初めてのお泊まり
***前回までのお話***
山羊に変身したギャビーの角の秘密を知ったマリア。
そして偶然暖炉の上で見つけた古いアルバムにあった写真からミカエルの前の主人であるジェルマン伯爵の話を聞いたのだった。
ギャビーの家で様々な話を聞いているうちに日はすっかり落ち、辺りは闇に包まれてきた。
赤く情熱的な太陽の代わりに美しく輝く月に変わっていた。
今夜の月は異様に明るい満月で、見つめていると鼓動が早くなり体中の血液が沸き上がる感覚さえ感じるような気がする。
地球から見た月の円盤が最大に見えることでスーパームーンというらしい。
「今夜の月はほんとにきれいだね。こんな日は森に興奮したオオカミが出やすい。もう遅くなったし、今夜は泊まって行ったほうがいいかも。」
ギャビーの泊まりという言葉に過剰反応したマリアは、顔を赤らめながら逃げるように出口に向かい、扉を開けて外に出ると後ろ手でパタンと閉めて帰ろうとした。が!
ワオーーーーーーーン ワオーーーーン
わりと近くから聞こえてくるオオカミの声を聞いて、慌てて中に入り無言で扉を閉めた。
「ほらね?だから言ったでしょう?今夜はオオカミ多いよ?まあ、無理に泊まって行けとは言わないけどね。」
ギャビーは笑いをこらえながら言った。
「やっぱり・・・今日・・・は・・・と・・泊まって・・・」
「いいよ。君はこの部屋を使って。ここは来客用の部屋だから。そんな緊張しなくても何もしないよ。」
ギャビーはマリアがすべて言い切る前にそれを阻止するように部屋の案内から設備の使い方まで説明をし始めた。まるでこうなることが初めから分かっていたのではないかと思うくらいにスムーズに物事が進んでいくのに少々違和感を感じたが。
「あ!そうだ!マリアちゃん!昨日日本から取り寄せたばかりの檜風呂があるんだけど、入ってみる?」
バスルームの扉は檜でできていて開けた途端に森林浴をしている気分になった。
檜でできた浴槽は足を伸ばしてもまだ余裕がある大きさで、浸かるだけで一日の疲れが吹き飛びそうだと思った。
浴室の壁には外を見渡せる大きな窓があり、森の中を観察することができる。
ちょうど今夜は満月の為、この神秘的な景色を独り占めできると思うと変に優越感にひたることができた。
家には水圧の弱いシャワーだけで浴槽がないので、こんな大きな浴槽に浸かることがちょっとした夢だったのだが、まさかこんな形で夢が実現するとは思いもしなかった。
マリアはいつもの倍の時間をかけてバスタイムを楽しんだ。人の家のお風呂なのに。
ところで大変なことに気がついた。まさか泊まるなんて思ってもみなかったから着替えも持っていない。
バスタオルに包まれながらそう考えていると、外から声が聞こえてきた。
「そこの脱衣所に着替え置いてるから使っていいよ~」
広げて見てみるとギャビーのであろうか?マリアが着るには大きすぎるグレーのスウェットシャツが一枚置いてある。
真ん中に大きな猫の絵があり、MIAOと書いてある。ギャビーの意外にかわいい趣味を知り、とても愛おしく思えた。
着てみると手はすっぽり隠れてしまうくらいの長さがあり、肩幅が広いので少し肩がずれてくる。
丈の長さは腰がぎりぎり隠れるくらいだが小柄なマリアにはこの包まれる感がちょうどよかった。
「あの。お風呂お借りしました。ありがとうございます。」
マリアがそう言うとギャビーはニコっと笑って入れ違いに浴室へと向かって行った。
しばらくするとエコーのかかった賛美歌が聞こえてきた。ギャビーが歌っているらしい。
容姿端麗で頭脳明晰な彼なので、さぞ歌声も美しいのかと思えばお世辞にも決して上手だとは言えない歌声に人は誰でも何か苦手なものがあるんだなとマリアは思った。
音がずれているとはいえ、聞いているとどこか絶妙な音階になぜか安心感に包まれる。
胸に抱いたミカエルのぬくもりが合い重なってソファに座ったまま、うとうとしはじめた。
マリアは霧が立ちこめる森の中にいた。どうやら先日見た夢の続きのようだった。
焼けた木々の焦げ臭いニオイが鼻をつく。辺りを注意深く見渡しながら家に帰って行く。
突如背後に気配を感じて振り向くと、漆黒の髪のギャビーそっくりの男がまた現れマリアに言った。
「我が名はルシファー。おまえの持っているその猫を私によこすのだ!その猫は元々私のものだった。それをガブリエルが奪ったんだ。おまえがその猫を返すまで地獄の果てでも追いかけて取り返すからな!」
ルシファーの声を聞いたミカエルが興奮して首元に噛みついてきた。
「キャ!!あ・・・・」
あの時、吸血されたように再び官能の世界に突入し、自分の意思とは裏腹に甘い吐息が漏れてくる。
これは夢!夢なのになんでこんなに・・・気持ちいいの??
現実にミカエルが吸血し、夢にもその効果が現れていたのだった。
入浴を終えて出てきたギャビーは、ソファの上で乱れるマリアを見て驚いた。
なんて美しいんだろう。首筋をつたう一筋の血が白い肌にまとわりつき流れている。
目を閉じた瞼には長い睫がサラリと伸び、甘い吐息の出る唇は先ほどの入浴効果で温まり赤くぽてっとした膨らみが実に魅力的だ。
ギャビーはミカエルをそっと離し、首筋につたった血を優しく拭き取る。
マリアの寝顔を見ていると愛おしくなり、唇を重ねたくなった。
キスしようと顔を近づけたその時、マリアが悲鳴と共に急に起き上がった。
「キャーーーー!!ルシファーが追ってくる!ミカエルが奪われる!!」
「ルシファーだって?なぜ君がその名前を知ってるんだい?」
マリアが起き抜けに突然言った名前にギャビーはひどく動揺した。
ルシファーは家族から追放され、この国にはいないはずだ。マリアに会うはずもない。
いったいどうして・・・
マリアは以前もルシファーが夢に現れ、森に火を放ちミカエルを奪おうとしていることを話した。
ギャビーは話を聞いて、ルシファーがこの村に来ていることを確信し、ギュッと爪を噛んだ。
ふと振動を感じて横を見るとマリアが泣きながら震えていた。
平穏な生活から打って変わって常識では考えられない世界に巻き込まれたのだから仕方ない。
震えるマリアを優しく抱きしめるとマリアは顔をあげた。
流れそうで流れない涙の粒が頬の上に止まり、潤んだ瞳でこちらを見つめてくるマリアの視線が、かわいらしさの中に色気を感じた。
そしてマリアのほうも風呂上がりの美しい金髪から水がしたたり落ち、宝石のように輝く金色の瞳で見つめてくるギャビーに視線を奪われた。
2人は吸い寄せられるように唇を重ね、長い長い夜を共に過ごした。