『頑張ってきたのに』
彼女は、いつも思っていた。
――どうして、私ばっかり。
子どもの頃、
欲しいものを買ってもらえなければ、
うちの親はケチだから。
友達と喧嘩をすれば、
あの子が嫉妬したから。
先生に叱られれば、
先生が私を嫌っているから。
約束を忘れても、
遅刻しても、
誰かを傷つけても、
そこには必ず、
自分以外の理由があった。
彼女の人生に、
「自分のせい」
という言葉が入り込む余地はなかった。
だから、大人になっても同じだった。
恋人と別れた。
「男を見る目がなかった」
仕事を辞めた。
「会社がブラックだった」
友人が離れていった。
「みんな薄情だった」
結婚しても、
夫が自分の思い通りに動いてくれない。
家事をしてくれない。
話を聞いてくれない。
欲しいものを買ってくれない。
自分をもっと大切にしてくれない。
彼女は夫に言った。
「普通の旦那さんなら、これくらいしてくれるよ」
夫が疲れていると言えば、
「私だって疲れてる」
夫が不機嫌になれば、
「あなたは器が小さい」
夫が距離を取れば、
「冷たい人」
夫婦仲が悪くなれば、
「結婚してからあなたが変わった」
彼女は一度も、
「私の接し方にも原因があるのかもしれない」
とは考えない。
考えたら負けだとでも、思っていたのかもしれない。
自分に原因があると認めた瞬間、
今まで誰かのせいにし続けてきた自分の人生が、全て崩れてしまう。
やがて夫は家に帰る時間が減った。
彼女は言った。
「浮気するような男だったなんて、見る目がなかった」
夫が離婚を口にした。
「こんなに頑張ってきた私を捨てるなんて、ひどい人」
そして、離婚した。
彼女は泣いた。
「私は何も悪くないのに」
その言葉だけは、最後まで変わらなかった。
離婚後、彼女に新しい恋人ができた。
今度こそ幸せになれる。
そう思った。
最初は優しかった恋人も、少しずつ彼女から距離を取るようになった。
彼女は言った。
「また男運が悪かった」
恋人が去った。
「結局、男はみんな自分勝手」
友人が減った。
「最近の人間関係って薄っぺらい」
子どもが大人になり、自分の人生を歩み始めた。
頻繁には連絡をくれなくなった。
「親を大切にしない子に育った」
孫が生まれても、娘は彼女にあまり頼らなかった。
「私を信用してないのよ」
そして、歳を取った。
ある日、彼女はふと気づいた。
電話帳を開いてみる。
昔の友人。
昔の恋人。
元夫。
親戚。
子ども。
名前はたくさん並んでいる。
けれど、今すぐ電話をかけて、
「ちょっと話を聞いて」
と言える相手は、一人もいなかった。
どうして私は、一人なんだろう。
そして、いつものように答えを探した。
みんなが忙しいから。
みんなが冷たいから。
みんなが自分勝手だから。
時代が変わったから。
そうやって原因を外へ、外へと探していった。
けれど、その日だけは、
ほんの一瞬、
頭の片隅に、別の考えが浮かんだ。
――もしかしたら。
――私にも、何かあったのかな。
彼女はそこで考えるのをやめた。
「……いや、そんなはずない」
そして、テレビをつけた。
画面の中では、家族が笑っていた。
彼女は小さく呟いた。
「ちゃんとやってきたのに…」
誰も答えなかった。
それでも彼女は、自分の人生が間違っていたとは思わない。
悪いのは、いつだって誰かだ。
夫が悪かった。
恋人が悪かった。
友人が悪かった。
子どもが悪かった。
時代が悪かった。
運が悪かった。
そして彼女は、一生気づかない。
自分の人生を変えられるものは、
ずっと自分の手の中にあったことに。
「思い通りにならない人生」
だったのではない。
思い通りにならない、
その度に、
「なぜそうなったのか?」
を、自分以外に探し続けた。
だから最後の日まで、
彼女は、誰かの何かの被害者だった。
その人生を作り上げていったのは、
それを選択し続けたのは、
自分だということさえ、
気づかないまま。




