Doll.15 サンディの幸せ
「おじさんが今の所有者……」
なにかあってもすぐにはネコが入って来れないよう中から鍵をかけたサンディは、メリルの所有システムについて考え始めた。
所有者は契約後数日以内に寿命を吸い取られ、それを人形の魔力の糧とされること。外見保持のために人形は一定範囲の人間から微弱の精気を得ていること。所有者が人形から離れれば人形は不完全であること。人形は願いを叶える際に相手の寿命の大部分を喰らうこと。所有権が移る条件はただひとつ、現所有者が何らかの形で死ぬこと。
つまりこのルールに沿えば、メリルを手に入れるためにセオには死んでもらわなければならない。だがそれはサンディをためらわせた。いくらメリルにとっての一番が自分であれという気持ちであっても、叔父を失くしてとなると話は変わる。そうして得る幸せは本当に幸せといえるだろうか。メリルは僕を想ってくれるだろうか?
「僕は君の一番でありたいのに……どうして」
胸に抱いた硝子箱はひんやり冷たく、動の気色は微塵も感じられない。ずっとこのまま諦めてひとりで待つしか方法はないのか。
うなだれ、じっと目をつむっていると時計の振動や枝葉の軋みや春の風が窓を叩いてまわる音がしっかり耳を伝ってくる。心は落ち着きを取り戻す。しばらくそのまま耳を澄ましているとそこへ懐かしい響きをもった音がとびこんできた。
どうしたの。
久しぶりに聞いたせいもあって少年は一度自分の耳を疑った。それでも二度三度その声を認識するや否や、抱えた箱を持ち上げまじまじとその声の主を見つめた。
「……め、メリルなの? 今の」
ささやかな発声。どうやら硝子箱に戻される直前にセオからほんの少し奪い今まで温存していたという。
「それで、何をそんなに落ち込んでいたの?」
数年ぶりに聴く彼女の声は変わらず優しげでサンディの視界はみるみる滲んで見えにくくなった。
「ねえ、メリル。僕、できるならおじさんを死なせないで君と契約したいんだ……他に方法があったりしないかな」
「ないこともないけど――」
契約の上書き。それには通常よりも膨大な魔力を要する。この国の人間にとって魔力は命と同義であり魔力は生きていくなかで育つもの。まだ子どものサンディが行うにはあまりに自殺行為、ショック死を招きかねない儀式なのだとメリルは語った。
「それで良いよ、僕を代償にして君の一番にいられるなら」
儀式ときいて自分の腕にナイフを刺したりするものだと思っていたが、実際は何の用意もいらなかった。サンディが了承のことばを口にした瞬間、それは完了した。魔法陣が浮かぶことも眩い光が放たれることも特になかった。
すぐさま腰を折り床に伏す少年。胸元を押さえ苦しげに息をしながら、台に座る彼女をくぐもった瞳で見上げた。いつの間にか硝子箱は砕かれきらきらと粉が舞うのみだ。
「……これが、儀式の代償? 思ってたより、きつ、い……ね」吐血し痙攣する唇が微かに笑みをつくる。
「やっぱり消耗がはげしい。もって余命いくばくのカラダになったわ……」メリルは眉を下げ哀しそうに新しいご主人様をみつめる。「これでほんとうに貴方はよかったのかしら」
「セオが死んでからのほうが貴方にとって絶対に優位な条件が揃っていたのに。どうしてそんなに私を所有しようと焦る必要があるの? 貴方にとって私は何なの?」
依然ふらふらなサンディだったが、畳みかける彼女の声をきいてはいつまでも伏せているわけにはいかない。完全に気力で上体を起こすと、近くの椅子を引き寄せ寄り掛かった。
「僕にとって君は――なんだろうな、複雑でとてもひとことではいえないよ」そうだな、と呟きながらサンディはこれまでを振り返る。
「はじめは、両親へのあてつけみたいな感じだったかもしれない。いつも僕を置きざりに出ていくふたりのことが大嫌いだったから。でも、ガラクタ相手だけじゃなくて僕のことももっと構ってほしいのにと思う気持ちもあった。あの人たちとおじさんの前では意地をはっていたけど、ほんとはひとりでいるの、寂しくて。
そんなとき、親の部屋で埃をかぶっている君をみつけたんだ。まるで僕のように放っておかれてひとりぼっちな君に。寂しいに違いないって。しゃべりだした君は全然平気そうで逆にほっとしたっけ。
……あの日、両親が死んでしまった日、もう会うこともないんだと思ったら、とんでもなく孤独になった気がして、君に縋った。君を親代わりにしようとしたんだ。けれどあの時の君は眠っていたから、僕は結局ひとりで夜を明かしたんだけど。
君が全く動かなくなってからは妹のようなこいびとのような曖昧な感じだったな」
メリルは口を挟まず静かに話を聞いている。
「……今僕が思っているのは生きている限りは絶対誰の手にも渡したくないってことだよ」そういう存在なんだ、君は。
「それでも、もう死んでしまうわね」とメリル。
「そうだね」とサンディ。
「でも僕はこれまでずっと大事で確かなものがなかったから、やっと最期に契約できて僕は嬉しい。十分すぎるくらい。このまま死んだっていい」
「貴方には私以外にまだネコがいるのに、本当に、ここで終わってしまって良いの?」
「まあネコさんは……イイ奴だし、きっとひとりでも生きていけるタフな人間だよ。僕はアイツを気に入っているけど半面一緒に居てつらくもある。君は心は強いけれど、誰ががいないとその身を保つことができない。
買い物先でネコさんに出会っていなかったら君を取り戻すことはカンタンじゃなかったろうな。ムリだったかもしれない。だから、そうだな……僕が死んだあと見知らぬ誰かの許に渡るくらいなら、アイツに託そうかな」そのくらいの恩はあるしね。
「仇で返されたとカンカンに怒るわね、あの魔術師……」
そういったメリルのことばを合図に再び契約が重ねがけされた。椅子から少年がくずれおちる。
「――……あともって、数分、かなあ」僕のいのち。少年はフッと微笑み、心底嬉しそうに目の前の少女へと手を差し伸べた。
「これで僕が死ぬまでずうっと君は、僕のものだよ」