第7章:混乱の帰路
白鳥美月さんと昇降口で別れた後、俺は一人、とぼとぼと雨上がりの通学路を歩いていた。
さっきまでの土砂降りが嘘みたいに、空には大きな虹がかかっている。
夕焼けの最後の輝きが、濡れたアスファルトをオレンジ色に染め上げて、キラキラと反射していた。
まるで、これから何かいいことが起こりそうな、そんな幻想的な風景。
……だけど、今の俺の心は、そんな美しい景色を楽しむ余裕なんて、これっぽっちもなかった。
ズキズキと痛む頭を押さえながら、俺は大きくため息をつく。
(俺、いったい何に巻き込まれたんだ……マジで……)
頭の中が、ぐるぐると渦を巻いている。
白鳥美月。学園のアイドル。完璧な優等生。
その彼女が、旧校舎の裏で、あんな……あんなことをしていた。
そして、その秘密を偶然見てしまった俺は、なぜか彼女の「共犯者」に任命され、明日から彼女の「実験」とやらに付き合わされることになった。
……うん、言葉にしてみると、ますます意味が分からない。
まるで、出来の悪いラノベの導入部分みたいだ。
いや、ラノベだったら、もう少し夢のある展開になるはずだ。
こんな、一方的な脅迫と強制で始まる関係なんて、聞いたことがない。
ズブッ、と右足が水たまりにはまった。
「うわっ、冷たっ!」
靴の中まで水が染みてきて、最悪な気分に拍車がかかる。
今日の俺は、とことんツイてない。
ふと、脳裏に、さっき見た光景がフラッシュバックする。
壁に手をつき、スカートをたくし上げ、恍惚とした表情を浮かべていた、美月さんの姿。
あの時の、潤んだ瞳。
ほんのり上気した頬。
そして、微かに漏れていた、甘い吐息……。
ブワッ、と顔に熱が集まるのが分かった。
(だああああ! 何思い出してんだ俺は! バカバカバカ!)
俺はぶんぶんと首を横に振って、頭の中からあの残像を追い出そうとする。
でも、一度焼き付いてしまった記憶は、そう簡単には消えてくれない。
鮮明すぎるくらいに、彼女の姿が瞼の裏に蘇ってくる。
(いや、でも……その……確かに、綺麗だった……よな……?)
まただ。
また、そんなことを考えてしまう。
あの時の彼女は、確かに背徳的で、異常で、理解不能だったけど。
でも、なぜか、目を逸らせないような、不思議な魅力があったのも事実なんだ。
あの、普段の完璧な優等生としての姿からは想像もつかない、剥き出しの「何か」。
それが、俺の心のどこかを、妙にザワつかせる。
(落ち着け、俺。冷静になれ、田中優人)
俺は、自分の胸に手を当てて、深呼吸を繰り返す。
今の俺の感情を分析するなら、そうだな……恐怖7割、ってところか。
白鳥美月という人間の得体の知れなさ、そして、これから俺が何をさせられるのか分からないという不安。
それが、恐怖の正体だ。
でも、残りの3割は……なんだろう。
興奮、とまでは言わない。
いや、もしかしたら、少しはしてるのかもしれない。
未知のものに対する、怖いもの見たさ、みたいな?
それとも、あの「秘密」を共有してしまったことによる、妙な連帯感……いや、それは違うな。
共犯者とは言われたけど、俺はまだ何もしてない。
とにかく、よく分からない感情が、俺の中でごちゃ混ぜになっている。
まるで、ミキサーにいろんなフルーツをぶち込んで、スイッチをオンにしたみたいに、ぐちゃぐちゃで、何が何だか分からない。
一つだけ確かなのは、明日からの俺の学園生活が、今までとは全く違うものになるだろう、ということだけだ。
その時だった。
ブブブ……ブブブ……。
スラックスのポケットに入れていたスマホが、短く震えた。
え、誰だ? 健太か?
いや、健太なら普通に電話してくるはずだ。
メッセージなんて、よっぽどのことがないと送ってこない。
じゃあ、一体誰が……?
俺は、恐る恐るスマホを取り出し、画面を確認する。
そこに表示されていた送信者の名前に、俺の心臓は再びドクンと跳ね上がった。
『白鳥 美月』
いつの間に連絡先交換してたんだっけ!?
ああ、そうだ、旧校舎の空き教室で、半ば強制的に……。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、震える指でメッセージアプリを開いた。
そこには、数行の短いメッセージが表示されていた。
『田中くん、忘れないでね? 明日の昼休み、図書館の奥の個人ブースよ♡』
……ハートマークついてるんですけど!?
なんなんだこの人!
さっきまであんなに威圧的だったのに、この文面とのギャップ!
いや、待て。
まだ続きがある。
『あと、今日の旧校舎でのこと、それから私たちの関係については、絶対に誰にも言わないこと。いいわね?』
……はい、キました。釘を刺すやつ。
分かってますよ、言いませんよ、言えるわけないじゃないですか、こんなこと!
そして、最後の行。
『もし約束を破ったり、私を裏切ったりしたら……ね? 分かってるわよね? (*^▽^*)』
……笑顔の顔文字、怖えええええええええええ!!
この顔文字ほど、今の状況にそぐわないものがあるだろうか!? いや、ない!
可愛らしい笑顔の裏に隠された、有無を言わせぬ圧力。
まさに、白鳥美月という人間を象徴しているようなメッセージだ。
俺は、スマホの画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
顔文字の可愛さと、その内容のギャップに、頭がクラクラする。
この人、本当に何を考えてるんだ……?
俺を、どうするつもりなんだ……?
雨上がりの空は、もうすっかり暗くなり始めていた。
遠くで、カラスがカア、カアと鳴いている。
なんだか、その声が、俺の不安をさらに増幅させるように聞こえた。
明日、図書館。
一体、何が待っているんだろうか。
俺は、重い足取りで、再び家路についた。
ポケットの中のスマホが、まるで時限爆弾のように感じられたのは、きっと気のせいじゃないだろう。