Doll.0 幕開け
その日は早朝からとても騒がしいものだった。普段は人っ子一人通らぬ十字路に大人子ども関係なく集まっており、ざわついた空気が漂っていた。
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静かに規則正しく振り子が時を刻む。カーテンはぴっちり閉められ、ろうそくの芯はまだ白く新しいまま。
光の差さない空間。
かすかにきこえる息づかい。
何かが堅い物体に当たった音が短く響いた。ついで小さな小さなうめき声のようなもの。がさっとしたかと思うとみしみし軋んだ音がひっきりなしに鳴っている。
カタカタ、崩れ落ちる気配。
しゅっ……。
「片付けなきゃダメだな……」
擦ったマッチの、独特な匂いが部屋中にたちこめた。しゅっ、しゅっ、と燭台にいくつもろうそくをならべ、火を灯してゆく。
ゆっくりと部屋が色づき始めた。クリーム色の壁、シーツがぐしゃぐしゃになり片端が落っこちそうになっている寝台。広さはまあまあといったところか。
「でも捨てられないんだよなあ。困ったな」
ものは何でも捨てられない性分らしいこの家の主人は、小さく息をついた。その足許には綿が、まるで羊の毛刈りのあとのように転がっている。少し先まで視線をめぐらすと枯れ果てた薔薇の花やジャム瓶、使い古しのグラスの破片が散らばっている。
「……とりあえず物置にしまっておくか」
そう呟き床のものを拾い集めて彼は外へ出て行った。
それは家を出て壁伝いに左回り、裏手にゆくと現れる。なんてことはない、ただの木製の倉庫だ。鍵穴をこじ開けるようにして錠をはずし、戸を開け中に入る。
空の酒樽二つのうちひとつはすでにガラクタでいっぱいいっぱいになっていた。もうひとつも……そろそろ空き樽を増やさなければ。そう思いつつ新たなガラクタの山をつくる。入りきらなかったものが床に零れたが、いちいち拾って押し込むことは面倒なのでそのままにしておく。
「ううぅ……」
詰め終わり戸を閉めると彼は両の耳を手で塞ぎ足早にその場から立ち去った。
それは、聞こえるかもしれないガラクタたちの怨嗟をきかないようにするためだった。
家の中は放棄物がなくなったからか、見事な翡翠色の絨毯が顔を出し誇っていた。室内はより明るく、広々と。しかし、カーテンは未だ閉じられたまま。
彼は食卓テーブルのうえにふりつもった埃を払い落とすと、調理場へ向かった。
よく熱したフライパンに、溶かしバターと割りほぐした卵を滑らせる。途端、食欲をそそる温かな香りがむんとして鼻をくすぐった。この瞬間が朝の出来事の中で一位二位を争うくらいに好きだ。思わず鼻歌もついて出る。もちろん栄養を考え野菜を添えるのも忘れない。全ての食材を皿に盛り付けると彼は料理をてきぱきと食卓に並べ席についた。
となりの、さきに椅子に腰掛けている、彼よりはひとまわり小さな影ににっこり微笑んで。
「今日はオムレツと野菜サラダにスープだよ。メリル」
メリルは柱時計のあるほうをみていて彼の声がきこえないようだった。
いつもそうなのか、あるいは返事など期待していなかったのか、彼はそのことに特に気を害したふうもなくせっせと食事を始める。
「でも、おかげで食材はすっからかんなんだ。買出しにいかなきゃならない。その間の留守を頼むよ」
買出し。それを思うと彼は気が優れないのだった。最後に買いに出たのが二週間前のこと。たった二週間! この主人は家をなるべく空けておきたくないが為に大量に買い溜めする癖が染みついている。しかし時間の経つのは本当に早い。彼の体感では数日でしかなかった。
メリルに留守を任せているのがいまいち不安だった。彼女ときたら不審人物の侵入をガン無視してしまいそうだし、声も上げないだろうし、何より、彼女自身が売人に盗られかねない。れっきとした美人だから。
「きみのためにも全般的に信頼できる留守番となりうる奴を探すべきかな。あ、万が一、であってきみが全く何もできないんだっていってるわけじゃないから、ね……?」
椅子がわずかに軋む。もしや怒らせたかと思って彼は恐る恐るメリルの顔を覗き込んだ。
「――寝たのか。なんだあ」
口にしたことがきかれていなかった。ふう、と息を吐き出し彼は身支度を始める。今は春だからそこまで厚着しなくてもいいのだと気づいたのは外套を羽織ろうとしたときだった。出不精もほどほどにしておかないと感覚が狂っていけない。
玄関に向かう直前、彼はメリルを干したてのふかふかの掛け布でくるんでやり、そうっと頬にキスした。
「いってきます、メリル」