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Doll.10  両親

 僕がもうなんの世話をしなくても生きられるだろうと確信してから、両親はもうあの優しい笑顔を、言葉を、くれることはなかった。そのとき四歳だった僕は、彼らの態度の変化に戸惑いつつもまた元通りになるだろうと、一種の楽観があった。

 だがそんな僕の気持ちとは裏腹に、彼らは自分の子どもと接することをやめた。彼らはよく家を空けるようになった。一週間も帰らない日だってあった。

 どこにいっているのだろう、子どもを一人置き去りにして――僕は本当に不思議だった。そして、楽しかった、変化する前までのわずかな日々を思うと、やはり悲しかった。


「……君がサンディかな? 私はセオ・オルタ―。これからよろしくね」

 そうやっているうちにいつの間にか半年が過ぎ、両親の友人の伯爵が来るようになった。


 自炊するといってもまだ簡単なものしか作れなかった当時の僕は(いまもそうかな)偏食気味になって体調を崩しやすくなっていたのだが、ある日とうとう高熱でぶっ倒れたらしい。このことについては霞がかって思い出せないけれども。

 セオおじさんはしょっちゅうこの家を出入りしていたから、すぐに気づいて医者を呼んだ。医者がいうには、ビタミンやらミネラルやらが不足しすぎだ、ということだった。僕はここ数日ずっと水と麺麭屑で生きていたのでよく考えずとも分かる話だ。



「……おかーさん達はどこにいっちゃうの? セオもたまに一緒に消えちゃうね。僕そんなに悪い子なのかな」

 熱が出たとおじさんは知らせたらしいけれど、彼らは結局僕のところにはこなかった。それで熱のあるときは心細かったのだけれど、回復してからは文句の一つもつけたい気分になった。おじさんに不満をぶつけたって意味ないのだけど。

 だんだん、悪いのは僕なのかしら、と思い始めてしまって、うっかり涙が出た。セオはそのとき庭の草むしりをしていたのだけれども窓際で足をぶらつかせる僕のほうを向いて、にっこり笑った。その笑みはあれより老いた今も変わらない。

「お人形は好きですか?」

「に、にんぎょう? なんのはなし」

 僕が瞬時に思い浮かべたのは、丸顔に羊毛の髪の毛の縫わさった、素朴な手作り人形。すきっていうか、嫌いではないけど……。

「縫い目も針穴もない、お人形ですよ。みんな珍しがって集めたがるものです。勿論、私共も……」

 おじさんは丁寧に話したり気楽に話したり、を使い分けていなかった。多分子ども相手にどう接したら良いか分からなかったのだ。これは今もそうだ。

「おとーさんも集めてるの? それで、あんまり構ってくれないの……」

「サンディにはおじさんがいるよ。独りじゃないよ。ほら、あっちにちょうちょうさんも遊びに来ているよ」

「うん……」

 人形に両親を取られてしまった気がして僕は悔しかった。あんな、生きてお話もできない人形なんて! ずうずうしいったらありゃしない。


 それからほどなくして両親が帰ってきた。三週間ぶりの再会だ。抱きしめてくれるかもしれない。寝る前にご本を読んでくれるかしら、なんて緊張しつつ彼らを出迎えたわけだけど、二人はただ僕を一瞥するのみでさっさと部屋にこもってしまった。「ただいま」のやり取りさえしてくれないのだ。



 


 一年が経って、ますます両親は家に寄り付かなくなっていった。帰ってくるのは人形を保管したり手入れしたりするためであって、ちっとも僕のためじゃない。彼らは魂も血肉も人生の全てを、人形なんていうただのガラクタに注いでいる――馬鹿らしい!

 もう二人に期待することなんかない。長きにわたってこんな生活が続けば、誰でもこうなるだろう? 僕はあの人たちを他人のように思い始めた。顔や声、仕草、何もかも遠すぎて記憶の海底に埋めてしまった。どんなに求めようと叶わないのだもの。 


「――では、行きましょうか? ケリー(サンディの父親。セオはいつも名前で呼ぶ)にご婦人。サンディ、留守中は良い子にしているんですよ」

「うん、安心して。おじさんと……あなたたちもお気をつけて」

 この日、僕は初めて悪い子になった。

 彼らがいつものように人形収集に出かけた後真っ先に、両親の部屋の鍵を玄関の棚から取って戸をこじあけたのだ。

 ずっとずっと口には出さなかったけど、暗くよどんだ何かが幾重も僕の身体を縛りつけてきて、払っても払ってもまとわりつき次第に溜まっていったようだった。水面に顔を出したくて初めこそ抵抗していた僕は、重しが増えるばかりなのだと悟って、やがてあきらめた。面倒くさい、という感情が常に僕の心を支配していた。

……脱出はあきらめたんだ。だから良い子にならなくていい。

 彼らの命と同じくらい大切な人形たち(コレクション)を破壊する。

 別にそうすることで振り向いてもらおうとかそういうわけではない。彼らはきっと振り向きはしないし。

 人形なんてどれも同じで代わりは幾らもあるじゃないか。じゃあ、幾ら壊したって、失くしたって、悲しいことはないよね? 僕だって死んでもどうだっていいんだろう。彼らにとって魂なんか重要じゃないんだ。”みめ”がよけりゃなんでもいいんだ。


「――ふんっ! こんなもの、めちゃくちゃにしてやる」


 結論、僕は全てを破壊することができなかった。本当に叩き割ってやるつもりだったのに、だ。生半可な決心でなかったはず。それなのに実行できなかったのは、


 やはり、人形のせいであった。


 それらの放つ空気がやけに生々しく、双眸はこちらを窺い見るような感じだった。呼吸をしているのではないかと思えるほど変に生暖かい部屋。髪の艶めき。艶めかしげな肌の質感……。

「う……」

 玄能を握る手が汗ばんでぬるぬるした。勢いをつけて腕を伸ばす、と、みてはいなくとも高濃度の圧力が僕へ降りかかり、思考が停止するほどの痛みが僕を貫いた。どうにかなってしまう、と慌てて玄能から手を離した。圧力はやんだ。

 感ちがいも甚だしい。人形は生きている! 職人たちによって魂を入れこまれたか、ずっとこの世に留まっていたために宿すようになっている! 

 なら、ここで僕が叩き割ったら僕はどうなる? 僕は無事でいられるのか? 死ぬんじゃ……ないのか?

 死への観念に憑りつかれたような心中で僕の手が再び玄能に伸ばされ、固く握られた。恐怖と厭世的な感情とが激しく争って、その間僕の目はまっすぐ人形を捉えていた……いや、向こうがこっちを挑むようにみていたのかもしれない。ともかく頭痛と吐き気と胸痛とが身体を蝕むように襲ってきていて、まともな精神ではなかった。

 かくして、金属を例のものの胴辺りに打ちつけた。それはひびが入って表面が削られた。

 脚立に乗って頭上よりさらに上から落としてやった。何度も何度も何度も何度も…………。


 そうして目の前にはガラクタのようなヤツらが転がった。飾り棚からその同朋が恨みがましく僕をみつめる。まるで、生きているかのよう。さしずめ僕は彼女らの友達を殺した殺人者、ってところかな。別に彼女らの全身に血が通っているわけでも悲鳴をあげたわけでも、ないんだけれど。

 不思議と恐ろしいことをしてしまった感はなかった。両親のことすらこのときは忘れ去っていて、ただ、ぼんやりと生きていることとそうでないことの違いを考えていた。一体、生きていることのなにがそんなに良いのだろう? 生と死との境界線はどこにあるのだろう? 

 彼女たちはまだ死んですらいない。生きてはいないのだから。ならば僕のしたことはどんな意味を持つのだろう。ただの破壊か。

 ――彼女たちは生きてはいないが活きている。こうしてきれいな外見でもって皆に愛でてもらえる。そしてそのことに喜びすら感じているだろう。だが僕は反対だ。生きているのに活きていない。僕はこの自分の生になんの喜びも感じなくなってしまった。これからもそう、ずうっと。




「……私の部屋を荒らした奴は誰だ! 希少価値のある、素晴らしい人形だったのに」

 父は、帰宅して早々、家中に怒声を轟かせた。土気色した顔の表面に、盛り上がった青い血管がピクピクと脈打っていた。人形ごときに――とは、僕はもう思わなかった。しかしあんなに大勢いる蒐集物(コレクション)のうちの全てを分け隔てなく愛せているか、疑問に思うところだ。

 彼は、崩れて、その美的価値が損なわれたから怒っている。つまり、不完全さに価値をみいだす人間ではないようだ。人というのは完全なるものに目指して生きてゆくらしいけれども、僕はこのときはまだ、完全への憬れ染みたものは持ち合わせていなかった。どうでも良くなっていたのである。

 どうせ、壊れたその人形は捨ててしまうんでしょう。僕を放り出したみたいに。

 

 僕は自然、口の端を歪めて誰にともなく微笑んだ。

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