~っ 悪い? ボクは黒猫だから黒色が一番おちつくんだよ」
ぶすっとした顔でネコは答える。やっぱりそういうノリなのか。
「どうでもいいかな」
サンディはにっこり笑ってメリルのいる方をみた。
相変わらず心がからっぽという呈の彼女の長い髪を三つ編みにしながら、少し遅い挨拶をする。
「メリル、おはよう。昨日はよく眠れたのかな……?」
返答は、ない。
「猫さんは本当にやかましいねー。メリルは静かなのがすきなのに」
やはりメリルから言葉が返ってくることはなかった。
サンディは心なしか悲しげに彼女をみつめ、その口元に口づけた。
その様子を黙って遠巻きに観察しているネコだったが、時折何かいいたそうに口をパクパクさせていた。視線に気づいた少年は目をすがめる。
「……なに? 何かいいたいことでもあるの、猫さん」
「それ……――」
いいかけて「なんでもない」と首を振る。サンディはさっきまでの自分の行動を思い返し、尋ねた。
「キスのこと?」
「……うーん」
なんとも曖昧な返事だ。これってききづらいことだろうか。
「メリルが嫌ならやめるけど今のところそういう感じはないよ?」
「そうみたい、だねー」
何故かネコは遠い目をした。
「そういえばメリルっておまえの妹……?なの?」
「……いや、ちがう。引き取ったんだよ」
「ふうん」
「前の名前で呼んだらいけないらしくて……僕の好きな花の名の一部をとって『メリル』ってことにしたんだ」
夕方、食事の支度をする片手間に少年はメリルの話を少しばかりした。ネコのことだ、いわなくても根掘り葉掘りきいてこようとするにちがいない。後回しにするというのはときとしてより面倒ごとに発展する可能性がある。これもそうなりかねない。
「これがその花だよ。きれいでしょ」
花図鑑を開き写真を指差す。
「花じゃん!」
「花だけど……?」
一体なにを想像していたんだこいつ。
「――メリルってほら、可愛いでしょう? ぴったりだと思ったんだ。まあ、美人だからね。売人に奪われかねない。それで」
「あっ……それでボクのでばんだね?」
その先を察したネコが話を遮り口を開いた。サンディは小さくうなずく。
「そう、僕が家を留守にするときは守ってちょうだいね?」
「しんぱいごむよう! とくいの魔法でやっつけちゃるっ」
意気揚々とネコが腕を振り上げた。肩に当たりそうで危ないので少年はすっと彼から離れる。
「……メリルはさ、口を閉ざしてもう長いんだ。僕が七歳のときからずっと。でもね、たまになんだけど、語りかけていたらふっと目があったり、かすかにでも微笑み返してくれるときがあるんだ」
「…………気のせーじゃn」
「僕はいつか、メリルと一緒に語り合いたい。今はゆっくりゆっくり彼女の心が動き出すのを待つだけだよ」
サンディはメリルの心をもろくはかないもののように思っているようだった。大事そうに、ひとまわり小さな彼女を抱きかかえて寝台に寝かせる。
「おまえとそいつは何歳なんだ?」
メリルの身体にそっと毛布をかけて食卓に戻ると先に食事を始めていたネコが眉をひそめていた。少年は内心動揺しながら答える。
「え、十五かな。あの子は――……十二?」
「えーそうなんだふーん……じゃあさ、ボク、な、なんさいくらいにみえてる?」
恐る恐る、といったふうでネコは尋ねる。黄色い目が大きく見開かれていた。くっきり二重なのがうらやましい。しかしこの展開……なんか。
「えー…………七歳」
「…………っち」
「あ、えっとー猫さん?」
真っ黒ローブの裾をつかみ、わなわな震える、どうみてもみた感じ子どもな彼。
「~~っ ちっがーう! ボク、これでもれっきとしたおとなっ」
サンディの台詞にネコの怒りが爆発した。
「じゃあ、何歳なの?」
思わずのため息が今日も出てしまった。
ネコは少年が話をきくそぶりを見せたことで、でーん、と腰に手を当てていい放った。
「百二十歳だー! えっへん」
「……っふ」
しまった。笑ってしまった。だって、歳なんて威張っていえるものだろうか。彼の場合、精神年齢が樽の底並みに低いということをいっているのと変わりないじゃないか。
「笑うな! ほんとなんだぞっ」
サンディは必死に笑いの発作を止めようと頑張った。が、堪えようがなかった。
「っふふ、猫さん変だっ! あははっ」
「っこいつ ボクのことを笑うとはいい読経だな!」
「ふふっ……度胸じゃなくて?」
明日からは調理場をネコ禁制にしよう、と少年は寝支度を拵えながら思った。というのも、今日は起きて早々の食事がネコ手製のものだったのだ。ゲテモノばかり、蝙蝠やら蜘蛛やら蛙を料理……ワイルドにも味付けはシンプルに塩と胡椒。
「魔法でやったらよかった?」
……なんていって出したものは、魚の骨や猫用缶詰。
「猫さんだけだろ。美味しくいただけるなんてヤツは」
「そうなのっ?!」
――ずれている。感覚が、とんでもなくずれている。
「寝る前にメリルの様子をみにいこう」
*****
夜。多分深夜に限りなく近い夜。
少年はようやくメリルの傍から離れ自分の寝床にもぐりこんだ。
ネコはそれをちゃんと確認してから彼の寝床である、籠に入って背を丸める。少年の寝ているところからほんのちょっとしか離れていない。観察対象は目の行き届く場所にいなければ、というのがオトナな彼の意見だった。
籠は椅子の上に載っている。
「――それにしても、変わったヤツだな」
黒猫から人型をとってみせてもあまり驚いているようにみえなかった。感情の起伏があまりないのだろうか。百云十年生きているがこのヘンゲに驚かないなんて、絶滅危惧種ニンゲンだ。
でもアイツ、だんだん素直になってきている気がするな。今日も笑ったし。失礼すぎるほど、思いっきり。ヒッドイなー。
「…………」
ネコは眼を閉じ今日彼と話したことをもう一度頭の中で整理する。これはネコの日課ともいえる行為だ。魔法使いとなってから欠かさず行っている。
ふと少年がメリルにキスした場面が脳裏にちらついた。
この家にきてからずっと、ネコはサンディのメリルへの態度に薄ら寒いものを覚えている。
――アレににあれほどの溺愛よう。ヤバイな、アイツ。
いおうと思えばいえる、だがいって何か変わるだろうか? 少年はそういうことをきいてはくれないだろう。それに。
「楽しいからこの関係、ぶちこわしたくないしなー」