割烹『仙寿庵』
◇
バスの通りに面した恵登商店街のアーチをくぐる。
内部は夕飯のための買い物か、おじさんやおばさん、学生が結構見えた。
「うわ、結構多い…」
「今はメシ時前だからなー。惣菜買ったり忙しいんだろ」
地方の商店街は大抵、全国区のデパートチェーン等々に価格競争で負ける。
しかしながら、恵登商店街はそうではない。もともと店長の趣味と突っ込みたくなるような品揃えの店も多かったし、食料品にいたっても惣菜類は結構人気だ。
特に『仙寿庵』がここの野菜を使ってるというだけで店に人だかりになるのだから、とんでもない話だ。
「きっとお稲荷様が見守ってくださってるんだよ」
「いやいや。関雲長かもしれないぞ」
恵登の人間には信仰心のある人が多い。
それは市内に《恵登天満宮》があったり、《恵登稲荷》があったり、ほかにも恵登○○神社というものがたくさんあるといったところにも現れている。
なんでもござれといえばそれまでだが、案外そういうところに商店街の盛り上がりがあったりするのかもしれないと、八雲は思っている。
「しっかし多いなー」
「…」
不意に八雲は、手のひらに何か暖かいものが当たるのを感じた。
見なくても何があるかは分かるので、軽く握ってやる。
「…ん」
安心したような息を漏らしながら、舞乃も握り返す。
その後はお互い無言のまま、商店街を奥へ奥へと進んでいった。
「―ついたぁ~」
しばらくして、二人は目的の『仙寿庵』にたどり着いた。
商店街の最奥にあるので来るのに一苦労かかるが、黒塗りの塀や、暖簾の隙間からのぞく石畳、どこからともなく聞こえてくる水の音など、同じ商店街にありながらそこだけが異空間のように感じられた。
二人は連れ立って暖簾をくぐる。
「やっぱり、いつ見ても和むよね~」
「そうだな」
暖簾の奥には、石庭が続いていた。
玄関口に続く道から外れた場所には稲荷の社があり、大福と油揚げが備えられているほか、その対面にはししおどしのあるちょっとしたため池が。
光量が調節された照明によって、少し怪しくも暖かい空気に満ち満ちていた。
敷石の上をじゃりじゃりと音を立てながら、二人は進む。
「いらっしゃいませー…。って、なんだ舞乃か」
「なんだってなによー。従姉妹だからってそれはないんじゃないのー?」
「あぁ八雲君も一緒なんだ。いらっしゃい」
「ども」
「無視するなー」
舞乃の従姉妹の『秋山薫』は、ここ仙寿庵の看板娘だ。
年は八雲や舞乃と変わらないのだが、凛とした居住まいや、割烹着のような制服があまりに似合っているためか、あまり問題にされていない。
舞乃は見ていて分かるとおり、年相応にはっちゃけている。
「…毎回思うんですけど、何で同い年なのにこんなに―」
「女性の年についてアレコレ語るもんじゃありませんよー。さ、二人だしカウンターでいいよね?」
「あ、あぁ」
目があまり笑っていなかったので、八雲は追及をやめる。
薫にしてみればバイト先で年齢云々ではじかれたくないと思ってのことだった。
がらんどうの座敷が連なる道を案内されて、奥にあるカウンターへとたどり着く。
すでに飲み客が数人、店主と語っていた。
「ごゆっくりどうぞー」
「いらっしゃ…って、なんだ八雲と舞乃か」
女将の『米』はあんまり関心がなさそうにそういった。
彼女の三角巾からは、キツネ色をした長い髪の毛が顔を覗かせている。
見るたびに八雲は切ればいいのにと思っていたが、これまで一度も毛が入っていたということもないし、髪は女の命と誰かが言っていたので、あまり言及することはない。
「同じこと、薫にも言われましたよ。舞乃が」
「そうかい。まぁなんだ。ウチは最近、この時間帯の学生の入店はご遠慮してもらってるんだがねぇ」
「なんでですか!こんなにおいしい料理なのに…」
「そりゃね、アタシ達だってあんたらにメシつくってやりたいのよ。どっかの飲んだくれ共よりもうまそうに食ってくれるし」
そういって、すでにいた飲み客のほうに目をやる。
『いやぁ大将!アンタと飲む酒はうまいよ!うん』
『そうかいそうかい。そりゃぁ結構なことだな!』
そういって店主の『半』は、なんのためらいも見せずに客の徳利をとり、手に持っていた杯になみなみと注ぎだす。
「アンタ!営業時間中に酒を飲むんじゃないよ!」
「こまけぇこというなよ。なぁ?」
「飲みたいなら後で飲め!ったく…」
うんざりしたように頭を抱えながら、米は話を続ける。
「とにかくさ、PTAとか、いろいろとうるさいところがあるんだよ。特にこの時間は」
「そりゃそうですよね。ここは腐っても居酒屋ですし」
「腐ってもって…。とにかく、そんなわけだから―」
「きつねうどん二つお願いします!」
「…舞乃、アンタ人の話聞いてた?ったく、少しは薫を見習ってもらいたいもんだよ…」
ぶつくさと文句を言いながらも、米は店の奥に引っ込んでいく。
しばらくすれば、二人はおいしいうどんにありつくことができるだろう。
「…ほんと、いろいろ大変そうだよなぁ」
「だよねぇ。私もできるだけ迷惑かけないようにしてるんだけどさー」
「「うぉ(きゃっ)」」
気がつけば、二人のすぐそばに薫がいた。
一人で勝手に納得したようにうんうんとうなずいていた。
「薫、一応勤務時間なんですから、ちゃんとしてなきゃだめですよ」
「そうは言ってもねぇ、時間的にヒマなんだよねー」
『薫ちゃん!だったらこっちに来てお酌してちょーだい!』
向こうの客は結構耳聡く、薫の愚痴も聞き漏らさなかった。
「はーい!あぁそうだ。舞乃、週末だけど日曜なら開いてるよ」
「うん、分かった」
それだけ言うと、薫は「ばーい」と手を振りながら向こうに行ってしまった。
「週末ってことは、やっぱり―」
「そ、夫妻の失踪って薫の両親のこと。高校中退して、今はここに住み込みで働いてるみたい」
「ふーん…」
八雲は薫を横目で捕らえる。
大変なことになっているのに、そういう素振り一つ見せず、笑顔でお酌している姿がある。
八雲の17年とちょっとの人生ではかけてやる言葉が見つからないので、それ以上何か言うことはなかった。
「おまちー」
「わーい!いただきまーす!」
米がうどんを二つ持って、奥から戻ってきた。
もともと酒飲みが食うのが前提なので、量では八雲を満足させることはできない。
「…本当、看板娘ですね。薫って」
「まぁ、あの子はどっちかっていうと、岩盤娘だけどね」
「はぁ…?」
八雲にとってはしっくりこない表現だった。
岩盤ということは、硬いのだろうか。だとしたら一体どこが…
「ほら、はやく食っちまいな。そして、はやく帰っちまいな」
「いただきます」
八雲は箸を取り、麺をすする。
関西風のダシが効いた汁がよく絡み、さっぱりとした中にコクがある、不思議な味わいが口いっぱいに広がる。
おあげの方もふっくらしていて、汁をよく吸っていてうまい。
「二人していー食べっぷりだなおい。喉につっかえさすなよ」
米はそういって水を用意し、二人が食べ終わるのをじっと見ていた。