頭の痛い話 2
第五層西警察署支部。リスムの治安の維持をする組織の一つだ。
本部である警察本部は第一層にあり、ここ第五層はとちらかと言えば強面の武装査問官達の詰所ともいえるかもしれない。
リスムという自治区は、例えば『世界の六人』のような国際的テロ組織やそれに連なる犯罪者以外なら幾らでも受け入れる傾向にある。地下でゴミさらいをする捨て駒共は幾らでもいても足りないのだ。
だが流石にそんな連中まで迎え入れていては犯罪も当然多い。リスム第六階層の『リーヤン地区』や『ロートゼス遊楽地』等は犯罪の温床だ。
ここにいる連中は訓練を積んだ対荒くれ者対策のエキスパートであり、個人の質も下手な迷宮探索事務所の連中よりは高水準に保っている。
まあもっとも、西も東も警察連中は上層部が他国や第七層の腹黒い連中と繋がっているので、下の者は身動きがとれないどころか腐り気味であるのも現状であるが。
また自治州の軍に当たる機動防衛隊との仲も悪く、毎年警察と予算をとりあるどころか、酒場で出会ったら勢いに任せて殴り合いにまで発展しそうな勢いだ。
なにがあったかは詳しくは知らないが、どうにもこうにも血の気が多い連中が多いのがここの伝統でもあるようだ。
警察支部に来た理由は二つ、一つはあの少女の身柄の一時預かり場所を探すのと、ある人物に会う為だ。
警察署ロビーで黄色い鼠のようなマスコットキャラクターと目に入る。よくよく見ると眼球が右と左で別々の方向を見ているような気がした少しだけ気味が悪い。
「文章通信で呼び出すなんて良い御身分ね」
「税金泥棒は市民の意見をよく聞き助けになるものだと思うがな、俺は」
紺色の警察署衣を身に纏った女性と目が合う。メーテル=ハルキスタは蜂蜜のような褐色の肌と、長い銀髪を持つ黒妖族の女警察だ。
警察という人種は基本的には迷宮探索士を下に見たがる傾向があり、彼女も基本的にはその例を漏れない。
だがしかし、此方は向こうにある恩を売っており、少なくとも表面上くらいには仲良くはいっている。向こうも向こうで此方側に、なにか事件のさいの協力を期待してりるので下手には扱われない筈だ。
警察組織や弁護屋と仲良くしておくことは、このリスムで有利に立ち回ると同時にいざという時の命綱にする事が出来る大切な繋がりだ。
「自動福祉科の奴を相談してほしい。家では飼えんぺットを拾っちまった。あと、お前さんに少し力になってほしい事がある」
「拾った?ぺット?順序立てて話しなさい。なんだか犯罪臭がしてきたわ」
「耳鼻科に行って、鼻孔に爆薬入れて謎の臭い漂う鼻詰まりを解消して来い。
まあ積話もあるって奴だ、ローデルビルの前の砂の涙で呑まないか?」
「誘って来るなんて珍しい…どういう風の吹き回し?」
「まあちょいとな…ここでは言い辛い事もある」
「……分かった。馴染みの誘いくらいは乗ってあげる」
戦争依然から、この女性と俺は顔見知りである。
彼女は街育ちになる黒妖族で、言うなれば共に幼少期の勉学を共にした幼馴染という間柄だ。
例の聖教国の民族浄化運動から逃れるために逃亡した種族が、このリスムという土地に流れ着くのも珍しくはない。
彼女は早々にリスムに流れ着き、人づてに援助を受けながら勉学とトレーニングに励み警察となった稀有な存在であり、このリスムに訪れる『故郷から逃れた逃亡組』としては珍しい分類だ。
大抵は俺やその他のように、地下に潜るか裏組織の使い捨ての駒となり命を落とすかのどちらかであろうに。
「なにがあったかは、そこで聞けば良いのね?
真面目な話なら、ソーコムは連れて来ない方が良さそうね」
「そーしてくれ。それじゃ、今夜九時にな」
待ち合わせ時間を決めてしまえば、後は時刻までにやるべき事をすませてしまうだけだ。資料も貰ったし、これ以上ここに用事は無い。
地下で入手した記録媒体は今はセルシィに管理を任せており、手筈どうりなら今頃企業の支社が来ており本社に送られている筈だ。
金は振込での支払いである為、金勘定を不慣れな彼女がやる必要もない。渡してしまえば、それで終了。そしてネイ=リリネウムから個人的な報酬を受け取れば、あの胡散臭い顔をしばらくは見なくてすむ。
資料を片手に警察所から出て行き、小さくため息をつく。警察署があるこの場所は、なかなか良い立地条件にあり、暗くなった空を仰ぎ見る事が出来る。
「……はぁ」
センチメンタルな気分になるつもりは無いが、少々自分を考えさせられる気分になった。
こんな気分を引きずるようになったのも、ネイとの再会に併発して見てしまった夢である、過去のあまり気分の良くない思いでか。
別段自分は、夢でうなされるような人間ではない。映画や小説で過去になにかあった人物のように、汗まみれで飛び起きるなんて無縁の現象だ。
なにがあろうが無かろうが、一度寝てしまえばなにも感じず目覚めまで過ごしてしまう事が大半だである。
……が、久々に昔の夢を見てしまった。
どうせ見るなら、幸せとか感じそうな過去の夢であるなら良かったが、ありゃどう考えても思春期の暴走というか若気の至りのような無茶苦茶な時期の物だった。
『自分にされたら嫌な事を人にしない』という、小等部の道徳の時間にでも習いそうな内容。当時ただの技術屋あがりの民兵だった俺は、その逆を目指すよう努力を尽くした。
周りの仲間が打倒聖教軍に燃えていたが、頭からつま先まで死兵となり襲い来る連度の高い軍隊相手には、寄せ集め等なんの役にも立たない。
ならばどうすれば勝てるようになるのか、戦えるようになるのか、敵を虐殺できるのか。
策や訓練という言葉が飛び交う中、俺は貪るような勢いで敵の躯から奪った聖本を読み漁った。天地創造から人類誕生禄、そして人類の楽園追放や二人の兄弟、女神の教えと救済、この世の真理。
暇さえあれば隠れて熟読し、頭の中に隅から隅までインプットする。
連中が死を恐れないなら、なにを恐れるのかを理解するべきなのだ。強大な勢力だからこそ弱点という物は必ず存在する。
その結果、俺は牙狼の戦斧という部隊移る事となりそこで本格的な戦闘訓練を叩き込まれた。そしてその訓練というのは、半ば洗脳のような物ではなかったのだろうかと今の俺は考えている。
戦時中の行いは自分の行いをネイの洗脳のせいだとは言わない。一から十まで俺の意思だと考えてはいるが、どうも奴と話していると話していると頭の中に言葉が侵略されているような気分になってくるのだ。
まるで脳内を躾られてしまったかのような、気分の悪さ。
牙狼の戦斧の戦友達も、そんな気分の悪さを感じていたのだろうか。
それとも、そんな物を感じていたのは俺だけだったのだろうか。
今となっては分からない、彼等彼女等は生きているか死んでいるかさえ不明なのだから。
或いはネイが知っているのかもしれないが、こちとら顔も合わせたくないし、お互いあの大戦の事で思いで話に華を咲かせる程吹っ切れてはいない筈だ…多分。
そんな事を考えながら商業路に通りかかった入る。
第六層の商業路と比べれば、お上品な街並みであり警察署も近い為か、買い物をしに来た家族の一団やカップルの連中が平和で呑気な風景を作り出していた。
街頭テレビでは、ボールを蹴りあうクラックの試合をしており、アーパメンツとユニオンのサポーターが相手を牽制し張り合うように応援チームの応援歌を歌っていた。
賑やかなサポーターの背後を通り過ぎようとした時、端末の振動機能が可動し存在感を主張する。
非通知からの着信だ。通話ボタンを押して耳に当てる。
『やあ、今世紀抱かれたい女性総合ランキング一位に輝くネイ=リリネウム様だよ。
怪我は平気そうで良かったじゃないか。君が死んでしまわないか心配で心配で、ボクは食事もロクに喉が通らなかったよ』
「そうか、それで今日食べたディナーは美味かったか?」
『華竜紋の麻婆豆腐が最高だったね。あの辛さは、並の人間が食べたら火を噴くどころかなにか恐ろしげな急性中毒で死んでしまうかもしれないな。
是非君にも食べてほしい所だ、セルシィちゃんと一緒にボクがVIPとして招待してあげよう』
「嘘を吐くなら、せめて直前の話した内容くらいは覚えておけ」
やはりこいつとの会話は頭が腐る。すぐにでも通信を切断してしまいたいところだが、こいつからは受け取らなければいけないものがあるのだ。
「物は?」
『家の連中が、セルシィちゃんから受け取ったようだよ。
これでタウロスを本格的に探索する前の、探索と下準備が整うという訳さ。君達がバジリスクの神殿を発見したという話も興味深いよ。
それに、地下第三階層からいったいなにをしに引き籠りが出てきのか…。こればかりは、西方よりの地図士ギルドも東方の地図士組合だって動くだろうね。
幾ら主が強力でも、追い払う事くらい出来る筈さ』
「聞いてもいない事をベラベラとどーも」
黒騎士メタス。地下第三層の悪鬼代表は、急激に行われたジョンの一斉 攻撃に包まれていた。
その隙に逃げ出して来た訳だが、どうにもあの剛直な騎士があの程度でくたばるとは思えない。
普通に考えれば、鎧の隙間から溶解性スライムが侵蝕して溶けてしまうだろうが、普通ではないことが多々おこりうるのがリスムの地下迷宮だ。
まあ、企業やギルドの連中が追い払ってくれるなら問題はないだろう。リドバルド城塞のゴンドラも急ピッチで修理されたというので、さして時間はかからない筈だ。
もしかしたら、メタスの出現でバジリスクも触発されて動き出すかもしれない。事が安定化するまで、地下第一階層はタウロスのみならず全ての区域が荒れるかもしれない。
しばらくは地下には潜らない方が良いだろう。仕事にしても、地上で出来るような当り障りのない無難で安全な物を選んで遂行していった方が安全だ。
「それで、お前さんが返してくれる物はどうした?
というか何故お前が、俺が落とした失せ物今までずっと隠し持ってたんだ」
『直接渡したかったけどね、その前に君がいなくなってしまったんだよ。戦場から、部隊から、ボクの元からね。捨てずにいたかだけ感謝してほしいくらいさ。
そこで配達員を送っている。君の右斜め後ろを見てごらん』
右斜め後ろ。振り向くと、そこには自動販売機が立ち並んでいた。
各企業の鮮やかなカラーリングの販売機の隣には、二本の反れた鞘を腰に差した男が一人佇んでいる。
男が此方に黙礼をし、その切れ長で鋭い瞳を刺すようにこちらに向けていた。
『彼から受け取ってほしい。
君の後輩だから、虐めないでよ?』
「後輩?」
『金銭はもう振り込んであるから、これで君の依頼は終了だ。
また機会があったらよろしく頼むよ』
通話が途切れ、無機質な音声が耳元をこだます。
端末をしまうと、東方風の顔立ちをした男はまるで人混みの中、誰にも存在を感知されていないかのように静かに近づいて来た。
目の前で立ち止まり、小さな小箱のような入れ物を黙って差し出しす。黒い箱は、指で開く事が出来る簡単なロックがかかっており、彼はロックを外して中身を開いて見せた。
セルシィには話す事が出来ない、今回俺が命を懸けてしまった理由。十数年真似に流行した、今では誰もが古臭いと鼻で笑ってしまうような物だ。
小さな写真が入ったロケット。中身は、妻と初めて旅行に行った時に撮った写真。手を伸ばそうにも届かない程遠くに存在する、思いでの一欠けら。
こんな状態になっても、いろんな物を諦めても、過去の品はそこまで大切か。
「確かに」
箱を閉じて、手の中に受け取る。取り戻したものの今更首にかける気もおきない。おそらく、事務所か家の机の引き出しの中に放り込んで、二度と取り出す機会もないだろう。
取り戻したは良いものの、この小さな幸せの残留物をどうするか。今更こんなものを取り戻して俺はなにをしたかったのか。衝動的に依頼を受けて士まう程の物をこれ事態発していたのか。
まあ考えていても仕方がないことなのかもしれない。思いでの残留物を、ネイがその手に握っているのが気に入らないという理由で充分だ。
目の前の青年が静かに再度頭を下げたる。
「お前さん、俺の後輩とやららしいが」
ペンダントを胸ポケットにしまい、頭を下げた相手を眺めた。ネイの新しい玩具、それだけになにを考えているかよく分からない。俺にも分かる事といえばただ一つだけだ。
「殺意がすすけて見えるぞ」
右か左、前か後ろ。いずれかに動けばこの青年も動く。
理解出来るのだ、前に似たような存在の人物と対峙した事があるのだから。
「極東の刀は、鞘にしまっていても瞬速で敵の首を落とす抜刀術がある。
居合を戦術と扱う大まかに有名流派は『柳葉流』『七竜抜刀流』『紫電流』だったかね。
お前さんどこの流派だ?流石に極東から流出した流派はこの三つだけではないだろうが…。まあなんでも良いか、どうやら俺の命はお前さんの射程距離らしいからな」
青年が顔を上げる。よくよく見てみると、年は若そうではあるが険しく可愛げのない表情をしていた。
目つきが悪いのか視力が悪いのか、細めた瞳は吊りあがりまるで狐の一族のようにも見える。
「お前さんがなんでネイに付き従っているのか分からんけどな、先達として忠告しといてやる。
確かにネイ=リリネウムが目をつける人間は、どこかが壊れているといっても良い。見ためがまともであっても、頭が壊れている可能性のある奴ばかりさ。
だけどな、あの魔女は壊れた所をさらにヌルリと侵入して更に壊しに来るぞ。そうして最後に一線を越えて、飽きてしまえば捨ててしまう。
正直俺自身自分がどこまで壊れたなんてのも分からんよ。頭の奥底の倫理とかプツンと切れちまったのかもしれんしな。
お前さんが今の自分の立場を居心地良く感じているのは分かる。分かるけどな、それは麻薬と同義だ。悪いことは言わんからさっさとあの魔女から離れた方が良いと思うけどねぇ。
……まあ、俺のしでかした事を一から十まで魔女のせいにするつもりは、サラサラ無いけどな」
俺の言を聞いて、なにを感じたか分からない。
彼は数歩後ろに下がり、手を様々な形に組み合わせ始めた。手話という奴だ。
「『そうだろう』『知っている』『しかし』『関係ない』なぁ」
牙狼の戦斧にいた物は、皆特殊な訓練を受ける。
隠密活動や、轟音により声が遮られるような戦場では基本的にハンドシグナルが用いられるが、隊員達は更に事細かにコミュニケーションを図る為訓練の一貫として教育させられた。
特に役に立つ事もなかったが、まさかこんなところでそれが役に立つ事になるとはやや思えなかった。
「年長者の言う事は聞くもんじゃないのか?なんて事言うつもりはないがね。俺もロクに聞かなかった側の人間だしよ。
だがどうにも解せない、なんで初対面のお前さんに俺が殺意向けられにゃならんのか。
別段善良ではないが、今は単なる無力な死体回収屋だぞ俺は」
その言葉に、彼は首を左右に振った。幾つか単語を提示し意思疎通を会話のように並べると、このような事を伝えて来たようだ。
『貴方は自分がなにを抱え込んでいるのか理解していません。私としても、貴方に何故ネイ=リリネウムが目的であり希望を託したのか分からないのです。
貴方を一度は殺す気だったのは事実です、謝罪しましょう。呑気にただ斬られるようならば私は斬っていたのですから』
こいつの一人称が私なのかは知らないし、敬語なのかも分からない。だがしかし、そんな事を気にする前に訳の分からない戯言を並べて来やがった。
「抽象的すぎる例えだな。希望だと?いったいぜんたいなんだってんだ?」
『……分からないのですか?』
「皆目見当つかんね。あの魔女が希望とか言いだすなんていったい何の絶望抱えているんだって話になるな。
正直なところアレがなにかに絶望しているところなんぞ頭の隅にも浮かばんよ」
『そうですか、貴方に聞いた私が愚かだったのかもしれません』
「かもな、やーいバーカ」
『これ以上は時間の無駄でしょう、ひとまず私は失礼させていただきます』
「スルーかよ、まあいい。
精々気を付けて帰るんだな、そんだけ見え見えな危険な気配なんぞ背負ってると、ここではイラントラブルに巻き込まれるぞ?
リスムという都市は魔都だ、なにに巻き込まれても知らんからな」
青年は少しだけ笑い、人混みの中に消えていった。
首元に軽く手をあててから左右に倒す。小さく骨が鳴り、後ろに倒した瞬間やや大きめな音が鳴った。
「説教臭くなる気はなかったんだがなぁ」
小さくため息を吐いて反対方向に向かう。
ネイが今度はどんな馬鹿をしようとしているのか分からないが、どうやら俺はその片棒を現在進行形で担いでいるらしい。
希望だとかなんだとか並べていたが馬鹿馬鹿しい。アイツにクソ詰まらん希望の光を照らしてやるのなら、犬に食わせた方がマシだ。
「……そうだったな」
ふと、忘れていた事を思い出す。端末を起動して文章通信を作成し、セルシィに送信。
返事までしばらくかかろうが構わないが、メーテルを飲みに誘った理由の一つでもある為忘れていてはならない。
「しかしまあ…」
小さくため息を吐く。ため息を吐くと幸せが逃げると言うが、幸せじゃないからため息が出るのだろう。
「頭が痛い話だ」
抱え込んだ代物は厄介だ。セルシィはちゃんと子守をしていれば良いのだが…。