欲しがり妹ですので、図々しくてもよろしいですよね?
アーバン家のリディアは欲しがりだ――そんな噂が、社交界ではまことしやかに囁かれていた。
「姉君の持ち物を欲しがって、ついには奪ってしまうのだとか」
「まあ……なんてはしたない」
「今夜いらっしゃるのでしょう? わたくし達も、うっかり褒めないよう気をつけませんと」
その妹が、今夜初めて夜会に姿を見せる。
囁きの中心で、アメリアは慎ましく微笑んでいた。
薄青のドレスに、胸元には月光石をあしらった繊細な首飾り。
その隣には、婚約者であるアルフレッドが立っていた。
「今夜、妹君がいらっしゃるのでしたね」
貴婦人の一人に声をかけられ、アメリアは困ったように目を伏せた。
「ええ……。あの子ももう年頃ですもの。仲良くしてくれたらと願っているのですが」
「お優しいのですね。ですが……妹君は、少しおねだりがお好きだと伺いましたが」
アメリアはかすかに笑った。
「ええ。わたくしのドレスも、宝石も……褒めてくれるのは嬉しいのですけれど、そのうち『欲しい』と言い出してしまって」
「まあ……」
「今ではもう慣れましたわ。あの子が望むなら、なるべく譲るようにしておりますの」
周囲の令嬢たちが、なんとも言えない顔で頷く。
アルフレッドは横で黙って聞いていた。
返事はしない。ただ、金色の瞳を静かに細めている。
「アルフレッド様も、きっと呆れていらっしゃるでしょう?」
「……どうでしょう」
曖昧な返答に、アメリアはほんの少しだけまつげを伏せた。
だが、すぐに場の空気を壊さぬ微笑みを作り直す。
「今夜は、どうか穏やかに済めばよいのですが」
そのとき、広間の入り口で名が読み上げられた。
「アーバン伯爵家令嬢、リディア・アーバン様」
広間が、わずかにざわめく。
視線が一斉に集まった。
現れたのは、淡い生成りに銀糸の刺繍を散らしたドレスの少女だった。
上等な品だ。
だが、肩も、胸元も、どこか微妙に合っていなかった。
少女――リディアは、無数の視線を浴びながらも足を止めなかった。
怯えた様子もなく、ただ静かに、真っ直ぐ歩いてくる。
「……あれが?」
「欲しがりの妹?」
「思っていたより……」
誰かが言いかけて、口をつぐむ。
リディアはやがてアメリアたちの前で足を止めた。
姉を見る。次に、その隣のアルフレッドを見る。
「改めてご挨拶いたします、アルフレッド様。姉がいつもお世話になっております」
「こちらこそ。妹君にお会いするのは久しぶりですね」
「ええ。本日はご挨拶できて光栄です」
「リディア、失礼のないようになさい」
アメリアが柔らかく言う。
その直後、リディアはアメリアに向き直り、にこりと微笑んだ。
「お姉様。婚約者をわたくしに下さいませ」
広間の空気が、凍った。
アメリアは目を見開いた。
次の瞬間には悲しげな表情を浮かべかけたが、それより先にアルフレッドが口を開く。
「なるほど。妹君は、姉君のものを欲しがる方だと伺っていました」
「はい」
「まさか姉上の婚約者までお望みになるとは」
「ええ……アルフレッド様、あの子ったら、また……」
アメリアが眉を寄せる。
アルフレッドは、首を傾けた。
「姉君はたいそうお優しい方だ。妹君は、今回も譲っていただけるとお考えなのですか」
「はい」
「でしたら――姉君。今宵も妹君の願いをお聞き届けになるのですか?」
「えっ……」
周囲がざわつく。
「まさか……」
「い、いや、でも……いつも譲っておられたなら……?」
「優しい姉君なのでしょう……?」
ひそひそ声が渦を巻く。
アメリアの頬が引きつった。
リディアがさらに一歩踏み込む。
「よろしいでしょう、優しいお姉様?」
「ふざけないで!」
鋭い声が、広間に響き渡った。
アメリアは肩を震わせ、リディアを睨みつけていた。
「あんたなんかに釣り合うわけないでしょう!」
「お姉様」
「身の程を知りなさい! 今まで大人しくしていたくせに、どうして今さら――」
そこでアメリアははっとした。
だが、もう遅い。
「……今まで、大人しくしていた?」
誰かが小さく繰り返した。
リディアは姉を見つめたまま、ふっと笑った。
「ええ。その通りですわ」
静かな声だった。
だが、その場の誰にもはっきり届いた。
「欲しいなんて、一度も申し上げたことはありません」
「な、にを……」
「お姉様がいらないと仰ったものを、わたくしに下さるのです。ドレスも、宝石も」
「黙れ!」
「そしてわたくしが、お礼を申し上げるでしょう?」
リディアはゆっくりと言葉を重ねた。
「すると次の日には、『妹が欲しがったから譲ってやった』という話に変わっているのです」
ざわ、と場が揺れた。
「では、今までの噂は……」
「まさか……」
アメリアの顔がみるみる青ざめる。
「そのドレスだってそうです」
リディアは自分の袖口をつまんだ。
「わたくしは、自分のために仕立てたドレスが欲しかったのです」
「リディア……!」
「けれどお姉様が、『よくお似合いになるでしょう?』と仰るから頂きました」
何か言い返そうとしたアメリアの唇が震える。
だが、言葉にはならなかった。
代わりに彼女は扇で顔を覆い、そのまま踵を返した。
「お姉様!」
リディアが呼ぶ。
だがアメリアは人垣を押しのけるようにして広間を去っていった。
あとに残ったのは、重たい沈黙だった。
それを破ったのは、アルフレッドだった。
「少し、お話をしてもよろしいですか」
リディアは小さく息をつき、頷いた。
「はい」
◆
二人は広間の隅、露台へ続く回廊へ移った。
しばし沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは、アルフレッドだった。
「薄々、違和感は覚えていました。それでも半信半疑でした」
「……そうでしたの?」
「姉君は、妹に譲っていると嘆くわりに、いつも新しい上等な品を身につけておられた。
……あなたは、その隣で礼を言うばかりだった」
リディアはかすかに首を横に振る。
「仕方のないことです。一度広まった噂を、疑う方などおりませんもの」
「いいえ。それではいけなかった」
アルフレッドは真っ直ぐに彼女を見た。
「あなたは、ずっとああして耐えてこられたのでしょう」
リディアは驚いたように目を瞬き、目を伏せた。
「少し遠慮していたのかもしれません」
「……義理の姉君ですから?」
「ええ」
リディアは小さく笑った。
「この夜会で、お姉様の本心を知りたかったのです」
「本心?」
「本当に、わたくしのためを思って下さっていたのか。それとも――ただ、わたくしを欲深い妹にしたかったのか」
夜気が、二人の間を抜けていく。
「それに」
そこでリディアは、ようやくアルフレッドを見た。
「あなたのことは、本当に譲ってほしいと思ったのです」
アルフレッドは目を見開き、それからふっと息を吐いた。
「それを聞けて、安心しました」
「安心?」
「ええ。あれが単なる意趣返しではなく、あなたの本心だと分かりましたから」
リディアは少しだけ頬を染める。
「……お嫌でした?」
「まさか。むしろ、光栄です」
二人の間に沈黙が落ちる。
広間のざわめきが遠く聞こえるなか、アルフレッドは穏やかに続けた。
「今夜の件で、婚約については父上とも改めて話をいたします」
「よろしいのですか」
「よくはありません。遅すぎた」
彼は自嘲気味に笑う。
「ですが、遅れた分だけ、今度は誤らないようにしたい」
「……」
「もう、誰かの言葉だけであなたを判断したりはしません」
リディアはしばらく黙っていた。
やがて、ほんの少しだけ肩の力を抜いて微笑む。
「それなら……次は、わたくしに似合うものを選んでくださいませ」
アルフレッドも笑った。
「承知しました。まずは、肩の合うドレスから」
その返答に、リディアは今夜初めて声を立てて笑った。
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