水色の居候
なにが困ると言えば、主に掃除である。
ちょっと危険な場所に案内してやる観光案内業や、地下からあれこれのサンプルを頼む等依頼が無い限り、自主的に小遣い稼ぎに出なければ事務所等暇なものだ。
雑巾を絞り、廊下の液体をバケツに移す。水浸しの廊下を綺麗にし一息つき外に向かう。液体を訓練所にぶちまけ、雑草の繁殖に貢献して再度事務所に戻った。
事務室の扉を開けると、なんとも奇妙な構図が見えた。完全武装のセルシィと、足をパタパタさせながらテレビを眺めるディーネである。
テレビは昔の名作映画の再放送が流れており、両手を投げ出しながら首を左右に振り気楽に鑑賞をしていた。
「ニーさん!これ面白い!面白い!」
「はいはい、良かった良かった」
水色の腰まで伸ばし、枝別れしたように複数に分かれた髪の毛をブンブン振りながら彼女は喜んでいた。
因みに今俺はニーさんと呼ばれている。昨日おじさんと言われ、まだニーさんと呼んでくれと言ったら名前がニーさんになってしまった。
セルシィの服を無理矢理着せているが、丈が胸の膨らみにとられへそが丸見えになっている。ホットパンツの方は問題ないが全体的に丈不足だ。
明らかに昨日より成長しており、流暢に言葉を介し映画を理解している。
ディーネが映画に夢中であるという事は、昨日のようにただ茫然とアニメを見ていた訳ではない事を示していた。要するに、知識がついてきている。
「それよりトイレは近くないか?ソファーでは絶対にするなよ」
「だいじょぶー」
「ああ、なら良い」
廊下のあれが排泄物なのか、それとも別のなにかなのか分からないが。犬猫の躾でもするかのようにトイレの教育をしておいた。少なくとも、人型であるうちは流れる物はなんであれ水洗トイレで利用する知識は大切であろう。
セルシィが助けてほしそうに此方を見ている。
俺もセルシィも薄々は気が付いていたが、それが事実となり、こうして一つ屋根の下危険生物と過ごすというのは精神がかなりの勢いで摩耗していく。
涙目で完全武装しているセルシィを見ていると、代わってやりたいのは山々である。
そろりとセルシィが近づき、こそりと廊下に向かって歩きはじめた。その挙動は三世代前の泥棒を見ているようである。
「どこくのー」
舌足らずの言葉がそれを遮る。快活で元気な笑顔だが、正体を知る身にとっては、餌が逃げるなと恐喝しているようだ。
「ト、トイレッス!」
クルセイダーの銃口を扉に引っかけながら、ガツガツと焦り出ていく。俺もこっそりとそれに続き退室。
案の定セルシィは外に向かわず、廊下の奥で窓の外に顔を突っ込みながら悶えていた。
「先輩~ど~すんですか~あれ。寿命がマッハッスよあんなのと一つ屋根の下なんて~。
しかもアイツ、少し見ないうちにいろんなところが膨らんだりしてるッスよ!偽乳ッス!」
「同年代くらいまで成長して既に追い越されてるからな」
「そうッスよ!まあアタシはこれから先成長するから…ってそんな話してる場合じゃないッスよ!」
「落ち着け、最初から普通の娘じゃない事は薄々気づいていただろう?」
その言葉に反応し、セルシィは反発的な視線を向けてきた。指示には従うが今回ばかりは不満タラタラとでも言いたげだ。
「それにしたって、先輩もらしくないッスよ。何時もの先輩なら『あの娘が死んだら死体で幾ら』とか平然と言う癖に、わざわざ保護して連れて帰るなんて。
あの調子じゃ、どこかの孤児院や宗教孤児施設に押し付ける事も出来ないッスよ。
退治しようにも先輩やアタシの攻撃は効果ないし、人食いの異種なんだから『何時お腹すいた』なんて言うか分かったもんじゃないッス。
本当に先輩どーいう心替わりでお荷物連れ帰ったッスか」
最後の一言はどこか私情というか、背筋にキシキシと来るよう、妙にないたたまれなくなる感情を感じたが、概ねセルシィの言う事は正しい。
あの娘が妙な癇癪をおこしたり、お腹が減ったという理由で俺等や通行人を襲い始めたらもう目も当てられない。
無許可で異種等飼おうとしたら法令に則り警察組織が、申請や監視もつけず不適切な環境で異種を連れ出したら地下組合の規則に従い監視隊にも追われる事になる。
上層部が腐っていても、海千山千どこから来たかも分からない異邦の犯罪者を制圧し捕まえる警察組織は決して侮れる存在ではない。実働部隊ははそれこそ民間の警備隊とは違う練磨し連携した戦術と標準よりは優れる正式採用装備を駆使して犯罪者を追い立ててくれるだろう。
更に厄介な組合からの刺客。これは街中で相手をすれば警察よりは劣るが、一か八か地下迷宮に逃げ込む犯罪者の追走には一枚も二枚も上手である。
また単純に、組合から除名となり飯の種が無くなるのもダメージがでかい。
セルシィの言うとおり、俺のらしくない対応が現状を産み出したと言っても良い。
「人並みに良い事しようとしたバチ…かねぇ」
別段信仰する宗教は無いが、予測できた貧乏籤をどうどう引いてしまった事に神様のせいにもしたくもなった。
あの顔で、助けてくれてせがまれ、助けてしまう。
彼女が死んだ妻の面影さえ見せなければ、俺もこんな行動は起こさなかったであろうとは思う。
「言語は通じるらしい。驚異的な学習能力に驚く限りだが、まずはコミュニケーションからとってみようじゃないか。
向こう様がなにをお望みか、又はお望みじゃないかを聞き出すところからだ。
最悪『お前たちの肉体だー』とか抜かしたら、ありったけの煙幕を張りながら手瑠弾投げまくって事務所から逃げるぞ。
事がまずったら、その内俺の身から出た錆だと気づかれる可能性が高い。リスムには留まれなくなる」
その一言に、セルシィはやや不安そうな表情を見せた。
故郷を滅ぼされ二転三転しているセルシィのことだ。安住の地を見つけたと考えた矢先に逃亡はやはり不安を感じるのだろうか。
「……アタシはそうなっても、先輩についていくッスよ。
後になって、俺から離れた方が良いなんて台詞はかれても嫌なんで先に言っておくっス」
頑なに譲る気はないといった表情でセルシィが此方を睨んでくる。
なにがセルシィをここまで追い詰めた考えにするのか俺には分からない。だが彼女は、好き好んで俺に従い、傍を離れようとしない。
牙狼の戦斧部隊は戦いのうちに滅亡したが、牙狼の牙の後期集団にしてみたら牙狼の戦斧は英雄の部隊として壊滅してもなお大きな心のよりどころになったらしいがそれのせいなのか。
壊滅時の様子を、セルシィに話したら彼女はどんなリアクションをとるのか。
興味はあるがそれは、今話すべき事ではないし、話したくもない。
「……なら、お前さん二階で、万が一の時の為に必要な物を一纏めにしておいてくれ」
「了解ッス!」
文句を言いつつ基本イエスマンのセルシィは、弾薬や現金の確保の為走り去って行った。
さて、それじゃあこちらは異文化交流を試みてみるか。
学生時代は、言語学を基盤に学習し異文化交流として頻繁に森妖族や鉄山族、場合によっては半魚族とも学業の一貫として学んで来た。
森妖族は言語が共通でやや文字が違う程度の為交流は比較的容易だが、鉄山族は地方により普通に交流出来たりするが、場合によっては訛りが強く他国言語併用し使う為交流がやや難しい。
半魚族相手は完全に言語が違う為まさに亞人、異文化交流と言える相手である。
今回は、亞人ならぬ異種との交流になるのだが、さて学び培った経験はこの場で生かせるのだろうか?
正直、万事上手く進ませることが出来る自信は微妙だ。
部屋に戻ると、映画はエンディングを向かえスタッフロールを流していた。
前のめりになり、涙を流していた様子から(アルブミンやクロブリン、リン酸塩等を含む涙かは知らないが)えらく映画に熱中していたらしい。
「気に入ったか?」
「ニーさんこれ凄い!えーと主人公がヒロインにあれをあーしてし損なってばきゃーんとなっちゃうのが凄い!」
「支離滅裂な感想だが、楽しめたのはなによりだ」
感情が高ぶるこの瞬間、どう話術を駆使して穏便に事を運ぶのが正解なのか。
ここで『満足したなら、さあ故郷へお帰り』と切り出せば、多分取り返しのつかない事になりそうな気がする。
だからと言って、一億六千年前に絶滅した筈のプレシオサウルスの赤ん坊を母親代わりに面倒を見る…なんて昔どこかで見たアニメ映画のような展開には是が非でもしたくはない。
「ニーさんニーさん呼んでるけど、俺の名前は覚えてるか?」
「ニーさんの名前は~ニーさんで…あれれれれ?」
「ランザ=ランテ。ランザだ」
「おーそうだそうだ。ニーさんはランザで、ランザはニーさん」
まず第一に、積極的に自分という存在をアピールする事から始める。
鶏や豚は世界中で愛される食肉ではあるが、愛着を持つ人はぺットとして飼育している人もいる。
まずは獲物であり食糧としてではなく、コミュニケーションととれる一個人として俺とセルシィを認識してもらう必要があるのだ。
「それじゃ、さっきまでいた女の子の名前は?」
「んあ?えーと…セルシィねーさん」
「上出来だ、やはり一日近くにいただけはあるな」
話していると、幼児期の人間を相手にしている気分になる。
だがしかし逆を言えば、人間の感情や言語を理解し、異種が脳髄と発声期器官を作り出せている事に素直に驚きだ。
まあ厳密には、脳でも喉でもないかもしれないが、それにしたって現在の研究者や科学者、迷宮探索士に話しても笑い話として相手にされないくらいの衝撃事実である。
また人の顔と名前を一致させることから、元は本能だけで行動する単細胞生物にしか思えない存在が、記憶能力も有し映画に感動するだけの感情を持っている事も確認できる。
しかし、この幼児のような言葉に俺は多少の違和感を覚えていた。
人を喰らい、人体を学び知識を得て人間のように振る舞う。
そんな事が出来る存在が、幼児のように感情をむき出しに喋る光景はやや違和感が残る。頭の中では物凄い計算高いが、感情が未発達で幼児化しているのか、進化の過程の一プログラムなのか、それともこちらを油断させる罠か。
なんにしても、言動が幼いからと油断はできない。例え素直に裏も罠も無く幼い言動をしていたにしても、子供ならではの癇癪が怖いので困りものだが。
「昨日は外に出て楽しかったか?」
「うん!うんうん!」
「なら良かった、リスムは観光を楽しむだけには悪いところじゃない。むしろ良いところでもある。
だがお前さん、観光しに来た訳でもないだろう?」
聞きづらくても、どこかで探りをいれなければいけない。狡猾な怪物化無邪気な食人種かは分からない。
探りを入れる尋問ないし拷問は、相手より有利に立つ事が条件だ。そうでなければ、巧みな話術で誘導するしかない。
だがしかし、腹の読みあいという奴はどうやら俺には向いてはいない。挑戦しても良いが、相手が気分次第でこちらを殺せる状況では向かない腹の読みあいを披露するのは難しい。
さあ口を開け。いったい何しにここに来た。
「逃げてきたー!」
「……うん?」
「逃げたー!」
「……そうかい」
さらりと、さらりと言ってくれたものだ。
それが本当かどうかは、別としてだが。
頭に浮かぶのは黒騎士メタス。あれも本物かどうかは疑わしいが。
「逃げてきたなら、どこに潜伏するつもりだ?」
「せんぷく?」
その話をした瞬間、ディーネと名付けた彼女が勢い良く立ち上がる。
ついに来たかと、ソファーの後ろに跳び後ろの壁に飾っていた、斧に似た先端を持つ長柄武器であるバルディッシュに手を伸ばす。
部屋の端の扉からセルシィが飛び出し、両手に煙幕弾と手瑠弾を握りピンを歯にかけていた。
普通はピンを歯で引くと歯が欠けてしまうのだが、セルシィは一部の装備のみはピンを軽く引くだけですぐ抜けるようにしている。
本当に緊急時しか使用できないので普段は厳重に管理しているのだが、今回は持ち出して来たらしい。
「ここー!」
両手を広げ満面の笑顔で答える彼女に、俺達二人は固まった。
むろん、お断りしますとは言えなかった。