午後の珈琲
ファミレスに入った。少し緊張しながら。どことなくコーヒーの香りがする。様々な飲食が行われる場でコーヒーが勝るのは、それだけ薫り高いということなのだろう。コーヒーはさっき飲んだばかり。マイカーのオイル交換をしたとき出されたのだ。
マイカーは同級生の親が経営する整備工場で購入した。タイヤ、オイル交換等はいつもここに頼む。
「どうも」事務所の引き戸を開けると奥さんがデスクワークに勤しんでいる。「あら、こんにちわ」そういって同級生を呼びにいく。同級生にマイカーを預け、干からびたソファに腰かける。「今日は休みですか」、「そう、土日働いたのでね」、「土日も仕事あるんだ!」。それ以上話が続くことはない。顔見知りであっても。「すぐ終わるから待っててね」そう言ってコーヒーを出してくれた。まるで麦茶のような薄いコーヒー。胃腸の弱くなった私を気遣ってくれているのだ。
沈黙。有線ラジオ放送のJ‐POPが流れる。まったく話下手には助かる設備だ。聞いたこともない流行りの曲を聞き流し、見慣れた事務所の中を見渡す。古いパソコンの隣に真新しいヌイグルミがいくつかあった。ゲームセンターの景品。見覚えのあるキャラクターだ。彼らの子はもう中学生、その子のものだろう。何のキャラクターだったかな、思案していると、聞き覚えのある曲が耳に入ってきた。私が観ているアニメの主題歌である。ギクリとした、私生活を暴露されたようで脂汗が出てくる。
「おう、終わったよ」同級生に声をかけられる。「あっ!ありがとう」素っ頓狂な声を出すと、夫妻は不思議そうにこちらをみた。「ちょっと行くところがあるから」そう告げてサッサと事務所を出た。
そしていま、ファミレスに入ったわけだ。ファミレスのいいところは何といってもテーブルが広いところだ。時間を気にしなくてもいいし、何か書き物をするにはちょうどいい。
書き物といってもロクなものではない。履歴書、申請書、調書、顛末書、かったるいものばかり。それでも年に2、3度は書かねばならず、その度ファミレスのお世話になる。おかげでファミレスに入ると体が反応してしまう。幸い今日は面倒事ではない。
昼時を過ぎていたが中は混雑していて、通された席は、若い女性二人の席の隣。コソコソとタブレットで料理を注文する。「教員免許はとったけど」、「就職は関東がいいな」隣から大学生と思しき会話が聞こえてくる。
「オマタセシマシタ」給仕ロボットが料理を持ってきた。緊張の瞬間。立ち上がり、運ばれてきた皿と「ある物」を、彼女たちから見えないように取り上げる。バレようがバレまいが関係はない。彼女たちから見えないように最善を尽くしたという事実が重要である。
料理を機械的に口に運ぶ。オバサンたちが右から左へと行ったり来たり、女子高生がドリンクバーを注ぎに行ったり、給仕が給仕ロボットを避けたりするのを眺めながら、とにかく食べ進む。隣の女性二人が上着を取り出した。しめた、と思った。
予想通り彼女たちが席を立つ。食べるのを中断して、「ある物」の開封に取り掛かる。出てきたのは欲しかったアニメキャラのカード。思わずガッツポーズが出た。このファミレスでは今、私が観ているアニメとコラボをしていて、コラボメニューを頼むとコレクションカードが付いてくるのだ。
「厚生年金がこのくらいだから」、「なるほど、これが上乗せになるのか」。女性たちが去ると、今度は隣の隣の席から会話が聞こえてきた。二人はスーツ姿のオジサンとオバサン、金融関係の仕事らしい。「金の話か、ふん、金の話とはね」鼻を鳴らしながら残った料理を食べ続ける。さっきの大学生といい、スーツ姿といい、このファミレスは自己顕示欲の高い人間が集まるようである。
料理を食べ終わり、欲しかったコレクションカードを再び見る。私は自己顕示欲の低い人間だろうか。万年平社員の中年サラリーマンといえば、確かにそうともいえる。大学生時分は将来こうなるとは思っていなかった。少なくとも、隣の隣のスーツ姿ぐらいにはなると思っていたのだ。それがいま、コレクションカードを手にして喜んでいる。当世風の幸福ではないか?私は昔からこうだ。時代が私に追い付いてきたのだ。
さて帰ろうと、隣の席に目をやる。食べ終わった皿と飲み残しのコーヒーカップがそのままだ。飲み口にうっすら残る、口紅の跡に目が釘付けになった。真っ黒なコーヒーが誘うようにユラユラ揺れ、薄汚い欲望を刺激する。どんな味がするのだろう。コーヒーカップに口をつけるとする、給仕にバレたとする、問われる罪は無銭飲食か、はたまた迷惑防止条例違反か。あくまで仮の話だ。
もちろん行動には移せなかった。大それたことをやるには、私はあまりに凡庸だった。




