不気味の谷 不気味な谷 不気味と谷
でかけようと考えていた矢先、一度ソファーにダイブしてしまうとそんな考えが全部吹き飛んでしまった。
横になった瞬間、身体が鉛のように重くなり、指先一本動かす気力もおこらないくらいである。
『先生はそこで大人しくしててださい!アタシは街に食材買ってきますから!』
可愛らしい助手のそんな声をしり目にし、深く深く体を沈める。
そしてその間も、世界は加速度的に進んでいるようだった。
人類が火を手に入れてから、この未来は既に見えていた…なんて学者ぶるくらい過去まで遡りたくはないが、嫌がおうにも世間と世界と世情は変わりつつあった。
シャワーを浴びた後、すぐにまた作業場に戻ろうとしたが、もつれる足がそれを押しとどめたのだ。
どうやら、ロクに睡眠と休憩、それに食事をとっていない身体には、思考が命令を告げても億劫がって動こうにも動けはしないらしい。
休憩している暇はないと考えながらも、こんな状態で最高の球体人形を作れる筈が無いのは明白だ。
ということで、居住スペースのソファーの上、だらしなく横になりながら、意味もなくつけたテレビを意味もなく見つめていた。
南下した宗教勢力が諸部族を攻め立てるとか、それにグレハリアが非難の声明をだしたとか、リスムで新資源として期待される可燃性物質が採掘されたとか、擬人がいよいよ民衆向けに販売される可能性の視野だとか…だとかだとかだとか。
「不気味の谷のせいで、気味でも悪がられれば良いのに」
不気味の谷現象というものがある。
ある段階まで、ロボットが人間に向け進化をすると、人はそれに好意や好感を抱く。
丸くデフォルメされたような可愛らしいロボットが、ゆっくりと歩いたり、軽く手を振ったりするくらいなら、まだ好印象が抱けるというものだ。
だがしかし、ある技術地点を超えると急激にそのロボットが奇妙で奇怪、不気味なものに見えてしまうというものだ。
表情を作りもののように動かすロボや、より滑らかだが、どこかぎこちなく思う歩き方をするロボがそれに該当してしまう。
もっとも、いまや擬人は人と変わりないように歩き、プログラミングされたAIも人に近い感情をたたきだし、その表情は人間と変わりなく笑ったり困り顔を浮かべる。
不気味の谷現象も、不気味と思われる地点からまた更に進化してしまえば、また好意的に人々にとられられるものである。
だからこその、『谷』なのだ。
例えば、物語で出てくるような美少女型ロボットに嫌悪感を抱くものは少ないとは思う。
それと同じで、最早、擬人というロボットは不気味の谷を越えてしまったのだろう。
自分で言って、自分で気づいて、嫌になった。
「自分の個展なんて、普段は行かないってのに…なにやってんだろうな~」
脳裏にちらつくのは、擬人への個人的な悪印象と、森妖族の美人な人妻。
どんな人形を作っても、あの柔らかで眩しく美しい、あの姿を超えることが出来ない。
今まで自らが造る美がこの世で一番だと自負していた身にしては、それは崇高な出会いであると同時に屈辱の出会いでもあった。
自らの人生を全否定…とまでいかなくても、およそこの道に入り精進し肥大した自信という名の宝は完全に砕けてしまった。
自覚はないが、一度作る手を止めてしまった今の彼女は、それこそ燃え尽き症候群に陥っていた。
天才人形造形士、初めての屈辱を前になすすべもなく散る。
彼女の助手であるナナ=テルロスは、良かれと思い作業場から外に出したのだろうが、それは明らかに人形造形士としての彼女の道を断つトドメを刺した行動であった。
思考停止してしまえば、今はあとでやろうと考えている彼女であっても、肉体が回復しても名声を手放すことになったとしてももう動かないであろう。
それこそ、またなにか新しい、活力となるような起爆剤となる新しいインパクトに出会いさえすればその限りではないのであろうが。
報道番組は、天気予報に移っていた。
キャスターが紹介している天気を、涎を垂らしながらダラーっと眺める。
眠気があるのだが、何故か眠る気にもなれなかった。
不平不満を適当に頭の中に浮かべては、適当に自己解決して思考を押し流していく。
報道番組見ている最中は、適当に報道内容に難癖をつけては流していたが、天気予報になると出る難癖も少なくなり、適当な旅番組になった瞬間それすらなくなってしまった。
旅先の宿、猫旅館…なんて当らい障りの無い映像を眺めながら、世間にも人形にも、あの美しい森妖族のことの頭からほっぽりだしカラッポにしてうつぶせになっていた。
なにもかもがどうでも良い。
今は助手ちゃんの帰りでも待ちながら、無為に過ごすしかやることがない。
いや、やることがないから無為に過ごすのか。
そんなことを思い浮かべる頃には、もう人形造りに時間を費やさなくては…なんて思いも霧散していた。
既に一生生きるくらいには資産はあるんだし、もうニートのように自堕落に生きようか。
なんなら、家事全般を任せる為に有り余る資金でメイドか擬人でも雇っても良いかもしれない。
人形士でもなくなった自分の世話を、ナナにやらせるのは流石に可哀そうであるし哀れである。
「あーーーー」
無意味に声がでた。
あ、なんか面白い。
「ああああああーーーーーあーー」
無意味で無価値なのに何故かやらずにはいられなかった。
こうして、無意味に声を出し続けているうちに、私は何時の間にか意識を手放していた。
因みに夢の中でも私はソファーに同じ姿で寝ており、動く気もなければ、なにも出てこなかった。
□ □ □
「仕組みが分かれば、行先が分かれば…か」
リスム地下迷宮。
ローネ=カーマインは瓦礫に座して呟いた。
目の前にある巨大な水槽を眺め、どこか熱のあるような、それでいてうっとりしたような視線を向ける。
「こうして、このようにして、物事が上手く進むのは良いんだけどねぇ」
血に汚れた、樹脂製の作業用エプロンについた埃を払い瓦礫から立ち上がる。
「新エネミーであるこの娘の情報を、何故あの人はこと細かく存じ上げているのやら。そのお蔭で、ランザ君やセルシィちゃんでさえ手を焼くこれを捕まえているのだけどねぇ。
やれやれ、悪魔との契約にはなにが対価となるのやら、今更ながら怖くなってきちゃったわよ」
困ったようにため息をはく。
勿論、悪魔とは例の断続的別次元に存在する、人類の敵対種の逢魔が時の一族のことではない。
ただの比喩ではある、まあ多分、似たようなものだが。
「ネイ=リリネウムか。彼女がアタシを助けてなんの得があるのやら」
ジョン=へイグ、ディーネと名付けられた、新種の地下水溶性生物。
それの特徴、特性、特異、そしてその対策から移動ルートまで。
そして、この地上に現れた理由まで。
「まあなんでも良いわよね。今はそんなことを考えている暇はないし」
水槽の中には、半ば溶け変えていたディーネが、まるで宙に浮かぶように瞳を閉じていた。
あのエルフの面影があり、ランザにして愛娘に似ているとさえ感じた幼い顔を穏やかな表情で浮かんでいる。
「ランザ君にセルシィちゃん。頼る人を全て消してしまえば、今度は私がこの
娘の保護者になれる。協力者の目論見は知らないけど、私達を害するのならば阻止してみせる」
愛おしげに水槽を撫でつつ、手持ちのタブレットを起動させる。
既に街中に潜ませた擬人に。プログラム開始の合図を送る。
「今度は渡さないわよ、ランザ君」
こうして彼女は、半月のような笑顔を浮かべ微笑みを浮かべた。
しかしこの時点で、彼女が悪魔と称した協力者、ネイ=リリネウムはシレッとした顔をしランザ=ランテを助け、更に武装をセルシィ=アズ=ドラゴニクスに持って来させたことなど、彼女は知る由もなかった。