不都合
ランザ=ランテ迷宮探索事務所。今のアタシの住処であり、仕事場であり、趣味に打ち込める大切な縄張りだ。
後期の牙狼の牙の部隊は正直惨めなもので、転戦どころかゲリラ戦がメインな側面もあった為、住処は移動式の簡易なテントであれば良い方だ。
草の屋根を即席で作り、壁もなく男女入り乱れて雑魚寝なんてしょっちゅうで、何時敵に見つかるかと銃器を抱え込みながらではゆっくりと眠る事も出来なかった。
どんな人物であれ生物であれ、一日のうち数時間の睡眠は活力に繋げる為の行動であり必要な行為である。
緊張で眠れない人物には、荒療治として無理矢理気絶させて眠らせるのもアリなのだ。
そんな状況で青春期を過ごしてしまったせいか、アタシの部屋は次から次と趣味を運び込んでいるせいか混沌としていた。
僅かなスペースも無駄には出来ないところにいたおかげであろう、スペースどころかしっちゃかめっちゃかに荒れており、世間一般でいう片づけられない女一歩手前の状況だ…自覚している。
何時かは治さなければいけない悪癖だからだ。
以前の居住者が使っていたという部屋は、落ち着いた木目調の色合いの本棚と丸くて小さなテーブルに椅子。そしてシングルのべッドがあるだけのシンプルな内容であった。
しかし今は大量の本棚が立ち並び、様々な機種の据え置きゲーム機が繋がれた、電波を受信していない古い型のテレビが一台が部屋の中を圧迫していた。
床にはゲームソフトのパックと本棚から溢れたコミックの束、初回限定付きアニメDVDソフトが散乱している。
べッドの上は着替えや戦闘ジャケットに特注ジーンズが乗っかったままであり、流石に下着類は隠しているがクローゼットの中は混沌状態だ。
唯一整頓がついているのは、壁にかけかけてある予備の銃器達と、べッドの脇の小さな箪笥にしまってある手入れ用の商売道具くらいだ。
ランザ先輩はアタシに一室を与え、その後どうしようが口に出さない放任主義な人だが、彼の家は少なくともアタシの部屋よりは片付いている。
もしかしたら、アタシの部屋の状態をあまりよく考えていないのかもしれない。
このままではいかんと鬼の覚悟で片づけ始めても、どうにもアタシは目移りしてしまう性格らしく、ついつい漫画やゲームに手を伸ばしてしまう。
だって極東の娯楽が面白すぎるのだ、特に奇妙な冒険してるやつとか。
因みにアタシはシリーズ通して一番好きな登場人物は重度の手首フェチの変体殺人鬼である。
まあそれはともかく、そんなアタシの部屋に今はお客様が一人。なんだか居心地悪そうにしている、タウロスから連れてきた落し物である。
タウロスから脱出したアタシ達は、とにもかくにもまずは重症のランザ先輩を病院に放り込んで来た。あの医師は変体だけど腕は凄い。
先輩は病院についた瞬間気を失った。仕方ない、まともに戦っていないとはいえ、黒騎士メタスと一合交えて来たのだ。生きて帰って来れただけでも儲けもんと考えるべきである。
だが困った事に、アタシはこの娘の事を任されてしまったのだ。
取り敢えず、地図士ギルドに生存者として申請しておいたのだが、未だにこの娘に対しての情報が回ってこない。
いやいやいやいや、企業の科学者でもない限り、探索者以外の人物がなにを好き好んで地下迷宮になんかいきますかい。それも全裸で。
でも地図士ギルドに幾度となく登録探索士を検索してもらっても、この娘の情報が出てこないというのだ。今は取り敢えず、東側の組合の方にも顔写真と全体写真を送り照合をお願いしてもらっているのだけど…。
そもそもこの娘の名前が分からないのが、照合の足をかなり引っ張っている。単語を一つか二つ喋る事も出来るが、それ以外はサッパリなのだ。
まるでまだ喉の成形が不完全なのかのように、言葉として体をなしていない。
もしかしたら、第七層から逃げ出した奴隷なのかもしれないと考えたが、リドバルドや地下迷宮、更にはタウロスまで行ける道理がない。
こんな状況では、どこかの施設に送るにしても容易ではない。
本来ならば、行方不明の迷宮探索士を助けた場合は、地図士ギルドに登録資料と照合してもらい行方不明者救出の懸賞金をもらうのだが、出所不明の少女に頭を抱えるはめになってしまった。
『わたしは…子供の頃……レオナルド・ダ・ウィンチのモナリザってありますよね……あの絵…画集で見た時ですね。
あのモナリザがヒザのところで組んでいた「手」…あれ……初めて見た時……なんていうか……その…下品なんですが…フフ…勃起……しちゃいましてね』
テレビがアニメを流していた。ああ、このシーンの台詞の意味この年頃の女の子に分かるのかなぁ。
件の少女は、今はアタシの部屋で大人しくしている。どう構えば良いのか分からないのでアニメを見せ続けているのだが、面白いのか物珍しいのか無表情でずっと画面を見続けている。
「いやぁこの状況でこの男はまだ諦めないんッスよ。でもその為にこんな性癖暴露しなきゃいけないなんて大変ッスよねぇ。
なれば一発逆転なんスけど、手段がちょっとアレッスよね」
「………」
「えーと…実は詰まらないッスか?個人的には四部が一番好きッスけど」
「………」
「あー…そうッスか」
もしかしたら言葉が分からないのかもしれないけど、こうまで会話を流されると少しだけ泣きたくなってきた。やっぱりアタシは誰かと会話のキャッチボールをするのが好きなようだ。
自分がこのくらいの時どうだったかな…ああ、親友の肉喰わされてた時だ、思い出すのやめよ。
『このクソカスどもがァーッ!』
アニメの方も決着がつきそうだ。嫌がっている様子も無いし、このまま第五部も見せてやる方が良いのだろうか?
こういう時どうすれば良いのか、ランザ先輩に聞けばなにか良い案を出してくれるのだろう。だけど、病み上がりの先輩にあまり迷惑をかけたくはないというのも本音だ。 子供の面倒くらい指示を仰がずにこなしておきたい。
「このままここにいるのも、少し不健康ッスよね」
アニメが終わる瞬間を見計らい立ち上がる。
少女は今急ごしらえで揃えたジーンズと、ちょっとブカブカのアタシのTシャツを着せている。ちょっとおしゃれが足りないけど、外に出せない格好という訳ではない。
よくよく考えればアタシだってお洒落なんて疎いんだ、とやかく考えるべきじゃない。
「遊びに行くッスよ!第一層に連れて行ってやるッス!」
このままでは確実に息が詰まる。喋れないのか喋りたくないのかは知らないが、アタシにはこの娘を面倒みる義務があるのだ。
喋りたくないなら、是が非でも喋れるようになってもらわないと困るし、喋れないのだとしても何時までもここにいて延々とアニメを見続けていても意味はない。
さて…それにしたって第一層は久しぶりだ。この気にいろいろ買い物でもしておこうか。
主題がこの娘の面倒から外れない程度に、アタシも外の喧騒とやらを楽しみに行こうじゃないか。
ホルスターにハンドガンを仕込みつつほくそ笑む。今日は予定外の休暇としゃれこもうじゃないか。
□ □ □
リスム第一階層。
食と娯楽と安全、この自治州で一番殺傷沙汰とは縁のない階層である。
リスム第一階層を真上から見上げたとして、北は主には金持ちやリスムの政治経済を操る頭でっかちが住む高級居住区である。
大国二国の操り人形が住む巣窟だ。この自治州の政治家の殆どは、リスムから啜れる甘い汁を如何に自らが参加所属する国に横流しするかしか考えていない。
どっちつかずの中堅派なんて連中もいるそうだが、後ろ暗い組織を背中の盾にしている暴力政治家連中ばかりだ。
このリスムから得られる資源は、延々延々と二つの国に流れていく。それに対してどうという事は思わないのだが、ランザ先輩はどう考えているのだろうか?
アタシとしては聖教国の盾として二国が動いており、この自治州の資源があのクソ宗教国に回らない限り割とどうでも良いのだが。
それとは対照的に南は、地上に繋がる貨物超巨大貨物クレーンが何台もの稼働する物資搬入エリアだ。
このリスムは人間も品も大量に行き来しており、常時数百台から数千代勢いで大小構わずリフトが行き来している。それくらいやらないと、このリスムという都市の人口を賄いきれないのだろう。
なんせこの自治州、農業産業や家畜産業が他国と比べ物凄く弱い。自治州のリスム以外の土地を全て大規模な農村にしてしまったとしても、この国の食糧事情は他国からの輸入に頼らざるえないと言えるだろう。
リスム中央展望台から見る貨物エリアのリフトが動く風景は、ここの観光エリアとして見応えのあるスポットとして紹介されている。
だがアタシには、あのリフトは地獄に向け生贄を運ぶ着飾った生贄搬送機にしか見えない。
年間何万人がこのリスムに訪れ、死んでいるのか。
このリスムという都市は、人を喰うのだ。
地下迷宮で命を落とす探索士のみではない。自国が経済崩壊をしたり内戦やらどっかの宗教国の進行により、自暴自棄になりつつ辿り着いて来るような連中や他国で買われた奴隷達。
犯罪組織の先兵となったり、なけなしの金で薬を買い破滅的な快楽に身を投じる連中。劣悪な環境で娼婦として働いたり、中には金持ちの野蛮な娯楽に付き合わされ命を落とす奴だっている筈だ。
この都市は毎年かなりの数の人間を受け入れつつ、上手く腹の中で消化してしまうので人口の増減があまり目立たない。
この都市は、リスムという都市は人を喰うのだ。
展望台から望遠鏡で貨物エリア方面を眺める少女を見て、アタシは今すぐにでも腕を掴んで引きはがしたくなる衝動にかられた。
だがしかし、そんな衝動もすぐに小さくなり四散して無くなる。
結局は死ぬ奴が悪い、生きられない奴が悪い、破滅する奴が悪い。弱者が悪くて、無能が悪くて、不運に見舞われた奴が悪くて、なにがどう要因として絡もうがすべては自己責任なのだ。
そしてアタシは、別段この都市に来て地下の魔物とばかり戯れていた訳ではない。
あの犬屋敷の前で少女(名乗っていたような気がするが、名前は忘れた)を殺したように何人も人間や亜人を殺している。
アタシの重火器という武器は、地下迷宮の異種相手よりは、それよりもよっぽど危険で最悪な同族という敵に対して有効であり効果的だ。
地下迷宮、なにもそこは敵は異種だけではないのだ。異種よりも危険な同族、探索士の連中。
奴らは手柄の独り占めや、自らが助かる為の生贄にする為に平気で此方を害しようとしてくる連中もいるのだ。
死人に口なし。地下でおこる犯罪など明るみになる可能性は驚く程低い。自らの利益の為殺人を行おうと、建前上では禁止されてはいるが実質殺される方が悪いという暗黙の了解さえできている。
そんな連中を殺して、逃亡奴隷を殺して、組織の先兵を殺して、アタシもこの都市の胃袋で行われる消化活動に一役買っているのだ。
だからアタシは、あの地帯のリフトを見て嫌悪感を感じてしまうのだろうか?自己分析等無意味だし専門家でもないので、アタシはここで毎回考える事をやめる。
アタシはなにをしに来た?楽しみに来たのだ。だとしたら、こんな辛気臭い気分になる必要等ない。
「後ろに待ってる人がいるッス。そろそろ退くッスよ」
望遠鏡に張り付く少女の両脇を持ち上げ、展望台からズルズルと引きはがす。
流石にリスムの観光名所の一か所だけあって人が多く、何時までも玩具を独占しているという訳にはいかないのだ。
「それで、ディーネはどこに行きたいッスか?」
水のように柔らかな色合いの髪の毛から連想し、アタシはこの少女を取り敢えずディーネと呼んでいる。
元ととしては、遭遇すれば厄介極まるヤンデレ精霊ウンディーネからとっている。
あの種族は、人間あるいは亜種の男性と恋をする事で初めて魂を得る事が出来る。しかし、その男性が別の女性と婚姻を結んだ場合自らの魂が消える事を承知でその男性を殺しに行く。
こんなエピソードがある。
ある日村の男は、自らの恋人に結婚を申し込む為泉のほとりに彼女を呼び出した。
その泉にはウンディーネ種が生息しており、陰から男を見て一目惚れしてしまったそうだ。だが数分と待たない内に男の恋人が現れ、男は指輪を渡し恋人も了承する。
だが翌日男は、自らの家の室内で溺死してしまうとうい非業の死をとげてしまう。勿論下手人はウンディーネだ。
実際ウンディーネ種か関わらず精霊と婚姻を結ぶ男性の話も多いが、その中にいったい幾つ純粋な双方が求め合うような恋があるというのか。
ウンディーネ種というのは、迷惑な悲劇のヒロイン気取りだ。まあ最もこのご時世、別段四大だろうが八大だろうが知識に精通した狩人と専用の道具さえあれば簡単に討伐出来てしまうものだが。
ディーネ、喋れない地下迷宮の生き残り。
喋ろうとしているのに喋れない素振りを見ると、言葉はもしかしたら分かるのかもしれない。病院にでも放り込めば、心理的な要因からの治療で意思疎通は簡易になるだろうか?
だが、この娘の身元がはっきりとしていないのに関わらず病院に放り込む訳にはいかない。
身元が分からなければ保険云々も使えないし、この難しい症例で費用前持ちは軽く家の事務所の財政状況に響くであろう。
『週休六日がモットー』とは、某デビルハンターの言ではあるがそれに近い経営状態である我が事務所は常に金欠なのだ。
主立つ仕事は死体漁りを中心に偶に賞金首となった小物異種や犯罪者の討伐。クリーンに稼げる手としてちょっと危険な階層にスリルを求めて観光したい旅行者の護衛兼観光案内をする事もある。
観光案内が意外と好評なのであるが、残念ながら予約のようなものはなく不定期開催…つまり先輩のモチベーション次第の開催なので偶にしか受け付けないのだが。
ランザ先輩という人物は、あの人は、どうしようもない人間だ。そりゃアタシも人様の事は言えないし、馬鹿で要領悪いから観光案内なんぞ器用な真似は出来ないような人柄で、人の事を言えないような奴ではあるがそんな人物が言ってしまえるくらいどうしようもない。
まあ先輩が輝く時は他人様にとっては迷惑極まりない状況であるので、あの人は輝かない方が世間の為であり平和の為であるのだが。
閑話休題、いろいろ話が脱線した。
世の中というのはお金なのだ、金銭なのだ、そして金銭とはそれがまっとうであれ悪行であれ行動する事で手に入るもの。
普段から極力行動していない我が事務所は、当然ながら金は無し。
ディーネに関しては、長期的に見れば金がかかるが今は状況が変わるまで我が事務所に居候させておく他無い。普通であるなら迷宮行方不明者発見で懸賞金がもえらえるところを、とんだ金食い蟲を拾ってしまったものだ。
ま、そんなくらいでこの娘をどーこーしよう等とは思いはしないのだが。
なんせこれは、先輩が決めた事だ。アタシ個人なら放り出しているが、先輩が預かるというのなら面倒見てやろうじゃないか。
例え先輩の判断が徹底的非論理的非効率的非社会的であり、『吐き気をもよおす悪』であり『愛されない馬鹿』的な指示であったとしてもアタシは従うだけである。
思考放棄?なんとでも言ってくれだ。
最もこんな話は誰にする訳でもないが。
さてディーネだが、先程問いかけた『どこに行きたいか?』という問いに軽く首を傾げている。
これはまあ、どこに行きたいかというよりなにがあるのかが分かっていない様子だろう。
「この場合、アタシが行きたいところを優先して良いものなんスかねぇ」
行きたいところと言えばあれだ、極東のアニメフェスタショップやゲームショップ、漫画本やR18なソフトを漁りに行きたいのだがいかんせんこの娘がどう思うのだろうかが少し気になる。
なんだか目を離したらすぐどこかにフラフラと行ってしまいそうな気がするし、面倒見てくれと頼まれた以上自分が我を忘れてしまうような所は避けた方が良いかもしれない。
あれ?アタシは楽しみに来た筈なのに楽しむ場所にいけない気がしに来たぞ?買い物に出た筈なのによくよく考えればそういう場所にいけないのだ。
「か…観光ガイドに従ってみるッスか」
考え方を変えてみよう、そうしよう。アニメとかゲームとかは今回は無しにして、普段あまり親しみのないリスムの観光スポットに行ってみる事にしようではないか。
観光ガイドは先輩しかやらないので、アタシ自身はこのリスムを観光という名目でうろついた事が無いのだ。
毎年数えるのも億劫な程の観光客が来るのだ。ならば客観的な意見としては『リスムの観光は楽しい』という事なのだろう。
そうすればアタシも楽しめるし、我を忘れる程の興奮に囚われずにすむだろう。アニメでもゲームでも漫画でもないものにそこまで気をとられる心配はない。
ディーネだって、観光事態が嫌いではない筈だ…多分。
都合が良い事に、すぐそこの壁にあるテーブルにリスム観光ガイドの冊子が大量に無料配布されている。
ページをめくると、めくるめくアミューズメントな情報が観光地特有のぼったくりな値段で紹介されていた。
いかん、こんなものに手を出しては財布の中身が粉砕する。
現物支給が主なアタシの給料ではあるが金銭を持っていない訳ではない。しかし、観光とはかくも金がかかるものなのかと頭を抱えたくなった。
しかしそんな記事の中に一筋の光明が。
「第二階層多国籍料理街道…安さが売りの世界の料理を食い歩き」
自治州であり、世界各国から注目を浴びているリスムならではの観光スポットだ。今から第二階層に向かえば丁度お腹も空く時間帯であろう。
「食べ歩くッスよ、ディーネ」
ディーネは小首を傾げたままだ、知るか。同意しなくてもアタシは強引に連れていく。
という訳で、計画とん挫したアタシは普段あまり行く機会がない第二階層に向け歩き始めるのだった。
アニメの台詞は、ジョジョの奇妙な冒険第四部『クレイジー・Dは砕けない⑨』からです。