存在感で決まる価値
戦場という命が安売りされる現場に出る前に、少し考えたことがある。
一つの命は地球より重いなんて検討外れのキャッチコピーはまあ置いておくとして、命の重さの判断はどのように基準がつけられているのだろうか?
学生時代多種交流化にいたが、それ以前は特になんの変哲も無い小学校と中学絞に所属していた。
成績平凡、少しばかり足が速いくらいしか取り柄が無く学友の数もまあまあ。別段大した問題行動もおこさず、集合写真では集団に紛れるような存在であったといえよう。
当り障りのない毎日であったが、ある日こんな事がおきた。
体育館脇の通路にポツンと置かれていた段ボール箱。中には子犬がおり垂れた耳で不思議そうな顔で、タオルが敷かれた狭い狭い世界をクルクルと動いていた。
最初は女子が数人で囲み、そのうち男子も集まり。体育館脇に人だかりが出来た。その人だかりの中に、小学六年の俺がいた。
誰かが飼いたいと言い出した、多分女子だったかもしれないが男子だったかもしれない……いや女子だったな。
家族に了承を得るということで、その日は日暮近くの放課後ということもあり解散した。
教師は気づいていなかったのか、気づいていても次の日対応すれば良いと考えていたのか、とにかくその子犬をその場に置いたまま解散した。
その日の夜事故がおきた、交通事故だ。
薬物中毒の患者が乗っていた車が塀にぶつかり、事故処理に来た警察がそのままその男を逮捕したという。
『偽のおまわりさんに殺される!』
外には両親に出してもらえなかったが、この言葉だけはよく覚えている。
そして翌朝、校舎の脇に様子を見ていると女子が数人泣いているのが見えた。近くまで行くと、昨日まで愛想を振りまいていた子犬が切り刻まれた無残な肉塊になっていたというのが判断出来た。
死体を片づける教職員と泣きわめく女子児童、昨日の事故をおこした薬物中毒の男が犯人だという噂に、授業内容を変更して行われた命の大切さを説く道徳の授業、ついでに小学生には早すぎるだろうと言いたくなる麻薬の危険性の説明。
うすら寒い。
内心はスレたクソ餓鬼であり、早すぎた思春期特有の肥大した自己酩酊感を、俗にいう中二病的な感覚を胸の内に育てていた俺はそんな事を考えていた。
そこで泣く女子は、先週辺りに桜の木から落ちてきた毛虫を靴で潰してしまい気持ち悪い気持ち悪いと言いながら泣いていただろうが。
義憤にかられるそこのお前は、祭りで買った空気銃にBB弾を詰めて校舎に持ち込み蜘蛛を殺して楽しんでいただろうが。
その事を知りながら、なおも命の価値は平等でありとか教える教師も滑稽でありなんだか笑えない存在だった。
中学に上がり異文化や亜人に興味を持ち言語系の勉強を進め、成績優秀をアピールする為(異種交流科の高校は、推薦入学しか受け付けていなかったので)そんな事を考える余裕もなく忘れてしまっていた。
だが偶に、犬や猫が無残に殺されたという記事をネットで見つけそれに同情を寄せていたり義憤を持つコメントを眺め、ふと思い出しその内忘れるだけだった。
自分の近しい人間が死ねば悲しい、災害で人間が沢山死ねば同情する、犬や猫が殺されれば怒る、しかし虫は殺されても誰も文句は言わない。むしろスーパーで殺虫剤が売られているくらいだ。
要するに、存在感こそが命の価値を決めているのだろうと俺は思った。そして存在感の無い生き物はサラリと死んだり殺されてしまうことに気付いた。
物語でさえ、自己投影や感情移入出来る美少女や美男子が活躍しているのを見て爽快感を感じ悲劇的な結末なら悲しんだり憐れんだりするだろう。主役の美しい顔や肢体に精神や気高い心、それに対する悪役を打ちのめすことに爽快感を抱いたり悲劇を悲しんだり出来る。
漫画の中でさえ、存在感の薄いモブは幾ら死のうが幾ら悲劇を体験しようが誰も悲しんだりはしない。
そして自分がそのモブとなった時はどうだろうか。
かの牙狼の戦斧として戦場に出ていた頃は、敵の死も仲間の死も日常であり常に毎日誰かが死んだと涙を流している人間がいた。
だが他国から見れば、何日の戦争で何百人死んだという情報のみで涙を流す義理も義務も存在しない。
そしてリスムでは、膨張しては縮小する人口の変動に大量の死者が出ては忘れ去られていく。
そして今、自分以上の存在感のある存在を目の前にした。
命の存在感を存在意義にした場合、改めて思うとこの怪物の存在感はケタが外れていた。
さて、俺の存在感はどの程度の生存を許してくれるのだろうか。
□ □ □
「こいつは凄まじいな。俺はヤーさんの事務所に来た筈だが」
青い粘液が廊下中にへばりつき、誰一人の進行さえも拒んでいる。
その粘液の中に浮いているのは、テトラック銃製造社が開発したW45だとか東方の酷く刃こぼれし易いが切れ味だけなら一品である鞘の無い打刀やらが持ち手の解け残る衣服の近くに漂っていた。
よくよく見れば銃の方は模造品であり、刀は無銘の数打ち物ではあるがそんなことはどうでも良い。
重要なのは、あの地下の惨劇がこうして最下層とはいえリスム内でおこってしまったことだ。
地下黒社会を牛耳る三組織や七会ならともかく、このような中か下組織ではひとたまりもなかったのだろう。現実問題、異形と時たま同業者を殺して回る迷宮探索士でさえこの液体には勝てはしなかったのだ。
まして明確な打倒法さえ確立されてはいないのだ、彼らは運悪く貧乏くじを引いてしまったようである。
ハルベルトの熱装置を起動。熱した刀身を廊下に突き刺そうとしたが、それが嫌なのか或いは誘いをかけているのか、預言者の杖のごとく粘液の波が左右に逃れ道を作り出す。
熱機能を停止して歩みを進める。途中まで歩いたらいきなり左右からスライムの濁流が襲いかかるかもしれないが、そうなったら俺は死ぬだけだ。
こうしてこのビルの中の生存者が、まことに幸運なことに絶望的だとしても、俺としては歩みを進めない訳にはいかないだろう。
守ると言って、保護者として、こんな異形を連れて来てしまった俺が、進まない訳にはいかないだろう。
趣味の悪い成金が造った金のとってがついた黄金色の扉は、大量の圧力の前に破砕したかのように崩壊していた。端が焦げていたので、誰かが大火力が見込める爆発物でもしようしたのかもしれない可能性もあるが。
組の長がついていたであろうテーブル。そこに腰をかけているのは、いやはや俺にとっては天使か悪魔か、それともそれ以外の祝福すべき存在が畏怖すべき異形なのか……ひょっとしたら、再開の涙にくれるべきなのだろうか。
長い髪の毛に深く濃い蒼の瞳、年齢を重ね妖艶にくびれた腰、成長した母性ある乳房、笑顔の時は柔らかくなるがややキツめの目元、尖る耳。
そして、透明感がある青色の肌に、周囲のスライムを管で繋ぎ制御している細い管。
この怪物は、殺人鬼ジョン・へイグ再来の化け物は、あろうことか妻…あるいは成長した娘と瓜二つの姿形で俺を出迎えてくれていた。
「……ぶは」
思わず、本当に思わず笑い転げそうになった。
感動すれば良いのか、悲鳴をあげれば良いのか、見とれれば良いのか、それとも最強の存在感を放つこいつに対して命優先で尻をまくって逃げるか?それともそれとも焦りながら端末を出しセルシィに何故こいつがここにいるか聞くのが合理的?
熱作用を持つハルベルトを叩き込んで良いかもしれないが、どうしようもない有様にどうしたら良いのか分からない俺がいて、それが何故か愉快だり不愉快でもあった。
新手の運命の女神の嫌がらせか、仕組まれた揺さぶりか、本当にすべてが謎でわりとどうでも良い感じだ。
「豚肉、牛肉、鶏肉、魚肉、野菜、米、パン、稲荷寿司にお菓子諸々」
俺の口は目の前の存在に話しかけていた。
何故、どうしてはかなり沢山あるが、それよりも凄く素朴で単純な疑問が頭をよぎったからだ。
「リスムは食の産地だ、いろんな食材を試してみたが…やはり人間は一番上手いか?ディーネよ」
『そうねぇ、食としても美味しいしなにより知識と言語力の確保、身体の構成のの真似に安定した思考回路の構成。美味しいだけではなく、こうして人間社会に紛れていく為の必要要素を全て揃える為に必要と言っておきましょうかねぇランザ先輩』
声まで似せてきやがった、偶然にしちゃ出来過ぎすぎて逆に頭が痛くなる。
足を組みながらこちらを見つめるその不敵な笑みと態度は、スーツでも着ていれば(我が妻の似姿ながら)悪の女幹部のようだ、全裸だが。
「みたいだな、随分とたっしゃなお言葉を使うようになったじゃねぇか。
まあそれにして、先輩呼びなんてらしくない…というより似合わない呼び方してくれるな」
『お世話になったセルシィ先輩に従い便宜的にね。そうそう、セルシィ先輩といえばこれ…小さな思考回路ではそれなりには楽しめたけど、流石に成熟すると簡単すぎて詰まらないわね』
彼女の身体の中に旧型の携帯ゲーム機器が漂っているのが見えた。プレゼントとして譲ってやったのだろうが、セルシィらしい配慮だな。
「そのセルシィは?それに多分会ったろうがもう一人蜘蛛のおねーさんがいた筈だ」
『知らない、逃げてきちゃったから。アレから逃げてリスムに来たというのに、このリスムでもアレに出くわすなんて想定外だもの』
アレとは恐らく、黒騎士メタスのことだろうか。
何故メタスがディーネを付け狙うかは未だに謎がすぎるが、そのメタスが家の社員二人を破り地上に出て来たとなればますますリスムは混乱すること必須だ。
いずれメタスも数の力で押し負けるにしても、異例中の異例事態に大量の血が流れ解決するまで時間を要するだろう。
『そういえば、メタス対策で制御もままならないのに大量の溶液を使役して迷惑かけたわねぇ』
あのジョン・へイグの代名詞だった溶解スライムの当然こいつの一部だ。メタスと打ち合う俺達よりも、メタス相手に全力で襲い掛かるのもその為だったのか。
そして、制御もままならないといったが、恐らくメタスを最優先として次点の得物に知的生物をオートで襲うように作られていたのだろう。人間の知識と身体の作りを学習する為に。
どうりで、迷宮探索士が何人もこいつの犠牲になって果てたという訳だ。こいつの餌に成り果てたということだ。
次は俺か?正直ここまで力を蓄えたこいつにとって俺は用済みの筈だ。
こうして楽しくお喋りをしてはいるが、何時こいつの『食い溜め』の餌食にされるか知れたものではない。
妻と娘を助けられなかった男が、その似姿の餌となるか。なんとも笑えず、どこにでも有り触れた三文悲劇でいらっしゃる。
「疑問はわりかし多いし、お前さんが答えてくれるか分からないが取り敢えず聞いておこうか。
何故俺に助けを求めた?」
『正直に言えば誰でも良かった…といったところね。
ランザ=ランテでなくても良かった、まあメタスと打ち合って数秒でも時間稼ぎが出来る人材が一番良いのだけれどもね。
ある程度の知識とほんの少しの言語に幼体の身体を会得して、ようやくお話が通じる段階になったからこそ貴方に助けを求めた…それだけのお話』
「そうかい、てっきり俺はついにモテキでも来たのかと考えたんだがねぇ。誰でも良かったというのであれば残念な限りだな」
地下から逃れ、身体を生成し、知識を蓄え、人の手を借りてまでメタスから逃れたかったのか。
しかし、解せないことが一つある。
このスライムの身体は今までの観察から、彼女はただの弾丸刀剣の類はいっさい効果を表さない。粘体である為自由に身体の形を変え物理的な攻撃は全ての意味をなくしてしまう。
ならば、あまりの威力と速さがあるとはいえ、物理攻撃が主な戦いの手段であるメタスとは相性が良い筈なのだ。どちらも決定打をもたないとう難点がある為に戦いは終わらないのかもしれないが、少なくとも人の手に頼り不慣れな地上に出る程の問題でもないように思える。
『モテキ?』
「おじさんの戯言だ、気にするなよ。
……それで、メタスが地上に現れた、そしてどうして知ったかは知らんか先回りしてヤーさんをお食事ついでに俺を待っていた。
また俺はアレからお前を逃がしてやれば良いのか?……と尋ねさせるのがお前さんの期待なのかい?」
『ええ、それはもち「断る」』
妻の似姿なら、娘の似姿なら、情が湧くとでも思ったか。
まあ確かに情は湧いた、湧かなければ俺は足手纏いとして、まだレベル99のスライムだと知らない地下迷宮の内に彼女の頭にハルベルトを叩き込み死体を陽動にでも利用するか余裕があれば持ち帰りあの変態人形士に売りつけていたところだ。
だがしかし、だがしかしまあ、幾ら情が湧いたとしても合理的に判断しなけばこの生きていけないのもこのリスムでは常識中の常識であるのは未だ変わりない。
セルシィは、ニナはどうなったのか。事務所の長として最優先で確認しなけれないけないのは当たり前だ。
「断られたからと言って殺気は出すなよ?殺気が出てくれば俺は逃げる、派手に逃げる。
ここはリスムの黒社会の溜まり場だ、戦闘員の人数は集まっているしお前さんがどんなに特殊な異種でさえそのうち負けることになる。数は力だからな」
地下の主でさえ、黒社会の数やリスム駐屯軍と戦えば倒せる程現代の戦闘は進歩している。悪魔も精霊も竜も巨人も、国軍やハンターが動き戦科学士が弱点を暴き、人類は勝利を重ねてきた。
今は完全無欠なこのスライムでさえ、わらわらと集まる人の波に勝ち続けるとは到底思えない。不完全の不死のように、殺しても死なない存在でさえ殺し続けても死なない訳でもないのだ。
そして俺達普通の人間は、例え一度でも致命傷を負えば死んでしまうのだから。
『役に立たないなら…厄の一部になってもらうけど?』
出入り口が即座に蒼色の粘液に包まれ、逃げ場をなくす。ディーネは優雅に机から降り一歩みずつ歩み寄ってきた。
距離にして既に間合い、生き残ることを主眼とおくのならば熱を込めたハルベルトを叩き込んでみるのが今のところ上策なのだろうか。それとも、彼女の後ろの窓になんとか隙を見て走り飛び出すべきなのか。どちらも上手くいくとは思えないが。
「まだ腹が減ってるのか?」
『食べようと思えば幾らでも…ね』
ディーネが俺の左腕を優しく手にとる。脳内ですぐに損得勘定の計算、導き出した結論は、少しばかり我慢をともなうものだったといえるか。
ハルベルトを片手で一振り。切断面から血液が噴出して捕まれた左腕が離れ、カーぺットを朱に染め上げる。
痛みというより激しい熱をもったかのように感じるが、それもその筈だ。自らの左腕を斬り落としたのだから。
「腹が減ったなら、くれてやるよ。だがそれ以上食べると太るからやめておけ」
片手でハルベルトを振るえない訳ではないが、メタスと戦えるかどうかといったら分からない。まあ精々焼いて止血だけしておけば、動けないことはないだろう。難しく考える必要はない。
「お前さんのスライム、どかしてくれないなら窓から出ていくが?」
『……待ちなさい』
待つか待たないか、急いでいる状況になるので時間を無駄にすることは極力避けるべきだ。だがしかし待て、と言われて待たなければ永遠と追跡されそうな気がする。
女の子に追いかけられるなんて男冥利に尽きるのかもしれないが、さてはてこの相手を女の子なんて呼んで良いものなのだろうか。
「うん?」
『哺乳類なんて痛がり屋。中には痛さに喜びを感じる特殊性のある人種もいるけどね…それにしたって、見逃してもらえる保障もない餌がたかだか片腕を差し出して、見逃してくれるなんて有り得ない望みにかけているようにも見えない。
仲間が死んだか死にかけているのに気負いがない、それ以上に自らが命の瀬戸際だというのにまったく表情が動かない。
それはおかしい、生存という本能に逆らっている。死にたがりの遺伝子だとしても、それでも無価値に死にそうになる状況にまったく恐怖心を抱かない。
なにがあれば、どうしたらお前みたいな人間になれる?この身体を持つ私でさえ死が怖いのに』
そう言われても分からない。俺はそちらが分からないし、あちらが俺を理解できないのも無理はない。異種と人間どころか、人間同士でさえ分からない。
本質、自分以外の存在を理解できることはない。したと誤解するかしているように振る舞うことが精々だ。
ここ数年はセルシィと共に長い間過ごしていたが、彼女は俺のことを理解しきれていないだろうし俺だって彼女の全てを知る訳じゃない。過去を探ることもしない、話してもらったことを聞いただけだ。
見損なうという言葉があるが、見込むことこそ間違いだ。故に俺はこの化け物になにかを語ることは不可能だ。
「家族殺されて放浪して戦争して放浪して、取り敢えず死にかけ拾われた後その恩人の死別でも体験すればなれるんじゃないか?
我ながらなにを言っているのかは分からん、まるきり分からんが状況をそんな感じにすればなんとかなるだろ…どうやらお前さん、俺を恩人ではなく避難先と考えているようだから殺そうとするなよ?」
窓から跳躍、返事を聞く必要はない。
事務所の裏手に着地、生臭い香りの生ごみが放置されており腐臭と焦げた臭いをあげていた。
「……焦げ?」
前方確認。黒ずんだ鎧騎士。
「…どうしたもんかねぇ」




