一目惚れのあの娘
第五階層と第六階層の狭間にある未開発地帯。
大小様々な無数の鉄パイプが上下左右と縦横無人に張り巡らされており、パイプの中を通ればこの階層都市にどこにでも行けそうである。
セルシィ=アズ=ドラゴニクスはパイプに座り込み水分補給をしていた。
襲撃する人形も数が足りなくなってきたのか、波が引くようにひと段落しこうして腰を落ち着かせることも出来る。
第五層からここまで、相手どる人形は質も武装もバラバラではあったが、決して油断出来るような相手ではなく下手な追跡者よりは確実に厄介であった。
ただ、一台何百万もするような擬人を馬鹿みたいに送り出してこれることはないようだ。
第六階層に近い、第五階層との狭間にある空白地帯。
他国との利権が絡み、急激に開発の計画までたてられだが、それと同じ勢いで萎んでいった開発地区である。
普段人が近づくこともなく、時折この周辺には飛行系の地下生物が飛来することもあるので危険地帯として市民の眼があまり行くこともない。
こういう場所こそ、ヤクザ屋さんの交渉の場になりそうなものではあるが、第一に第七階層地帯がほとんど無法地帯(当然無法ながら、三代巨頭による無法の法というものはあるが)である為わざわざこそこそとここまで取引することもない。
最も、それが第七階層で出来ない交渉事をする時にこの場を選ぶこともあるのだろうが。
そして市民、行政、ヤクザな連中が目をつけないここは、地下迷宮士や荒事屋になんでも屋、そういう連中が独自の抜け道やルートを開拓しいざという時に使用したりするのだ。
幾ら入り組んでいると言っても、地下迷宮よりは構造が単純ではあるのでこういう場所は非常に好かれている。
放棄された物置を勝手に占拠し改良した武器庫。
残弾を補給しておき、水分の補給と銃身の整備を軽くすませておく。
連戦が続く為、ランザ先輩も軽くハルベルトを確認し整備をこなしていた。
先に整備をすませたアタシが今は監視をしており、赤錆の浮いたパイプの影を監視していた。
「………」
昨日襲い来た、今日の擬人とは違う人形集団。
見覚えはないが、あの趣味の悪さは覚えはあった。
死体をくっつけ遊ぶ趣味の悪さ。
考えの中ではあの女しか出てこない、怨みを買った覚えもないがとにもかくにもあの女しか出てこない。
それなりの仲ではあったつもりではあった。何故か先輩はアタシが入ってから死体卸の数は減ったようだが、それでも何度か依頼をこなしたりお得意様料金にしていたというのに。
考えれば考える程解せない。
昨日の彼女の先兵は、まるで在庫処分のように作品を送り出し、今日に限ってはらしくない擬人を運用してきている。
大事な作品を潰し、本来の好みではないものに手を出すのはどう考えてもらしくない気がする。
例えるなら、銃器を何時も使用するアタシがロングソードでも持ち出して振り回しているようなものだ。
心境の変化でもあったのだろうか、女心は秋の空とはいうものの、秋の空どころかまるで山岳の天気である。
「……はぁ」
誰かを追う猟犬の役目はしても、誰かに追われる狐の役は久しぶりだった。
それこそ、後期牙狼の牙として各地でゲリラ活動をしていた頃以来かもしれない。
少し気が抜けた。
地下迷宮や戦場でもない限り、気を張りっぱなしというのはアタシは苦手かもしれない。
「なんだか、解せないッスよ。どうしてあの女、ほんとなんでまたこんなに唐突なんスか。
それも、ディーネが来てあたふたしたところに突っこんでくるんスよ。やってらんねーッスよ」
「ディーネが来たタイミングで襲撃をかけたんじゃない。
逆にな、ディーネが来たから襲撃をかけたんだ」
「つまるところ、あちらさんはアタシ達の隙を虎視眈々と狙っており、ディーネという隙が出来た瞬間に攻勢をかけてきたということッスか?」
「いや、ディーネが来た隙を狙った訳じゃない。奴はディーネを狙ったんだ」
「……ハッ」
空気が漏れるような笑い声が口から漏れた。
「まさかとは思うッスけど、あちらさんディーネが欲しくて手を出したとでも言うッスか?そりゃまた、面白すぎるッスよ。いくらなんでもあの変態は、そこまで変態思考が突き抜けた超絶だったなんて…はた迷惑ッスよ」
企業の研究用や、功績に名声が欲しい新米退治屋か地下迷宮士ならばあの手の生物を欲しがるのだろうが、そうでなければあの化け物になんの魅力を感じることやら。
頭がガンガンと痛んできたような気がした。
「その…先輩。言いたかないッスけど、本当にあの時言った通りになったッスね」
ことのほったんとなったのは、間違いなくランザ先輩がらしくもない人助けをしたせいである。
アタシがあの日、なんとかって女(本当に名前が出てこない、さして大切でもない記憶だし)を犬屋敷に引き渡したように、あの手の弱者を助けたことなどいっさいない。
場合によっては、花束(奴隷に爆弾を仕込んだ、地下七層で買える武器だ。美しい少女や女性に爆弾を仕込む為、花束と呼ばれている)やその他ほめられるべきでない非道なことや物等も使用したりする。
そんな先輩だからこそついていっているのもあるだけに、あの少女…ジョン=へイグを助けたのはどう考えても不自然である。
それに不自然といえば、最近目まぐるしすぎて思考の隅においてはいたが、あの戦いの場にも不自然があった。
少女ことディーネがジョン=へイグだとしたら、あの時分離していたあの大量のスライムはディーネとはまた違う存在なのか。
助けを求めた先輩に襲い掛かる矛盾は、どうにも解せないものがある。
それに、第三層の主黒騎士…に似たなにかに、それに襲われるディーネやアタシ達。
「あーーーーーーーーーーーーもう!訳が分からな過ぎてイライラするッスよ!」
頭をガシガシとかきむしり、立ち上がって地団駄を踏む。
額を抑えながら考えるが、事情が入り組みすぎて考えれば考える程こんがらがってくる。
考えるのが苦手ではないとしても、本当に訳が分からない。
「今はまだ、落ち着いておけ」
ハルベルトの調整を終えたのか、先輩はハルベルトを背中に背負っていた。
何時も分かりずらい表情をしているが、何時にもまして表情が死んでいたというか、凍っているような気がする顔をしていた。
「何時もの通りの厄介事だ…と言いたいが、お前が言う通りこの厄介事は俺の失態である。
セルシィ、お前はここで降りても構わない。
この面倒くさい腐った縁は、ここからが俺だけが相手する」
「ちょっちょっちょお!それこそありえないッスから!」
正直先輩がなにを考えているかは分からないが、ここでおいて行かれることは願い下げだ。
なによりも、なによりも願い下げだ。
先輩の手のひらに何時の間にか這っている、毛の生えた蜘蛛。
あの雌蜘蛛からの使いであり、この先の移動ルートの情報でも確認してもらっていたのだろう。
あれを頼りにして、アタシを頼りにしないなど言語道断である。
ふざけた事態だろうと、馬鹿馬鹿しかろうと、地獄だろうが煉獄だろうが行かない手はない。
「厄介も馬鹿馬鹿しくても関係ないッスよ。アタシの仕事に対しての生真面目さというか、こういう馬鹿馬鹿しい事態にもついていく勤勉さというか…あ~もうなんといえば良いかわからねーッス!
とにかく!行くからにはお供はさせてもらうッスよ!以上!」
先輩はどこかポカンとした顔をしていたが、そのうちなにか諦めたようにため息をついた。
「前々から疑問に思っていたが、お前さんはよくもまあこんな馬鹿馬鹿しい事務所に勤めているな。
雇用保険も健康保険もなしで、給料がテレビゲームか適当なアニメに漫画の代金くらいでそんなに命をはれるもんかね」
「そこがアタシがアタシである理由ッスよ。
牙狼の戦斧でできたこの縁、アタシは決して軽く見てはいないつもりッスから」
「しかし、後期と前期の牙狼の戦斧に所属していた俺達に、縁なんて言えるような接点なんぞあったか?」
「男はそうでもなくても、女は意外と記念日とか覚えてるもんッスよ!
まあ気にしなさんなってー!アタシがついて行かない訳がないッスから適当にこき使ってくださいッスよ!相棒なんスからね!わはははははははははは!」
呆れ顔のまま先輩が、頭を軽く撫でまわしてきた。
やや手荒いというか、慣れないような手つきであったが、思考のごちゃごちゃで混乱気味な気持ちが凄く落ち着いてきた。
何時も考えてることに、気持ちをシフトしよう。
ごちゃごちゃ考えるのはアタシの役目じゃない。
ひとまず、あの雌蜘蛛よりは役には立ってみせてやろうじゃないか。
□ □ □
そう、一目惚れである。
昔はその惚れた女を手に入れる方法は分からなかったが、今はまた、これまた変わった方法で手に入ったものだ。
水槽の前に立ち、手に弄ぶ棒を後ろに放り投げる。
ジョン=へイグ。
ランザ君が言うには、ディーネか。
未知の生物だのなんだの言われているが、彼女の身体の大部分は粘質な水溶液であり、その中に命令を受けて動く受動態の細胞が散在している。
この細胞は、簡単な思考をすることが出来る考える細胞であり、あらかじめ役目を決めておけば分離したとしても行動することが可能である。
敵を襲えだの、身を護れだの、増殖しろだの、単純な思考をもとに行動をしているのだ。
人間だって、身体の命令は頭の中から神経信号によって動いている。
それならば、あのディーネはどうだろうか?
そう、ディーネだろうがそれは変わらない。
あの娘は、人間社会に逃げ込む為に人型の形に自らの身体を押しとどめた。
限りなく人間をとりこみ、人間に近づいたディーネはその身体を人間に変えた。
純粋は電気を通りにくいが、あいにくディーネはそうではなかった。
そして水分たっぷりなその身体は、身体に命令を送る電気信号を阻害しかき乱すにはもってこいと言えるのである。
「まあ私自信、とってつけたような付け焼刃知識でなんとかなるとは思わなかったけど…それにね」
足で、電流を流すスタンロットを蹴り飛ばす。
乾いた音をたて、暗闇に棒が滑りながら消えていく。
「まだあれは、私のものではないの。
やっぱりね、同じ苦渋をのむのはこりごりなのよ」
暗闇を進むその顔には笑み。
「詰めにはいらせてもらおうかしら」