第5話 元口裂け女
最初の数日、ユキは路地に入るたびに、なんとなく目で人影を探してしまっていた。
だが、あれから一度も見かけていない。
口裂け女をやめるのだから、居なくて当然だ。
なのに、なぜか少しだけ物足りなさを覚える自分がいる。
あんなに怖かったはずなのに、おかしな話だ。
そんな確認も、一週間、二週間と過ぎるうちに、だんだんしなくなっていった。
路地はただの近道に戻り、ユキの放課後も、いつもどおりの何でもない日常に戻っていく。
あの夕方の出来事が、まるで長い白昼夢だったみたいに。
◇◇
一ヶ月半が過ぎた。
その夜、ユキはベッドに寝転がって、なんとなくスマホでYouTubeを眺めていた。
指先で、おすすめの動画を流し見ていく。
その中の一本で、指が止まった。
『【整形Before/After】元・口裂け女が美容整形してみた結果【神回】』
「……は?」
サムネイルには、ひとりの女性が、にっこりと笑って写っていた。
長い黒髪。どこか見覚えのある顔立ち。けれど——その口は、裂けていない。
ごく普通の、口元だった。
「……いや、まさか」
半信半疑で、タップする。
明るいポップなBGMとともに、聞き覚えのある声が流れてきた。
『どうも〜!元・口裂け女です!』
ユキは思わず半身を起こした。
間違いない。あの声だ。
あの、路地で「私、綺麗?」と聞いてきた、あの人の声。
動画の中の彼女は、すっかり垢抜けて、明るく喋っていた。
手術前のマスク姿の写真から、何回かに分けた手術の経過、そして、すっかり綺麗に閉じた今の口元まで。
Before/Afterを、テンポよく見せていく。
どうやら、「元・口裂け女」としてチャンネルを開設したらしい。
その動画は、とんでもなくバズっていた。
再生回数は、軽く百万を超えている。
コメント欄をスクロールしてみる。
『この設定で動画作るの天才すぎる』
『再現度たかすぎて草。メイクどうやってんの』
『元・口裂け女www発想の勝利』
『神回ありがとう』
『演技うますぎでしょ、女優さんですか?』
——誰ひとり、本物だとは思っていなかった。当たり前だ。
ユキは、なんとも言えない気持ちで画面を見つめた。
この世でただ一人、その動画が「設定」でも「演技」でもないことを知っているのは、たぶん自分だけだ。
「……マジかぁ……」
笑えばいいのか、呆れればいいのか、わからなかった。
ただ、画面の中の彼女は、本当に楽しそうで、本当に嬉しそうで。
あの日の、泣きそうに歪んでいた口元は、もうどこにもなかった。
それだけで、まあ、いいか、という気もした。
何の気なしに、動画の概要欄を開いてみる。
撮影機材だの、SNSのリンクだの、ありきたりな文章がずらずらと並んでいる。
指で下までスクロールしていくと、一番最後の一文で目が止まった。
『私を救ってくれた、あの夕方の女子高生に、感謝を込めて。』
「…………」
しばらく、その一文を見つめていた。
ふっと、口元がゆるむ。
「……どういたしまして、ですよ」
スマホをそっと枕元に置いて、ユキは天井を見上げた。
通学路の路地は、今日も誰もいない。
夕陽が建物に遮られて、ひんやりと薄暗いのは、あの頃と同じ。
でも、もうそこに、マスクをつけた女が立っていることはない。
翌日も、ユキは何事もなく、その路地を通り過ぎた。




