ジェルマン伯爵
***前回までのお話***
マリアが連れ帰ったミカエルを見つけるなり警戒するミルクティ。
しかし結局吸血され、主従関係が決まってしまう。
その日の夜にリアルで不思議な夢を見たが、夢に出てきたガブリエルの顔に幸せを感じたマリアだった。
太陽が顔を覗かせると小鳥たちが歌い、草花や木々達が風に乗って踊り出す。
マリアはガブリエルと約束した通り、森の中へ朝露を取りに行く身支度をしていた。
昨日ガブリエルにもらった虹色に光る薬の入った小瓶に麻紐をつけてペンダントにし、ミカエルを安全に抱きかかえられるように赤ちゃん用のスリングを作って肩にかけると、朝露が集められるように香水用の空き瓶をカバンに押し込んだ。
「さて。これでよし!っと。ミカエル~~森に行くよ~~おいで!」
名前を呼ばれたミカエルは翼を広げながら小走りしてきた。
飛ぶか走るかどっちかにしてよね~エリマキトカゲみたいじゃないの。
頭の中で走ってくるエリマキトカゲを想像したマリアは思わず吹き出してしまった。
にやけながらミカエルをスリングに入れると、ミルクティに留守番を頼んで森に向かう。
不思議なことにいつも独りで入る森があんなに怖かったのにミカエルが一緒だというだけで心が安定しているのがわかる。
それゆえに今まで見向きもせず意識もしなかった朝露をいとも簡単に見つけることができた。
マリアは空き瓶の蓋を開けるとすくい取るように入れていく。
朝露は大自然が生んだ聖なる生命の水。穢れのない透明の水は周りの景色を映しだし、新緑の色合いになっていった。
空き瓶にどんどん溜まっていくのが楽しくて夢中になってすくっているとあっという間にガブリエルの家に到着した。
森の中にぽつんと建てられたログハウスは自然との調和をうまく保っている。
玄関扉に象形文字のような不思議な模様が描かれ、ヴァーベナのドライフラワーをシルバーのチェーンで巻き付けリース状態になった中央には小ぶりのガーリックが吊されていた。
ドアの下、両角には小さなお皿に猫の形に塩を載せた盛り塩がなされている。
魔除けの為、あるいはヴァンパイア除けなのだろうが、事情を知らない者には小洒落た演出装飾に思えるんだろうなとマリアは思った。
扉の中央には銀の猫のドアノッカーがついていて、ノックするには猫の口の中に手を入れるような構造になっていた。よくあるライオンのドアノッカーにしないところが彼らしい。
ドアノブも銀でできているが、これはなんと猫の足跡の形をしている。実に愛らしい形である。
マリアが家の外観に見とれていると、外の気配を感じたガブリエルが扉を開けて外に出てきた。
「やあ。マリアちゃん。おはよう。よく眠れたかい?ミカエルの調子はどう?」
「あ。おはようございます。ガブリエルさん。ミカエルはうちで飼ってるミルクティとも仲良くなれたみたいです。」
「ガブリエルは呼びづらいでしょ?これからはギャビーと呼んでいいよ。僕の昔からの愛称だから。」
マリアは軽く頷くと、今朝採ってきたばかりの朝露の入った瓶をギャビーに手渡した。
ギャビーはたっぷりと朝露の入った瓶を手に取ると子供のように歓喜し、天を仰いで叫んだ。
「未来に栄光を!!」
ギャビーは朝露を一気に飲み干すと、つむじ風に包まれて漆黒の山羊に変化した。
それにしても立派な角だ。艶やかな漆黒の毛色に負けないくらい黒々として太く逞しくそそりだっている。
マリアはその角を両手で優しく包み込むように触ろうとした。
「だめだ!!触るな!!これは危険なんだ!!」
ギャビーが慌ててマリアを阻止し、元の人間の姿に戻った。
ギャビーが言うには、この角は神の祝福の角というもので、この角でひと突きされると痛みを感じず安らかな笑顔で死んでいくというのだ。
過去にゾンビ化した村人達を救うため、この角で安楽死させたらしい。
ギャビーは突然叫んで驚かせてしまったマリアに申し訳なさそうにしながら家に招き入れた。
淹れたてのコーヒーの酸味とコクのある香りが部屋の中にたちこめ、とても癒やされる。
ギャビーは金の縁取りのついた美しい花柄模様のカップにコーヒーを注ぎ、マリアに差し出した。
喉が渇いていたマリアはフーフーと冷ましながら時間をかけて半分ほど飲んだ。
「このコーヒーはブラックアイボリーというんだけど、世界で一番高級なコーヒーなんだよ」
何か含みを持たせた意味深な笑顔でギャビーが言った。
マリアはそんな高級なコーヒーを飲めたことをギャビーに感謝した。
入れた時の酸味のある香りとは違って、なめらかな口当たりでまろやかな風味。それでいて鼻に抜けるフワっとした独特の香りがなんと高級感のあることか。
上機嫌で飲んでいるマリアにギャビーが一言。
「これ、象のうんちでできたコーヒーなんだけどね」
ブホーーーーーーオェーーーーーーー!!
マリアは象のうんちと聞いて涙目になり、吹き出してしまった。
ギャビーはいたずらっ子のように笑いながらマリアをなだめる。
「だいじょうぶだよ。象のうんちそのものを使ってるわけではなくて、コーヒー豆を食べた象のうんちから取り出したコーヒー豆を洗って加工して作ったものだから害はないよ。」
そうは聞いてもうんちに入っていたと考えただけで恐ろしい。
しかしこの味は、今まで飲んだことのないものだが、一度飲むとやみつきになるというのも分かる気がした。
豆の正体さえ知らなければ・・・。
ギャビーは口直しにどうぞっと冷たく冷やしたアイスココアを入れてくれた。
マリアは夢中で飲み干すと軽く俯いて白いレースのハンカチで口元を拭った。
ふと顔を上げると暖炉の上に古びたアルバムが開いた状態で置いてあるのを見つけた。
写真に写った人達の服装から見るに相当昔の写真のようだが色あせも少なく、かなり保存状態はいいようだ。
マリアはある一枚の写真に目を奪われた。セピア色なので服の色まではわからないが、立て襟のシャツに質のよさそうなジャケットを着て肘掛け付きのソファーに深く腰を掛け、足を組んで座っている初老の男性が映っている。
その横にはギャビーのように見える男性が立っていて、軽くお辞儀をしている。
初老の男性の膝上には、黒っぽく背中が盛り上がったような猫が丸くなって寝ているようだ。
「これって・・・もしかして・・・」
「うん。そうだよ。これは僕。そしてこの男性の膝上にいるのはミカエルだよ」
「これはいつ頃の写真なんですか?この方は?」
「この方はジェルマン伯爵。ちょうど100年前に僕が仕えていたご主人様で、当時ミカエルの飼い主だったよ。でもこの方は・・・」
ギャビーがそう言いかけた時、写真を見たミカエルが急に怯えだした。
マリアが肩からかけたスリングにすっぽり沈み込むようにして隠れて震えている。
ジェルマン伯爵とミカエルとの間に何かあったに違いないとマリアは思った。
続けてギャビーが口を開く。
「ジェルマン伯爵は、少し変わった趣味をお持ちだった。世界中から猫の珍しいものを取り寄せるのが好きで、エジプトから猫の女神像や日本からは招き猫なるものも集めていらっしゃった。ルーマニアの古都に潜むように住んでいたミカエルを見つけて連れ帰ったのも伯爵だよ。白いハートの尻尾を持って羽の生えている猫なんて珍しいから連れ帰られたんだけど、どんな高価なえさを与えても食べなくてね。癇癪をおこされた伯爵がえさの入った皿を投げつけた時に皿が割れて、欠片が側にいた給仕係に当たって手首が切れて流血したんだ。そこへミカエルが飛んでいって吸血し始め、尻尾が赤く変わったんだ。そして悶える給仕係を見て伯爵は直感されたらしい。こいつに吸血されると官能の世界に突入できるんだとね。」
伯爵は尻尾の仕組みもすぐに理解し、ミカエルはその日から極限にまで飢えさせられ、吸血を許され、また飢えさせられの繰り返しで、吸血させた後は明るく太陽の当たる牢の中に入れられて閉じ込められていたのだ。
しかしある日、極限を超えた飢餓状態にしてしまい、ミカエルの尻尾の先端が紫色に変化してしまった。
我を失ったミカエルは屋敷内の人々を襲い、襲われた人々はゾンビ化し、村人達へと伝染させ、さらに隣村にまで伝染させて二つの村は滅びてしまったというのである。
伯爵の顔を覚えていたミカエルは写真を見て昔の恐怖がフラッシュバックしたのであろう。
スリングの中でぶるぶる震えるミカエルをマリアはぎゅっと抱きしめた。