不都合 食事 捕食
不満という言葉を知ってるか?知らなければ貴方は生物ではないであろう。
さて、今自分はこの状況にとても不満を感じている。何故かといえば自分の形成に辺り優先すべき順位を失敗してしまったからに他ならない。
片寄りが生じてしまったのだ。その片寄りは決して無駄ではないが、一番最初に重視すべきものではなかったのだ。世の中で一番大切なのはバランスであるという事らしい。
フェイズ1、大まかな人体の構成。
おおよそ必要最低限のみ似せれば良し、資料を大量摂取により第一にして最大の問題はクリアした。
フェイズ2、本能の形成。
食欲、睡眠欲、性欲。取り敢えず今は必要ではない性欲を排除し自らの欲求、死なない為に身体が求める欲という本能の形成。今までは必要なかったがこの身体には必要だ。
早急に構築すべきであり、これまた大量の資料を参考になんとか今の必要最低限の物を揃える事が出来た。
さて、失敗したのはここからだ。
フェイズ3として行った人としての知識の形成、これはここから先必ず必要なものではあるが、こればかりに気をとられる訳にはいかなかった。
確かに自分は最初と比べても、利口になったし言語関係の不和も解消された。アニメーションとやらを見ていて意味と行動を理解出来たのも、一つの成果物とみても良いであろう。
しかしながら、大まかな人体構成しか構築していないが為体躯は貧弱、手先は行動不和、声帯器官にいたってはお粗末極まりない出来だ。
地下ではこの失敗に気づかず、知能が足りないせいだとばかり勘違いし貪欲に捕食しては知識を奪ったが、いざ知識が身につけば先に声帯能力を上げるのが得策だったと今更ながら気づいた。
後の祭り、後悔先に立たず、とにかく自分は失敗してしまった。
しかし奇妙だ、何故かこの奇形で不形な声帯機関であっても、何故か一部の単語のみは口から出てくるのだ。
その単語は、地下で恩人(便宜上そう呼ぶ事にしている、正式には命の恩人というらしいが)にサラリと言う事が出来たが何故これらだけ言えるのかは不明。
まあとにかく、恩人その2に街案内をしてもらいロクに意思疎通ができなかったのも痛い。礼というものを言わねばならないらしい状況であったのだが、意識ではそこまで来ていても言葉として出てこない。
この聴覚というものも、時々ノイズのように音声の聞き取りを除外されてしまう。これも身体を大まかにしか作らなかったツケなのだろう。
そして欲求が働く、腹が減る。本当なら誰彼かまわず襲ってしまいたいところではあるが、法無き地下では当たり前の弱肉強食という心理も、この世界はそれがどうにも保安部という厄を呼び寄せてしまうらしい。
自分も不死身ではないし、逃れる為に身体の訳八割を地下に切り離して制御も解いて来た身である。
数でこられても最初のみはなんとかなるだろう。しかし、こうして探索者の知識を顧みるにあたり、能力が幾ら優れようがこの種は様々な対抗策を講じて敵を葬って来たのだ。
自分等、災害にもなれぬただの化け物だ。最後には狩られるのが落ちだ。逃亡先でその最後は流石に笑えない。
喉の形成も完全に仕上げたいし、耳も出来る限り完成させたい。だが人を襲う事は自分の首を絞めてしまう事になるというジレンマだ。
だがしかし、いた。殺しても誰にも文句を言われず、消えても誰にも迷惑にならない存在。よそ者で警備部隊に追い掛け回されている、恩人に敵意を向けたあの連中。
食う食う食う喰らう喰らう喰らう腹が減った腹が減った。
そうと決まれば行動しようと思う。
こうして自分は、店を出たのだ。
□ □ □
「チィ!あのクソ餓鬼!邪魔してくれちゃってもう!」
どことも言えぬ薄暗い路地裏、煉瓦作りの廃墟の隙間に男は逃げ込んでいた。悪態をつく女の声を聞きながら、ひとまずは逃げ込めた事に安堵の息をつく。
「おい、口が悪いぞ」
「煩い木偶の坊!ウドの大木!なんであんな餓鬼相手に怯んだの!?」
「仕方ねえよ、あれはマズイ。見かけで判断しちゃいけない」
「口答えするな愚図!あの店の評判落とすように雇われてたのに、これじゃあもう店に近づくもの難しいじゃないか!」
怒鳴りたてる女が喧しいのか、男は少しばかり眉をひそめ不快そうに大きなため息をついた。現地ガイドだが知らないが、こんな事なら自分一人で来た方がまだマシだというものだ。
ゲニッツ=サーブレット。ただの恐喝屋であり詰まらない使い捨ての駒である事は自覚しているが、俺は一つだけ他の奴より優れていると思える能力がある。
虫の知らせというか、第六感というか、危機という言葉に俺はひたすら敏感な感じがするのだ。
素人傭兵として、聖教国に雇われ村や町を手当たり次第襲いまくっていた時もそうだ。ある街を襲い無抵抗な連中を蹂躙して、仲間がやれ金銭だやれ女だとあちこちを荒らしている中俺は唐突に嫌な予感がした。
何故かは分からない。自警団とやらは潰したし、新しく建てたという教会とやらも襲う時は女神像とやらだけは傷つけないようにした。国の連中もすぐには訪れない。
聖教国の連中だって、異種族弾圧はしたいが教会がある街を自ら襲いたくないので我々に襲撃を任せたのだ。連中が来るのは、もっと後の筈。
だが俺は直観に従った。厩から馬一頭を拝借し持てるだけの金銭を盗んでその街を離れる事にしたのだ。
後に聞いた話だと、その街は一人の男が狂ったように暴れまわり傭兵側に多数の死傷者が出てしまったらしい。
後にそいつは、聖教軍に対して猛威を振るったらしいが詳しくは知らない。ただそんな男には関わりたくもないし、関わってしまう為に働いた俺の直観は正しかったという訳だ。
「あんなクソ餓鬼さっさと見せしめに縊り殺せば良かったんだよ!そうすれば店に客がよりつかなくなるような被害でもなんでも与えられたのに!」
そうだな、俺達二人が店先に死体として転がって終りだっただろう。あの餓鬼の目は、なんていうかこう、人殺しの目をしていた。
俺みたいに弱い民衆や旅人を一方的に殺した奴みたいな半端物の目ではない。血と血で応酬し殺したり殺されたりを日常的にやっているかのようま目をしていた。
雑魚しか殺していない俺が放つ殺気等、あの餓鬼から見たらその程度のものなのだろう。流石リスムとでも言うべきなのか、高々店舗一つ評判落とす程度の小銭稼ぎも難しいか。
「ちょっと聞いてるの!?そもそもアンタが」
「煩いよお前」
銃声はまずいので、華奢な首を掴み頭を回す。静かに殺すならこの方法が一番だ、それなりの力と握力は必要だが、首をを半周して生きている人間等いないしあまり抵抗無しに殺せる。
デメリットといえば、もがき苦しむような死にざまを見れない事くらいか。喧しい女は好みじゃないからどうでも良いが。
ゴキリという音と共に、顔面が背中方向に周り女がこと切れる。何をされたのか分からないうちに死んでしまったのだろう、こと切れた表情は怒鳴り声を上げていた時のままだ。
「警備隊の連中に見つかるとまずいからな。煩い女は殺しておくに限るってもんよ」
後はこれを適当なところから投げ捨てて、しばらく下の層でほとぼりが冷めるのを待ってリスムを立ち去ろう。
しかしあの餓鬼、あろうことか『人を殺した事があるのか?』と聞いて来やがった。結論から先に言えば俺は人を殺した事はある、今この女を含めて丁度片手の指以上の数くらいは。
あの餓鬼の強気がはったりでない事くらいは、なんとなく分かるというものだ。少なくとも俺では敵うまい。あの射すくめるような目は修羅場をそれなりに潜り抜けた目だ。
戦場でおこぼれ狙いで村街襲ったりしていれば、時たまああいう目の奴に会う事がある。今まであの餓鬼を除いて二人くらい目撃したが、ありゃどうにも頭のネジが軽く外れてやがる目だった。
まああの餓鬼からしてみれば、無抵抗や楽に殺せる奴ばかり殺したようなチンピラの殺意等、極大な殺意渦巻く修羅場から出てきてから感じてみればただのチンピラのメンチ程度の威力しかなかったという事か。
「ふん…化け物と一緒にされても困るけどな」
下手に功名心等いだかず、分相応に暴力を振るい楽に生きていけるように立ち振る舞えば最大限の危機というのはおのずと回避できる。後は、持ち前のこの勘を頼りに行動すれば良い。
「今回はドジ踏んだな、次はよく用心して…っ!」
悪寒悪寒悪寒。最大限の恐怖と嫌な予感が背中を這いまわるように襲いかかって来た。そんな馬鹿なと声を張り上げたいが、すぐ後ろに迫る恐怖に身がすくむ。
警備隊だろうと暗殺者だろうと戦場付近の何時砲弾が飛んで来るか分からない漁り場だろうと、俺の第六感はいち早く警鐘を鳴らし危機から幾度となく逃れる事が出来た。
だが今回はどうだ?なんの気配もなく、なんの警鐘もなく、突如この生命の危機のような悪寒に襲われた。
気のせいであってほしいが、これだけは優れていると自負できるこの能力が全力で気のせいという選択肢を排除している。自分が自分を騙す事は、不可能だ。
「だ…れ……だ」
だが行動をしなければ死ぬ。危機を感じたからこそ行動して今まで生き延びて来たのだ。ならば、今行動しなくていったい何時行動するというのだ?火事場泥棒のような漁り屋に詰まらん脅し屋とはいえ、それなりに経歴は長い方だ。
恐怖に動けなくなるようでは、とっくに死んでいる。
「このやろう!」
手に持つ得物を振り向きながら回転をつけて一閃。その一撃は、今まで繰り出した中でも特に力強く鮮やかな物だった。
それを見たらセルシィでも、『絞るように鍛えればそれなりには使えるくらいはなるかな?』程度には思ったかもしれない。
重厚な得物の素早い一撃は、人間や機人であるならば十分切断可能な一撃だった。地下第一層に彷徨う機鋼蟲くらいは切り裂けたかもしれない。
だがしかし、切り裂く事が出来ない敵というものには、今の一撃はまったくの無意味であった。
彼が見たのは、上部のパイプから静かに垂れ下がる水の柱。いや、水というよりは粘液のような、まるで地上種のスライムのような粘性の高い水分性の何かだった。
「お?」
その次の瞬間、雨のように粘質な水分が彼の真上のパイプ群から垂れ落ちた。その一滴一滴はまるで意思があるかのように女の死体と彼の上に降り注ぐ。
「うっうおああああ!なんだ!?なんなんだよこれ!?」
叫び声をあげた刹那、一際大きなスライムの塊が彼の顔を覆い尽くす。もがきながら銃を引き抜き、狙いもつけずに足元や壁を乱射するがスライムに怯んだ様子も見られない。
鼻孔、耳孔、眼孔、口腔、顔のあらゆる穴からスライムが怒涛のように侵入していく。眼球はものの数秒もしないうちに潰され、強力な酸性にさらされグズグズに溶けていく。
男が暴れれば暴れる程粘液は男を抑え込むように密着し、皮膚をグズグズと溶けかし初めていった。
内と外を溶かされはじめ、男はその場に倒れふし、弱った獲物を喰らい尽くそうと前進をスライムが覆っていった。
捕食と言うよりは、タチの悪い処刑のような光景が続いていく。胃袋の中の様子を見てみたとしても、ここまで悲惨な消化を見る事はないだろう。
溶けて、呑まれて、食物にされる。人という種は食べる事には慣れていようが、食べられることには慣れていないのだ。
この食事風景は、おおよそまともな感性を持つ人間であるなら、恐慌状態になっていてもおかしくはない。冷静でいられる人間がいたら、それは感性が歪んでいるのかもっとおぞましい光景を見ていたかのどちらかであろう。
「なっ…なんだこれは」
後を追う警備隊が見たのは、薄暗い空間で謎の粘性水が人を溶かしているシーンである。誰もが言葉を失い、なにか苦い物を噛み潰した光景を見ているように表情を歪めた。
皮膚が溶け、筋繊維が露わにされ、みるみるうちにグズグズになっていく人間の身体の身体は、まさに吐き気を催す光景といえるだろう。
恐慌状態に走るか、逃げ出すか、足がすくみ腰を抜かしてしまうか。もしくは冷静に対処するか考え無しに恐怖のあまり銃弾をばら撒いていくか。
もし相手が恐竜や怪物のような、分かりやすい敵対者であり捕食者であるならば、後の行動はいずれかの選択肢に分かれ死ぬか生きるかの駆け引きに身を投じているだろう。
しかしこの目の前の捕食者は、明確に人目で分かる程単純ではない。敵という事だけは分かるが、果たして『これは生物なのか?』という思考にとらわれてしまった。
結論から言えば彼らは逃げれば良かったのだ。彼女は空腹を感じていたものの、食糧ならば足元の死体と成人男性のみで充分といえたのだから。
わざわざ見物人を襲い食すほど暇ではないのだ。今吸収し調べた身体の期間、喉というものを改めて検証する必要があるのだから。
「う…撃て!なんか知らないがやばそうだ!」
一人の号令に連られ、訓練された身体は自動的に引き金を引く。
小口径とはいえ鉛玉の嵐は、いかに支給された銃が対人間用で異種に対して威力が心もとないといえど、最低限怯ませる程度の効果は期待は出来るだろう。
致命傷を与える為には、近接武器との連携か敵の猛攻をかいくぐり急所を打ち抜く技術が必要であるが、追い払うくらいなら例え多少強くても警備部隊の一部隊で十分可能だ。
だがしかし、世の中例外というのは存在する。
幾多の探索士が敗れた地下第一層の覇者バジリスクや、見た目が中世の甲冑騎士でありながら人ではないまったく別のなにかである黒騎士メタスのように、この相手もまた例外であるといえた。
銃弾が幾ら身体に当たろうが、化け物は身じろぎもしない。異物が循環され濾過されるように体内に溜まる弾丸が背中(?)に流れ排出されていった。
「この化け物!効いてるのか!?」
「緊急事態!本部に応援を!」
通信機を起動させようとしていた相手に、水色の触手が伸び腹部を貫く。悲痛な悲鳴をあげる犠牲者をグルリと一回転して拘束しながら体内に運ぶ。
鍛えた男の肉も、女の肉も味は変わらない。多分ではあるが赤子の肉も変わらないだろう。
だがしかし、人体の構造を理解するという主旨を考えるのであるならば成熟した男女が一番効率が良いであろう。単純に量もとれる。
溶解していく男が喉を押さえながら暴れているが、無駄な足掻きでありたとえ脱出出来たとしても長くは生きられない。ならば、大人しく体内で死んではくれないだろうか?調べにくい。
「ふっざけるな!こんな化け物聞いてねぇ!」
銃器を放り投げ逃げ出す男に釣られ、数人が撤退を始めた。正体不明の相手に対してがら空きの背中を見せてはいけないのは、対異種の経験不足から来る無知か恐怖からの麻痺か。
積極的に動く相手は、早めに捕える。その思考が皮肉にも逃走していく存在から先に餌食になる現実を示していた。
首に巻きつき、腹を貫き、腰を掴み、身体に引き寄せていく。
頭から取り込み酸欠を狙えば、得物は比較的早めに大人しくなる。
不要な衣服や装備は排除していき、生身の身体を吸いつくし余すことなく吸収する。
腰を抜かし半泣きの男一人、恐怖に頭を抱える男一人、泣きながら這いつくばり少しずつ離れる女が一人、身なりが比較的良い男が一人残った。
騒がず、叫ばず、動かず、反撃も出来ず逃走も出来ず、恐怖で叫ぶ事も出来なかった人間のみがこの場に生存していた。
いずれか一つを行った人間は、例外なく既に肉塊と成り果て消化されてしまったからだ。
「諸君」
身なりの良い男が一言呟き、腰から丸いボールを取り出す。厳密には綺麗な丸ではなくピンがついた球体であったが。
「喰われるくらいなら、自滅した方が幸運だと私は考えている。だが従う必要はない、私に化け物の注意が向いている内に逃げろ」
「たいちょ!」
叫んだ男が触手に首を貫かれ、引き寄せられ体内に取り込まれた。最早この場ではその程度の事すら許されない状況になったいたのだ。
「化け物が、よくも私の部下を…共に果てるなら本望!仇をたらせてもらうぞ!」
ピンを引き抜き拳を振り上げる。自らが取り込まれた瞬間に爆発するつもりか。
『ガウン!』
大音量が静寂に響き、周囲に音が反響する。だが隊長の手瑠弾はまだ地面に叩きつけられていなかった。
「借りるぞ」
「な、なにをする!」
音響に固まる隊長の手から手瑠弾を絡めるように奪いとる手が、大穴の開いたスライムの中に投擲物を投げつけた。
爆発音と共に、液体が飛び散る音が響く。続けて大量の煙弾を地面に叩きつけられ煙幕を張った。
『先輩!煙幕は充分張ったッスよ!』
「援護しろ。触手が伸びて来ないよう量で煙幕の向こう側に叩き込め」
『了解ッス!』
通信機ごしに軽快な声が響き、サブマシンガンの連射音が響く。効いているかは分からないが煩わしいと少しでも感じてくれていれば御の字だ。
「立てる奴は立つ、立てない奴は這いつくばる。それぞれの行動でこの地獄を抜け出せ。もう、面倒は見ないぞ」
軽く言ってくれた男、ランザ=ランテは退路を指さした。そしてその先頭を切るよう逃走を開始する。
「待て貴様!グ…行くぞ!撤退!」
生きる望みが出来たと確信した連中が走り出す。希望は動く為の活力にはなりえるのだ。
だが、希望というだけで、生き残れるかどうかは別である。
「やめてやめてやめて!助けてーーーー!」
最後尾の女性自警隊が煙幕から延びる触手に捕まり、煙の向こうに消えていった。足止めの煙幕と弾幕は効果があったのかと頭を抱えたくなるが、ひとまずは彼女が消化されるまで次はない。
「……どうしたもんかな」
先頭を走るランザ=ランテがポツリと呟いた。その声は、この極限状態において誰も耳にも入らなかったが、彼は軽く唇を噛みながら考えていた。
あの触手、あのスライム、すっごい見覚えがあるのだから。