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不器用でやさしい短編集

夢じゃないなら、もう離さない

作者: 白千菓 たえ
掲載日:2026/05/30


 コンコン。

 ノエルは客室の扉をノックしたが、返ってくる言葉はない。

 

 「……ローランド、入るよ?」


 盆に載せた料理を器用に片腕で支え、部屋を恐る恐る覗いた。

 暗い部屋の奥、小さな明かりの下で机に突っ伏しているローランドを見つけた。


 「……寝ちゃったか」

 彼の長くて薄いまつ毛に影ができている。食事を机の端に置いた。



 (……本当に、大きくなったよね)


 ノエルは数日前の彼との再会を思い出していた。

 

 ノエルの家が経営する宿屋に、文句を言いにきた男たちを、ローランドは一瞬で叩き伏せた。

 昔は病気がちで弱々しかったあの男の子が、立派な青年になってこの村に戻ってきた。

 久しぶり。そう言う前に「ずっと、会いたかった」と微笑んだ彼は、昔の儚く笑う面影があった。


 身体が大きくなっても、彼は変わらなかった。

 物腰が柔らかで、今でもノエルの顔色を伺うように遠慮がちに笑う。


 

 「(……でもやっぱり、かっこよくなった気がする)」

 

 疲れ切ったローランドの顔をのぞき込んだ。

 やわらかい髪の間から見える彼の顔色は数日前より良くなっている。

 小さいころみたいに、ノエルは彼の髪をやさしく撫でた。


 

 

 息苦しい。

 

 ローランドは咳を繰り返した後、酸素がようやく肺に辿り着き、強張った肩を下ろした。

 隅まで掃除が行き届いた部屋。窓辺のカーテンが風で膨み、遠くから村の友達の声が聞こえてくる。


 (……またこの夢だ)


 昔の弱かった自分。

 どこにも行けず、自室で部屋の外を見ることしかできなかったあの頃。


 「(行きたかった……)」もたげた首は、残念そうに傾いた。

 

 ローランドは夢だとわかっているのに、記憶をなぞるように同じことをいつも思っていた。

 それから寂しい孤独の時間を、目が覚めるまで過ごすんだ。

 あきらめてため息を吐いた時だった。



「、んしょ……」

 

 小さな女の子の声がした。

 ピクニックに行ったはずの小さなノエルだ。


 彼女の頭が、窓辺でちらつく。

 窓辺の高さに届かない小さな彼女は、足元の木箱の上に乗っているようだった。


 やっと窓辺まで顔を出した彼女は、ローランドと目を合わせてにっこり笑う。

 

「また今度行こうね」

 小さな手が伸ばされ、野花が窓辺にそっと置かれた。

 花びらが風で揺れていた。

 


 

 

「……うん、……」

 ローランドは自分の寝言で、目が覚めた。

 客室を出ようとしたノエルは、机に突っ伏した彼と目線を合わせる。


「ローランド、ごはん持ってきたよ。お母さん特製のボルシチだよ」


 寝ぼけた彼は、机や料理、最後にノエルを順番に見てぼんやりしている。

「……ピクニック……」

「ピクニック?」

 

 ローランドが呟いた言葉を、ノエルが聞き返した。

 小さいころ、ピクニックに行く約束の日に、彼は熱のせいで行けなかったことを思い出した。

 その時の夢を見たのかな?寝ぼける姿は昔のローランドにそっくりで、にこりと笑う。


「また行こ?」

 ノエルの声と笑顔が、ローランドの記憶と重なる。

 お日様みたいな、まぶしい笑顔。


 

 ちゅ、と甘い音を立ててローランドは身体を離していく。ノエルの頬に何かわずかに触れた感覚。


 ローランドが、昔のように頬にキスを落としたのだ。

 しばらく会えない時に、おまじないのように交わしたことを思い出す。


「懐かしいね」

 突然のことに驚いたが、記憶の欠片を拾うようにノエルは小さく笑う。



 短いキスが、彼女の頬に何度も繰り返されていく。

 

 頬を包む手が、ノエルの顔を簡単に覆えてしまうほどいつの間にか大きくなった。

 彼の手はやけにあったかい。暗い部屋の中彼の顔はよく見えなかった。


「……ねえ、そろそろ」

 

 ノエルはだんだん恥ずかしくなってきた。

 彼女の言葉を聞こえないふりをして、ローランドは彼女を覆うように、強く抱きしめた。


 

「えっ、……ちょ!」

 大きな身体は思ったよりも重たい。後ろへ倒れそうになるのを堪えきれず、ノエルは尻餅をついた。

 

 起きたばかりの彼の身体は、驚くほどあたたかい。

 はじめて男性に抱きしめられる感覚は、恥ずかしさと心地よさのせめぎ合いだった。

 

 

「ノエル……」

 ローランドは小さな声で彼女の名を呼んだ。

 切なく震える声は、今まできいた声よりも低く掠れている。

 

 暗がりに目が慣れた頃、ようやく見えた彼の目は定まっていなかった。


 「……寝ぼけてるの?」


 いつもと違う様子に気が付いたノエルは、彼の腕の中で何度も声をかけた。

 しかし、何も言わずに彼の顔は徐々に近づいていく。

 

 暗がりの中で見えた青い瞳に息を呑む。

 大きな青い空色に目を奪われていると、鼻先が当たった。

 

 

「……ちょっ、ロー……」

 

 彼の名は、彼の唇にかき消された。

 

 すぐに離されたノエルの唇は、抗議することを忘れ何も紡がない。

 目を白黒させると、ローランドの唇がまた近づきそっとやさしく微かに重なる。

 

 掠めて、すぐに離れる。

 小鳥のようなキスだった。

 

 息を止めていたノエルは、酸素を求めて彼の肩を押した。

 ようやく彼が離れると、いつの間にかノエルは床に頭をつけていた。


 

「……」

「……あれ」

 

 2人は呆然とお互いの顔を見ていた。

 顔を真っ赤にしたノエルは、恥ずかしさでローランドを睨む。


 彼の瞳は、ようやく覚醒したように見開かれ、自分の下に組み敷かれているノエルをまじまじと見ていた。

 状況を把握したローランドは、目の色が変わった。


「……夢じゃ、ないんだ」

「えっ、……!」


 彼は歓喜を抑えきれないように彼女を強く抱きしめた。

 まだ状況を把握しきれないノエルは、何も言えずただ彼の温度に包まれていた。


 「……目が覚めたなら、離し……」


 ローランドは、まっすぐノエルを見つめて黙っていた。

 彼の優しく微笑む顔は、昔の面影もなくやけに色っぽい。

 

 熱く絡んだ視線に耐え切れず、ノエルは彼から視線を逸らした。


「……んむっ!」

 それを許さないように、ローランドの手は彼女の顎を掴んでもう一度呼吸を奪う。

 重なる唇は濡れて、恥ずかしくなる。ノエルは唇のまわりを今すぐ拭いたい気持ちだった。

 

 しかし、それよりも彼に包まれる温度や、彼の唇と視線が熱くて仕方がない。


 

 「……ノエル、ずっと……こうしたかった」


 掠れた声で小さく彼が囁いた。

 息が上がった二人の呼吸は部屋に響き、熱を受けた彼女の瞳は潤んできらきらしている。

 

 遠くで他の客の声が聞こえてくる。

 家の手伝いで掃除をする客室で、あの彼とこんなことをしているなんて。全身が熱くなっていく。

 

 ローランドが徐々に近づいてくる。

 はやく、離れなきゃ。

 

 ノエルはそう思っているのに、身体を動かすことができず、諦めるように瞳を閉じた。


 

 再び重なった唇は、ぴたりとはまる感覚だった。

 彼の熱を求め始めていたことに気が付き、ノエルは更に顔が熱くなっていくのを感じた。


 

 「……?!?!」

 突如熱くてぬるりとした侵入物に驚き、彼女は身体を震わせた。

 ローランドは彼女の頭や腰を抱き、逃げ場がないようにどんどん追い詰めていく。


 彼女が息を求めて彼の肩を叩いても、離さない。

 ノエルは意識が遠くなるのを堪えて、ローランドの舌にされるがままだった。




 「ローランドの……バカぁ!!!」


 それからしばらく後に、ノエルの大きな声が、宿中に響き渡った。

 熱く腫れぼったくなった彼女の唇はわなわな震えている。

 

 彼女は宿を飛び出し、村中を走り回り身体の熱を冷やしていた。

 彼の大きな身体や熱もすべて脳裏にこびりつき、身体は熱を離さない。


 最後まで本気で抵抗する気のなかった自分が、余計に恥ずかしかった。


 

 取り残されたローランドは、彼女が先ほどまでいた場所を撫でた。

 視界の端で冷め切ったボルシチはぽつんと置かれていた。

 

 「……嫌われたかも」

 後悔で押しつぶされそうだ。


 ただ、待ちわびた熱に浮かされて、今夜は眠れそうになかった。

 

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